導入 その3
文字数 2,989文字
この上陸した日の夜、閻治は疲労を度返しして神蛾神社に一人で向かった。
(この島は一応、【神代】の始まりの島だからな……)
だから、ちゃんと参拝しておかないといけないと感じたのだ。
けれどもこれは変だ。彼は慶刻に、
「特に思い入れがあるわけではない」
と言っていたはずだ。それを考えるなら、この現在の【神代】から見捨てられた神社には用がないはずなのだ。いくら彼が熱心に拝む者とは言っても、こんな離れ小島の神主すらいない廃れた神社に赴く意味は薄い。
「しかし、どうしてか足を運ばずにはいられんな」
おそらく彼の性格上、そこにあるのなら行くべきと心が感じているのだろう。
いいや今回に限っては、それ以上の力が働いたと言った方がいいかもしれない。
「おや…?」
暗い夜道を進んでいると、神社の前に人影があるのが見えた。霊気を感じないので、幽霊ではなくちゃんと生きた人だ。
「……!」
閻治は思わず息を呑んだ。その後ろ姿には見覚えがあるのだ。あの黒い喪服の、ハーフアップでセミロングヘアの少女。
(霊園、公美来!)
彼女が今、閻治の前にいる。
「こんな夜中に参拝か?」
驚くことに閻治は、とても冷静だった。いつも友人や親に話しかけるような態度で、そう発言した。
「夜中じゃないといけないのよ」
振り向いた公美来も落ち着いて返事をくれた。やはり白く美しい顔で、暗闇でもそれがよく映える。
「どうして、だ?」
「私は、日の当たる道を歩けるような人じゃないから」
何やら暗部がある様子。しかし人間誰しも何かしら、闇を抱えていてもおかしくはない。小さな子供でも心に悪魔を飼っていることだって稀ではないのだ。
「太陽は尊い。その光は悪の瘴気すらも打ち消してくれよう。日の光は命にとって何にも代えがたい大切な物だ」
「まあ本当は、あまり日焼けしたくないんだけどね……」
と言って公美来は誤魔化した。閻治もはぐらかされたとわかっていて、あえて追求しなかった。
「そういうあなたはどうなの? あなたもこんな時間……日付が変わる頃に参拝する理由があるのかしら? 是非とも聞きたいわ」
腕時計を見ながら公美来は言った。こんな夜中はそもそも外出するような時間帯ではなく、しかも神社はそんな時間に訪れるような場所ですらない。
「我輩は、霊が悪さをしないように見張っておる。時として未練は、生者に危害を加える。魂というのは、理論で説明できない力を秘めておる。そしてそれを未然に防ぐのが、【神代】の役目だ」
閻治の方は回答を取り繕わなかった。
「ふふ、正直者ね」
その答えを聞いた公美来は笑い、その笑顔が閻治の心に突き刺さる。
「ねえあなた、今の【神代】はどう思う?」
「どう? だと?」
「前の代表である神代標水がこの世を去ってから、随分と優しくなった印象よ今の【神代】は。それは普通なら歓迎されることでしょうけど、気に食わないと感じる人だっていると思うわ」
公美来自身は特に違和に思っているわけではない。だが【神代】の体制が、四年前とは全然違うのだ。これに不快感を抱く人だっているかもしれないということ。
「……それが駄目なのか?」
「もしも、よ? あなたも今の富嶽の流れを汲むのなら、不満が出る可能性もあるわね。それにあなたのことを気に食わないと思う人だって、必ずこの世にはいるわ。そういう人とわかり合うって、どういうことかわかる?」
閻治は、公美来の言葉の後半の意味がわからなかった。だから前半を拾い返事をする。
「我輩が、今の流れを汲む?」
「だってあなた……。【神代】の跡継ぎでしょう?」
「何故知っておる?」
「一目見ればわかるわ。その顔に込められた力強さ。そして後ろにある二つの概念……」
一つは、跡継ぎとしての覚悟だ。閻治は将来的に、父のポジションに就く。それは全国の霊能力者を統括する使命を背負っているということ。
そしてもう一つは、怨念。かつて詠山に殺された人々の魂が、遺伝子に結びついて未だに子孫を呪わんとしている。公美来は霊障が使えない代わりに、呪いに詳しくそれをビジョンとして見ることができた。
「そういう人は、誰かの呪いに押し潰されてしまいそうだな。支える人が側にいるべきであろう」
