第8話 式神を叩け その1
文字数 3,643文字
実は、[メガロペント]は自分の意思で逃げたのではない。札を通してある思念を感じ取り、その命令に従ったのだ。
「すぐに戻って来て下さい」
花織が命じた。理由は簡単で、手元にある式神の札が、一気に二枚も破れてしまったからだ。
「何かがおかしい。こんなことになるなんて、変だ」
久実子も異議を唱えなかった。だから唯一健在な[メガロペント]を呼び戻したのである。
そして戻ってきた姿を見て、唖然。
「まあ、何てことでしょう……。自慢の顎が折れてしまっています…」
[メガロペント]も無事ではなかった。負傷しているのだ。
「どうする花織? 新しい札にできる紙があれば修復できるはずだが?」
「しましょう」
だが、二人はそれに使えそうなものを持っていない。筆もない。だから調達するのだ。
「あそこに行きましょう。きっと今なら人は全然いませんよ? だって惨事があったわけですからね」
一旦[メガロペント]に札を当てて仕舞い、それから歩き出した。
「どこに向かうつもりなの?」
香恵は、緑祁に聞いた。
「海神寺だよ」
彼は、想像していた。
紫電は、一体の式神に逃げられたらしい。でも一部を傷つけることに成功したという。
「聞く話じゃ、式神が怪我を負った際に取るべき行為は一つだってね」
「新しい札に移すことよ。そうすれば傷は治るわ。でもどうして海神寺に?」
香恵からすれば、そこが疑問。その問いに対し緑祁は、
「向こうの立場になってみて」
と返事をする。言われた通り香恵は想像してみる。
(こっちの世界に拠点や補給できる場所はないわよね。式神を回復させたいのなら、札にできる紙が必要。でもそれを補充する場所が……)
ここで閃く。
「なるほど、だわ。海神寺にならそれがあるかもしれない。そしてあそこは、最初に二人から襲撃を受けて、まだ復旧しきれてないはず」
事実、今の海神寺はもぬけの殻である。そこに忍び込んで、式神を治す。欲張るなら、他の式神の札も手に入れたいのだろう。
「でも……違ったら?」
もちろんこれは、緑祁の妄想だ。確実な情報を掴んでいるわけでもない。だから、
「その場合は、素直に七草神社に戻るよ。僕の方が未熟だったってことだから」
恥を承知で戻る。そういう覚悟を既に決めている。
海神寺は、あの日の惨劇のままであった。増幸は、復元能力の霊障を持つ霊能力者を手配したと言っていたが、まだ十分に集まっていないのか、それとも事件終結後に復旧作業を始めるのか。とにかく近づくだけで焦げ臭い匂いが鼻を刺激する。
「どう?」
小さな声で緑祁が言った。
「……いないみたいよ?」
静まり返っている寺院。照明の類も消えているので、境内は闇に包まれている。
しかし、不自然な明かりが寺院の中に入り込むのを二人は見た。
「あれは……?」
間違いない。話に聞いていた、花織の精霊光だ。指先を光らせ懐中電灯で照らし出すかのように、周囲を明るくして進んでいるのだ。
「やっぱり来たね。香恵はここで待ってて」
緑祁一人で行くつもりだ。香恵を戦闘に巻き込みたくないからである。でも、
「私も行くわ」
その意志を曲げなかった。
「わかったよ。じゃあ一緒に行こう」
二人は足音を殺しながら、ゆっくりと境内に入って光に近づく。
「誰ですか?」
花織が、何かが近づいていることに気づいた。ので、そっちの方を照らす。
「うわっ!」
急に眩しい光を向けられ、思わず緑祁は驚いた。
「待ち伏せか? 小賢しい真似を! だがな、たかが二人で何ができると言うつもりだ? 初めて見る顔だが……」
この時、緑祁と香恵、花織と久実子は初めてお互いに顔を会わせた。
緑祁たちからすれば、こちらの世界に意図せず招いてしまった人物。だからこそ、本来の世界に戻って欲しい。
けれど花織たちには、その選択ができない。戻れば確実にまた捕まって、殺されるのだから。
しかし緑祁は、彼女らの事情を知らない。だから、
「話を聞いてよ、二人とも! 元の世界に戻れると聞いたら、どう?」
と言うのだ。
「却下だな」
久実子が言った。その話は聞けない、と。
「どうして?」
今度は香恵が尋ねた。
「わたくしたちの世界は、急速に発展する科学に飲み込まれ支配されました。そこでは霊能力は異端とされ、必要ないそうです。いてもらっては困るそうです。だから捕まえて、首を撥ねるんですよ」
これを聞いた時、緑祁と香恵は衝撃を覚えた。
(……じゃあ、二人を元の世界に返すって解決方法は駄目ってこと?)
