第1話 覚悟の朝 その2
文字数 3,101文字
最後の火が消えた時、既に周りが明るくなっていた。
「ふああ、眠い……」
「帰ったら、予定の時間まで寝てましょう。私はコタツでいいから、緑祁はベッドで」
「そうだね。でもまずは帰らないと」
その前に神社の息子にしっかりと依頼完了の挨拶だ。
「あっちに塚があるから、そっちに灰を埋めたい。それも手伝ってくれる?」
「いいよ。スコップとかはある?」
スコップは二本あった。猫車にその灰を入れ、それを押して塚の方に向かう。
「埋める時も供養のために読経するよ。後から呪いが蘇りました、って、ないとは思うけど念のためにね」
「いや~ありがたい!」
猫車を押すのは緑祁だ。お焚き上げの前はあれだけの量だったのに、燃えてしまえばそれが嘘のように軽い。
(人の思いも儚いんだね……。酷い恨みや深い妬みがあっても、燃えてしまえば灰と同じだ。全部、無意味になるんだ……)
車輪はカラカラと音を立てながら回る。
「ここだよ」
その塚は見た感じ、ただの山に見える。
「今までお焚き上げしたものの灰は全部、ここに埋められてるんだ」
それはさっき緑祁が焼いたような、邪念が込められているものが多かった。しかし今は何の未練も感じない。ちゃんと祓われているのだ。
「よっこらせっ!」
灰を一度降ろし、それから土を掘って穴の中に埋める。
「これで、オッケー。全部埋めたね」
「じゃ、始めましょう」
緑祁と香恵は合掌をし、経を唱え始めた。神社の息子も霊感こそないが、一緒に目を閉じ手を合わせて読経する。
(安らかに……。成仏してください……)
数分後、目を開けた緑祁は、
「もうそろそろ十分じゃないかな?」
「そうね。完璧だわ」
今度こそ今回の仕事が終わったことを確認した。
「ありがとう! 本当に助かった!」
「礼には及ばないよ。僕も香恵も、言われた通りのことをしただけだからさ! それにそっちに霊能力がないのなら、寧ろ僕らが率先してことに当たらないといけないんだ」
言葉だけでは足りないと言って、息子はペットボトルをくれた。よく冷えた麦茶だ。
「ありがとう!」
受け取った二人は素直にそれを飲んだ。
「さ、帰ろうか!」
車に乗り込み、自分の町に向けてアクセルを踏む香恵。
「ゆっくりでいいよ。急ぐと事故に繋がりかねないから」
「そちらと違って、起こさないわよ」
「あ、あれは僕が意図的に起こしたわけじゃない! 寄霊が原因で……」
ここで緑祁、走行中の香恵の視線が斜め上に行っていることに気が付いた。
「どうかした?」
「いや、そんなに深刻ではないんだけど……。珍しい虫がいると思って……。青森では当たり前なのかしら?」
「虫?」
どうやらフロントガラスに一匹、引っ付いているらしい。
「変な虫だ、確かに」
見慣れない角が生えているハエのような虫。正確にはツノゼミだ。
「ん?」
よく観察すると、その虫の六本の足が外側に向いていることに気づいた。
「これ、中にいる……?」
「え?」
慌ててワイパーを動かしたが、それにぶつからない。ということはその虫は車内にいるのだ。
「本当だわ…」
普通なら、それぐらいの反応で終わるだろう。だが違った。
「もしかして……応声虫?」
「ま、まさか…」
しかしここまで来ると、確認したい欲に駆られる。緑祁が手を伸ばしその虫を捕まえようとしたら、その虫が彼の指に引っ付いた。
(ここまでは、あり得る話だけど……?)
