第2話 意外な犯人 その1
文字数 3,338文字
事故を起こした緑祁の体はすぐに病院に運び込まれた。幸いにも大事には至らなかったようで、担当医も安堵の息を漏らした。
「明日にでも意識を取り戻すだろう。数日入院すればそれで大丈夫だ、奇跡的に骨も折れてない。一応検査はしておくべきだな」
次の朝、起きた刹那と絵美の耳を最初に貫いたのは、緑祁の事故の一件の情報だった。
「まさに寝耳に水とはこのことか。実際に見てみなければ信じられないという感想を我らは抱いた。彼に話を聞くべく、病院に向かうことにしたのだ――」
「意識戻ってるなら、ね? まあアイツがそう簡単に死ぬとは思えないわ」
重症じゃないという話なので、そこまで深刻な事態にはなっていないのだろう。だが、昨夜一緒に仕事した仲なので心配にはなる。実際に会って安否確認をしておきたいのだ。
「それに【神代】からの命令でもあるしね」
病室に訪れた二人。だが緑祁は無言で彼女らを迎え入れる。
「……うん?」
主治医曰く、
「一通り検査をしたのですが、何も悪いところは見当たらないのです。それなのに、意識が戻らないのです。もしかしたら、脳にダメージがあったのかもしれません」
とのこと。しかし実際の緑祁は頭に包帯すら巻いていないくらいには、頭部に外傷はない。
「じゃあ何? 最善の手は尽くしたけれど意識だけが戻らない、ってこと?」
コクンと頷く医者。
「それ、ちゃんと処置してるの? あなたがやぶ医者なだけじゃないの! さっさと緑祁のことを起こしなさいよ!」
「できませんって! 患者の意識が自然に戻るまで待ってください」
まくし立てても意味はない。だから刹那と絵美は一旦落ち着くために、病院の食堂で水を飲んだ。席に着いて意見交換もする。
「どう思う、刹那?」
「おかしいとしか感想を述べられない。緑祁の体は、そこまで深刻・致命な損傷を負っているようには見えぬのだ。なのに意識が戻らない。これは医師の言うように脳で何かが起きているのか、それとも医学で説明できない事象か――」
「やっぱりそうよね。でもそれ以上に不可解なことがあるわ」
絵美の指摘する、違和感。それは刹那も察していた。
「香恵がどうして見舞いに来ないのか、これも不自然である。【神代】は私たちに、緑祁の容態を確認するよう下した。それは言い換えるなら、その任務に就くべき人が他にいないことを意味している。が、緑祁は香恵と一緒に長崎に来ているはずなのだ。彼女に指示が飛んでいないことが、不可解である――」
だが、香恵に何の事情があるのかは、彼女に会ってみないとわからない。とりあえず目の前の緑祁について、これからどうするかを話し合う。
「頭に異常があるとは思えないわね。刹那、あなたもそうでしょう?」
「異議なし――」
医学的な問題ではない。そういう発想が二人にはあった。だからなのか、午後になってもう一度病室を訪れた二人は、呪術をする。
「事故るような不注意人物には見えないわ。きっと悪い霊に憑かれている! それを祓ってやればいいだけよ!」
院内で火を使うようなことはできないが、簡単な除霊ならそれがなくても行える。二人は塩と札を持ち、読経しながら緑祁の体にそれらを当てた。
「……どう?」
手を強く握ってみると、一瞬だが緑祁の表情が曇った。
「行けそうね。もう何度かやってみるわよ」
手応えを感じたために、数回、同じことを行う。
すると、
「ううっ!」
緑祁が目を覚ました。
「あ、あれ? ここはどこ? 僕は確か、帰り道で………。う~ん、その先が思い出せない…?」
どうやら事故に遭ったことを認識できていない様子。それを絵美が説明すると驚きを隠せず、
「ええーっ! 僕が? 突っ込んだ? で、病院? 絵美、エイプリルフールはもう終わったよ?」
「じゃあ、あなたの腕に繋がってるコードは何?」
チューブを指差して言うと、緑祁は黙った。多分頭の整理が追いついてないと思われるので、絵美たちも黙った。
意識を取り戻したことを医者に報告すると、
「良かったです! 念のため、検査しますね。午後に採血もします。それと数日は大事を取って入院してください」
一から説明され、それで緑祁は理解した。
(僕が本当に事故を起こしたんだ……。電柱にぶつかったなんて、全然記憶にないけど、事故の衝撃のせい…なのかな?)
