第18話 浅葱の輪舞曲 その4

文字数 6,347文字

「もう、いいわ! 紅を負かしたのはマグレでしょう? 偶然でしか勝ちを拾えない程度の能力じゃ、私には勝てないわよ!」

 蒼は雪の氷柱を大量に生み出した。全て緑祁に向けて投げれば、水蒸気爆発で跳ね返されるだろうが、彼女の狙いはそこではない。全部、地面に向けて投げつけたのだ。

「うわっ!」

 突き刺さったり、逆に砕けたりした氷柱は、地面を急速に冷やし氷漬けにしてしまう。先ほど雪達磨で凍結させていた分、一気に冷え固まった。ちょうど周囲がスケートリンクのようになった。

「行くわよ! 覚悟なさい!」

 駆け出す蒼。氷の上を走り、滑って素早く緑祁との距離を詰める。対する緑祁は、上手く動けない。

(来る!)

 蒼が振り上げた手が雪に包まれ、氷が伸びる。氷斬刀で緑祁の闘志を体ごと切り裂くのだ。

「せいやぁっ!」

 空気が斬れる音がするほどの凄まじい速さで氷斬刀を振り下ろした。これをまともにくらえば、ひとたまりもない。

「……? 浅い…?」

 感触でわかる。全然、斬れていない。服すら、千切れていないだろう。自分の手をよく見ると、氷が解け落ちていた。
 つまり緑祁に氷斬刀は直撃せず、ただの手刀が当たっただけだ。

「本当に諦めていないわけ、ね……」

 答えは緑祁が持っていた。あの、攻撃される一瞬で火災旋風を生み出し、その熱で氷を蒸発させたのだ。だから思ったほどダメージが通っていなかったのである。一応わき腹を手で押さえているみたいだが、その程度の負傷で済んでいる。

「当たり前だよ。僕は……」

 緑祁の口が動く。それはまるで考えていることを勝手に体が喋らせているように見えた。

「僕は、決めたんだ。修練を救う! どんなことがあっても、絶対に!」

 守りたいものは、相手自身。その考えは聞いていると馬鹿らしいというより、

(何を言っているの、コイツは……?)

 理解ができない。脳細胞が言葉の意図を読み解くことを拒んでいる。
 蒼からすれば、自分も修練も、【神代】に噛みついた悪そのものだ。ならば殺してでも捕まえて、檻に放り込む。それが緑祁が目指すべき正義のはずだ。
 しかし目の前の男は、本気で言っているのだ。戦う相手に救いの手を差し伸べると。それは偽りの正義ではなく、真っ直ぐな優しい本心である。今だって蒼と戦っているのも、彼女たちの暴走……そしてその奥にいる修練を止めたいからだ。【神代】からの命令など関係なく、誰かに言われなくても動いただろう。少なくとも、いや絶対に、彼にはその意思があった。
 それが緑祁の宿命であり、果たすべき人生の課題。自分が生まれてきた意味は、今ここにある。理解できた。蒼はその温かさに心と体をゆだねたい衝動に駆られた。

(で、でも!)

 だが、彼女には彼女で、やらなければいけないことがある。自分の職務を全うしなければならないのだ。緑祁の正義が勝つということは、自分は失敗するということ。それだけは、何があっても譲れない。

「ここでの勝利は、譲らない! 緑祁! あんたが背負う正義と運命……それは良くわかったわ。だけどね、私の方が、重く深い! だから、ここは! 負けられないわ!」
「そっちが譲ってくれなくても、僕は勝ちに行く!」

 蒼は雪の氷柱を生み出し、右手で握り緑祁に向ける。また火災旋風で解かされるだろう。しかし、それでいい。

「はあああああああっ!」
「そうはいかない! 霊障合体・火災旋風だ!」

 回転する風に炎が乗り、氷柱を包み込んで熱する。氷はものの数秒で水に変えられ、さらに水蒸気にされるだろう。

「あっ!」

 右に注目させた。左手の動きまでは、追えていない。蒼は大き目の雪の結晶を生み出していたのだ。

(何をする気だ……?)

 基本は防御用のはずの結晶。それをここで繰り出したワケは一つ、攻撃するためだ。

(だけど……それをするなら!)

