第18話 浅葱の輪舞曲 その3
文字数 6,013文字
「今のがあんたの得意技なのよね?」
だが蒼の方は、緑祁が今捨てた戦法を選べる。彼の前まで駆け寄ると、
「でいあぁあああ!」
腹にパンチを入れた。
「ぶうう!」
強烈な痛みが体を貫通したかに思えた。これでも実は、加減しているのだ。今の緑祁の体は完全に戦える状態ではない。それはこちらから強い攻撃ができないことだけを意味しているのではなく、向こうから弱い攻撃を加えられると過剰に反応してしまうことも表している。
揺らついた体にさらに攻撃を加える蒼。素早い蹴りで緑祁の足元を崩した。
「飛び道具の類を私が使わなければ、あんたのお得意の水蒸気爆発も勝利を導いてはくれない、わね!」
蒼の手が雪で凍り、鋭い手刀が生み出される。乱舞と雪の氷柱の合わせ技、氷斬刀だ。これを振り下ろすだけで、この戦いに決着をつけることが可能だ。無理に長引かせる理由もないので、彼女は腕を振り下ろした。
「まだ、だ……!」
「何っ!」
緑祁は鋭利な手刀を、なんと腕でガードした。当然防げるはずがないのだが、さっき温室ハウスに投げつけられた時に突き刺さったガラスが、氷斬刀を弾いたのである。
「まだ、勝負は僕を見捨てていない! まだ、勝てる!」
「ふーん、粘るわねえ……」
もう一度、立ち上がる。目の前には当然、蒼がいる。だがそれでいい。
「どおおおおおおおお!」
旋風だ。今緑祁が倒れているこの場は、さっきまでガラス張りの温室ハウスが建っていた。ガラスは砕け散ったが、破片は付近に散らばっている。大きな破片よりも、小粒の方が好ましい。旋風で舞い上がり、立っている蒼だけを襲う。
「痛っ!」
今、顔に何個かぶつかった。反射的に蒼は瞼を閉じ手で顔を覆う。
「ここだ……!」
立ち上がると同時に、
「霊障合体・台風」
手のひらで嵐を起こし、ぶつけた。
「な、何を、この!」
蒼も反撃する。まだ目は閉じているので、かなり大雑把に拳を振る程度しかできない。緑祁からすれば、十分に避けられる動きだ。
(今のうちだ、ここを離れよう! とにかく、距離を取るんだ!)
風が収まった時、既に緑祁は十メートルは蒼から離れていた。蒼は自分の目や顔、体がガラスの破片で傷ついていないことを手で触り慰療を使って確認すると、
「油断したわ」
正直に心境を打ち明けた。何故そんなことをするのか。
「勝てて当然の相手、っていう認識が良くないってことよね。ありとあらゆる可能性……それこそ、負ける確率も考慮して対処しないと、勝利は掴めないわ」
素直に認めている。
緑祁は連戦で疲れ切っている。そんな相手など、恐れるに値しないと蒼は言った。その傲慢な態度のせいで、まだ勝てていない。相手のことを打ち破れていないのは、他の誰でもない自分の責任だ。
「死にゆくトラにも手を抜かず全力で立ち向かうべきなんだわ!」
だから、ここで考えを改める。あえて口に出して言うことで、自分に言い聞かせる。懐から霊魂の札を取り出し、雪を加えて放った。
「霊障合体・雪達磨!」
野球ボールくらいの大きさの雪玉が大量に緑祁に押し寄せる。
(どういうことだ?)
この意図が読み取れず、困惑した。雪達磨なら、水蒸気爆発で跳ね返せる。蒼がそれを知らないなんて、あり得るのだろうか?
