第8話 式神を叩け その3

文字数 3,055文字

 腹に一対の、スズメバチのような鋭い翅が生えている。トンボのように膜状で色がない翅なので、夜の暗さもあってさっきまでその存在に気がつかなかった。背中の翅がチョウやガのように派手で、翅を考えた時に無意識の内にそちらに自然と目が行くことも、気づくことを遅れさせるのに一役買っていた。

(あの翅が、小回りの利く動きを可能にしているんだ! あれがあの式神の生命線! それさえ断ち切ってやれば、もう僕の霊障を避けることはできないはず!)

 その読みは当たっている。[メガロペント]の立体起動はその翅があってこそ実現できるものなのだ。それを失ったら、確実に弱体化する。

 だが課題は山積みだ。そもそも攻撃を避けてくる相手にどうやって当てるのか? しかも相手が大事にしている器官だ、そこへの攻撃には敏感なはず。
 試しに緑祁は鉄砲水を放ったが、やはり飛んで避けられてしまう。

(もう一度、近づいて……)

 胴体に直接攻撃を行えばいい。そう思って[メガロペント]が抜いたスコップの柄を拾おうとした。しかし先に光線を浴びせられ、灰になってしまった。

「どうにかして、あの式神の翅を!」

 近くに使えそうなものはないのか? 再度気を配ると、ちょうど切り落とされたスコップの刃があった。そっちを拾って、

「これも避けてみせろ!」

 投げる。当然[メガロペント]はそれすらも翅を羽ばたかせてかわす。

(その先だ! 避ける動作の先に、あの翅を狙える隙がある!)

 最初から、刃の方には期待はしていない。ただ相手を動かすことだけが重要だった。
[メガロペント]が宙を舞う。そしてその動きは予測可能だ。さっきから何度も見ているし、既に翅を二枚失っているので若干遅い。

「そこだ!」

 タイミングは見切った。だから緑祁は鬼火を撃ち出した。
 しかしながら、

「キジイイイイシイイイイ?」

 外れた。鬼火は胴体の方に当たり、体の表面が少し焦げた程度のダメージだ。
 当たらなかったのには理由がある。それは緑祁が[メガロペント]のことを観察しているのと同じく、[メガロペント]もまた緑祁が企てる作戦を予想していたのである。さっきから散々攻撃を避ければ、腹の翅に気づくだろう。そして気づいたのなら、狙ってくるだろう。だからワザと動きに違和を含ませ、緑祁の予想射撃を台無しにしたのだ。

「外れた……?」

 その衝撃は結構大きく、緑祁の動きが一瞬遅れた。その遅れが、[メガロペント]の鎌を避けるのを間に合わなくさせた。カマキリが獲物を捕まえるかのように、鎌に挟まれてしまったのだ。

「う、うぐわわわっ…!」

 幸いにも、切断に特化している鎌ではないらしい。だが抜け出せない。強烈な力で締め付けられ、[メガロペント]の眼前に持ち上げられる。

「キッキッキッキッキ!」

 そしてその口の奥が光り出した。光線が飛んで来るのだ。
 まさに絶体絶命の瞬間。だが緑祁は別のことを考えていた。

(捕まえているんじゃ、逃げようとは思わないよね……!)

 そう。今こそが最大のチャンスなのだ。[メガロペント]が緑祁の体を確保し、光線でトドメを刺そうとしているこの瞬間が。
 もう光線が吐き出されそうになりつつある中、緑祁は手を少し動かして旋風を生むと、それを[メガロペント]の腹に向けた。

「キ……?」

 一瞬、[メガロペント]の動作が止まる。口の光が引っ込み顔を下げて腹を見ると、あるはずの翅が一枚、千切れているのだ。

「キイイイイイシュアアアアアア!」

 その現実は、[メガロペント]にさらなる決定的な隙を作らせた。驚いているよりも、緑祁の追撃に備えるべきだったのだ。

「もう片方もいただくよ……」

 鬼火を放って、両方の翅を丸焦げにした。

(僕を掴んだ時点で勝ったと思ったんだろうけど、違うよ。そっちは僕を掴んでいる以上、放せない! 自慢の動きをしても無駄だよ、僕はあの翅を狙える絶好の場所に囚われてしまっているんだからね)

