第2話 隣の席に その2
文字数 2,932文字
仕事は早く終わったので、二人は夕方までには民宿に戻れた。当然家事を手伝うわけだ。
「一人暮らし、よね?」
だが緑祁の料理の腕はお世辞にも高いとは言えない。
「普段は弁当とか食べてるから……」
適当に済ませているのだ。一応これではいけないという危機感はあるので健康サプリメントも飲んでいる。一度も倒れたことはないので、大丈夫なのだろうという認識だ。しかし香恵はそれに、
「改善すべきよ」
異を唱えた。だから夕食の後、緑祁に基本を教える。
「香恵は上手だね。指と手の動きが僕と違うもん」
「口じゃなくて手を動かすのよ」
お世辞を言って誤魔化す緑祁の思惑は外れたので、正直に香恵に従い料理器具の動かし方を習う。
それが終わった後、まず香恵が風呂を済ませる。その後は緑祁の番。それほど疲れたわけではないが、ゆっくりと湯船に浸かり体を温めた。
「おや!」
部屋に戻ると、何やら香恵がパンフレットを開いていた。
「何だいそれ?」
「ああ、これね。【神代】の講演会があるのよ」
そのパンフレットだった。
年に二回、【神代】は霊能力者及び神職、僧侶らを集めて講演会を開く。そこで【神代】のお偉いさんの有難いお言葉を聞かせるのだ。強制参加ではないが、毎回多くの人が集まる一大イベント。この夏にそれが、二人のいる千葉にある幕張メッセで行われる。
「私は結構参加してるわ。入院していた一年間は無理だったけど…。でも結構面白いのよ、こういうのって」
「なら僕も行きたいな」
緑祁は言った。
「霊能力者ってどれぐらいいるんだろう? それを知りたいよ」
彼の知る霊能力者の人数は、それこそ数えられる程度だ。
「なら決まりね」
参加を決めた二人。【神代】にその旨を知らせ、あとは開催日を待つ。
その日の天気予報では、雨が降ると言っていた。しかし実際にはそれが嘘であるかのように雲一つない晴れ空。
「不思議だね……」
前の日の予報を信じた緑祁と香恵は混雑を避けるために前もって早めに民宿を出たのだが、その意味がなくなってしまった。
「降られるよりはマシだわ」
既に会場に入れたので、入り口で手続きをして中に進む。その時にプログラムを配られた。早い段階で会場入りできたので、席は自由に選べる。前過ぎず後ろ過ぎない程度の場所に陣取る。
「心霊研究報告もあるんだ! でも、海神寺の名前はないや」
「そこがどうかしたの?」
「あ、香恵は知らないんだよね……。実は………」
緑祁は広島の呉で起こったことを包み隠さず香恵に伝えた。
「そんなことが、本当に?」
驚きのあまりボリュームを上げてしまった香恵。
「でも、本当なんだ。今も持って来てるけど、僕が作ったこの二つの式神……[ライトニング]と[ダークネス]は、元々は生身の人間だったんだよ」
札だけでは信用されないと思った緑祁は、実際にその場で召喚してみせる。まだ人が少ないために、そんな大胆な行動が選べた。
「駆けろ、[ライトニング]! 羽ばたけ、[ダークネス]!」
二体の式神が、力強く建物内部を駆け抜けた。
「す、すごいわ……!」
美しさと強さを併せ持つ[ライトニング]と[ダークネス]だ。チカラを使わなくても香恵にはそれがわかった。
「こら! 会場内での式神の召喚は禁止だぞ!」
だが、係の人には敵わない。緑祁は注意を受けたので式神を札に戻した。
「緑祁のいうことだから、私はもちろん信じるわ。でも……」
「でも?」
何か濁すような言い方だ。それを緑祁が追求すると、
「私の偽者と一緒だったっていうのが、何か気に食わないわ……」
なんと香恵、もう存在していない自分の偽者にヤキモチを妬いている。それが心にモヤを生んでいた。
「ならさ、今度一緒に広島に行こうよ! ……もちろん今は駄目だけど…」
「それがいいわ」
何とか恨めしい感情を維持せずに済んだ二人は、席に座った。
「……今の式神、かっこいいじゃん!」
二人の行為を見ていた人物が、緑祁の隣の席に座って来た。
「初めまして、僕は永露緑祁だよ。そっちは?」
「アタシはね、皐! 日影皐よ。よろしくね。それでさっきのについて質問なんだけど…」
皐と名乗ったその年上の女性は、先ほど緑祁が繰り出した式神についてしつこく訊ねてくる。
「ええっとね……」
緑祁は答えるべきかどうか迷った。というのも反対側にいる香恵の顔色を気にしていたためだ。自分が他の女性と長々と話しているのを見たら、香恵は絶対にいい気がしないだろう。
だから、
「ごめん。秘密なんだ。僕の保持する機密ってモンかな?」
適当に誤魔化した。それに海神寺での研究について、無関係の人に口を滑らせるわけにもいかないのでここは黙る。
「あっそう。じゃあさ…その式神、アタシにちょうだいよ」
「ええっ……?」
唐突に、寄越せと言われたので驚いた緑祁。香恵もそれに反応し、
「何言ってるのよ? 渡せるものではないわ」
反発するが皐は、
「いいから! ほら、早く!」
手のひらを緑祁に差し出しそして下がる気を感じさせない。
「もうモタモタしないでよ? さあちょうだいな」
「あげる約束なんてしてないよ? できないものは無理なんだ!」
「それを決めるのはアンタじゃなくない? それに、そういうこと言うんだ、へえ……」
緑祁は思った。
(この人、札を渡されないと引き下がる気がない…。でも試しに渡したら、絶対に持ち逃げされるよね……。どうすればいいんだ…)
厄介な相手に絡まれてしまったと。
困り果てている二人に、救いの手が差し伸べられる。
「おお、緑祁に香恵じゃないか! 久しぶりだな!」
皐の後ろの通路から、猫屋敷骸と大鳳雛臥が声をかけたのだ。
(今がチャンスだ!)