「そういう手は、効かないよ!」
もちろん水蒸気爆発を使い、雪玉の進行方向を真逆にした。逆に蒼が雪達磨に襲われるわけだが、
「私の拳の方が、こんな雪達磨よりも固いわ」
自分に向かってくる雪玉を片っ端から、ジャブで壊しながら進む。だから特に問題がないようだ。
徐々に近づいてくる蒼。もちろん緑祁はそれに応じて距離を保つために離れるのだが、
「っわ!」
いきなり滑って転んだ。何も踏んでいないはずだが、足が予期せず動いたのだ。
「こ、これは!」
そして転んでみて、彼女の行動の意味を理解した。地面が凍結している。間違いなく、蒼の雪の仕業だ。雪達磨はカモフラージュであり、囮であり、そして本命でもあった。
隙を作らせ、蒼が接近してくる。
「緑祁! 戦う相手にロックオンするのはいいことよね! でも周りが疎かになっていたんじゃないの?」
「く、来るか……!」
そのまま、立ち上がろうとした緑祁に体当たりした。乱舞によって底上げされた身体能力と筋力でぶつかられるので、衝突でダメージを受けるのは緑祁だけ。また地面に落ちる。
(しまった、早く立ち上がらないと……)
追撃はない。疲れで泣く足で我慢しながら踏ん張り、冷たいのを我慢し凍結した地面に手を置いて力を入れ、起き上がろうとする。
「えっ………」
その時、蒼のとある動作が目に入った。
蒼は自分の袖の中に、札を入れていた。
緑祁はそれを以前見たことがあるわけではない。しかし、ある程度は察することができる。何かの準備……まだ繰り出していない霊障合体を使うつもりなのだ。
(それってつまり………)
霊魂は基本的に、札から出す。しかしそうではないやり方を一度だけ見たことがある。忘れもしない、一年前の霊能力者大会の、福島での出来事。あの時、岬は手のひらから霊魂を撃ち出していた。
「闘撃波弾………!」
緑祁が口にしたその言葉は、逆に彼の体の中に戻って心臓を鷲掴みにし肝を磨り潰した。
あの夜、手も足も出なかった霊障合体が闘撃波弾だ。水蒸気爆発で跳ね返せず、陽炎で軌道を歪ませることもできない、しかし破壊力はあり得ないくらいに高い。
それを蒼は、緑祁へのトドメとして使おうとしているのだ。命を奪うほどの威力は出さないかもしれないが、今の自分にとっては……いいや今じゃないベストコンディションの時ですらも、一発当たっただけで致命傷ですら幸運と思わせるほどにヤバい。
(どうする? どうするのが、百点満点の解答なんだ?)
答えがわからない。だから、何をすべきなのかも靄がかかって見えてこない。
しかしだからと言って、白紙のまま解答用紙を提出するわけにもいかない。
「くらいなさい、緑祁!」
手のひらが緑祁の方を向いた瞬間、そこから乱舞の加わった霊魂が発射される。
「うががああああああああああああああああ!」
緑祁の喉が唸る。雄叫びが体を無理にでも動かし、転びながらだが何とか避ける。
(威力は?)
反射的に闘撃波弾の軌道を目で追った。道のわきに止められていた大きめの自転車が、たったの一撃で粉々に破壊される。サドルやハンドルすら原型をとどめていないのだ。
(………やはり、つまりは当たってはいけない…!)
負の方向に確信できてしまう。闘撃波弾は必ずかわす。
第二弾が発射される前に、地面に落ちた体を何とか立て直した。しかし足はフラフラだ。
「無様ね、緑祁!」
蒼じゃなくても今の彼を見ればそう言うだろう。対処できないことに対し、逃げることしかしないのだから。負けたくないがために醜くもがく。そうすればするほど、勝利は遠ざかっていくというのに。
「いいや……!」
だが緑祁は強く反論した。まだ、負けたと決まったわけではない。ここからの逆転は針の穴に糸を通すほどに難しいことだが、それは完全にできないことではないはずだ。
(近づいては、駄目だ。蒼には乱舞があるから、力押しでは確実に負ける! ならば遠距離攻撃か……?)