その後にあり得ないことが起きた。
「きゃあああ!」
「う、うわあ!」
とんでもない爆音をその虫が生み出したのである。手が自分の意思に反して動き、耳を塞ぐほどの音だ。
「か、香恵! ハンドル!」
「え、今なんて言ったの?」
幸いにも香恵はすぐにブレーキを踏んだので、大事にはならなかった。道路にも歩道にも他の車がなかったので、急停止して文句を言ってくる人もいない。
「香恵、伏せて!」
「……ん!」
この窮地を脱出するために香恵はドアのロックを解除し、シートベルトを外して車外に逃げた。
「よ、よし……!」
ライターのように指先に本当に小さい鬼火を生み出す。そしてそれをツノゼミにぶつける。一撃で決まった。
「ギギギ…!」
瞬時に燃え尽きるセミ。だが最後に弾けてみせる。
「熱っちいい!」
最後っ屁の火花が膝に直撃した。
「でも車の方は傷つけてないよね?」
見た感じ、大丈夫そうだ。緑祁は香恵を呼び戻すために車から降りた。
「もう大丈夫だよ、香恵。何とか焼き潰した!」
「まだ、よ」
しかし彼女はかなり警戒している。
「今のは確実に、応声虫ね。では、誰が送り込んだのか? そしてその相手は今、どこにいるのか! これが重要だわ」
「怪しそうな人は今のところ、いないように見えるけど……」
緑祁も周囲をキョロキョロして見た。だがこんな早朝の田舎道、歩いている人はまずいない。
いや、一人見つけた。今、電信柱の後ろに隠れたのが見えた。
「誰だ!」
大きな声を出す緑祁。彼に乗じ香恵も、
「出てきなさい! そうすれば、何もしないわ!」
と警告する。
「ふん……。わたしの応声虫に反応できたか。事故の発生を未然に……」
現れたのは、何と洋次だった。これには二人とも驚いて、
「な、何で洋次がここに? そもそも今、行方不明なはずだ!」
「そ、そうよ! だいたい洋次は首都圏内にいたはずだわ! ここに来る理由がないわよ」
「ある、そう回答したら?」
そう言われると緑祁は察する。
「まさか……! やっぱり正夫の仲間がどこかに潜んでいるのか!」
野望が潰えてなかったことを。
「ご名答だな、緑祁! 実際には終了していない。それはきさまの勘違いだ。計画は、開始したばかりだ」
洋次の返事も答え合わせになっていた。
「裏にいるのは誰なんだ! 答えてくれ!」
「返答することを本気で想像しているか?」
「ぐ……」
ここで香恵が緑祁に耳打ちする。
「緑祁、洋次を捕まえましょう。そうすれば全部解決だわ」
「わかった」
しかし緑祁が近づくと、何と洋次の姿が煙のように消えてしまった。
「逃げた……? 違う、最初からこの場にはいなかったんだ!」
彼と戦ったことがある緑祁はすぐに勘付けた。洋次には蜃気楼はない。だからこの場にいたのは別の人物で、洋次の姿を見せていただけなのだと。そして蜃気楼は自分の姿も誤魔化せるので、もうその本当の相手はこの場から去ってしまったであろうことを。
「また、逃げられた……。ごめん、香恵…」
「こればっかりは仕方がないわ、ガッカリしないで」
数分間周囲の安全を確認すると、二人は車に乗り込んで道を進んだ。一応【神代】に連絡は入れておく。
(終わってなかったんだ、何もかも……)
助手席に座りながら、そう考えている。正夫を捕まえただけでは何も解決していなかった。
(なら、僕だって黙っちゃいない! 野望を断ち切るには、戦うしかないんだ!)
薄っすらと昇っている朝の太陽の光を感じながら、緑祁は決意し覚悟した。洋次たちと戦い決着をつけることを。そしてその陰に隠れる野望を暴き、止めることを。
「絣、もういい」
「はい!」
実は付近のアパートの屋根の上に、洋次と猪苗代絣がいた。応声虫は彼のものであり、実際の彼も緑祁たちの近くにいたのだ。二人を乗せた車が離れて行ったので、もう緑祁たちに偽りのビジョンを見せる必要がないと判断し、絣に命じて蜃気楼をやめさせた。
そのまま屋根の上から飛び降りる。
「帰投するぞ」
「はい!」
帰り道は絣が礫岩で開けた穴道だ。その中に彼女だけじゃなく洋次も入り進む。
(緑祁……! そうさ、まだ何も終わってはいない! ただ単にトップを、正夫から豊雲に乗り換えただけのことだ。覚悟しているんだな…次は勝つ!)
