第8話 霊鬼起動 その1

文字数 3,468文字

「あと二人………」

 紫電は自室にこもってそれを考えている。
【神代】から彼のところに派遣されてくる霊能力者は、残るは二人。その両名に勝たなければ、緑祁との競戦は許可されない。
 同時に、机の上に置いた手鏡ともにらめっこをする。

「霊鬼に惑わされない強い心って、何なんだ? どうすれば完全に制御できる?」

 向日葵との戦いを思い出した。
 勝負への想いは、霊鬼に揺さぶられないほど強い心だ。でも戦いが終わると、その精神は途切れてしまう。そうなると、霊鬼の悪影響で気分が高揚し、やってはいけないことに手を染めようとしてしまうのだ。

(勝った後に緑祁を殺そうとするのは、絶対に駄目だ……)

 そう思うと、勝負への想いに代わる何か強い感情が必要になる。そしてそれを思いつけないから、増々自己嫌悪が激しくなるのだ。

「気分転換をした方がいいよ、紫電」

 ベッドに腰かけている雪女が言う。彼女の指摘は鋭く、今の負のスパイラルに陥っている彼に必要なのはリフレッシュである。
 なのだが、

「そんな呑気は言ってられねえぜ。ドアを開けたら、次の人がいるかもしれないんだぜ、グズグズしてられねえんだ、俺は!」

 怒鳴って返す。キョトンとしている雪女に対しハッとなった紫電は、

「……すまねえ。焦燥感のせいで大声出しちまったな。雪女は何も悪くはねえんだ…」
「いいや、悪いことはしてるよ。紫電に霊鬼を渡してるじゃん。そのせいできみは悩んでるわけなんだし」
「………」

 実は紫電、こんな平常時であるにも関わらず霊鬼の鏡を雪女から渡してもらっているのだ。理由は簡単で、彼に見限りをつけた雪女が逃げられなくするため。霊鬼は自分の手で破壊する、それを妨げられたくないのだ。

「私の友達の話をしよっか? 今、どうしてるか……生きてるのか死んでるのかわからないけどね、その人はかつて、一番霊鬼を使いこなせた人だったんだ」

 その彼は、とあることを言っていた。


 未来を切り開こうとする志し、それが彼を支えていた。

「待っているだけの人間に明日は来ない。明日は、掴み取ろうとする意志をもつ者にのみ訪れる、精神的な成長の山頂」

 彼はそう言い、霊怪戦争へ赴いたのだ。そして劣勢に陥った『月見の会』を一時的だが救い、追っ手を退けたのである。


「元々、あまり向上心がなかった人だったんだけどね彼は。同期に、彼以上の霊能力者が数人いたから、そのせいで。私的にはいつも抜けてるって印象かな? 未来を見れてない虚ろな目をしてたんだ」

 でも、霊鬼を手にした途端に彼は変貌した。未来を掴み取る者の目に。

「彼はおそらく無意識の内に、霊鬼をコントロールする土台を築いていたんだよ。明日へ未来への想いで、さ。紫電にもそれはできそうじゃない?」
「どういうこった…?」

 ここで紫電は考える。

(俺の未来? そんなの医者に決まってる)

 その考えが邪魔をしてしまっているのだ。
 雪女が語った人物と紫電では、立場が違うのだ。紫電は将来…明日について明確なビジョンを想像できる。でも件の彼にはそれができなかった。

「……できねえ」

 それが悔しくて、怒りがこみ上げてくる。

(ソイツにできて、俺にはできないのかよ……!)

 拳を丸め、机を叩いた。その時、本棚から落ちて来た本が一冊あった。

「ん、これは……」

 それは昨年講義で用いた、キリスト教のカトリック教会に関する本だった。あの講義はパスしたので、二度と使わないだろうと思って本棚に仕舞ってあったのだが、それが偶然衝撃で降って来たのである。

「キリストね……。話だけは聞いたことあるよ。クリスマスを楽しむんでしょう?」
「それはごく一部だが……」

 その本を拾ってパラパラとめくる紫電。読む気はない。ただ、折れ曲がったページがないか確認していたのだ。

「むむっ!」

 しかし、目に飛び込んでくるフレーズがあった。

「七つの大罪……」

 熱心なキリスト教徒ではない彼だが、そのページには熱心に目を通した。
 数分後、何かを思いついたかのように紫電は、

「雪女! いいものを見つけたぜ! これで霊鬼をものにできる!」
「本当に?」

 やけに自信満々なため、雪女はその発言をまず疑った。けれども紫電の表情は嘘ではない。

(あの目……。あの時の叢雲と同じ目だ……。何もやる気のない怠惰な光を捨てた、希望に満ち溢れた輝き。もしかして本当に紫電は、その原動力を掴めたって言うの?)