その線は薄い。飛び道具の勝負では、闘撃波弾を上回る一手がなければ勝てないが、緑祁の霊障合体は全て押し負けてしまう。
言葉にすれば、一言で表せる状況だ。絶望。
「フハハハハハ! もう一撃!」
また、蒼は手のひらをこちらに見せた。そして放たれる闘撃波弾。
「ずおおおおおお!」
体を思い切り横滑りさせて、紙一重でかわす。闘撃波弾の方は校舎の、開かずの扉に激突して破壊した。
(もう何十年も動かせないと先輩が言っていた、あの扉が!)
完全にひしゃげたその様は、まるで車でも突っ込んできたかのようだった。建物の中の廊下が丸見えだ。
「これでもまだ! まだ、私に勝つつもりなのかしら? それは賢くない、わね?」
もうそれは無理なのだ。彼女はわかっている。緑祁がどんな戦術を繰り出そうと、全て闘撃波弾が解決してくれる。もはや負ける理由も要因もない。
(それは違うよ……)
緑祁は思い出した。闘撃波弾は霊魂が必要で、それは札に依存している。その札を破壊してしまえばいいのだ。鬼火で袖ごと焼くのが一番手っ取り早い。現に岬との戦いでは紫電と協力し、撃てないようにさせたではないか。今度は一人でやらなければならないが、
(大丈夫、できる……!)
疲弊に加えて負傷している身ではあるが、首は横には振らない。
そうと決まれば、どうやって鬼火を蒼に通すかを考える。離れて火災旋風を使っても、彼女には効かない。
(前提から、間違っているんだ。それは! 常識は壊してなんぼだ! 相手が驚愕する手を使った方が、勝つ……!)
危険なのは百も承知だ。わかっていて、緑祁は、
「まあ! そんな大胆なことができるとは……! 驚きだわね……」
蒼に近づくことを選ぶ。
(自分で、当ててください、って言っているようなものだわ!)
的との距離が勝手に縮まっていくのだから、当然彼女はそう思う。事実、そんな相手に命中させることは容易い。
「もらったわ!」
トドメの一撃を用意した。特別、大き目の霊魂に乱舞を念じ、撃ち出す。
「それっえ!」
すると途端に緑祁は足の向きを変えた。闘撃波弾は緑祁の後ろにあった自動車に着弾し、数十メートルほど吹っ飛ばした。
(やっぱり、逃げるわよね…。呆れるわ、自信満々の癖して、それなんて……)
ガッカリさせられる。しかも向かった先には大きな樹木があり、緑祁はその陰に隠れた。木を盾にしてやり過ごすつもりなのかと思うと、さらに浅はかに感じる。
「もう、終わらせるわよ! 緑祁!」
打つ手がない。それはもうわかり切ったこと。闘撃波弾であれば直径がマンホールくらいの木なんて、へし折ることは簡単だ。
「裸にしてやるわ!」
すぐさま次の弾を発射し、木を根元からへし折る……というより部分的に破壊し崩壊させる。支えを失った木が倒れる時、幹の向こう側が見えた。
「……は?」
あるはずの彼の姿が、ない。近くに隠れられそうな物もない。では、この場から逃げたか? あれだけ疲労している体では、素早く動くことなど不可能なはずだ。
「でも、いないわけが……」
ハッとなる。
「まさか!」
その悪い予感が当たった。反射的に上を見る。
「ぬおおお! こっちだっ!」
緑祁は何と、木に登っていた。
蒼に近づき彼女の札を袖ごと燃やすには、不意を突くしかない。しかし、姿を見られている状態で距離を詰めても、あっさりとあしらわれて緑祁の鬼火は絶対に届かないだろう。見失わせつつ、一気に近づく。ちょうど、彼女は闘撃波弾の発射には躊躇しないので、それを利用する。樹上で蒼が手のひらを木に向けた時、緑祁は、
(それをやると思っていた!)
