第2話 夜の町で その1

文字数 2,577文字

「もう会えないのかな…?」

 緑祁は自室で、大学の講義資料をまとめながらそう思った。あまり人と深いかかわりを作って来なかった彼にとって、少しの間だが一緒に行動した香恵の存在は新鮮だったのだ。渇いた大地に雨という潤いを落とされたような衝撃だ。
 しかし彼のそんな心配は、すぐに吹き飛ぶ。

「また会ったわね」

 夕食を食べるために玄関から出ると、目と鼻の先に香恵がいたのだ。

「ど、どうしたの? まだ何か僕に用事が?」
「ええ。ちょうどいいわ、夜ご飯を食べに行きましょう」

 近くの中華料理屋に二人は入った。

「聞いていた修練とやらは見つかったの?」
「まだよ。岐阜にいた部下の鎌村峻は、居場所を教えられてないみたい」
「それじゃあ雲を掴むような事態になってるのか…」

 難易度が跳ね上がった。これではいくら神代が大きな霊能力者集団で、配下を束ねていても手こずるわけだ。

「僕にも協力を?」
「今日は違うわ」

 どうやら、森で回収した水晶玉のことらしい。

「峻は、屍亡者を操るのに水晶玉を使っていたの。でもその時は屍亡者には、セットされてはいなかった。森でのケースと違う点はそこね」

 それを香恵は独自に分析する。

「あの屍亡者を森に放した人物は、峻よりも手練れよ。ラジコンで言うならコントローラーをラジコンカーにつけてるようなもの。自分で制御する必要はなく、屍亡者の意のまま」
「危険だよ、それは。自分が襲われかねない」
「普通ならね。これが成立するのは、自分は霊に襲われない手段を持っている場合のみよ」
「なるほど…」

 ここまで聞けば緑祁も悟る。

「つまり今回は、その術を探ってくれってわけだね? それか、水晶玉の本当の持ち主を暴くことか」

 コクンと頷く香恵。
 実はこの依頼、断れない。

「【神代】は、その可能性が浮上した途端に手のひらを返したわ。このままでは私も緑祁も、評価はマイナスよ…」
「そんな理不尽な…。頼まれたことは最低限やったのに?」
「神代の上部はそういう連中ばかりなの」

 そして逆らうこと、歯向かうことは認められないし、できない。だから今回も緑祁が香恵と共に動く。


 夕食を済ませた二人は、近くの公園のベンチに腰掛けまたあの森に行くかどうかを話していた。

「手掛かりが何か残っているかもしれないよ」
「その可能性はもちろんあるわ。でもね、私は低いと思う」

 香恵は消極的だ。と言うもの、あの日が終わった時点で犯人は証拠を回収してしまっているだろうから。

「待って。それじゃああの森に解き放った人は……」
「青森に潜伏している、とみていいわね」

 これは持ち帰った水晶玉からもわかることだ。

「思念はそう遠くまでは届かないわ。だからいるとしたら、この町よ。あの時に誰かが私たちを見ていたとなると、今も近くにいるかも……」

 そう言われ、緑祁は立ち上がって周りを見回す。が、怪しい影はない。

「まだこれも可能性の話よ。そう決まったわけじゃないわ」
「そう…なの? 脅かさないでよ」

 話は戻る。
 もし二人が修練の手下にマークされているなら、いつ襲われてもおかしくはない。だから香恵はすぐに緑祁の元に来た。

「大丈夫だよ。そういうことなら、僕が香恵のことを守ってみせる」
「頼もしいわ、期待してる」


「いた。ではいっちょ、仕掛けるか!」

 二人がいる公園を見下ろせるビルの上に、蒼は立っていた。ここなら一方的な監視が可能だ。そして霊を解き放つことも。
 蒼は札を二枚用意した。そして両方とも破る。これで、封じ込めていた悪霊が町に放たれる。

「火の粉は消しておくこと、って言われたからね。悪いけど、邪魔になりそうなら容赦しないよ。さあ行きなさい!」


 緑祁と香恵はまだ公園にいた。どこに行こうかまだ悩んでいるのだ。

「僕は、やっぱり森かな…? 今日は香恵もハイヒールじゃなくてスニーカーだし、動けるでしょう?」
「そう? 私はあの森にはもう用はないと思うの。でも他に心当たりのある場所も知らないのよね」
「なら」

 決まりだ、と緑祁が叫ぼうとしたその時である。フェンスを破ってトラックが公園に突っ込んできたのだ。

「な、何だ…!」
「事故…?」

 反射的に香恵の前に出る緑祁。幸い、二人とトラックの間は距離が離れており無事だ。緑祁は運転席のドアを叩いた。

「大丈夫ですか?」

 窓が開き、ドライバーが、

「う、う~ん? 何か意識が突然? 俺、どうしたんだ?」

 どうやら自分が何をしたのかわかっていない様子。その理由は簡単だ。
 緑祁は、この運転手から髑髏のような魂が抜け出るのを見た。

「悪霊だ! 取り憑かれていたんだ」

 運転席から逃げた悪霊は、フワフワと浮きながら道路の方に向かう。

「ま、マズい! 香恵、危険だ」

 すぐに彼女の側に戻り、事情を説明する。すると、

「ってことは、私たちは今、見られているってことね……。でもその前に、悪霊をどうにかしないと!」

 二人は公園から出て歩道を走る。先ほど逃げ出した悪霊は、指で車を指し示すとその車が突然スリップして電信柱にぶつかる。信号機と重なれば、それがもげて道路に落ちる。

「滅茶苦茶にする気よ!」
「危ない相手だ…!」

 これに危機感を抱かない方がおかしいだろう。道路は既に荒れ、通行者の悲鳴がごった返す。それを聞いた悪霊は、有頂天になって笑う。

「思い通りにはさせないぞ」

 黙って追いかける緑祁ではない。手のひらに鬼火を出すと、それを悪霊目掛けて撃ち込む。しかしあと一歩のところで外れてしまい、木にぶつかって燃えた。それを悪霊は見て、それから緑祁たちの方を振り向く。

「気づかれたみたいよ…?」

 香恵は一歩後ずさりをした。それを悪霊は見逃さなかった。
 瞬時に悪霊は宙を舞い、香恵に近づくと彼女の体を大きな手で掴んだ。

「な、何するの! 放しなさい!」
「香恵!」

 さらうつもりなのだ。でもこの時、緑祁の隣に悪霊はいる。だから攻撃する、絶好のチャンスでもある。

「これでも…!」

 札をポケットから取り出そうとしたが、悪霊がもう片方の腕を上げると、突如緑祁に自転車が突っ込んできた。

「うわあ!」

 衝撃で地面に倒れる緑祁。

「り、緑祁…! 助けて……!」

 そのまま香恵が連れ去られてしまった。

「香恵が……そんな…」

 緑祁が立ち上がった時、悪霊は道路を曲がってビル群の中に消える。

「香恵! 香恵ぇぇ!」

 緑祁の叫び声が空しく響いた。
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