目立った怪我はないので、本当に幸運だったということを噛みしめ、安堵もする。
「ねえ、絵美…。香恵は?」
ここで気になったのが、やはり香恵のことだ。刹那と絵美はいるのに、香恵だけがいないのだ。
「ああ、それ聞きたかったのよ。あの人はどうしているの? 来てないのよね、病院に一度も。それにもしかしてなんだけど、あなたの様子を見に行くことすら了承しなかった可能性が……」
「え?」
その言葉に、緑祁の思考回路が止まる。
「香恵が、来てないの? どうして?」
「それはだから、私たちが知りたいって!」
「そ、そんな……」
来てくれないことが、衝撃である。この時緑祁はベッドの上で上半身を起こしていたのだが、力なく頭が枕に倒れた。
捨てられた。そういう感触を味わったのだ。
「その言葉は、一少年の心をへし折るには十分すぎる威力であった――」
「じゃあ私たちはこれでお暇するわ。明日も一応来るから。あ、その前にあなたが泊まっていたっていう旅館を教えて」
「楠館だよ。市内にある」
刹那と絵美はこの日の夜に、そこに向かう。直接会って確かめたいと思っているからだ。
「では、これにて我らは下がる。汝も体には気を付けよ――」
そのままタクシーを拾って旅館に直行。受付の係員に事情を説明すると、
「そうなのですか、わかりました」
プライバシーを理由に突っぱねられるかもしれないと思っていたが、物分かりのいい女性だったので助かった。
だが、
「ですが、そのお客さんは朝、出て行きましたよ?」
「どういうこと?」
「ですから、今朝お帰りになったんですって!」
信じられないという表情を見たために従業員は、実際に二人が宿泊していた部屋に案内してくれた。そこは既に掃除が済んでいて、次の客を待っている状態だ。
「男の子の方の荷物はどうしたの?」
「ええっと、その女性が確か……。家に送ってしまいましたね。ええ、今朝。私が宅配業者を呼んだので間違いないです」
困惑しかできない二人。
「……情報の提供に感謝の意を表する――」
そう言って二人は旅館を出て、自分たちのホテルに戻った。
「どういうこと? 香恵が勝手に緑祁の荷物を送ってしまった? しかも本人はどっかに消えたし…」
刹那はメモ用紙を何枚か取り、わかっていることを書き写した。
まずは緑祁について。昨日の夜に一緒に軍艦島へ行き、任務をこなした。その後、事故に遭った。そして二人が除霊するまで、意識は戻っていなかった。今は安静のために入院中。
続いて香恵のこと。どういうわけか今まで共に行動していたはずの緑祁を放り出し、どこかへ消えた。緑祁の宿泊用の荷物も、邪魔だと言わんばかりに配送してしまったのである。
「おかしいわ…。この二つが繋がらない。医者の話じゃ、香恵らしき人は昨日の晩すら顔を見せなかった……つまりは一度も病院に足を運んでないどころか、朝一番に旅館を出た。で、緑祁が意識を取り戻したのは今日の午後のこと。ということは、二人が連絡を取り合った可能性はないわね」
刹那は自分の携帯電話を開き、緑祁から聞いた香恵の連絡先に電話をしてみた。が、
「通じぬ――」
何度コールしても応答なし。諦めて切った。
「【神代】に指示を仰ぐのはどうだろうか? 我らは今、迷子になっている。行くべき道を見失っているのなら、仮でも指し示してもらった方がいいであろう――」
「そうね」
その提案を受け、絵美は【神代】に電話する。電話口で事情を言うと、その場で調べてくれた。
「藤松香恵、だな? 特に変な点は、見られない。事故を起こした永露緑祁に、愛想を尽かせて、帰ったのではないか?」
という返事が。言い換えるなら、【神代】も彼女の奇行を把握していないのである。
「刹那、明日も緑祁の様子を見に行きましょう。何か、得体の知れないことが起きている気がするわ……」
寒気を覚えた絵美はそれを提案し、刹那も頷いた。
「明日にでも意識を取り戻すだろう。数日入院すればそれで大丈夫だ、奇跡的に骨も折れてない。一応検査はしておくべきだな」