それが【神代】の跡継ぎだったら、どんなに心強いか。公美来は感じた。
「確かにあなたが側にいたら、何も心配しなくて済みそうだわ。でも……」
「でも?」
「でも、私は明るい人じゃないのよ。暗い道を進んできて、そしてこれからも進まないといけないわ。そんなイバラにあなたを巻き込みたくないの……」
表情は歪んでいた。本心ではないことを言っているかのように。
「これを持っていれば、その道も苦しくはなかろう」
閻治は懐から札を取り出した。[マフツ]の札である。それを公美来に差し出したのだ。
「もらっていいの?」
「当然だ」
「じゃ、遠慮なくいただくわ」
受け取った公美来は書かれている文字から、式神の札であることを理解。
「本当にいいの?」
「ああ」
とても嬉しい贈り物だ。有難く公美来はそれを自分の胸ポケットに入れた。
「お礼がしたいけど、あいにく今全然持ち合わせがなくて……」
「それなら、貴様の未来でいい」
「未来……?」
「そうだ。貴様が言う、イバラの人生。我輩は怖くも何ともない。薄暗い道なんかよりも、華のある人は日の目を浴びるべきだと思うが?」
少し、公美来は考え込んだ。まるで言い訳を探しているかのように。
「私には、まだ早いわそういうこと……。あなたにもとっても多分……ね」
ようやく出た言葉が、それだ。四月から大学に通うくらい幼い公美来では、まだ人生を設計する段階まで来ていない。誘う閻治もまだ大学生。将来を語るには若過ぎる。
気まずくなったのか公美来は歩き出し、この場から去ろうとした。でもその時に閻治に、
「また、会えるといいわね。その時が来るのが、とても楽しみだわ」
とほほ笑んだ。閻治はそのほほ笑みに対し、
「そうだな。再会の日が来ることを神に祈ろう」
と返事をした。
「はあ? 会った?」
部屋に戻った閻治は、慶刻と法積から質問攻めに遭う。ことの顛末を全て説明すると慶刻が、
「どうなんだ、これ? フラれたの? それともOKなの?」
「連絡先を交換してないなら、駄目なんじゃ?」
「でも、式神持って行ったんだよな? プレゼントって嫌なら返却するだろう、普通?」
「知らん。我輩にそんなことがわかるか!」
閻治たち三人は、公美来の曖昧な態度に翻弄されている。
「しかし、あの公美来とはまた会う気がするな……」
その予感が当たるかどうかはわからない。しかしこれっきりの関係ではないと、閻治は確信している。
だが、彼女が残した言葉が気になって仕方がない。
「あなたのことを気に食わないと思う人だって、必ずこの世にはいるわ。そういう人とわかり合うって、どういうことかわかる?」
言葉通りに受け取れば、どこかに【神代】に納得できない人がいるかもしれないということになる。そして閻治とは意見が合わない人がいるということでもある。
「確かに、考えるべきことだ……」
人間には一人一人の思考回路があり、それは他人とは共有できない。だから意見が分かれるのだ。そういう人と遭遇した場合、どういう答えが必要になるのだろうか。彼は公美来の言葉で気づかされた、そういうことを想像したことがなかったことに。
(この島は一応、【神代】の始まりの島だからな……)
だから、ちゃんと参拝しておかないといけないと感じたのだ。
けれどもこれは変だ。彼は慶刻に、
「特に思い入れがあるわけではない」
と言っていたはずだ。それを考えるなら、この現在の【神代】から見捨てられた神社には用がないはずなのだ。いくら彼が熱心に拝む者とは言っても、こんな離れ小島の神主すらいない廃れた神社に赴く意味は薄い。
「しかし、どうしてか足を運ばずにはいられんな」
おそらく彼の性格上、そこにあるのなら行くべきと心が感じているのだろう。
いいや今回に限っては、それ以上の力が働いたと言った方がいいかもしれない。
「おや…?」
暗い夜道を進んでいると、神社の前に人影があるのが見えた。霊気を感じないので、幽霊ではなくちゃんと生きた人だ。
「……!」
閻治は思わず息を呑んだ。その後ろ姿には見覚えがあるのだ。あの黒い喪服の、ハーフアップでセミロングヘアの少女。
(霊園、公美来!)
