第8話 冥界の遁走曲 その4

文字数 5,336文字

 形勢が完全に逆転した。本来なら相手を傷つける霊障を持たない蛭児の方が圧倒的に不利なはずだが、悪夢のせいで有利になっている。この場の空気を完全に支配下に置いている。

「一年前……」
「……ん?」

 突然、骸が口を動かした。

「あの二月だ。あの時もあんたは、『帰』を使った! 死者の魂を強引にこの世に引きずり出した。だが最終的に死返の石が耐え切れなくなって、割れた」

 忘れもしない、蛭児に冤罪をでっち上げられた時のこと。骸たちは与えられたチャンスを活かし、蛭児を追い詰めることに成功。廃墟ホテルで彼はさらに『帰』を行おうとしたが、石が自壊してしまい、失敗に終わった。

「それがどうかしたのかね?」
「思い出せないのか? 突如描かれた魔法陣の中から大量の幽霊が現れて、あんたをあの世へ連れて行こうとした!」

 しかし蛭児は死んではいない。骸たちが助け出したからだ。死者の裁きではなく、生きている人間……【神代】が彼を罰するべきと考え実行した。あの行動には少なからず、蛭児に死んでほしくないという感情もあった。

「何、こう言いたいのかな? 自分たちが助けてやった恩を忘れたのか? って。言っておくが私はな、君たちに助けられ精神病棟にぶち込まれるくらいなら、あの場所で死んでいた方がマシだったと思っているぞ」
「そんなことを言いたいんじゃない!」

 蛭児が持って行こうとする方向と、骸がしたい話は別だ。

「どうしてわからない? 自分が、裁かれるべき罰せられるべきことをした、ってことが? 何で反省をしない? 自分が被害者であるかのように語る?」

 四人は蛭児に、改心して欲しかったのである。死んでしまえばそれはできない。死後、蛭児の魂は禁霊術を犯したことで呪われ、悪霊になるのが容易に想像できる。でも生きているなら違う。自分の罪と向き合って反省し、自分の非を認める。その上で、新たな一歩を踏み出す。たとえ長い間精神病棟に隔離されたとしても、今の【神代】の温和な雰囲気なら、十分に罪を償ったと判断されればいつかは外に出られるかもしれない。
 そんな淡い希望を、蛭児は最悪の形で裏切った。それが許せない。

「ふっ。君たちの希望など、ここで死ねばそれで終わりだ」

 蛭児は骸の言葉を鼻で笑った。彼からすれば、余計なお世話だ。ここで四人を倒し、『月見の会』の死者の魂を回収し、後で『帰』を使う。

「これが最後のチャンスだと思いなさい、蛭児!」

 今度は絵美が怒鳴った。別に命を奪うつもりはない。次はもう、絵美たちは蛭児確保のために動かないということだ。

「最後のチャンス? 最期が迫っているのは、君たちだろう?」

 一気に勝負を決める。蛭児は悪夢を最大限に発揮し、大量のナイフを生み出した。

「……――!」

 もちろん偽のビジョンだが、体に刺されば出血多量となり、切られれば大事な動脈が破壊される、そういう風に体が思い込んでしまう。

(し、死に直結する…!)

 アナフィラキシーショックを起こしながらも何とか話を聞き理解している雛臥は、他の三人よりもことの深刻さを察知した。まだ起き上がれないが、

(大丈夫だ、できる……!)

 指先に意識を集中すれば、青い火炎が出せる。こんな小さな種火程度の火力では、誰も倒せないだろう。しかし彼は自分の役割をわかっていた。

(行け!)

 人差し指を蛭児の方に向けた。動きは鈍く、自分の看病をしている絵美すら気づいていない。指先から放たれたわずかな、青い鬼火。

「これは!」

 戦う意思を感じ取った絵美は、すぐに蛭児の方を向き直す。

「おお、まだ動けると言うのか」

 高温な青い鬼火には蛭児も反応した。悪夢で消火器を生み出しそのホースの先を向け、

「消しておこう。そのごくわずかな闘志も!」

 重要だと、蛭子は直感した。
 だが、

「ぬおおおおおわああああ!」

 骸が歩き出し、攻撃を開始する。周囲の植物を操りつつ、狂い咲きも使って、蛭児が生み出した大量のナイフを叩き落とすのだ。

「こ、コイツ! しまった、青い鬼火は囮だったのか!」

 一瞬、対応に遅れた。

(だが慌てる必要はないな。悪夢を使えばこの状況はいくらでも崩せるのだから!)