次の朝、起きた刹那と絵美の耳を最初に貫いたのは、緑祁の事故の一件の情報だった。
「まさに寝耳に水とはこのことか。実際に見てみなければ信じられないという感想を我らは抱いた。彼に話を聞くべく、病院に向かうことにしたのだ――」
「意識戻ってるなら、ね? まあアイツがそう簡単に死ぬとは思えないわ」
重症じゃないという話なので、そこまで深刻な事態にはなっていないのだろう。だが、昨夜一緒に仕事した仲なので心配にはなる。実際に会って安否確認をしておきたいのだ。
「それに【神代】からの命令でもあるしね」
病室に訪れた二人。だが緑祁は無言で彼女らを迎え入れる。
「……うん?」
主治医曰く、
「一通り検査をしたのですが、何も悪いところは見当たらないのです。それなのに、意識が戻らないのです。もしかしたら、脳にダメージがあったのかもしれません」
とのこと。しかし実際の緑祁は頭に包帯すら巻いていないくらいには、頭部に外傷はない。
「じゃあ何? 最善の手は尽くしたけれど意識だけが戻らない、ってこと?」
コクンと頷く医者。
「それ、ちゃんと処置してるの? あなたがやぶ医者なだけじゃないの! さっさと緑祁のことを起こしなさいよ!」
「できませんって! 患者の意識が自然に戻るまで待ってください」
まくし立てても意味はない。だから刹那と絵美は一旦落ち着くために、病院の食堂で水を飲んだ。席に着いて意見交換もする。
「どう思う、刹那?」
「おかしいとしか感想を述べられない。緑祁の体は、そこまで深刻・致命な損傷を負っているようには見えぬのだ。なのに意識が戻らない。これは医師の言うように脳で何かが起きているのか、それとも医学で説明できない事象か――」
「やっぱりそうよね。でもそれ以上に不可解なことがあるわ」
絵美の指摘する、違和感。それは刹那も察していた。
「香恵がどうして見舞いに来ないのか、これも不自然である。【神代】は私たちに、緑祁の容態を確認するよう下した。それは言い換えるなら、その任務に就くべき人が他にいないことを意味している。が、緑祁は香恵と一緒に長崎に来ているはずなのだ。彼女に指示が飛んでいないことが、不可解である――」
だが、香恵に何の事情があるのかは、彼女に会ってみないとわからない。とりあえず目の前の緑祁について、これからどうするかを話し合う。
「頭に異常があるとは思えないわね。刹那、あなたもそうでしょう?」
「異議なし――」
医学的な問題ではない。そういう発想が二人にはあった。だからなのか、午後になってもう一度病室を訪れた二人は、呪術をする。
「事故るような不注意人物には見えないわ。きっと悪い霊に憑かれている! それを祓ってやればいいだけよ!」
院内で火を使うようなことはできないが、簡単な除霊ならそれがなくても行える。二人は塩と札を持ち、読経しながら緑祁の体にそれらを当てた。
「……どう?」
手を強く握ってみると、一瞬だが緑祁の表情が曇った。
「行けそうね。もう何度かやってみるわよ」
手応えを感じたために、数回、同じことを行う。
すると、
「ううっ!」
緑祁が目を覚ました。
「あ、あれ? ここはどこ? 僕は確か、帰り道で………。う~ん、その先が思い出せない…?」
どうやら事故に遭ったことを認識できていない様子。それを絵美が説明すると驚きを隠せず、
「ええーっ! 僕が? 突っ込んだ? で、病院? 絵美、エイプリルフールはもう終わったよ?」
「じゃあ、あなたの腕に繋がってるコードは何?」
チューブを指差して言うと、緑祁は黙った。多分頭の整理が追いついてないと思われるので、絵美たちも黙った。
意識を取り戻したことを医者に報告すると、
「良かったです! 念のため、検査しますね。午後に採血もします。それと数日は大事を取って入院してください」
一から説明され、それで緑祁は理解した。
(僕が本当に事故を起こしたんだ……。電柱にぶつかったなんて、全然記憶にないけど、事故の衝撃のせい…なのかな?)
