第2話 隣の席に その1

文字数 4,467文字

「テスト終わったあああああ!」

 講義室で大声を出したのは、永露緑祁の同級生だ。九十分の発生生物学の試験が終われば、長い夏休みが待っている。

「カラオケ行こうぜ!」
「いいや、ボウリングだろ?」
「ゲーセンゲーセン!」
「俺は地元に戻るぜ!」
「私は旅行に行く!」

 みんな目をキラキラ輝かせながら、夏休みにしたいことを呟く。しかしそんな中、緑祁だけは暗い感じで筆記用具をカバンに戻し、机から立ち上がった。

「おい永露! お前も一緒にカラオケ行こうぜ! お前の歌声の方はまだ聴いたことねえんだよ!」

 普段から仲が良いわけでもないのに、誘ってくれる。しかし緑祁は、

「ごめん、今年の夏はバイト漬けなんだ……」

 断ってしまう。

「お前のバイトって、あのイタリアンレストランで演奏することだろ? 夜まで時間あるぜ? 途中で抜けてもいいから、マイク握れよ!」
「ごめん! この後も用事がびっしりあって……」

 親に借りているお金をこの夏に返済する。そういう約束をしているために、遊べそうにないのだ。

「おいおい、学生の内は親の脛なんて齧ったままでいいだろう?」
「駄目だよ、ちゃんと返さないと。また今度誘ってくれないかな……?」

 緑祁は足早に講義室を出て下宿先に戻った。

 彼の借金は、友人が想像するような万単位ではない。一桁多いのだ。
 ゴールデンウィークが致命的だった。何度も飛行機で移動したために、交通費が莫大に膨れ上がったのだ。また事故でスクラップにしてしまった原付バイクの弁償もレンタカーにしなければならない。一番衝撃的だったのが、【神代】が彼のことを病院に閉じ込めたのにも関わらず、長崎での騒動終息一週間後に皇の四つ子から入院費の請求書が送りつけられたこと。

「そっち持ちじゃないの? えっ、僕が払うの?」

 合計金額に、緑祁の両目は飛び出しそうになった。
 両親に相談したら代わりに一括で払ってくれたが、その時の電話の向こうの声はかなり暗かった。罪悪感を抱いた緑祁は夏休みを返上して借金を返済することを選択。レストランでの演奏代だけでは二か月ある夏休みで毎日働いても足りないので、ここは【神代】に頼る。
 スマートフォンを取り出し、近所で除霊を募集している寺か神社がないか探す。

「こういう時に限って、ないんだよね……」

 望みは薄かった。近くても秋田に行かなければいけないぐらいだ。
 ため息を吐きながら、スマートフォンを持った手を下ろす、その時、鳴り出した。電話だ。相手は藤松香恵。