 ナイフの代わりに炎を出してみた。これなら青い鬼火にも狂い咲きにも邪魔されない。

「雛臥に骸! 火炎で焼け死ぬのなら本望だろう? 焼き払ってあげよう!」

 熱さも本物のように感じる、周囲を昼間のように照らし出す火球。それが彼の上に出現した。

「温度が、高いわ! 密度も…!」

 絵美にはわかる。あの火球の前では激流すら通じない。出た瞬間に蒸発してしまう。刹那も自分の突風では、あの炎を解せないという判断だ。

「いいや! 狙うはそこではない。勝利への道筋は、一本ではないのだ――」

 絶望が周囲を包みつつある中、四人は誰も勝負を諦めていない。何か都合の良い奇跡が起きると信じているのではなく、自分たちが勝利を掴み取ると確信しているからだ。
 最初に動いたのは、刹那だ。自ら起こした突風に乗って、一気に蛭児との距離を縮める。当然、攻撃されるリスクも背負うが、今は気にしていられない。

「そこか!」

 今、蛭児が彼女の方を向いた。その時に絵美が、踊り水を使う。

「それっ!」

 解き放たれた水はまるで独立した一つの生き物であるかのように絵美の意思とは関係なく動く。

「ははははは! 蜃気楼……ひいては悪夢のプロである私を、騙せると思っているのか?」

 もっと暗い状況だったら、囮の踊り水を自分と錯覚させられたかもしれない。しかし今は火球のせいで明るいので失敗だ。

「随分と舐めてくれる……! もう一気にカタを着ける! 容赦なくその命、奪わせてもらうぞ!」

 火球を増やす蛭児。同時に大量のナイフも再展開した。

(させ、るか…!)

 もう一度指を動かし、青い鬼火を繰り出す雛臥。意識が回復しつつあるのか、さっきよりも少し大きい。

(十分な、大きさだ。これで……)

 そして撃つ。だがその方向は、骸の方だった。

「…!」

 突如自分に向けられた青い鬼火に、骸は咄嗟にしゃがんだ。

「自滅? 誤射とはな……。仲間を思う気持ちは認めよう! しかし結果がこれでは、意味はない」

 そう見下し酷評する蛭児。だが骸は勝利への一手を見つけた。

(これだ! 雛臥は、これを気づかせたかったんだ!)

 それはさっき撃ち落とした、悪夢で作られたナイフだ。霊障を解いていないからか、消滅していない。指で触れればヒヤリとする金属の感覚。

「まずは刹那! 君から焼却してやる!」

 蛭児としては、たとえ偽りのビジョンで誤魔化せるとしても、風を操れる刹那の存在は煩わしい。だからここで潰す。腕を振り下ろせば、連動して火球とナイフがその方向に動く。

「来るか……――!」
「終わりだ!」
「果たして、どちらが――?」
「何……?」

 捨て台詞にしては、意味深なことを刹那が呟いた。それを蛭児は耳で拾った。そして瞬時に気づく。

(こ、コイツ…! 私を見ていない?)

 蛭児は刹那の顔を見ている。だが刹那の方は、彼の顔を見ていない。目が合わない。

「うりゃあああああああああ!」

 一瞬の困惑を貫いたのは、骸の雄叫びだった。反射的に蛭児が振り向く。その手には、ナイフが握られていた。

「ば、馬鹿な…? そんなものをどこで!」
「さっきお前が、いっぱい生み出しただろうが!」

 この時、刹那と骸はちょうど蛭児を挟む位置関係だった。だから火球とナイフは、骸の方から遠ざかっており、容易に近づけた。

「なるほど! そのナイフで私を刺すか切るつもりか! 痛みのショックを私に味あわせ、悪夢を終わらせるつもりだな? そう上手くいくわけがないだろう!」

 人差し指を少し曲げるだけで、骸が握っていたナイフだけが消える。念のため蛭児は、地面に落ちたナイフも全部、一緒に消しておく。

(これであんぜ……)

 だが、勢い良く踏み出した骸は止まらない。そのまま蛭児に突っ込んだ。

「うぐっ!」

 わずかだが、ここで初めて、蛭児にダメージを与えることができた。

(だがコイツ! 私の悪夢で一気に消し飛ばしてやる! もう逃がさない!)

 即座に、近づかれたことを前向きに考える。

「な、何だと…!」

 だが何と、骸の袖から植物の根とつるが伸び、蛭児に絡みついた。狂い咲きだ。蛭児の両腕は屈強に成長した植物に固定された。

「捕まえたぜ、蛭児……! お前さっき言ったよな? 悪夢は頭では違うとわかっていても体が誤った判断をしてしまう、ってな! 植物にも悪夢は通じるかもしれないが、もしかしたら、自分自身も危ないんじゃないのか? 勘違いしてしまって!」
「ぐっ……!」

