第19話 決戦の終楽曲 その3

文字数 4,847文字

「緑祁、もう無理して傷つく必要はない。君が私に石を渡せば、それでいい。私には、君の命を奪う理由がないのだ。必要以上に苦しむことも悲しむことも、ない。私は、君を犠牲にしてまで、前に進むことなど望んでいないのだ」
「それだけは…………できない!」

 絶対に止める。それが緑祁の意志だ。決して揺らぐことがない、硬い覚悟。その基盤に彼は支えられているから、立てている。

「これ以上、修練には罪を犯させないぞ……! ここで止めてみせる…」
「それはできないことだと、わかっただろう?」

 ここまでの戦い、修練にとっては道端のアリを踏み潰すかのごとき容易さだった。反対に緑祁にとっては、コンクリートの壁に素手で穴を開けるかのような難易度。
 レベルの違いは、明確だった。

(まさか、ここまでとは………。修練の実力、凄まじい! それは認めるしかない!)

 本当に、今まで出会った霊能力者の中で一番強い。戦い方も器用で、ワザと緑祁の命を奪わないように立ち振る舞っている……それは即ち、本気を出せば緑祁の命は蝋燭の火を吹き消すかのように奪えるということ。
 修練が緑祁を殺さないのは、たった一つの理由からだ。彼は、自分の責任で人が死んでしまうことの悲しさを知っている。それが相容れない相手であってもだ。

「まだ、だ……! まだ、動ける……!」

 痛みを気にしている暇すらもったいない。足に力を入れ、前に進む。

「緑祁…………」

 修練はその痛ましい姿に、過去の自分を重ねていた。かつての彼も、目的のために自分のことを顧みないことがあった。
 修練と緑祁は、実は似た者同士なのかもしれない。
 普通なら、考えを共有できる。しかし今は、敵対している。【神代】に従う者と、【神代】に反する者。立場のせいだ。きっと同じ時期に生まれ出会っていたら、違った現在があったかもしれない。
 ここで修練は緑祁に対し、説得を試みる。

「さっき聞いた、君が殺した……君のせいで死んだ人物、淡島豊雲と言ったな? 緑祁、君にも謝る義務がある」
「……?」
「一緒に、『帰』を行おう、緑祁! 豊雲を蘇らせ、謝罪するのだ。それができるのは、石を持っている君と、禁霊術の行い方を知っている私だけだ!」

 心を揺さぶる言葉。緑祁の足取りが止まった。

「後悔の念があるなら、私の言っていることが理解できるはずだ」

 口には出さないが緑祁は、したくない、と思った。
 豊雲の死は、確かに後悔している。変えられなかった出来事だと、みんなに言われた。それに豊雲は重罪を犯した人物なので、救う必要がないと述べる人までいた。
 そんな言葉は望んではいなかった。
 この世はなんと理不尽なのだろうか。たった一度の躓きで、未来が真っ暗になる。過去に鎖で繋がれてしまう。現在に至るまで、背後にまとわりつく。

「僕は、何て言って欲しかったんだろう………?」

 当時のことを思い出しても、わからない。あの時何をすれば、自分は救われたのだろうか。修練が言うように、謝れば良かったのか? それとも……。

「緑祁、何故この世が理不尽なのかを教えてやろう」

 修練は語る。

「それはな、この地球という星が、不条理の惑星だからだ」


 生きる以上、やらなければいけないことがある。それは地球上に生命が誕生してから、しばらく経った際に生じた。
 当初の生物たちは、奪い合い争い合う必要はなかった。しかしその平和もすぐに崩れる。生きる以上、他の誰かから必要なものを奪うしかない。原始的な生命体ですら、行っている当たり前のことだ。
 食う者と食われる者に分かれた生物。食べられる側は相手の都合で突然命を奪われる。それまでの人生、これからの道筋を全て、一瞬にして奪われるのだ。これは理不尽以外の何物でもない。
 そんな自然界の営みを、この地球上で生物は続けてきた。当然今生きている者たちは、その生と死の境界線をくぐり抜けてきた者たちの子孫だ。時に奪い、時に奪われる。類や種が違っても、そうやって生き抜いてきたのは一緒。いいやこの時代まで来られなかった者たちだっている。