「あ、もしもし香恵? どうしたの!」

 試験勉強で疲れ切っていた体に、一瞬で力が蘇る。

「あのね緑祁、やっと目処が立ったわ」

 彼女はリハビリに励み、日常生活を送れる程度にまで回復した。それは全て、

「これでやっと、青森に行って緑祁に会えるのよ」

 このためである。緑祁と再会することが心の支えとなって、厳しいリハビリも頑張れたのだ。

「本当に! でも、この夏僕は香恵と一緒に出掛けたりすることができそうにないんだ……」

 借金を返さないといけない事情を香恵に教えた。すると、

「ならさ、緑祁の方がこっちに来てみない?」
「え?」

 香恵の提案。それは、緑祁が首都圏に来ること。その方が霊能力者としての仕事も舞い込んで来やすい。

「交通費が……」

 やや守銭奴気味になっている緑祁はその申し出すら断ろうとしたが、思い直し、

「いいや、行くよ。僕も香恵に会いたいから!」

 すぐに荷造りを始める。


「ふ、ふう……。相変わらず都会だね…」

 上野駅に到着したのは、夕暮れのこと。威圧的なビル群の存在がやはり印象的。

「こっちよ、緑祁!」

 香恵が迎えに来てくれているため、迷子にはならずに済む。

「久しぶり、香恵! 元気そうで何よりだよ!」
「緑祁のおかげよ。感謝してもし切れないわ」

 再会を二人は喜ぶ。ゴールデンウィーク以降顔を合わせてなかったので、嬉しさで一杯だ。
 香恵は横浜に住んでいるのだが、緑祁の目的地は船橋。これにはわけがある。

「親戚が民宿を経営してて。話が通じる人で、そこに無料で泊めてもらえることになったわ」

 その親類は車で船橋駅に来ているので、電車で移動する。

「君が緑祁……香恵の彼氏かい? よろしくな」
「そ、そんなんじゃありませんって!」

 焦って照れながら答える緑祁。荷物をトランクに積むと、大きめのバッグが既にあった。

「キャリーバッグがあるけど、これは誰の?」
「私のよ。私もその民宿に行くわ」

 香恵もどうやら一緒。実は、香恵が民宿の仕事を手伝うから緑祁のことをタダで泊めてもらうということになっているのだ。ちなみに民宿の主人は、隙あらば緑祁にも仕事を押し付けようと企んでいる。
 車はビル群を抜け、田舎町に到着した。

「本当に同じ県? 千葉県内?」

 思わず緑祁がそう疑ってしまうほどだ。

「交通の便はいいんだがね…。夏場は海水浴客で盛り上がるぞ! ここが、船橋だ!」
「ふなっしーってこんなところにいたんだ……」

 民宿の一室に緑祁と香恵は上がり込んだ。

「き、緊張、するわね……」

 香恵は息をのんだ。男の人と二人きりで同じ部屋という状況にまず、陥ったことがない。緑祁のことは信頼しているが、何かの拍子で裏切られ獣に変貌することだってある。

「心配はいらないよ」

 そんな不安をかき消すかのように、緑祁は言った。事実彼は偽者とはいえ香恵と同じ空間に何度かいたことがあり、しかも彼女が恐れているようなことになったことがないのだ。

「今日はもう遅いし、ゆっくり休んでくれ。香恵ちゃんに緑祁君、明日から働いてもらうぞ?」
「僕は除霊の仕事がありますし……」
「でも常にってわけじゃないだろう?」

 泊めてもらっている立場ゆえに、それ以上緑祁は反論しない。

(香恵の仕事も手伝わないと!)

 そう考えることで乗り切るつもりだ。


 次の日、早速仕事が舞い込んできた。主人が緑祁に地図を渡して、寺院への行き方を教える。

「あとは角を曲がれば、目と鼻の先にある! 迷子になる方が難しいぞ!」
「ありがとうございます。では、行ってきます」
「私も」

 心配なので香恵もついて行く。

「ねえ香恵、その……外役寺(がいえきじ)ってのはどういう場所?」
「江戸末期に建てられたそうよ。当時地元の人が、南無阿弥陀仏を唱えていれば異国船も国へ帰るだろう、って」

 歴史は浅いらしい。そこで霊能力者を募り、儀式を行う。とても簡単なものであり、緑祁どころか香恵にでもできる。

「暑くはない?」

 日差しは容赦なく二人を襲う。その太陽光の下で緑祁は、香恵の服装が気になった。偽者の時とは色が違い黒いジャケットに深い緑のカラータイツを身にまとっている。短パンは変わらず白だ。

「露出は好きじゃないのよ」

 暑くなることよりも肌を出して日に焼けることの方が、彼女は嫌だった。
 道を歩いている最中、香恵が石に躓いた。転びそうになった彼女の体を、緑祁はすかさず前に出て支える。