 そのはずだ。骸の考えには、根拠があった。直前に消されたナイフだ。悪夢が使用者である蛭児に悪影響を与えないのなら、解く必要がなかった。

「俺を一瞬で消し飛ばすことなんて、悪夢なら楽勝だろうよ。でもそんなことすれば、隣接しているお前もタダじゃ済まない!」

 唯一の懸念は刃物を生み出し攻撃されることだが、腕の動きを封じたのでその心配も解消済みだ。

「やれ!」

 その掛け声とともに、絵美と刹那が動く。絵美の激流、そして刹那の突風。その二つが、がら空きになった蛭児の背中に炸裂した。

「ぐ、ぐがああ………!」

 その衝撃は、意識を途切れさせるには十分過ぎた。蛭児は立ったまま気を失ったようだ。

「おや?」

 同時に悪夢も終わる。火球とナイフは空気に溶け消えた。雛臥の体も正常を取り戻し、すぐに立ち上がることができた。

「天定まって亦能く人に勝つ――」
「勝ったわ、私たち!」


 戦いが、終わった。

 病射たち五人は死者をあの世へ送り返し、絵美たち四人は蛭児を倒し拘束した。もう体はボロボロだが、それでも最後に立っていることができた。

「おい、大丈夫か?」

 心配そうな声で雛臥が病射に話しかける。

「大丈夫っス。でも、疲れたスね……」

 疲労はピークに達している。よく見れば全員、足がフラフラだ。
 東の空が徐々に明るくなっていく。あと二ヶ月で夏至……昨晩よりも短くなっていっているはずの夜が、とても長く感じた。

「終わったな、蛭児……」

 骸は、植物で縛られて地面に伏している蛭児にそう呟いた。

「まだ、だ…! まだ私には!」
「もう何もないわ!」

 蛭児は悪夢を使おうとしたが、何も出ない。霊力を消耗し過ぎたのだ。それに加え、ダメージを受けたために体力も限界。立とうとするが足が動いていないのが、エネルギー不足である証拠だ。この状態では霊障は使えない。その事実を絵美は叫ぶことで、彼に突きつけた。
 病射や朔那、弥和たちもこちらにゆっくりと歩いて来る。朔那は豆鉄砲を蛭児に向け、

「もう逃がさないぞ。試すこともさせない!」

 警告する。蛭児はもう言葉で反抗する気力もないらしい。

「さて、蛭児は捕まえたわけだ。【神代】に連絡だな」

 咲がスマートフォンを取り出したが、電波は圏外だった。そこで梅雨が、

「三色神社の本殿に戻るわよ。そこになら確か、黒電話があったから、それで」

 帰路に就くことを促す。

「あ、待って! 叢雲と橋姫を呼んで来るわ!」
「いざ行かん。『月見の会』の死者の安息を守れた、喜ばしきこと。すぐに教えなければ――」

 絵美と刹那が列から外れ、慰霊碑のある集落の奥……反対側の方に走った。

「なあ、蛭児……」

 骸が語り掛ける。返事は期待していないので、独り言になるかもしれない。だが、言わなければいけないこともある。

「命は前にしか進まない。死んだ人に縋っても何も解決なんてしないんだ。生きているからこそできることがあるはずで、それを探してみんな生きている」

 今度こそ、自分が犯したことの深刻さを理解し反省して欲しい。雛臥も頷き同意した。すぐには無理かもしれないが、蛭児にもいずれ自分の罪と向き合うことができる時が来るだろう。それを願ってやまない。
 叢雲と橋姫は未だ緊張した顔つきだったが、絵美と刹那のことを見ると、

「終わったのか?」

 察知してくれた。

「そうよ! 何とか、蛭児を止めることができたわ! 任務、完了よ!」

 それはつまり、『月見の会』の死者への冒涜を防げたことを意味している。ここの慰霊碑で祀られている人たちは全員、叢雲と橋姫からすれば顔見知りだ。

「………」

 涙は勝手に、二人の目から零れた。

「ちょっと不思議な感覚だね……」
「何が――?」
「俺と橋姫は、もう『月見の会』として死んだ身。あの会のためじゃなく、自分たちのため、三色神社のために生きると決めた。なのにどうしてか、『月見の会』の安息を守れたことが嬉しい」

『月見の会』の滅亡は、もう過去のことと割り切れている。それでも思い出は心から消えない。かつての仲間の記憶は魂に根付き、今でも二人の中で生きているのだ。

 絵美と刹那は慰霊碑の前で十数秒黙禱し頭を下げ合掌してから、

「さあ、神社に戻りましょう。報告しないといけないことがあるのよ、手伝ってくれるわよね?」
「もちろんだよ」

 帰宅を促す。

「これ、返すよ。使うことがなくて本当に良かった」
「確かに承った――」

 もうここで叢雲は左腕の義手を外し、刹那に渡して【神代】への返却を頼む。

 一同が神社に戻る頃には、太陽が地平線から顔を覗かせていた。
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