だとしたら、一生こちらの世界に留まるつもりなのだろうか。だがそれには不具合があるのだ。
「そっちらの魂はこの世界には残せないんだよ? 死んだら、幽霊にすらなれないんだ! そんなの、かわいそうだよ!」
緑祁はそう感じる。だが、
「かわいそう? 他所の誰かに言われたくないね。あたしは花織と共に今を生きている。それだけで十分だ」
「でもそちらたちは、こっちの世界を変えようって考えているんでしょう?」
香恵は、骸から話を聞いていたので二人が全く無害ではないことを知っている。
「そうですね……。科学がこの世界の基本だと言うのなら、それを根底からひっくり返す必要がありますね。科学を信じる人間を排除し、残った人たちだけで世界を作り直しましょう」
その考えは、この世界にいてはいけない発想だ。
「不可能だよ、そんなこと!」
緑祁は骸と同じことを叫ぶ。
「僕たちの世界にも信仰はある。でも、科学も必要なんだ。長い年月をかけてそういう世界に育ったんだ」
そこに変な手を加えてはいけない。それこそ、世界の崩壊に繋がりかねないのだ。
だが、
「仕方がないことでしょう? わたくしも久実子も、科学より怖いものはないのですよ」
「元々いる人たちを虐げてもそれは達成しないといけないことなのかい?」
「そうだ。科学は世界に終わりを招く。あたしも花織も、この世界にあたしたちのいた世界と同じ道を進んで欲しくないんだ」
久実子に続いて花織も自分の意見を述べる。
「貴方も霊能力者なら、わかってくれると思うのですが……。科学のせいで、わたくしたちの力は否定され続けます。いわれのない誹謗中傷を受けるのは、もう嫌なんです」
だから、彼女らは作ろうとしているのだ。霊能力が広く受け入れられる世界を。その世界なら、自分たち霊能力者が隅っこで縮こまる必要はない。表立っていいのだ。
「勝手な正義感ね」
それを香恵は、そう言って切り捨てた。
「何だと?」
「正しいように聞こえて、でも実際には間違っているわ。そちらのしたいことは、侵略と何ら変わりがないじゃない? 偶然だか知らないけど勝手にこっちにやって来て、自分たちの思想を押し付ける。拒否する人は排除して、自分たちだけが正しい世界観を作り上げる。それこそ人類が経験してきた愚行蛮行よ」
それと同じことが、過去に花織たちの世界で起きていたかどうかは不明だ。だが二人は、
「……………………」
言葉に詰まった。
しばらくの間、四人は沈黙していた。 それを破ったのは久実子だった。
「勝ち残る者が正義だ、何が悪い?」
「そうです」
花織も便乗する。
「では、貴方たちは自分たちの世界で、意見の異なる人を否定したことが一切ないのですか? 他人の考えに異議を唱えたことも一度もない、と? 自分だけが正しいって思っているのは、貴方たちの方では?」
自分たちのことを棚に上げ、反論してきたのだ。そうすると今度は緑祁たちが黙る番だ。
「外来種って単語はこちらの世界にもありますかね? もしわたくしたちが外来種なら、生態系を自分たちの都合のいいように作り変えることは当たり前でしょう? いつの時代も世界も、強い者だけが正義なのですから」
ここまで言われてしまうと、もう何を言っても無駄。緑祁は感じた。
「なら、自分たちよりも強い人の言うことは聞けるんだね……?」
ならば、力ずくでも彼女らを送り返す。その意志が言葉に現れた。
「あたしたちに勝てるって言うのか、あんた?」
実力は未知数だが、こちらの世界の霊能力者はそこまでレベルが高くないと久実子は思う。
「それはやってみないとわからないよ? 現にそっちらは、紫電から逃げて来たんでしょう? 彼に勝てないのなら、僕にも勝てないよ」
挑発だ。
「いいでしょう。なら身をもって知らせてあげます。わたくしたちの実力を!」
花織がその焚き付けに乗った。
その時だ、彼女の手にある札が、震え出した。
「[メガロペント]……?」
式神が、言っているのだ。自分が代わりに戦う、と。主を守るために、この男…緑祁を排除してみせる、と。
「駄目です! 貴方の傷はまだ回復していません! ここで貴方まで失うわけにはいかないんです、わかってください!」
花織は何とか[メガロペント]を落ち着かせようと思った。だが久実子は、
「出してやれ、花織。この世界を変えたいのは[メガロペント]も同じなんだ」
「……わかりました」