「ふああ、眠い……」
「帰ったら、予定の時間まで寝てましょう。私はコタツでいいから、緑祁はベッドで」
「そうだね。でもまずは帰らないと」
その前に神社の息子にしっかりと依頼完了の挨拶だ。
「あっちに塚があるから、そっちに灰を埋めたい。それも手伝ってくれる?」
「いいよ。スコップとかはある?」
スコップは二本あった。猫車にその灰を入れ、それを押して塚の方に向かう。
「埋める時も供養のために読経するよ。後から呪いが蘇りました、って、ないとは思うけど念のためにね」
「いや~ありがたい!」
猫車を押すのは緑祁だ。お焚き上げの前はあれだけの量だったのに、燃えてしまえばそれが嘘のように軽い。
(人の思いも儚いんだね……。酷い恨みや深い妬みがあっても、燃えてしまえば灰と同じだ。全部、無意味になるんだ……)
車輪はカラカラと音を立てながら回る。
「ここだよ」
その塚は見た感じ、ただの山に見える。
「今までお焚き上げしたものの灰は全部、ここに埋められてるんだ」
それはさっき緑祁が焼いたような、邪念が込められているものが多かった。しかし今は何の未練も感じない。ちゃんと祓われているのだ。
「よっこらせっ!」
灰を一度降ろし、それから土を掘って穴の中に埋める。
「これで、オッケー。全部埋めたね」
「じゃ、始めましょう」
緑祁と香恵は合掌をし、経を唱え始めた。神社の息子も霊感こそないが、一緒に目を閉じ手を合わせて読経する。
(安らかに……。成仏してください……)
数分後、目を開けた緑祁は、
「もうそろそろ十分じゃないかな?」
「そうね。完璧だわ」
今度こそ今回の仕事が終わったことを確認した。
「ありがとう! 本当に助かった!」
「礼には及ばないよ。僕も香恵も、言われた通りのことをしただけだからさ! それにそっちに霊能力がないのなら、寧ろ僕らが率先してことに当たらないといけないんだ」
言葉だけでは足りないと言って、息子はペットボトルをくれた。よく冷えた麦茶だ。
「ありがとう!」
受け取った二人は素直にそれを飲んだ。
「さ、帰ろうか!」
車に乗り込み、自分の町に向けてアクセルを踏む香恵。
「ゆっくりでいいよ。急ぐと事故に繋がりかねないから」
「そちらと違って、起こさないわよ」
「あ、あれは僕が意図的に起こしたわけじゃない! 寄霊が原因で……」
ここで緑祁、走行中の香恵の視線が斜め上に行っていることに気が付いた。
「どうかした?」
「いや、そんなに深刻ではないんだけど……。珍しい虫がいると思って……。青森では当たり前なのかしら?」
「虫?」
どうやらフロントガラスに一匹、引っ付いているらしい。
「変な虫だ、確かに」
見慣れない角が生えているハエのような虫。正確にはツノゼミだ。
「ん?」
よく観察すると、その虫の六本の足が外側に向いていることに気づいた。
「これ、中にいる……?」
「え?」
慌ててワイパーを動かしたが、それにぶつからない。ということはその虫は車内にいるのだ。
「本当だわ…」
普通なら、それぐらいの反応で終わるだろう。だが違った。
「もしかして……応声虫?」
「ま、まさか…」
しかしここまで来ると、確認したい欲に駆られる。緑祁が手を伸ばしその虫を捕まえようとしたら、その虫が彼の指に引っ付いた。
(ここまでは、あり得る話だけど……?)