 緑祁は構えた。結晶が迫るのなら、水蒸気爆発で逆に押し返せる。この場合、勝つのは自分の方だ。
 単純な発想では勝負には勝てない。それをわかっているのは、蒼も同じだった。

「フンっ!」

 蒼は乱舞による向上した身体能力で緑祁の首を掴むと、雪の結晶に彼の顔を押し付けた。

「ぐわわわわああああっ!」

 雪は冷たい。その凍てつく痛みが、緑祁の顔を襲う。

(こ、これが……、狙いだったのか!)

 結晶を解かせば解放される。だから彼は鬼火を使おうとした。だが蒼がそれをさせてくれない。緑祁の腕を掴み無理矢理向きを変えさせ、火炎を全然違う方向へ。既に結晶が成長し地面と柱のように繋がったために、できた妨害だ。

「早く逃げ出さないと、低温火傷するわよ?」
「っぐ!」

 しかし頭……脳を急速に冷やされれば、皮膚以上に危険。思考回路が鈍る。頭の中のホワイトボードに、書き込める文字が減っていく。

(まだだ! まだ、諦めるな! そうだ、逆だ! それを行け!)

 もう一度、手を動かす。蒼に警戒されるが、指先をほんのちょっとだけ、自分の首に向けた。

「み、水…? 鉄砲水を使ったわね! でもこの威力じゃ、私の手は痛くも痒くもないわよ?」
「だろうね。でも、寒いんじゃない?」
「は?」

 弱い鉄砲水程度で彼女の手を振りほどくのは無理だろう。しかし狙いはそこではない。今、緑祁の顔は雪の結晶に押し付けられている。当然首元も同じくらいに冷やされている。

「まさかっ! しまった!」

 だが体温のある頭や首よりも、温もりのない水の方が先に冷え固まるだろう。緑祁は蒼の雪を利用した。凍らされるこの状況、逆に自ら氷を強めたのだ。

(ぬぬっ! 氷が、走った! 緑祁、あんたは冷たくないの?)

 彼の首を濡らす水が氷に変化し、そこを掴んでいる蒼の指を捕らえた。もう既に固まって指が動かせない。手が首から離れない。

(コイツ、やはり、侮れない! 私の……敵の霊障をこんな風に利用し出すなんて!)

 都合よく、自分の指や手に付着した氷だけ消えてくれるだろうか? 鉄砲水は緑祁が出しているのだが、

(何か起きたら、困る……。ここは深追いしない方が賢いわ)

 一旦、雪の結晶を止める。念じるだけで結晶が解け消え、冷気もなくなった。

「ふ、ふう………」

 ここから反撃したい緑祁だが、体の疲労がそれをさせてくれない。一瞬呼吸が荒くなる。そのほんの数秒の間に、蒼は距離を取った。彼が気づき火災旋風を放った際には既にその場にいなかった。

(くそ、間に合わなかったか!)

 心臓が今までにないくらい、バクンバクンと音を立てる。鼓膜を貫き、脳を直接揺さぶっているようだ。その鼓動に釣られて何度も何度も空気を吸っては吐く。汗が顔からドバっと吹き出、同時に涙まで零れる。目の焦点が合わない。体が無駄に火照っている。筋肉も緊張している。膝に手を置いた状態から、上半身を動かせない。
 これらの症状はあることを緑祁に教えているのだ。

(ま、間違いない……! 僕の体はもう限界だ……。今ここで蒼に逃げられたら、追いつけない! 一撃加えられたら、もう意識は保っていられないぞ……)

 確実に負ける。敗北という暗い海を臨める崖っぷちに、立たされている。しかも蒼はいつでもそこから彼を突き落とせるのだ。

(で、蒼はどこにいるんだ?)

 何とか首を動かし周囲を探ったが、それらしい人影がないのだ。目的が緑祁の身柄の拘束である以上、大学の敷地外に逃げたとは考えにくい。となれば最後の一発を叩き込むその隙を、身を潜めて伺っている、と考えた方がいいだろう。
 蒼からすれば、満身創痍かつ疲労困憊の緑祁は負ける方が不可能な存在だ。だが彼女は冷静で、反撃されないように作戦を練ってから襲うのだ。まさに死にかけのライオンに警戒し、死にゆくトラを全身全霊で捻り潰そうとしているわけだ。
 体と霊気の状態から言って、繰り出せる霊障合体はあと一回が限界だ。それに対し、蒼からの攻撃は一発も受けては駄目だ。両者とも一度もミスできない。
 ゴクリと唾を飲んだ。泣いても笑っても次の一瞬で、この勝負は決まる。

 周囲の沈黙を破ったのは、小さいが鋭い音。それはパリっと、氷が割れる音だった。

(どこの氷だ?)

