第11話 伝染の喜遊曲 その2

文字数 5,434文字

「山姫、体調が悪くなったらすぐにオレに言え!」

 そう言う彭侯も実はさっきから、膝が痛い。劇仏の効き目には個人差があり症状もバラつくので、山姫のように大きな斑点は腕にできていない。

「どっちにいるんだろう? 顔写真は霊能力者ネットワークにあったけど」
「顔を探す必要なんて、ねえさ!」

 理由は一つ。今この町にいる人たちは、劇仏に襲われている。

「その中でピンピンしているヤツがいたら、それが皐だ! すぐわかる! 山姫やオレですら、走ることにも苦労してるってのに!」
「なるほど……」

 それか、薬束を使える味方の霊能力者のどちらか。ただ、【神代】に通報がなかったことを考えると、その可能性は低そうだ。
 幽霊となった皐には、除霊用の札が効くだろう。二人で合計十枚持っている。この札は生きている人には効かないので、勘違いして貼り付けても被害は出ない。ただ、相手が本当に皐だった場合はかなり危険だ。

「さてと……。紫電がダウジングロッドで指し示した方向から考えると、こっちであっているはずだが」

 辺りを見ると、まだ車が走っている。しかしドライバーは口から泡を吹き出して、電信柱に突っ込んだ。もう野次馬すらいない。マンションの住民が、おそらく部屋の空気が悪いと感じ換気のために窓を開けたのだろう、鼻血を流しながら顔を出した。
 やっとパトカーが来たと思ったら、救急車の横に突っ込んでしまう。

「早く解決しないとヤバいぞ……! もう既に死者が出ていてもおかしくないかもしれない……!」
「急ごう、彭侯! 一人でも被害者を減らさないといけないヨ!」

 とにかく道を進む。すれ違う人々は誰しもが、体のどこかを押さえている。かなり苦しいらしい。手当てをできずに横切るしかないことが、とても悔しい。

「あー! アレは!」

 山姫が指を差したのは、ホテルの屋上だった。そこに人影がある。かなり元気そうで、事故が起きまくり負傷者が多発している町を見下ろして、ニヤついている。

「あはははは、凄いや! アタシにこんなことができるなんて……! この力があれば、紫電を町ごと殺せる!」

 肉体が消滅し、魂だけの状態となっているためか、皐の心は邪悪だった。もはや悪霊と言っていいだろう。

「今、辻神と情報共有を……。って、アレ? どうしたの彭侯?」

 除霊するには近づかなければいけないのだが、彭侯は口を閉じたままフラフラ排水溝に向かって歩き、

「ドゲボオオオオオオオオ、あうっ!」

 血の混じった嘔吐をした。実はさっきから胃がキリキリしていて、もう限界だったのだ。中途半端に消化された新幹線の中で食べた駅弁を全て、口から吐き捨てる羽目に。

「これは早く除霊しないと、マズい! 今のでスッキリしたから、行くぞ!」
「うん!」

 山姫が、皐が立っている建物の入り口に走った。ボタンを押してエレベーターを一階に呼び、一つしかない階段を駆け上がる。

(これで逃げ場はないぜ! 汚染濁流を叩き込んで、落ちてきたところを札で除霊だな!)

 指を皐に向けて構えた時、彼女も彭侯の存在に気づいた。

「あ? 何だあのガキは? どうしてピンピンしてる? ていうか、何でアタシのこと見て指差してんの? 紫電はああいう顔じゃなかったはずだけど………。あ、そうか!」

 すぐにピンときた。自分を止めるために【神代】から派遣された霊能力者。要するに邪魔者。

(排除するわ! アタシの障壁となるヤツは、誰であろうと!)

 距離はある。だが彭侯は鉄砲水を撃った。

「くらえ!」

 勢いよく飛び出す水。重力をものともせずグングンと上がっていくが、それはかなり見やすく予想しやすい動きだ。皐に避けられる。

「残念でした! さて、どうやって殺すか……」

 少し彭侯のことを睨んだ。

「うっ!」

 その視線を、彼は横に飛んでかわす。するとさっきまで立っていた後ろに生えていた街路樹の葉が全て枯れて落ちた。数秒もしない間に樹木自体も腐り果てる。

(ヤバすぎる! 劇仏はかなり、危険過ぎる! だがアイツは今、オレのことしか見てない! 山姫が迫っていることを知らないんだ、ヤツは! それがオレたちの、勝機!)

 とにかく自分ができること……注意を引くことを続ける。

「ぬおおおおお! 汚染濁流を、くらってみやがれええええええええ!」

 乱射した。一発でも当たれば動きを封じることができるはずだ。

「ん…? 髪が濡れた?」

 彭侯の思いが届いた。たったの一滴だが、皐の髪に当たったのである。

(もらった!)