その後にあり得ないことが起きた。
「きゃあああ!」
「う、うわあ!」
とんでもない爆音をその虫が生み出したのである。手が自分の意思に反して動き、耳を塞ぐほどの音だ。
「か、香恵! ハンドル!」
「え、今なんて言ったの?」
幸いにも香恵はすぐにブレーキを踏んだので、大事にはならなかった。道路にも歩道にも他の車がなかったので、急停止して文句を言ってくる人もいない。
「香恵、伏せて!」
「……ん!」
この窮地を脱出するために香恵はドアのロックを解除し、シートベルトを外して車外に逃げた。
「よ、よし……!」
ライターのように指先に本当に小さい鬼火を生み出す。そしてそれをツノゼミにぶつける。一撃で決まった。
「ギギギ…!」
瞬時に燃え尽きるセミ。だが最後に弾けてみせる。
「熱っちいい!」
最後っ屁の火花が膝に直撃した。
「でも車の方は傷つけてないよね?」
見た感じ、大丈夫そうだ。緑祁は香恵を呼び戻すために車から降りた。
「もう大丈夫だよ、香恵。何とか焼き潰した!」
「まだ、よ」
しかし彼女はかなり警戒している。
「今のは確実に、応声虫ね。では、誰が送り込んだのか? そしてその相手は今、どこにいるのか! これが重要だわ」
「怪しそうな人は今のところ、いないように見えるけど……」
緑祁も周囲をキョロキョロして見た。だがこんな早朝の田舎道、歩いている人はまずいない。
いや、一人見つけた。今、電信柱の後ろに隠れたのが見えた。
「誰だ!」
大きな声を出す緑祁。彼に乗じ香恵も、
「出てきなさい! そうすれば、何もしないわ!」
と警告する。
「ふん……。わたしの応声虫に反応できたか。事故の発生を未然に……」
現れたのは、何と洋次だった。これには二人とも驚いて、
「な、何で洋次がここに? そもそも今、行方不明なはずだ!」
「そ、そうよ! だいたい洋次は首都圏内にいたはずだわ! ここに来る理由がないわよ」
「ある、そう回答したら?」
そう言われると緑祁は察する。
「まさか……! やっぱり正夫の仲間がどこかに潜んでいるのか!」
野望が潰えてなかったことを。
「ご名答だな、緑祁! 実際には終了していない。それはきさまの勘違いだ。計画は、開始したばかりだ」
洋次の返事も答え合わせになっていた。
「裏にいるのは誰なんだ! 答えてくれ!」
「返答することを本気で想像しているか?」
「ぐ……」
ここで香恵が緑祁に耳打ちする。
「緑祁、洋次を捕まえましょう。そうすれば全部解決だわ」
「わかった」
しかし緑祁が近づくと、何と洋次の姿が煙のように消えてしまった。
「逃げた……? 違う、最初からこの場にはいなかったんだ!」
彼と戦ったことがある緑祁はすぐに勘付けた。洋次には蜃気楼はない。だからこの場にいたのは別の人物で、洋次の姿を見せていただけなのだと。そして蜃気楼は自分の姿も誤魔化せるので、もうその本当の相手はこの場から去ってしまったであろうことを。
「また、逃げられた……。ごめん、香恵…」
「こればっかりは仕方がないわ、ガッカリしないで」
数分間周囲の安全を確認すると、二人は車に乗り込んで道を進んだ。一応【神代】に連絡は入れておく。
(終わってなかったんだ、何もかも……)
助手席に座りながら、そう考えている。正夫を捕まえただけでは何も解決していなかった。
(なら、僕だって黙っちゃいない! 野望を断ち切るには、戦うしかないんだ!)
薄っすらと昇っている朝の太陽の光を感じながら、緑祁は決意し覚悟した。洋次たちと戦い決着をつけることを。そしてその陰に隠れる野望を暴き、止めることを。
「絣、もういい」
「はい!」
実は付近のアパートの屋根の上に、洋次と猪苗代絣がいた。応声虫は彼のものであり、実際の彼も緑祁たちの近くにいたのだ。二人を乗せた車が離れて行ったので、もう緑祁たちに偽りのビジョンを見せる必要がないと判断し、絣に命じて蜃気楼をやめさせた。
そのまま屋根の上から飛び降りる。
「帰投するぞ」
「はい!」
帰り道は絣が礫岩で開けた穴道だ。その中に彼女だけじゃなく洋次も入り進む。
(緑祁……! そうさ、まだ何も終わってはいない! ただ単にトップを、正夫から豊雲に乗り換えただけのことだ。覚悟しているんだな…次は勝つ!)