渋々それを了承した花織。だから式神を召喚した。
「すぐに戻って来て下さい」
花織が命じた。理由は簡単で、手元にある式神の札が、一気に二枚も破れてしまったからだ。
「何かがおかしい。こんなことになるなんて、変だ」
久実子も異議を唱えなかった。だから唯一健在な[メガロペント]を呼び戻したのである。
そして戻ってきた姿を見て、唖然。
「まあ、何てことでしょう……。自慢の顎が折れてしまっています…」
[メガロペント]も無事ではなかった。負傷しているのだ。
「どうする花織? 新しい札にできる紙があれば修復できるはずだが?」
「しましょう」
だが、二人はそれに使えそうなものを持っていない。筆もない。だから調達するのだ。
「あそこに行きましょう。きっと今なら人は全然いませんよ? だって惨事があったわけですからね」
一旦[メガロペント]に札を当てて仕舞い、それから歩き出した。
「どこに向かうつもりなの?」
香恵は、緑祁に聞いた。
「海神寺だよ」
彼は、想像していた。
紫電は、一体の式神に逃げられたらしい。でも一部を傷つけることに成功したという。
「聞く話じゃ、式神が怪我を負った際に取るべき行為は一つだってね」
「新しい札に移すことよ。そうすれば傷は治るわ。でもどうして海神寺に?」
香恵からすれば、そこが疑問。その問いに対し緑祁は、
「向こうの立場になってみて」
と返事をする。言われた通り香恵は想像してみる。
(こっちの世界に拠点や補給できる場所はないわよね。式神を回復させたいのなら、札にできる紙が必要。でもそれを補充する場所が……)
ここで閃く。
「なるほど、だわ。海神寺にならそれがあるかもしれない。そしてあそこは、最初に二人から襲撃を受けて、まだ復旧しきれてないはず」
事実、今の海神寺はもぬけの殻である。そこに忍び込んで、式神を治す。欲張るなら、他の式神の札も手に入れたいのだろう。
「でも……違ったら?」
もちろんこれは、緑祁の妄想だ。確実な情報を掴んでいるわけでもない。だから、
「その場合は、素直に七草神社に戻るよ。僕の方が未熟だったってことだから」
恥を承知で戻る。そういう覚悟を既に決めている。
海神寺は、あの日の惨劇のままであった。増幸は、復元能力の霊障を持つ霊能力者を手配したと言っていたが、まだ十分に集まっていないのか、それとも事件終結後に復旧作業を始めるのか。とにかく近づくだけで焦げ臭い匂いが鼻を刺激する。
「どう?」
小さな声で緑祁が言った。
「……いないみたいよ?」
静まり返っている寺院。照明の類も消えているので、境内は闇に包まれている。
しかし、不自然な明かりが寺院の中に入り込むのを二人は見た。
「あれは……?」
間違いない。話に聞いていた、花織の精霊光だ。指先を光らせ懐中電灯で照らし出すかのように、周囲を明るくして進んでいるのだ。
「やっぱり来たね。香恵はここで待ってて」
緑祁一人で行くつもりだ。香恵を戦闘に巻き込みたくないからである。でも、
「私も行くわ」
その意志を曲げなかった。
「わかったよ。じゃあ一緒に行こう」
二人は足音を殺しながら、ゆっくりと境内に入って光に近づく。
「誰ですか?」
花織が、何かが近づいていることに気づいた。ので、そっちの方を照らす。
「うわっ!」
急に眩しい光を向けられ、思わず緑祁は驚いた。
「待ち伏せか? 小賢しい真似を! だがな、たかが二人で何ができると言うつもりだ? 初めて見る顔だが……」
この時、緑祁と香恵、花織と久実子は初めてお互いに顔を会わせた。
緑祁たちからすれば、こちらの世界に意図せず招いてしまった人物。だからこそ、本来の世界に戻って欲しい。
けれど花織たちには、その選択ができない。戻れば確実にまた捕まって、殺されるのだから。
しかし緑祁は、彼女らの事情を知らない。だから、
「話を聞いてよ、二人とも! 元の世界に戻れると聞いたら、どう?」
と言うのだ。
「却下だな」
久実子が言った。その話は聞けない、と。
「どうして?」
今度は香恵が尋ねた。
「わたくしたちの世界は、急速に発展する科学に飲み込まれ支配されました。そこでは霊能力は異端とされ、必要ないそうです。いてもらっては困るそうです。だから捕まえて、首を撥ねるんですよ」
これを聞いた時、緑祁と香恵は衝撃を覚えた。
(……じゃあ、二人を元の世界に返すって解決方法は駄目ってこと?)