「カマキリは一度に、百匹以上生まれる。だが成長し切ることができるは、その内一、二匹程度だ。他の大多数は死ぬ。生まれた直後に鳥に啄まれ、他の虫に食われ、エサが手に入らず……。そんなカマキリだって、生きるために他の虫を襲う。小さな命ですら、理不尽で不条理な世界に生きている」

 自然界だけではないと修練は言う。人間世界でも、理不尽は付きまとう。形こそ他の生き物とは違うが、不条理なことは身の回り至る所で起きる。
 この地球上で生きているからこそ、その法則からは逃れられないのである。


「私にとってのそれは、智華子の死だった。君にとっては、豊雲の死」

 でも、その不条理に一つだけ否を唱えることができるとしたら? それは何だ?

「それが、謝るということだ」

 彼はその行為に活路を見い出した。

「過ちを認め、相手に頭を下げる。それでいい。誠意を見せることが重要だ。とても勇気のいることだろう、自分で自分の行いを否定するのだからな。だがそれができた時、人間は進化できる…! 唯一感情を抱ける者だからこそ、他者を考えることができるからこそ、行えることだ」

 それはこの暗闇の世界を切り開く希望の光。罪悪を感じることができる生き物だからこそ、可能なのだ。
 修練の話は、緑祁の心に響いた。正しいことを言っていると、確かに理解できた。
 だからこそ、言う。

「修練……。僕は頷けないよ」

 個人的に修練のことを否定したいのではない。彼の方が明らかに自分よりも正論を言っているだろう。

「過ちを受け入れることは、修練の言う通り難しい。でも謝って終わりかい? 相手に誠意を見せたら、そこで立ち止まっていいのかい? それは……」

 それは、自分の過去と向き合っていない。そう緑祁は思うのだ。

「自分の暗部も含めて、自分を構成しているんだ。誰だって心に闇がある。でも、拒否せず認めるんだ! それが、本当の希望を抱ける! 明日を掴める!」

 胸に心を当て、その中にあることを全て吐き出す。

「同じことを繰り返さない。過ちは体に魂に刻み込む。そうやって人間は、駄目な道を理解して前に進むんだ!」

 逃げない。過去を忘れろ、とは言わない。ただ、変えようがないのだから、自分で受け止めるしかないのだ。

「やはり、君はそう言うか……」

 思想発想を理解してもらえなかった修練は、別に激昂したり愕然としたりはしない。緑祁がそういう考え方をしていることは、薄々気づいていた。

「いいんだ、緑祁。私たちは似た者同士だが、わかり合うことはできない」

 謝ることで過去を清算したい修練と、過去を認め受け入れることで同じ間違いをしない道を歩む緑祁。

「勝負再開だ、緑祁。君と私、どちらかが倒れるまで……徹底的にやろう」
「負けるわけにはいかない………! 【神代】のためにも、何よりも修練のために!」

 痛みを訴える足で何とか立ち上がる。体は悲鳴を上げているが、それでも前に進まなければいけないのだ。

「な、何だ……?」

 急に懐が温かくなる。手を当ててみると、式神の札が熱を発しているのだ。

(これは……[リューイーソー]の札?)

[リューイーソー]が彼に語り掛けているのだ。この勝負に勝て、と。そのために緑祁のことを支えると、チカラで示している。
 急に体の痛みが引いた。よく見ると出血は止まって傷口も塞がっている。

(ありがとう、[リューイーソー]! これでまだ戦える! 修練のことを止められる!)