「ハイヒールは動く時危ないよ、他の靴はある?」
「ありがとう! そうね、明日からスニーカーに履き替えるわ」

 お礼を言い、また歩き出した。

「あ、そうだ」

 緑祁はポケットからあるものを取り出し、香恵に渡した。

「これって、命繋ぎの数珠じゃない? それを私に?」
「うん。香恵が持っててよ」

 本来なら命の危機を回避できる物だから、緑祁が持っておくべきと香恵は思う。しかし彼の渡したいという意思を尊重し、

「ありがとう。受け取っておくわ」

 香恵はそれをブレスレットのように腕に通した。


 外役寺で行われる儀式というのは簡単で、ただ単に先祖の供養とお焚き上げである。無縁仏の墓が多いこの寺院では毎年、お盆が来る前に墓参りを済ませてしまうのだ。

「現世に戻って来てもらっても困るからです。だって子孫は生きているかもわからないですし……」

 お坊さんはそういう事情を説明した。同時に、彼自身に霊能力がないために他の霊能力者の力が毎年必要になることも。

「お任せください!」

 緑祁は元気な返事をする。

「私にもできるわ」

 香恵もだ。
 ぐずぐずしていると日が暮れてしまうので、ササっと作業をしてしまう。

「日が出ている内に、墓参りを済ませましょう」

 正直、ここ外役寺の墓場は不気味だ。しかしそれは、この世ならざる存在が跋扈しているという意味ではなく、参る人がいないので、花も線香も供えられないから、景観が寂しいということ。寺院の方で用意した菊の花を、一つ一つの墓石に添える。その時緑祁が、

「南無阿弥陀仏……」

 経を唱えるのだ。そして香恵が水をかける。最後にお坊さんが、線香に火を灯して立てる。

「お坊さん、どうして無縁仏になってしまったのですか?」
「金銭的な問題もありますよ。お墓の維持費を払えないなら、取り壊してしまうのです。その時に遺骨を、この寺が受け取って代わりに供養するんです」

 それでは、誰も参りに来ないわけだ。彼は今金銭的な事情と言ったが、そもそもそうなってしまうのはご子息と連絡が取れなくなってしまっている場合が多いらしく、その子孫の方もどこかで亡くなられているという最悪のケースもあるという。

「私はホームレスの遺骨も受け入れてますよ。生前は寂しく孤独でも、死後ぐらいはみんな一緒に極楽浄土に逝ってもらいたいものです」

 墓石全てに同じことをし終えると、一旦本殿に戻る。

「では次です」

 今度はお焚き上げの準備だ。この地域に住む人から、正月飾りやお守りなど処分に困る物を回収し、この日に供養して焼く。

「護摩木もいっぱいありますよ」

 墓ではないお参りで訪れる人は少なからずおり、願い事を書いて回収箱に入れて帰るのだ。

「これは……ちょっと力が要りそうですね」

 護摩木の量はそうでもないのだが、緑祁はとある物に目を奪われた。

「ああ、それですか。私も渡された時はビックリしましたよ」

 日本人形である。しかもその人形に込められた思いもよく見える。

「良くない、ですね。悪い念を感じます」
「そうですか? 私にはサッパリ。ただ雰囲気だけ」

 人形の髪の毛は、乱れている。まるで伸びた毛をほったらかしたかのように。
 緑祁は失礼と思いながらもその人形の服をめくった。

「ぶわっ」

 胴体に、短い釘が打ち付けられていた。

「通りで悪い気がするわけね。呪いの依り代だったから……」

 焼くものを一通り揃えた三人は外に出て、地面にそれを山のように積み重ねた。緑祁は鬼火で種火を起こすと、それで点火する。

「燃えづらい…!」

 やはり日本人形が厄介な相手だ。抵抗している。こんなところで燃えカスになってたまるか、という強い意志を感じるのだ。

「ちょっといい?」

 彼の手を香恵が握った。力を加えることで、その込められた呪いに打ち勝とうという思惑である。

「おお…!」

 すると人形は、一気に火が移って燃え出す。二人の思念は呪いを断ち切ったのだ。空に向かって伸びる煙を見てお坊さんは、

「これで恨まれていたどこかの誰かも、恨んでいた人も、解放されますね」

 と感想を述べた。負の感情は煙のように空に溶けてなくなっていったのだ。
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