 第六感でそれを察知する彭侯。いくら相手が悪霊でも、毒厄は通じる。事実皐は急に眩暈に襲われた。

「何だろ、これ? 頭痛かな? もしかして、毒厄? あの小僧の鉄砲水に、混ざっていた?」

 だが、ここで怯まない皐。

「よっと!」

 何事もなかったかのように立ち上がった。どうやら彭侯の毒厄では、除霊まで持って行けないらしい。

「……ぐっ!」

 通じていないことが、見てわかる。

「あれ、どうしたの? もう撃って来ないの? そうだよね、だってアタシに効かないもん! アンタ、毒厄で人を殺したことないんじゃない? そんな生温い病気でアタシが怯むとでも?」

 彭侯は腕を下げた。だが、もう汚染濁流を撃っても意味がないと感じたからではない。

(馬鹿は、アンタだ! オレだけが、アンタと戦っているとでも?)

 汚染濁流を撃たない理由は一つしかない。

「うん?」

 ドアの開閉音が聞こえたので、振り向く。皐の後ろに、山姫がいた。

「ふ、ふうう……」

 涙と鼻血をティッシュで拭きながら、皐のことを睨む。

「こんなことして、楽しいの? 君は!」
「楽しい? は、当たり前じゃないのよ! アタシの人生の邪魔をしたヤツが、町ごと死んでいく! これが愉快じゃないわけ、ないでしょうが! アイツだけじゃないわ、その家族や親戚! アイツを育てた町…アイツの存在を容認したその全てに、死んでもらう! もう想像しただけで爽快なのよ! アンタはワクワクしないわけ?」
「あっそう……」

 もう救いようがない。だから山姫は息を思いっ切り吸うと、

「はあああああ!」

 手のひらから、鬼火を繰り出した。それもかなりの勢いだ。屋上が炎で包まれるレベル。

「きゅあああああ!」

 これには流石の皐も、驚いて後ろに下がった。凄まじい熱さで圧倒されてしまう。

(この屋上から、これで突き落とす! そうすれば、後は彭侯が!)

 地面に落ちれば簡単に大量の汚染濁流を浴びせられる。除霊はそれからで十分だ。動けなくなった皐に札を押し当てるだけで、全てが終わる。

(早く落ちて来い! 逃げ場はもう、飛び降りるしかないんだぜ? 幽霊のアンタは落ちただけじゃ何も感じないだろうけど、オレが追撃するだけさ!)

 皐がさらに後ろに下がろうとした時、踵から下に落ちた。

「ひっ! しまった!」

 そのまま体ごと屋上から落ちる。間一髪、上半身で屋上の縁にしがみついている。

「ちょっとアンタたち! 人を殺していいわけがないじゃない? 今ここでアタシを追い詰めれば、一生【神代】のお尋ね者なのよ? やっていいこととやるべきじゃないことの分別もわからないの?」
「うん……? 何を言っているの?」
「は?」

 ただの命乞いにしか聞こえない皐の発言だが、肝心な部分が理解できていない。

「君はもう、幽霊……。雛菊に処刑されて、死んだでしょう?」
「……………………え?」

 一瞬、皐の眉が動いた。山姫に投げつけられた言葉の意味が脳天を揺さぶったのである。

(し、死んだ? アタシが、あのクソブス雛菊に殺されたって? 嘘だ、そんなこと! だってアタシは今、こうして生きて……)

 生きている。そう思いたかった。だが彼女は、自分の血の気……いや心の温もりが一気に引いていくのを全身と魂で感じた。

「命乞いする命がないんだワ、手加減なんてしない!」

 一気に火炎放射をさらに強め、迫りくる熱気の圧で皐を吹き飛ばした。

「今だヨ、彭侯!」
「終わりだ、皐…………!」

 落下地点は予想できる。そこに汚染濁流を撃ち込めばいい。
 だが、

「アンタたちって、馬鹿だわね~」

 トドメの一撃は、空振りした。

「んな、アホな……?」

 皐の体が落ちてこないのだ。寧ろ逆に、浮いている。当然だ、彼女は既に幽霊となっているのだから。

「もう死んでしまっているんなら、しょうがないわ! アタシはこのまま、この町を滅ぼしてやる!」

 フワフワと浮遊しながら、皐はゆっくりと道路の真ん中に降り立ち、そして町の中を進む。

「ま、待ちやがれ! あ、ぐっ! ボギャアオオオオオオオオオウエ! また、ゲロがあ!」

 二度目の嘔吐、胃酸の逆流のせいで食道と口腔内にダメージが。さらに劇仏の回りも早く、跪いたが最後、体を思うように動かせず立ち上がれなかった。

「に、逃げられたワ……!」

 屋上で、皐が建物や車の間をフワリと飛んでいくのを山姫は見ていた。しかもただ逃げられたわけじゃない。相手はさっきまで自分の死を自覚していなかった。山姫が言ってしまったせいで、幽霊であることを認識し、肉体が消滅して魂だけの状態となったメリットを最大限に活かされてしまっている。