 その異変には、修練も気づいていた。今までに緑祁は慰療を使っていない。にもかかわらず、急に怪我が治っていく。そしてそれは、まだ彼が勝負を諦めていない証でもある。
 緑祁は懐に手を入れ、札を取り出した。

「これを見てくれ、修練!」

 もちろん式神の札だ。それは修練もすぐにわかった。

「今ここで式神を召喚し、勝負を有利に進める気か、緑祁? 悪くはない発想だが、私はそんな応急処置的な戦力すらも貫いてみせる」

 精神病棟で皐から聞いた話によれば、緑祁は二体の式神を所有しているらしい。苦戦を強いられている今、それに頼ってもおかしくはない……寧ろそうするのがこの場では最適解だろう。

「そんなことを言いたいんじゃない!」

 しかし緑祁が伝えたいこと。それは、

「式神は、死者の魂が元になっている。当然この、[リューイーソー]もそうだ。この式神の元になった魂は、その幽霊は……!」

 故霊。そのことを聞いた修練の表情が明らかに、動揺する方向に動いた。

「それは、あり得ないことだ」

 そう判断する理由は二つ。まず、故霊はあの世にしかいない。この世に呼ぶには、霊界重合を起こさなければいけないのだが、【神代】がそれを見逃すわけがない。実行すれば緑祁が逆にお尋ね者だ。そしてできたとしても、あの故霊が人間に打ち負かされるとはとても思えず、式神にするタイミングが来ない。
 だが、

「動いてくれたんだよ、【神代】が!」

 事実は修練の想像とは違う。最初は却下されそうだったが、何とか許可を取り付け、霊界重合を起こし故霊を呼び、そして式神にしてもらった。

「なるほど。それはつまり、君の強さを示すトロフィーということか」

 彼には、緑祁の言葉が嫌味に聞こえたかもしれない。自分が仲間を犠牲にしても祓えなかった故霊を、緑祁は式神として従えた。実力のアピールとしては十分だ。
 だがこれも、彼の考えとは異なる。

「違うよ、修練…。僕は、あの故霊とわかり合えたんだ。去年、新青森でまた霊界重合が起きた。それは蛇田正夫という人が引き起こしたんだけど、その時に全く別の幽霊も彼は繰り出したんだ」

 怪神激という名前は後から知った。とても強力な悪霊で、緑祁とその場に居合わせた外人霊能力者のフレイムだけでは歯が立たなかった。だから、霊界重合が起きていることを利用し故霊に頼ったのだ。怪神激は故霊すらも退けそうなほどの勢いだったが、緑祁は故霊に協力することで、一緒に除霊した。
 この瞬間、緑祁は故霊の闇を垣間見たのだ。性質が故に成仏できず苦しみ、辛さを分かち合う仲間もいない孤独。その闇が故霊の正体だった。
 そしてその闇を貫いたのは、拳ではなかった。心だ。相手を思う心が、故霊を延々と続く地獄の痛み悲しみから救い出す唯一の方法だったのである。
 心が通じ合えたからこそ、見出せた解決策だった。裏を返せば、戦い続けては絶対にたどり着けない選択肢。
 緑祁が修練に伝えたいのは、それだ。

「戦い続けることが必ずしも正しい道じゃない! わかり合うことができれば、答えはもっと広がる! 僕は信じたいんだ、心を通わせることの、無限の可能性を!」

 相手が誰であれ、お互いに思いやることができれば、手を取り合って前に進める。緑祁と修練という似た者同士なら、簡単にできるだろう。

「…………」

 修練は少し、黙った。目の前の青年……緑祁は本気で、自分を救う気なのだ。

「素晴らしい考えだ」

 純粋に、称賛した。彼の言葉は絵空事ではない。考えていることが読み取れそうな具合に、思い描こうとする未来のビジョンが今、ハッキリと見えた。それと同時に、緑祁とこんなに遅く出会うことになった自分の人生を運命を呪った。
 修練には、緑祁の矛盾を突くことができた。わかり合おうとしているのに、結局は一戦交えることになるのは、言っていることとやっていることが百八十度逆ではないか。しかし彼が拳を握りしめているのは、自分が始めたことに対して抵抗反撃しているだけだ。言い換えれば当然の権利か。だから指摘はせず、言う。

「いいだろう。緑祁、私を倒すことができると言うのなら! ここでやってみせるんだ。言葉と心を、今だけ拳に変えるのだ。そしてぶつかり合い、正しい方だけが残る」

 変に惑わす言葉は放たない。激励し闘志を震わせることを選んだ。

「ああ、もちろん! やってみせるよ……」

 静かに返事をする緑祁。式神の札をしまう。
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