目立った怪我はないので、本当に幸運だったということを噛みしめ、安堵もする。
「ねえ、絵美…。香恵は?」
ここで気になったのが、やはり香恵のことだ。刹那と絵美はいるのに、香恵だけがいないのだ。
「ああ、それ聞きたかったのよ。あの人はどうしているの? 来てないのよね、病院に一度も。それにもしかしてなんだけど、あなたの様子を見に行くことすら了承しなかった可能性が……」
「え?」
その言葉に、緑祁の思考回路が止まる。
「香恵が、来てないの? どうして?」
「それはだから、私たちが知りたいって!」
「そ、そんな……」
来てくれないことが、衝撃である。この時緑祁はベッドの上で上半身を起こしていたのだが、力なく頭が枕に倒れた。
捨てられた。そういう感触を味わったのだ。
「その言葉は、一少年の心をへし折るには十分すぎる威力であった――」
「じゃあ私たちはこれでお暇するわ。明日も一応来るから。あ、その前にあなたが泊まっていたっていう旅館を教えて」
「楠館だよ。市内にある」
刹那と絵美はこの日の夜に、そこに向かう。直接会って確かめたいと思っているからだ。
「では、これにて我らは下がる。汝も体には気を付けよ――」
そのままタクシーを拾って旅館に直行。受付の係員に事情を説明すると、
「そうなのですか、わかりました」
プライバシーを理由に突っぱねられるかもしれないと思っていたが、物分かりのいい女性だったので助かった。
だが、
「ですが、そのお客さんは朝、出て行きましたよ?」
「どういうこと?」
「ですから、今朝お帰りになったんですって!」
信じられないという表情を見たために従業員は、実際に二人が宿泊していた部屋に案内してくれた。そこは既に掃除が済んでいて、次の客を待っている状態だ。
「男の子の方の荷物はどうしたの?」
「ええっと、その女性が確か……。家に送ってしまいましたね。ええ、今朝。私が宅配業者を呼んだので間違いないです」
困惑しかできない二人。
「……情報の提供に感謝の意を表する――」
そう言って二人は旅館を出て、自分たちのホテルに戻った。
「どういうこと? 香恵が勝手に緑祁の荷物を送ってしまった? しかも本人はどっかに消えたし…」
刹那はメモ用紙を何枚か取り、わかっていることを書き写した。
まずは緑祁について。昨日の夜に一緒に軍艦島へ行き、任務をこなした。その後、事故に遭った。そして二人が除霊するまで、意識は戻っていなかった。今は安静のために入院中。
続いて香恵のこと。どういうわけか今まで共に行動していたはずの緑祁を放り出し、どこかへ消えた。緑祁の宿泊用の荷物も、邪魔だと言わんばかりに配送してしまったのである。
「おかしいわ…。この二つが繋がらない。医者の話じゃ、香恵らしき人は昨日の晩すら顔を見せなかった……つまりは一度も病院に足を運んでないどころか、朝一番に旅館を出た。で、緑祁が意識を取り戻したのは今日の午後のこと。ということは、二人が連絡を取り合った可能性はないわね」
刹那は自分の携帯電話を開き、緑祁から聞いた香恵の連絡先に電話をしてみた。が、
「通じぬ――」
何度コールしても応答なし。諦めて切った。
「【神代】に指示を仰ぐのはどうだろうか? 我らは今、迷子になっている。行くべき道を見失っているのなら、仮でも指し示してもらった方がいいであろう――」
「そうね」
その提案を受け、絵美は【神代】に電話する。電話口で事情を言うと、その場で調べてくれた。
「藤松香恵、だな? 特に変な点は、見られない。事故を起こした永露緑祁に、愛想を尽かせて、帰ったのではないか?」
という返事が。言い換えるなら、【神代】も彼女の奇行を把握していないのである。
「刹那、明日も緑祁の様子を見に行きましょう。何か、得体の知れないことが起きている気がするわ……」
寒気を覚えた絵美はそれを提案し、刹那も頷いた。