「電話を……」

 今彼女にできることは、辻神に何が起きたのかを説明することだけだ。山姫もまた劇仏のせいで、ホテルの屋上にうずくまってしまい動けない。


(病射と朔那を連れてきた方が良かったかもしれない……)

 辻神はそんな後悔の念を抱きつつあった。病射なら慰療を、朔那なら薬束を使える。二人が今ここにいれば、この最悪の事態に対処できた。苦しむ人々を救いながら進めたし、皐と対面しても最低限の安全は確保できたはずだ。
 しかし、今その二人はいない。

「病射や朔那、弥和に復讐をさせたくない」

 緑祁のその思いを尊重したためだ。辻神自身、復讐の道を選び途中まで歩んでしまった過去がある。だからこそ、緑祁の思いは間違っていないと感じた。
 皐の復讐も阻止する。そのために紫電と一緒に行動しているのだ。

「おい辻神、皐のヤロウは幽霊で確定だろう? さっきの山姫の電話で確信した!」
「そうだな……。かなり厄介だ」
「そうか?」

 紫電は、そうは考えていないらしい。

「こんなことを言うのは冷酷かもしれねえ。だが俺は、皐が幽霊でよかったと思っているぜ。何せこの町を守るということは……皐という存在をこの世から消すのと同義だ。もしアイツが生きたままだと、俺が殺人犯になってしまう。でも幽霊なら! 除霊するのは俺たち霊能力者の役目だ!」

 全力で相手とぶつかる。それも相手の負傷を気にする必要がない。だからこそ、手加減がいらない。

「辻神! お前もその気でやれ! 同情する必要はねえぜ」
「初めから、そのつもりだ。こんな外道なことを平然とするヤツの気持ちなんて、試験で問われても考えてやるものか!」

 電話の向こうの山姫は、かなり息苦しそうだった。彭侯も無事であることは彼女から伝えられたが、かなり負傷している。仲間を傷つけ苦しませた輩を心配する必要はない。

「雪女も! 全力で排除するんだ、皐を!」
「当たり前。必ず私の氷柱で、貫いてみせる」

 雪女は皐と面識はないが、この状態に怒りを感じていた。八戸は彼女を受け入れてくれた、新しく手に入れた故郷と呼べる場所だ。そこでバイオテロのようなことをする皐に対し、心が激しく燃え盛る。

「でも、どの方向に飛んで行ったんだろう? あっちでもこっちでもない、だとすると……」
「焦るな。アイツの方から、俺たちの前にやってくる!」

 これは勘で適当なことを言っているのではない。皐のメインターゲットは紫電だ。町ごと劇仏で包み込めるとしても、紫電がそれを受けなかったら意味がない。だから自分へのトドメは必ず、自らの手で下すだろう。

「ん?」

 今、街路樹とそのそばの生垣が、一気に枯れ果てた。

(いる! この曲がり角を曲がった、その先に!)

 劇仏が強くなっている。そこに病原……皐がいる。紫電はダウジングロッドを、辻神はドライバーを、雪女は雪の氷柱をそれぞれ両手に構える。まず前に出るのは、辻神だ。囮役を進んで買って出た。そして油断した皐を、紫電の電霊放と雪女の雪で仕留める。

(さあ、来い! 皐! 姿を現せ!)

 蜃気楼で偽の紫電のビジョンを自分に投影した。そして曲がり角を飛び出た。

(……? いない? どういうことだ?)

 だがそこに皐の姿がなかった。辻神の第六感が、彼女がすぐ近くにいると告げているのにもかかわらず、だ。

(姿を消している……のか? 幽霊ならばできる? いや、彭侯は、劇仏は霊障発展と言っていたから、皐は他の霊障を使えないはず! そもそも霊能力者に見えない幽霊なんていない! この近くにいるのは、間違いないんだ!)

 目で見えないところに隠れているのかもしれない。辻神は自分の体を揺さぶって風を起こした。旋風で周囲を探るのだ。

(見つけた……)

 掴んだ。幽霊がいる。辻神は皐に直接会ったことがないので断言できないが、この場でピンピンしているのは皐しかいないはずだ。
 反転し、来た道を戻る辻神。

「なんてことだ……! 皐は浮遊して上から、紫電を探していた!」

 そしておそらく、蜃気楼を使ったところを見られた。だから囮の自分は無視し、本物の紫電の方に飛んでいくのだ。

「間に合え!」

 走っても遅いだろう。だったら一番わかりやすい方法で、紫電と雪女に伝える。ドライバーを握りしめ、真上に電霊放を撃った。
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