策が決まったことを確信できた。後は木と共に蒼目掛けて倒れ落ちるだけだ。支えを失った木の軌道は旋風でコントロールできるので、必ず彼女のいる方向に倒れる。
「緑祁ぇええ!」
「そこだ! 行けええええええ!」
すれ違いざまの攻防。蒼の勘は素晴らしく、即座に緑祁の居場所を察知できていた。だが、腕の動きは緑祁の方が早かった。一瞬の差が、制する者を決める。
「何っ! わわっ!」
鬼火を付けられ燃え始める蒼の袖。霊障による炎上のためか、腕を振り回しても中々消えない。
(ま、マズい! 非常にマズいわ、これは……!)
火傷は慰療で何とかなる。だが、霊魂の札が焼け焦げてしまうことが致命的だ。早く鎮火しないと手遅れになってしまう。
「なら、雪で!」
雪の結晶を生み出し、これで消火できないかと試みるが、
「そうはさせない!」
「ああっ……!」
緑祁が台風を繰り出し、風に乗り暴れ渦巻く水流がその結晶を彼女の手から弾き飛ばす。
(消火器とか、ないの? ここ、大学でしょ! あるはず!)
設備が整っているはずだが、近くにはない。グズグズしていると札が全部、燃えてしまう。それだけではない。緑祁が追撃してくるかもしれないと思うと、尚更焦る。
「これで闘撃波弾はもう、撃てなくなった! 蒼! そっちの切り札は封じた!」
「くっ」
慌てる蒼。ここで彼女は貴重な発見をした。
(この手がある……!)
それは、土だ。この大学、敷地内には結構自然がある。木や草花が、豊かな土に根を張り生い茂っている。そこに腕を突き刺すのだ。
「あまり調子に乗っていると、怒るわよ!」
水や薬剤なんかかけなくても、火は消せる。周囲の空気をなくしてしまえばいいのだ。乱舞を用いれば一気に肘まで土に埋まるほどの勢いが出せる。
「そう来たか!」
引っこ抜くと、もう炎がなくなっていた。蒼は腕を撫で、慰療で火傷を治した。
「でも……霊魂の札までは戻らないはずだ! もう、闘撃波弾は撃てない! そうだろう!」
「うるさいわっ…!」
怒鳴りながら手のひらを突き出す。が、何も起きない。
(上手くいった! 袖に入れてあった札は、今ので全部燃え尽きた! ここから逆転すれば……!)
勝利への希望はまだ残されている。しかし蒼は、
「何を喜んでいるのよ? 確かに闘撃波弾は使えなくなっているわね。でも! それで勝ったつもり? 勝負は振り出しに戻った、ただそれだけよ?」
その通りでもある。しかもただ最初からというわけではない。闘撃波弾を避け、排除することに労力を注いだ分、また体の動きが鈍く、感度は高くなる。事実、今呼吸を乱しているのは緑祁の方だ。
「今、確かに私は闘撃波弾を失ったわ。でもね、勝負の風下にいるのは緑祁! あんただ! 頑張ったところで、霊障合体一つ潰しただけに過ぎない現実を少しは嚙み締めたらどうなの?」
蒼の方は他の霊障も使えるし、何より緑祁よりも疲れていなければ負傷もしていない。ここから負ける方法を考えることの方が難しい状況だ。
が、
「何なの、その目は?」
緑祁の瞳から、煌く炎は消えていない。諦めることを選んでいない。本気で、ここから逆転し勝利するつもりなのだ。
(そんなの、無理に決まってるわ……!)
そうだ、不可能だ。もしここがリングの上で、観客が取り囲んでいるとしたら、全員が緑祁の負けを感じているだろう。判定負け……セコンドがタオルを投げるレベルだ。
だがたった一人だけ、見ているものが違う。
(背負ってる物の重さが違うとでも言いたいワケ? 自分が正義だから、諦められないと? 私たちを捕まえることだけは、死んでもやり遂げたいって?)