 それを証明する時は、すぐに来た。
 この日の午後、小岩井家に客人が現れた。

「何でしょう?」
「小岩井紫電を出しな! それ以外には用はない! もちろんおまえにも!」

 気性の荒そうな女性である。当然紫電に用事があるということは【神代】が派遣した霊能力者である。

「何だなんだ?」

 玄関に呼び出された紫電。彼のことを見るとこの客……南風(みなみかぜ)冥佳(めいか)は、

「すぐに勝負よ! おまえなんか一ひねりで終わらせてやるわ!」

 紫電と雪女を連れ出し、別雷(べつらい)神社(じんじゃ)横のグラウンドに移動。

「言っておくけどね、私は手加減しないから! おまえを病院送りにしてやるわよ! 覚悟なさい!」

 元々血の気が粗く、しかも仲間である空蝉と向日葵を負かされているので機嫌も最悪。だからため込まれたストレスをこの戦いで全て放出するつもりなのだ。

「用意はいいな? さっさと始めて終わらせるわよ!」
「いや、少し待ってくれ」
「何よ、命乞いなら聞かないわよ? 早く終わらせて!」
「俺は、怒りを感じてるんだ……」

 唐突にそう語り出したために、冥佳は、

「はあ?」

 首も傾げてそう答える。

(そうか。それが、紫電がたどり着いた答えなんだね)

 一方で雪女は、何かを悟る。

「普通に生き、過ごしている上ではまったく気にしないかもしれない。でも、考えてしまうとそうじゃなくなるんだ。無性に腹が立って仕方がない」
「何のことよ?」
「怒り、だ」
「だから何? 何の意味があるって? 怒りたいのはこっちよ! 仲間をやられてるんだから!」

 しかし紫電が抱いているという怒りは、冥佳のものとは次元が違う。

「怒りっていうのは、とても強い感情だ。人は怒るから、後先考えず本能に従順になって行動してしまう。理性を忘れさせるほどに、強力! でも、それでいい。それくらい強くないといけない。そしてその強さは、俺の心を強固で揺るがないものにしてくれる!」

 ここで、懐に仕舞ってあった霊鬼を封じている鏡を取り出した。

「何よそれ? おまえの武器はそのダウジングロッドだろう? 鏡なんて聞いてないぞ?」

 冥佳の言葉は無視し、紫電はその鏡に自分の姿を映し出す。

「俺は怒りを感じているんだっ! 他人を見下し優れていると思い込む傲慢! この世のあらゆるものを手に入れようとする強欲! 自分にないものを持っている者を良く思わない嫉妬! 何にも心を開かず興味を持つことを破棄した怠惰! 爆発すれば見境なく激しく攻撃する憤怒! 理性で抑えることすら放棄し異なる性を求める色欲! 際限なく全てを食らいつくす暴食!」

 彼が本当に、以前からそれらの事象に対して怒りを抱いていたのかどうかは不明だ。だが、考えると無性に腹が立つのだ。
 それを聞いた冥佳は拍手をした。

「立派ね。すぐくいいわそういうの! そういう風に熱くなれる人、嫌いじゃないわよ。寧ろ尊敬できるわ」

 この時ばかりは彼女も血の気を忘れて褒め称えたのだ。

「だからこそ、俺はこの怒りを持って支配する! 勝利を掴み取る!」

 紫電は手に持っていた鏡を地面に叩きつけ、踵で踏んだ。
 パキッという音がし、その鏡に封じ込まれていた霊鬼が出現する。割った人にしか認識できないので、冥佳には見えてない。

「さあ、霊鬼! 俺に憑依しろ! その力を俺に与えろ! お前をあの世に正しく送れるのは、もはや俺一人しかいない。お前の思念を俺のものにしてみせる!」

 その霊鬼が、紫電と重なった。
 瞬間、彼の中に力が湧き出た。でも感情には変化なし。完全にものにしたのだ。
 紫電はダウジングロッドを持ち直した。トンファーのように握りしめたのである。

「………それでおまえ、私に勝てると思ってるの? 笑えない冗談だわ!」

 冥佳は、それだけの変化が彼に対し何の影響を与えるのかわかっていないし想像もできないだろう。しかし紫電……いや今の彼は、紫電(しでん)(かい)と呼ぶにふさわしい……は、先ほどまでと雰囲気が違う。覇気がある。

「勝てるさ。俺は昨日までとはもう違う! 俺は改まった!」
「ふん、口だけなら何でも言えるわ。今ここで叩きのめしてやる!」

 特に合図はない。紫電・改と冥佳の戦いが始まる。
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