 さっきまで顔を押し付けられていた結晶の柱は、蒼が消した。またパリパリと、今度は連続で聞こえる。自分に近づいているようにも感じる。

(地面……! 雪達磨で凍らせて、雪の氷柱で完全に仕上げてあった地面の氷だ……。消さずにとっておいたみたいだけど、今、それが割れ始めている、それも僕に向かって…!)

 蒼がそれを踏んでいるから割れたのだろうか? この状況でそんな油断慢心を、するはずがない。だとすれば、緑祁を欺くためにワザと割っている。罠は破った。蒼は反対の方向から仕掛けてくる。氷が割れだしたのは右なので、左に意識を集中させるのだ。そうすると自然と、眼球がその方向に動く。
 が、

(な、何!)

 一気に周辺の、地面に張られた氷がバリーンと割れた。意識の外からの一手が、緑祁を混乱させた。

(しまった! マズい、ヤバい……! どっちだ、どこから来るんだ?)

 右か? 左か? 前か? 後ろか? 

(な、何をすればいい? 避ける? 防ぐ? 攻める?)

 霊障合体を使うべきか? それとも蒼が決定的な隙を見せるまで、温存しておくべきか? はたまた霊障単品で使うべきか? 
 頭の中が真っ白になり、目が泳ぐ。耳の側でクラッカーを鳴らされた気分だ。

(もらったわ!)

 今の緑祁は、何を考えるべきかわかっていない。蒼は彼をその状態にしておきたかった。そうすれば逆襲……それも彼女の霊障を利用した反撃など、できっこない。
 蒼が駆けた。彼女が襲ってくる方向は、なんと上。緑祁が息を切らしている隙に、建物を登っていたのだ。乱舞があるからこそ、外壁をそんなに力を込めずともロッククライミングの要領で上がれる。そうして素早く好ポジションを確保したら、地面の氷を割って音を聞かせて、勘づいたら全部割る。思考停止状態に陥った緑祁は、何が起きたか把握するだけで精一杯だろう。
 彼女の導き出した答えが、これだった。両手に氷斬刀を伸ばし、一振りで終わらせるのだ。

(終わりよ、緑祁! ボロボロの状態でありながら最後の最後まで諦めず、戦い抜いた! その姿勢は純粋に、素晴らしいわ! ただ、私の方が一枚上手だっただけ……。ベストコンディション同士だったら、本当に最後が見えない勝負だったかもね……)

 心の中で、ここまで抗った緑祁のことを褒めていた。拍手をしたい気分でもある。

(い、今……)

 風が不自然に動き、緑祁の髪の毛を揺らした。旋風が使える彼は、空気の流れに敏感だ。反射的に上を向く。

(頭上に、蒼が!)

 既に手刀は鋭利な氷を身にまとっていた。気付けただけでも奇跡に近い。蒼の方は見つかることを恐れていないのか、目が合っても一切驚いていない。
 真っさらにされた頭の中を切り裂くように蒼が現れた。汚れのないホワイトボードの真ん中の一点を彼女が適当にグリグリと塗りつぶした。

(そうだ……)

 その状況が連想させることがある。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 喉が潰れても構わない。

(今! すべきことはこれだ!)

 緑祁は両腕を伸ばし、体をひねった。すると旋風で周囲の空気が動く。そこに鉄砲水を乗せる。

「霊障合体・台風……!」

 蒼が塗った一点が、台風の目に思えた。だからこれができた。しかも彼女は今、落下中で動けない。

「なっ……!」

 あまりの反撃の速さに驚愕する蒼。氷斬刀では切り裂けないほど、台風は大きい。しかも緑祁は今持てる霊気を全て出し切って、台風を繰り出したのだ。それが直撃したらどうなるか。

(え、う……そ…?)