馬鹿馬鹿しい、と蒼はその発想を否定した。誰にだって譲れないものがある。緑祁にとってそれが【神代】の任務だというのなら、彼女にとっては修練の目的の達成。大きな組織の使い走りをさせられている彼よりも重大な役割を担っていると自負できる。だから尚更、負けてやる道理がない。
だが蒼の方は、緑祁が今捨てた戦法を選べる。彼の前まで駆け寄ると、
「でいあぁあああ!」
腹にパンチを入れた。
「ぶうう!」
強烈な痛みが体を貫通したかに思えた。これでも実は、加減しているのだ。今の緑祁の体は完全に戦える状態ではない。それはこちらから強い攻撃ができないことだけを意味しているのではなく、向こうから弱い攻撃を加えられると過剰に反応してしまうことも表している。
揺らついた体にさらに攻撃を加える蒼。素早い蹴りで緑祁の足元を崩した。
「飛び道具の類を私が使わなければ、あんたのお得意の水蒸気爆発も勝利を導いてはくれない、わね!」
蒼の手が雪で凍り、鋭い手刀が生み出される。乱舞と雪の氷柱の合わせ技、氷斬刀だ。これを振り下ろすだけで、この戦いに決着をつけることが可能だ。無理に長引かせる理由もないので、彼女は腕を振り下ろした。
「まだ、だ……!」
「何っ!」
緑祁は鋭利な手刀を、なんと腕でガードした。当然防げるはずがないのだが、さっき温室ハウスに投げつけられた時に突き刺さったガラスが、氷斬刀を弾いたのである。
「まだ、勝負は僕を見捨てていない! まだ、勝てる!」
「ふーん、粘るわねえ……」
もう一度、立ち上がる。目の前には当然、蒼がいる。だがそれでいい。
「どおおおおおおおお!」
旋風だ。今緑祁が倒れているこの場は、さっきまでガラス張りの温室ハウスが建っていた。ガラスは砕け散ったが、破片は付近に散らばっている。大きな破片よりも、小粒の方が好ましい。旋風で舞い上がり、立っている蒼だけを襲う。
「痛っ!」
今、顔に何個かぶつかった。反射的に蒼は瞼を閉じ手で顔を覆う。
「ここだ……!」
立ち上がると同時に、
「霊障合体・台風」
手のひらで嵐を起こし、ぶつけた。
「な、何を、この!」
蒼も反撃する。まだ目は閉じているので、かなり大雑把に拳を振る程度しかできない。緑祁からすれば、十分に避けられる動きだ。
(今のうちだ、ここを離れよう! とにかく、距離を取るんだ!)
風が収まった時、既に緑祁は十メートルは蒼から離れていた。蒼は自分の目や顔、体がガラスの破片で傷ついていないことを手で触り慰療を使って確認すると、
「油断したわ」
正直に心境を打ち明けた。何故そんなことをするのか。
「勝てて当然の相手、っていう認識が良くないってことよね。ありとあらゆる可能性……それこそ、負ける確率も考慮して対処しないと、勝利は掴めないわ」
素直に認めている。
緑祁は連戦で疲れ切っている。そんな相手など、恐れるに値しないと蒼は言った。その傲慢な態度のせいで、まだ勝てていない。相手のことを打ち破れていないのは、他の誰でもない自分の責任だ。
「死にゆくトラにも手を抜かず全力で立ち向かうべきなんだわ!」
だから、ここで考えを改める。あえて口に出して言うことで、自分に言い聞かせる。懐から霊魂の札を取り出し、雪を加えて放った。
「霊障合体・雪達磨!」
野球ボールくらいの大きさの雪玉が大量に緑祁に押し寄せる。
(どういうことだ?)
この意図が読み取れず、困惑した。雪達磨なら、水蒸気爆発で跳ね返せる。蒼がそれを知らないなんて、あり得るのだろうか?