二人はそう直感し、席を立った。皐との会話を強引に打ち切り、骸と話をする。
「ああ、久しぶり! 元気そうで何よりだよ!」
「緑祁、この人たちは誰? そちらの知っている人?」
「……綺麗な女性にそう言うこと言われると流石に傷つくぜ? って言いたいけどな、事情は刹那と絵美から聞いてる。あんたが本物の香恵か!」
骸と雛臥は、神威刹那と廿楽絵美と親しい。だから長崎での事件も既に知っている。
「今日はさ、刹那たちは来てないの?」
「いや? 来るって言ってた気がするよ。僕らの方が先に到着したみたいだけどね」
そのまま席を探す二人に加わり、緑祁と香恵は最初に座った場所を離れた。
だが、これで難から完全に逃れられたわけではない。名乗ってしまったことが、最大のミスだった。
「永露緑祁、ね……」
一人残された皐はタブレット端末から霊能力者ネットワークにアクセスし、その情報を探す。
「あの式神、絶対にアタシのものにしよっと! んで今度こそちゃんと言うこと聞かせて服従させないと!」
さらに彼女はスマートフォンを取り出し、メッセージアプリを開いた。
「あれ、おかしいな? 神奈からの返事がない……どころか、既読にすらなってないじゃん! どうしたって言うの?」
未読だが、彼女はメッセージを送信する。内容は、
「アンタが時間通りに来ないせいで、せっかく良さそうなものを見つけたのに逃げられちゃったじゃないの! 責任取りなさいよ? このメッセージ見たらすぐに返事をするように!」
というとばっちりだ。
「一人暮らし、よね?」
だが緑祁の料理の腕はお世辞にも高いとは言えない。
「普段は弁当とか食べてるから……」
適当に済ませているのだ。一応これではいけないという危機感はあるので健康サプリメントも飲んでいる。一度も倒れたことはないので、大丈夫なのだろうという認識だ。しかし香恵はそれに、
「改善すべきよ」
異を唱えた。だから夕食の後、緑祁に基本を教える。
「香恵は上手だね。指と手の動きが僕と違うもん」
「口じゃなくて手を動かすのよ」
お世辞を言って誤魔化す緑祁の思惑は外れたので、正直に香恵に従い料理器具の動かし方を習う。
それが終わった後、まず香恵が風呂を済ませる。その後は緑祁の番。それほど疲れたわけではないが、ゆっくりと湯船に浸かり体を温めた。
「おや!」
部屋に戻ると、何やら香恵がパンフレットを開いていた。
「何だいそれ?」
「ああ、これね。【神代】の講演会があるのよ」
そのパンフレットだった。
年に二回、【神代】は霊能力者及び神職、僧侶らを集めて講演会を開く。そこで【神代】のお偉いさんの有難いお言葉を聞かせるのだ。強制参加ではないが、毎回多くの人が集まる一大イベント。この夏にそれが、二人のいる千葉にある幕張メッセで行われる。
「私は結構参加してるわ。入院していた一年間は無理だったけど…。でも結構面白いのよ、こういうのって」
「なら僕も行きたいな」
緑祁は言った。
「霊能力者ってどれぐらいいるんだろう? それを知りたいよ」
彼の知る霊能力者の人数は、それこそ数えられる程度だ。
「なら決まりね」
参加を決めた二人。【神代】にその旨を知らせ、あとは開催日を待つ。
その日の天気予報では、雨が降ると言っていた。しかし実際にはそれが嘘であるかのように雲一つない晴れ空。
「不思議だね……」
前の日の予報を信じた緑祁と香恵は混雑を避けるために前もって早めに民宿を出たのだが、その意味がなくなってしまった。
「降られるよりはマシだわ」
既に会場に入れたので、入り口で手続きをして中に進む。その時にプログラムを配られた。早い段階で会場入りできたので、席は自由に選べる。前過ぎず後ろ過ぎない程度の場所に陣取る。
「心霊研究報告もあるんだ! でも、海神寺の名前はないや」
「そこがどうかしたの?」
「あ、香恵は知らないんだよね……。実は………」
緑祁は広島の呉で起こったことを包み隠さず香恵に伝えた。
「そんなことが、本当に?」
驚きのあまりボリュームを上げてしまった香恵。
「でも、本当なんだ。今も持って来てるけど、僕が作ったこの二つの式神……[ライトニング]と[ダークネス]は、元々は生身の人間だったんだよ」
札だけでは信用されないと思った緑祁は、実際にその場で召喚してみせる。まだ人が少ないために、そんな大胆な行動が選べた。