 力強い雨風が彼女の体を乱暴に襲う。それは意識が途切れるまで続く。
 勝利のビジョンがその姿を変えた。蒼の奇襲は緑祁の台風に蹴散らされた。先に地面の上に倒れ込んだのは、蒼の方だった。

「や、やった……!」

 この勝負を制したのは、緑祁だった。幾重にも張り巡らされた絶望的な状況を脱出し、蒼の懐にある勝利を掴み取った。

「っ………!」

 安心し緊張が、ほんの少し途切れる。ただそれだけで緑祁の体も地面に落ちる。

「はあ、はあ、はあ……。で、でも……! やった……! やれたんだ……!」

 仰向けの状態で、小さな声で確かに呟いた。

「勝ったんだ、僕が……!」


 吐き気から回復した香恵は、急いで大学に向かった。たった一人で蒼と戦いに向かった緑祁のことが、何よりも心配だ。既に空は薄っすらと明るくなっている。朝が来た。
 大学の門を通過する時、ちょっと緊張した。

(も、もしも……)

 考えたくない展開だが、緑祁が負けてしまっていたら……。蒼はここに来る緑祁の仲間……つまり自分を、見て見ぬふりをするだろうか? 人質が多くなってしまうことだけは避けたい。
 しかしその心配は一気にゴミ箱に捨て、大学内に入った。香恵は緑祁のことを信じている。必ず勝っている。何も臆することはないのだ、堂々と歩む。
 少し進めば、戦いの形跡があった。その奥に二人が倒れている。

「緑祁……!」

 片方は彼だ。腹と胸を押さえて、深呼吸している。

「大丈夫なの、緑祁!」
「あ、うん……」

 意識はある。だが体力がないらしい。怪我は香恵が慰療を使って治すが、消耗したエネルギーはどうしようもないので、肩を貸す。

「先に、蒼の怪我を見てあげて」
「わかったわ」

 気絶しているもう一人は蒼だ。

(勝ったのね、緑祁!)

 蒼にも深刻な傷はないが、慰療を使う。首元に触れると脈動を感じた。大丈夫だ、ちゃんと生きている。

「ん…?」

 その彼女の顔に、香恵は違和を感じた。涙を流していた。それだけなら、勝負に負けた悔しさや負傷の痛みや苦しみで流れたと判断できるが、苦痛の表情は一切なく逆に、

(綺麗な顔だわ。まるで希望に満ち溢れているかのような……)

 その希望というのは、一体何だ。修練側にはもう他の仲間はいない。なので、絶望的な状況に彼女は置かれていて、そこで負けてしまったのだから、抱ける望みはないはずである。それとも、修練が緑祁や紫電たちを一気に打ち負かすことを期待しているのだろうか? 

(そうじゃないわ。まるで……)

 まるで、差し伸べられた救いの手を掴めたかのように温かい。つまりは嬉し涙。
 ここで香恵は理解した。蒼が最後に抱けた希望、その正体を。
 彼女は、緑祁なら修練を救えると信じているのだ。修練の望みが何かはまだわからないが、暗闇の中一人でいることは確か。そこから光ある道に導けるのは、緑祁しかいない。敗北した時にそれを悟った。
 きっと今まで、果てしなく長い道のりを修練や蒼は……緑や峻や紅も、自分たちだけで歩いてきたのだろう。そこで解決する術がなく、抜け出すことができなかった。彼らに協力してくれる人もいなかった。
 だが、そこに現れたただ一人の青年だけは違ったのだ。その人……緑祁は、敵である自分たちを救いたい、傷ついて欲しくない。その一心だけでここまで戦ってきた。
 優しく温かいその心に触れ、任せたいと感じたのだろう。それが新たな正しい道と信じて。

「香恵、ここからなら僕の下宿先の方が近いよ。そこで休もう。紫電もそこに呼んでくれる?」

 言われ、香恵は紫電にメッセージを送った。蒼は彼に引き渡す。紅と一緒に、【神代】が安全な場所に運んでくれるだろう。

「緑祁はどうするの?」
「僕は、待つよ」
「待つって?」

 今朝の戦いの結果は、修練はもう知っているはずだ。最後の一人になってしまったからには、彼が直々に動くしかない。

「心当たりがあるんだ。でも、確信できない。だけどそのおかげで、【神代】の応援には邪魔されないはずだ」

 朝日が彼らを照らし始めた。長い夜は、明けたのだ。
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