「そういう手は、効かないよ!」
もちろん水蒸気爆発を使い、雪玉の進行方向を真逆にした。逆に蒼が雪達磨に襲われるわけだが、
「私の拳の方が、こんな雪達磨よりも固いわ」
自分に向かってくる雪玉を片っ端から、ジャブで壊しながら進む。だから特に問題がないようだ。
徐々に近づいてくる蒼。もちろん緑祁はそれに応じて距離を保つために離れるのだが、
「っわ!」
いきなり滑って転んだ。何も踏んでいないはずだが、足が予期せず動いたのだ。
「こ、これは!」
そして転んでみて、彼女の行動の意味を理解した。地面が凍結している。間違いなく、蒼の雪の仕業だ。雪達磨はカモフラージュであり、囮であり、そして本命でもあった。
隙を作らせ、蒼が接近してくる。
「緑祁! 戦う相手にロックオンするのはいいことよね! でも周りが疎かになっていたんじゃないの?」
「く、来るか……!」
そのまま、立ち上がろうとした緑祁に体当たりした。乱舞によって底上げされた身体能力と筋力でぶつかられるので、衝突でダメージを受けるのは緑祁だけ。また地面に落ちる。
(しまった、早く立ち上がらないと……)
追撃はない。疲れで泣く足で我慢しながら踏ん張り、冷たいのを我慢し凍結した地面に手を置いて力を入れ、起き上がろうとする。
「えっ………」
その時、蒼のとある動作が目に入った。
蒼は自分の袖の中に、札を入れていた。
緑祁はそれを以前見たことがあるわけではない。しかし、ある程度は察することができる。何かの準備……まだ繰り出していない霊障合体を使うつもりなのだ。
(それってつまり………)
霊魂は基本的に、札から出す。しかしそうではないやり方を一度だけ見たことがある。忘れもしない、一年前の霊能力者大会の、福島での出来事。あの時、岬は手のひらから霊魂を撃ち出していた。
「闘撃波弾………!」
緑祁が口にしたその言葉は、逆に彼の体の中に戻って心臓を鷲掴みにし肝を磨り潰した。
あの夜、手も足も出なかった霊障合体が闘撃波弾だ。水蒸気爆発で跳ね返せず、陽炎で軌道を歪ませることもできない、しかし破壊力はあり得ないくらいに高い。
それを蒼は、緑祁へのトドメとして使おうとしているのだ。命を奪うほどの威力は出さないかもしれないが、今の自分にとっては……いいや今じゃないベストコンディションの時ですらも、一発当たっただけで致命傷ですら幸運と思わせるほどにヤバい。
(どうする? どうするのが、百点満点の解答なんだ?)
答えがわからない。だから、何をすべきなのかも靄がかかって見えてこない。
しかしだからと言って、白紙のまま解答用紙を提出するわけにもいかない。
「くらいなさい、緑祁!」
手のひらが緑祁の方を向いた瞬間、そこから乱舞の加わった霊魂が発射される。
「うががああああああああああああああああ!」
緑祁の喉が唸る。雄叫びが体を無理にでも動かし、転びながらだが何とか避ける。
(威力は?)
反射的に闘撃波弾の軌道を目で追った。道のわきに止められていた大きめの自転車が、たったの一撃で粉々に破壊される。サドルやハンドルすら原型をとどめていないのだ。
(………やはり、つまりは当たってはいけない…!)
負の方向に確信できてしまう。闘撃波弾は必ずかわす。
第二弾が発射される前に、地面に落ちた体を何とか立て直した。しかし足はフラフラだ。
「無様ね、緑祁!」
蒼じゃなくても今の彼を見ればそう言うだろう。対処できないことに対し、逃げることしかしないのだから。負けたくないがために醜くもがく。そうすればするほど、勝利は遠ざかっていくというのに。
「いいや……!」
だが緑祁は強く反論した。まだ、負けたと決まったわけではない。ここからの逆転は針の穴に糸を通すほどに難しいことだが、それは完全にできないことではないはずだ。
(近づいては、駄目だ。蒼には乱舞があるから、力押しでは確実に負ける! ならば遠距離攻撃か……?)