彼女が今、閻治の前にいる。
「こんな夜中に参拝か?」
驚くことに閻治は、とても冷静だった。いつも友人や親に話しかけるような態度で、そう発言した。
「夜中じゃないといけないのよ」
振り向いた公美来も落ち着いて返事をくれた。やはり白く美しい顔で、暗闇でもそれがよく映える。
「どうして、だ?」
「私は、日の当たる道を歩けるような人じゃないから」
何やら暗部がある様子。しかし人間誰しも何かしら、闇を抱えていてもおかしくはない。小さな子供でも心に悪魔を飼っていることだって稀ではないのだ。
「太陽は尊い。その光は悪の瘴気すらも打ち消してくれよう。日の光は命にとって何にも代えがたい大切な物だ」
「まあ本当は、あまり日焼けしたくないんだけどね……」
と言って公美来は誤魔化した。閻治もはぐらかされたとわかっていて、あえて追求しなかった。
「そういうあなたはどうなの? あなたもこんな時間……日付が変わる頃に参拝する理由があるのかしら? 是非とも聞きたいわ」
腕時計を見ながら公美来は言った。こんな夜中はそもそも外出するような時間帯ではなく、しかも神社はそんな時間に訪れるような場所ですらない。
「我輩は、霊が悪さをしないように見張っておる。時として未練は、生者に危害を加える。魂というのは、理論で説明できない力を秘めておる。そしてそれを未然に防ぐのが、【神代】の役目だ」
閻治の方は回答を取り繕わなかった。
「ふふ、正直者ね」
その答えを聞いた公美来は笑い、その笑顔が閻治の心に突き刺さる。
「ねえあなた、今の【神代】はどう思う?」
「どう? だと?」
「前の代表である神代標水がこの世を去ってから、随分と優しくなった印象よ今の【神代】は。それは普通なら歓迎されることでしょうけど、気に食わないと感じる人だっていると思うわ」
公美来自身は特に違和に思っているわけではない。だが【神代】の体制が、四年前とは全然違うのだ。これに不快感を抱く人だっているかもしれないということ。
「……それが駄目なのか?」
「もしも、よ? あなたも今の富嶽の流れを汲むのなら、不満が出る可能性もあるわね。それにあなたのことを気に食わないと思う人だって、必ずこの世にはいるわ。そういう人とわかり合うって、どういうことかわかる?」
閻治は、公美来の言葉の後半の意味がわからなかった。だから前半を拾い返事をする。
「我輩が、今の流れを汲む?」
「だってあなた……。【神代】の跡継ぎでしょう?」
「何故知っておる?」
「一目見ればわかるわ。その顔に込められた力強さ。そして後ろにある二つの概念……」
一つは、跡継ぎとしての覚悟だ。閻治は将来的に、父のポジションに就く。それは全国の霊能力者を統括する使命を背負っているということ。
そしてもう一つは、怨念。かつて詠山に殺された人々の魂が、遺伝子に結びついて未だに子孫を呪わんとしている。公美来は霊障が使えない代わりに、呪いに詳しくそれをビジョンとして見ることができた。
「そういう人は、誰かの呪いに押し潰されてしまいそうだな。支える人が側にいるべきであろう」
それが【神代】の跡継ぎだったら、どんなに心強いか。公美来は感じた。
「確かにあなたが側にいたら、何も心配しなくて済みそうだわ。でも……」
「でも?」
「でも、私は明るい人じゃないのよ。暗い道を進んできて、そしてこれからも進まないといけないわ。そんなイバラにあなたを巻き込みたくないの……」
表情は歪んでいた。本心ではないことを言っているかのように。
「これを持っていれば、その道も苦しくはなかろう」
閻治は懐から札を取り出した。[マフツ]の札である。それを公美来に差し出したのだ。
「もらっていいの?」
「当然だ」
「じゃ、遠慮なくいただくわ」
受け取った公美来は書かれている文字から、式神の札であることを理解。
「本当にいいの?」
「ああ」
とても嬉しい贈り物だ。有難く公美来はそれを自分の胸ポケットに入れた。
「お礼がしたいけど、あいにく今全然持ち合わせがなくて……」
「それなら、貴様の未来でいい」
「未来……?」
「そうだ。貴様が言う、イバラの人生。我輩は怖くも何ともない。薄暗い道なんかよりも、華のある人は日の目を浴びるべきだと思うが?」
少し、公美来は考え込んだ。まるで言い訳を探しているかのように。
「私には、まだ早いわそういうこと……。あなたにもとっても多分……ね」
ようやく出た言葉が、それだ。四月から大学に通うくらい幼い公美来では、まだ人生を設計する段階まで来ていない。誘う閻治もまだ大学生。将来を語るには若過ぎる。
気まずくなったのか公美来は歩き出し、この場から去ろうとした。でもその時に閻治に、
「また、会えるといいわね。その時が来るのが、とても楽しみだわ」
とほほ笑んだ。閻治はそのほほ笑みに対し、
「そうだな。再会の日が来ることを神に祈ろう」
と返事をした。
「はあ? 会った?」
部屋に戻った閻治は、慶刻と法積から質問攻めに遭う。ことの顛末を全て説明すると慶刻が、
「どうなんだ、これ? フラれたの? それともOKなの?」
「連絡先を交換してないなら、駄目なんじゃ?」
「でも、式神持って行ったんだよな? プレゼントって嫌なら返却するだろう、普通?」
「知らん。我輩にそんなことがわかるか!」
閻治たち三人は、公美来の曖昧な態度に翻弄されている。
「しかし、あの公美来とはまた会う気がするな……」
その予感が当たるかどうかはわからない。しかしこれっきりの関係ではないと、閻治は確信している。
だが、彼女が残した言葉が気になって仕方がない。
「あなたのことを気に食わないと思う人だって、必ずこの世にはいるわ。そういう人とわかり合うって、どういうことかわかる?」
言葉通りに受け取れば、どこかに【神代】に納得できない人がいるかもしれないということになる。そして閻治とは意見が合わない人がいるということでもある。
「確かに、考えるべきことだ……」
人間には一人一人の思考回路があり、それは他人とは共有できない。だから意見が分かれるのだ。そういう人と遭遇した場合、どういう答えが必要になるのだろうか。彼は公美来の言葉で気づかされた、そういうことを想像したことがなかったことに。