 捕まったからこそ思いつけた一手だ。

「キキョグルアア……!」

[メガロペント]は激怒の声を上げた。同時に緑祁のことを地面に向かってぶん投げる。

「っと!」

 力は強いが、着地できないほどではない。緑祁は地面に足を着けて、そして鬼火をもう三発、[メガロペント]に撃ち込んだ。一発目は当然、空を飛んで避けられる。だが後続の二発目、三発目は当たる。腹の翅を失ったために、繊細な動きはもうできない。背中の大きな翅が炎上し、燃え尽きた。

「キヤアアアアアラアアア!」
「よ、よし! 動きを封じたよ!」

 今度こそ勝負があったか。翅がなければ緑祁の霊障から逃げられない。しかしそれは、緑祁自身の思い込みだ。

「キイイイ!」

 まだ、武器はある。それは足。バッタのような後ろ脚のおかげで、まだ驚異的な跳躍を見せつけることが可能なのだ。

「と、飛んだ?」

 これには緑祁も油断していた。この戦いにおいて[メガロペント]は後ろ脚を全く使っていなかったので、完全にノーマーク。出し抜かれたのだ。

「でも、逃げる? そんなことをしても……」

 無意味だよ、と続くはずだった。後ろを振り返った時、途切れたのだ。

「きゃあ!」

 なんと[メガロペント]は、この戦いを傍観していた香恵に手を出したのである。鎌の腕で捕まえて、彼女のことを締め上げる。

「い、いやぁ………。放し、て…。苦し、い…わ……」

 振り向いて見せた顔は、してやったりという感じの表情だ。ざまあみろとでも言いたいのだろう。

「か、香恵!」

 だがこれは、悪手だ。
 緑祁の体が数秒震えたと思うと、止まった。その時、彼の中で何かが音を立てて切れた。

「香恵に手を出すなんて、酷いことをするじゃないか」

 口調からは感じられないが緑祁は、我を失った。両手の間に大きな鬼火を生み出し、それをさらに大きく成長させる。

「キイイイウィイイ?」

 その大きさは、まるで小型の太陽が出現したかのようで、暗闇に包まれている境内を昼間のように照らし出した。いくつかの木々は熱に耐え切れず、火が付いた。

「キイ、キショウウオウウウウアアアアアア!」

[メガロペント]は卑怯なことに、掴んだ香恵を突き出して盾にした。しかし迫りくる鬼火は、まるで生き物のように香恵を避けて通り[メガロペント]の胴体に着弾する。

「キギャアアアア、キギュッシャアアアアアア!」

 高火力の炎に意識を保ったまま、[メガロペント]は焼かれる。式神の胴体を燃やす炎はまず腕を焼き落とし、香恵を解放させた。

「はあ、はあ……」

 地面に落ちた香恵の無事を確認すると、緑祁は、

「報いは受けるべきだよ」

 と言ってさらに炎を加える。

[メガロペント]の体は数秒後、完全に灰と化して塵になった。


「緑祁…?」

 香恵に肩を揺さぶられ、緑祁は我を取り戻した。

「ああ、またやっちゃった……。ぼ、僕………」

 あれほど恐れていた、自分がキレること。香恵に手を出された瞬間、また激昂してしまったのだ。

「ごめん、香恵……。僕のせいで、危ない目に…」
「いいえ、今のは良かったわ。おかげでホラ、あの式神は倒せたじゃないの。時には怒ることも必要よ」

 香恵の言う通りだ。もし激怒の感情が緑祁を支配していなかったら、戦いは確実に長引いていたし、そうなると[メガロペント]が香恵に何をするかわからない。報復と称して殺しにかかる可能性もあった。それを焼き払った点においては、今回は怒りが味方をしてくれたのである。

「と、とにかく……! 式神は倒したよ!」

 緑祁は建物の屋根の上で戦いを見ていた花織と久実子に向けて叫んだ。
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