その線は薄い。飛び道具の勝負では、闘撃波弾を上回る一手がなければ勝てないが、緑祁の霊障合体は全て押し負けてしまう。
言葉にすれば、一言で表せる状況だ。絶望。
「フハハハハハ! もう一撃!」
また、蒼は手のひらをこちらに見せた。そして放たれる闘撃波弾。
「ずおおおおおお!」
体を思い切り横滑りさせて、紙一重でかわす。闘撃波弾の方は校舎の、開かずの扉に激突して破壊した。
(もう何十年も動かせないと先輩が言っていた、あの扉が!)
完全にひしゃげたその様は、まるで車でも突っ込んできたかのようだった。建物の中の廊下が丸見えだ。
「これでもまだ! まだ、私に勝つつもりなのかしら? それは賢くない、わね?」
もうそれは無理なのだ。彼女はわかっている。緑祁がどんな戦術を繰り出そうと、全て闘撃波弾が解決してくれる。もはや負ける理由も要因もない。
(それは違うよ……)
緑祁は思い出した。闘撃波弾は霊魂が必要で、それは札に依存している。その札を破壊してしまえばいいのだ。鬼火で袖ごと焼くのが一番手っ取り早い。現に岬との戦いでは紫電と協力し、撃てないようにさせたではないか。今度は一人でやらなければならないが、
(大丈夫、できる……!)
疲弊に加えて負傷している身ではあるが、首は横には振らない。
そうと決まれば、どうやって鬼火を蒼に通すかを考える。離れて火災旋風を使っても、彼女には効かない。
(前提から、間違っているんだ。それは! 常識は壊してなんぼだ! 相手が驚愕する手を使った方が、勝つ……!)
危険なのは百も承知だ。わかっていて、緑祁は、
「まあ! そんな大胆なことができるとは……! 驚きだわね……」
蒼に近づくことを選ぶ。
(自分で、当ててください、って言っているようなものだわ!)
的との距離が勝手に縮まっていくのだから、当然彼女はそう思う。事実、そんな相手に命中させることは容易い。
「もらったわ!」
トドメの一撃を用意した。特別、大き目の霊魂に乱舞を念じ、撃ち出す。
「それっえ!」
すると途端に緑祁は足の向きを変えた。闘撃波弾は緑祁の後ろにあった自動車に着弾し、数十メートルほど吹っ飛ばした。
(やっぱり、逃げるわよね…。呆れるわ、自信満々の癖して、それなんて……)
ガッカリさせられる。しかも向かった先には大きな樹木があり、緑祁はその陰に隠れた。木を盾にしてやり過ごすつもりなのかと思うと、さらに浅はかに感じる。
「もう、終わらせるわよ! 緑祁!」
打つ手がない。それはもうわかり切ったこと。闘撃波弾であれば直径がマンホールくらいの木なんて、へし折ることは簡単だ。
「裸にしてやるわ!」
すぐさま次の弾を発射し、木を根元からへし折る……というより部分的に破壊し崩壊させる。支えを失った木が倒れる時、幹の向こう側が見えた。
「……は?」
あるはずの彼の姿が、ない。近くに隠れられそうな物もない。では、この場から逃げたか? あれだけ疲労している体では、素早く動くことなど不可能なはずだ。
「でも、いないわけが……」
ハッとなる。
「まさか!」
その悪い予感が当たった。反射的に上を見る。
「ぬおおお! こっちだっ!」
緑祁は何と、木に登っていた。
蒼に近づき彼女の札を袖ごと燃やすには、不意を突くしかない。しかし、姿を見られている状態で距離を詰めても、あっさりとあしらわれて緑祁の鬼火は絶対に届かないだろう。見失わせつつ、一気に近づく。ちょうど、彼女は闘撃波弾の発射には躊躇しないので、それを利用する。樹上で蒼が手のひらを木に向けた時、緑祁は、
(それをやると思っていた!)