だとしたら、一生こちらの世界に留まるつもりなのだろうか。だがそれには不具合があるのだ。
「そっちらの魂はこの世界には残せないんだよ? 死んだら、幽霊にすらなれないんだ! そんなの、かわいそうだよ!」
緑祁はそう感じる。だが、
「かわいそう? 他所の誰かに言われたくないね。あたしは花織と共に今を生きている。それだけで十分だ」
「でもそちらたちは、こっちの世界を変えようって考えているんでしょう?」
香恵は、骸から話を聞いていたので二人が全く無害ではないことを知っている。
「そうですね……。科学がこの世界の基本だと言うのなら、それを根底からひっくり返す必要がありますね。科学を信じる人間を排除し、残った人たちだけで世界を作り直しましょう」
その考えは、この世界にいてはいけない発想だ。
「不可能だよ、そんなこと!」
緑祁は骸と同じことを叫ぶ。
「僕たちの世界にも信仰はある。でも、科学も必要なんだ。長い年月をかけてそういう世界に育ったんだ」
そこに変な手を加えてはいけない。それこそ、世界の崩壊に繋がりかねないのだ。
だが、
「仕方がないことでしょう? わたくしも久実子も、科学より怖いものはないのですよ」
「元々いる人たちを虐げてもそれは達成しないといけないことなのかい?」
「そうだ。科学は世界に終わりを招く。あたしも花織も、この世界にあたしたちのいた世界と同じ道を進んで欲しくないんだ」
久実子に続いて花織も自分の意見を述べる。
「貴方も霊能力者なら、わかってくれると思うのですが……。科学のせいで、わたくしたちの力は否定され続けます。いわれのない誹謗中傷を受けるのは、もう嫌なんです」
だから、彼女らは作ろうとしているのだ。霊能力が広く受け入れられる世界を。その世界なら、自分たち霊能力者が隅っこで縮こまる必要はない。表立っていいのだ。
「勝手な正義感ね」
それを香恵は、そう言って切り捨てた。
「何だと?」
「正しいように聞こえて、でも実際には間違っているわ。そちらのしたいことは、侵略と何ら変わりがないじゃない? 偶然だか知らないけど勝手にこっちにやって来て、自分たちの思想を押し付ける。拒否する人は排除して、自分たちだけが正しい世界観を作り上げる。それこそ人類が経験してきた愚行蛮行よ」
それと同じことが、過去に花織たちの世界で起きていたかどうかは不明だ。だが二人は、
「……………………」
言葉に詰まった。
しばらくの間、四人は沈黙していた。 それを破ったのは久実子だった。
「勝ち残る者が正義だ、何が悪い?」
「そうです」
花織も便乗する。
「では、貴方たちは自分たちの世界で、意見の異なる人を否定したことが一切ないのですか? 他人の考えに異議を唱えたことも一度もない、と? 自分だけが正しいって思っているのは、貴方たちの方では?」
自分たちのことを棚に上げ、反論してきたのだ。そうすると今度は緑祁たちが黙る番だ。
「外来種って単語はこちらの世界にもありますかね? もしわたくしたちが外来種なら、生態系を自分たちの都合のいいように作り変えることは当たり前でしょう? いつの時代も世界も、強い者だけが正義なのですから」
ここまで言われてしまうと、もう何を言っても無駄。緑祁は感じた。
「なら、自分たちよりも強い人の言うことは聞けるんだね……?」
ならば、力ずくでも彼女らを送り返す。その意志が言葉に現れた。
「あたしたちに勝てるって言うのか、あんた?」
実力は未知数だが、こちらの世界の霊能力者はそこまでレベルが高くないと久実子は思う。
「それはやってみないとわからないよ? 現にそっちらは、紫電から逃げて来たんでしょう? 彼に勝てないのなら、僕にも勝てないよ」
挑発だ。
「いいでしょう。なら身をもって知らせてあげます。わたくしたちの実力を!」
花織がその焚き付けに乗った。
その時だ、彼女の手にある札が、震え出した。
「[メガロペント]……?」
式神が、言っているのだ。自分が代わりに戦う、と。主を守るために、この男…緑祁を排除してみせる、と。
「駄目です! 貴方の傷はまだ回復していません! ここで貴方まで失うわけにはいかないんです、わかってください!」
花織は何とか[メガロペント]を落ち着かせようと思った。だが久実子は、
「出してやれ、花織。この世界を変えたいのは[メガロペント]も同じなんだ」
「……わかりました」
渋々それを了承した花織。だから式神を召喚した。