「駆けろ、[ライトニング]! 羽ばたけ、[ダークネス]!」
二体の式神が、力強く建物内部を駆け抜けた。
「す、すごいわ……!」
美しさと強さを併せ持つ[ライトニング]と[ダークネス]だ。チカラを使わなくても香恵にはそれがわかった。
「こら! 会場内での式神の召喚は禁止だぞ!」
だが、係の人には敵わない。緑祁は注意を受けたので式神を札に戻した。
「緑祁のいうことだから、私はもちろん信じるわ。でも……」
「でも?」
何か濁すような言い方だ。それを緑祁が追求すると、
「私の偽者と一緒だったっていうのが、何か気に食わないわ……」
なんと香恵、もう存在していない自分の偽者にヤキモチを妬いている。それが心にモヤを生んでいた。
「ならさ、今度一緒に広島に行こうよ! ……もちろん今は駄目だけど…」
「それがいいわ」
何とか恨めしい感情を維持せずに済んだ二人は、席に座った。
「……今の式神、かっこいいじゃん!」
二人の行為を見ていた人物が、緑祁の隣の席に座って来た。
「初めまして、僕は永露緑祁だよ。そっちは?」
「アタシはね、皐! 日影皐よ。よろしくね。それでさっきのについて質問なんだけど…」
皐と名乗ったその年上の女性は、先ほど緑祁が繰り出した式神についてしつこく訊ねてくる。
「ええっとね……」
緑祁は答えるべきかどうか迷った。というのも反対側にいる香恵の顔色を気にしていたためだ。自分が他の女性と長々と話しているのを見たら、香恵は絶対にいい気がしないだろう。
だから、
「ごめん。秘密なんだ。僕の保持する機密ってモンかな?」
適当に誤魔化した。それに海神寺での研究について、無関係の人に口を滑らせるわけにもいかないのでここは黙る。
「あっそう。じゃあさ…その式神、アタシにちょうだいよ」
「ええっ……?」
唐突に、寄越せと言われたので驚いた緑祁。香恵もそれに反応し、
「何言ってるのよ? 渡せるものではないわ」
反発するが皐は、
「いいから! ほら、早く!」
手のひらを緑祁に差し出しそして下がる気を感じさせない。
「もうモタモタしないでよ? さあちょうだいな」
「あげる約束なんてしてないよ? できないものは無理なんだ!」
「それを決めるのはアンタじゃなくない? それに、そういうこと言うんだ、へえ……」
緑祁は思った。
(この人、札を渡されないと引き下がる気がない…。でも試しに渡したら、絶対に持ち逃げされるよね……。どうすればいいんだ…)
厄介な相手に絡まれてしまったと。
困り果てている二人に、救いの手が差し伸べられる。
「おお、緑祁に香恵じゃないか! 久しぶりだな!」
皐の後ろの通路から、猫屋敷骸と大鳳雛臥が声をかけたのだ。
(今がチャンスだ!)
二人はそう直感し、席を立った。皐との会話を強引に打ち切り、骸と話をする。
「ああ、久しぶり! 元気そうで何よりだよ!」
「緑祁、この人たちは誰? そちらの知っている人?」
「……綺麗な女性にそう言うこと言われると流石に傷つくぜ? って言いたいけどな、事情は刹那と絵美から聞いてる。あんたが本物の香恵か!」
骸と雛臥は、神威刹那と廿楽絵美と親しい。だから長崎での事件も既に知っている。
「今日はさ、刹那たちは来てないの?」
「いや? 来るって言ってた気がするよ。僕らの方が先に到着したみたいだけどね」
そのまま席を探す二人に加わり、緑祁と香恵は最初に座った場所を離れた。
だが、これで難から完全に逃れられたわけではない。名乗ってしまったことが、最大のミスだった。
「永露緑祁、ね……」
一人残された皐はタブレット端末から霊能力者ネットワークにアクセスし、その情報を探す。
「あの式神、絶対にアタシのものにしよっと! んで今度こそちゃんと言うこと聞かせて服従させないと!」
さらに彼女はスマートフォンを取り出し、メッセージアプリを開いた。
「あれ、おかしいな? 神奈からの返事がない……どころか、既読にすらなってないじゃん! どうしたって言うの?」
未読だが、彼女はメッセージを送信する。内容は、
「アンタが時間通りに来ないせいで、せっかく良さそうなものを見つけたのに逃げられちゃったじゃないの! 責任取りなさいよ? このメッセージ見たらすぐに返事をするように!」
というとばっちりだ。