策が決まったことを確信できた。後は木と共に蒼目掛けて倒れ落ちるだけだ。支えを失った木の軌道は旋風でコントロールできるので、必ず彼女のいる方向に倒れる。
「緑祁ぇええ!」
「そこだ! 行けええええええ!」
すれ違いざまの攻防。蒼の勘は素晴らしく、即座に緑祁の居場所を察知できていた。だが、腕の動きは緑祁の方が早かった。一瞬の差が、制する者を決める。
「何っ! わわっ!」
鬼火を付けられ燃え始める蒼の袖。霊障による炎上のためか、腕を振り回しても中々消えない。
(ま、マズい! 非常にマズいわ、これは……!)
火傷は慰療で何とかなる。だが、霊魂の札が焼け焦げてしまうことが致命的だ。早く鎮火しないと手遅れになってしまう。
「なら、雪で!」
雪の結晶を生み出し、これで消火できないかと試みるが、
「そうはさせない!」
「ああっ……!」
緑祁が台風を繰り出し、風に乗り暴れ渦巻く水流がその結晶を彼女の手から弾き飛ばす。
(消火器とか、ないの? ここ、大学でしょ! あるはず!)
設備が整っているはずだが、近くにはない。グズグズしていると札が全部、燃えてしまう。それだけではない。緑祁が追撃してくるかもしれないと思うと、尚更焦る。
「これで闘撃波弾はもう、撃てなくなった! 蒼! そっちの切り札は封じた!」
「くっ」
慌てる蒼。ここで彼女は貴重な発見をした。
(この手がある……!)
それは、土だ。この大学、敷地内には結構自然がある。木や草花が、豊かな土に根を張り生い茂っている。そこに腕を突き刺すのだ。
「あまり調子に乗っていると、怒るわよ!」
水や薬剤なんかかけなくても、火は消せる。周囲の空気をなくしてしまえばいいのだ。乱舞を用いれば一気に肘まで土に埋まるほどの勢いが出せる。
「そう来たか!」
引っこ抜くと、もう炎がなくなっていた。蒼は腕を撫で、慰療で火傷を治した。
「でも……霊魂の札までは戻らないはずだ! もう、闘撃波弾は撃てない! そうだろう!」
「うるさいわっ…!」
怒鳴りながら手のひらを突き出す。が、何も起きない。
(上手くいった! 袖に入れてあった札は、今ので全部燃え尽きた! ここから逆転すれば……!)
勝利への希望はまだ残されている。しかし蒼は、
「何を喜んでいるのよ? 確かに闘撃波弾は使えなくなっているわね。でも! それで勝ったつもり? 勝負は振り出しに戻った、ただそれだけよ?」
その通りでもある。しかもただ最初からというわけではない。闘撃波弾を避け、排除することに労力を注いだ分、また体の動きが鈍く、感度は高くなる。事実、今呼吸を乱しているのは緑祁の方だ。
「今、確かに私は闘撃波弾を失ったわ。でもね、勝負の風下にいるのは緑祁! あんただ! 頑張ったところで、霊障合体一つ潰しただけに過ぎない現実を少しは嚙み締めたらどうなの?」
蒼の方は他の霊障も使えるし、何より緑祁よりも疲れていなければ負傷もしていない。ここから負ける方法を考えることの方が難しい状況だ。
が、
「何なの、その目は?」
緑祁の瞳から、煌く炎は消えていない。諦めることを選んでいない。本気で、ここから逆転し勝利するつもりなのだ。
(そんなの、無理に決まってるわ……!)
そうだ、不可能だ。もしここがリングの上で、観客が取り囲んでいるとしたら、全員が緑祁の負けを感じているだろう。判定負け……セコンドがタオルを投げるレベルだ。
だがたった一人だけ、見ているものが違う。
(背負ってる物の重さが違うとでも言いたいワケ? 自分が正義だから、諦められないと? 私たちを捕まえることだけは、死んでもやり遂げたいって?)
馬鹿馬鹿しい、と蒼はその発想を否定した。誰にだって譲れないものがある。緑祁にとってそれが【神代】の任務だというのなら、彼女にとっては修練の目的の達成。大きな組織の使い走りをさせられている彼よりも重大な役割を担っていると自負できる。だから尚更、負けてやる道理がない。