第10話 繰り返さないために その2

文字数 3,483文字

 神蛾島に到着した時、日はもう落ちていた。

「暖かいな。二月とは思えねえぜ」

 夜だが、温暖な気候のおかげで寒さを感じない。逆に長袖が邪魔に思えるほどだ。

「成仏の儀式は明後日の午後だな。準備があるから、すぐにはできない」
「一日で用意できるのですか?」
「大丈夫だ。既に島には話をつけてある」

 上陸時、緑祁は長治郎に予定を尋ねた。一日だけ自由時間を与えられたので島内を回ってみろと言われ、香恵と共にそうすることに。

「今日はもうこんな時間だし、ホテルに泊まろう」

【神代】は緑祁たちに、島で一番良いホテルを用意してくれた。本土に戻るまでそこで過ごして良いとのこと。辻神たち三人は長居するつもりのようだが、

(また高額請求されたらたまったものじゃないよ……。このホテル、絶対高いでしょ。一日の宿泊費はきっと僕の一日のバイト料よりも高い!)

 緑祁は成仏が終わればすぐ戻ろうと決めた。
 朝になれば島は賑やかになる。元々観光に力を入れており、しかも大学生なら春休みの期間だ、バカンスに来る客が多い。

「病射たちは海水浴に行ったみたいだね。僕らはどうする?」
「う~ん……。この水族館、カニとエビばっかりだからつまらないし……。養蚕場と製糸場は前に行ったことがあるわ。金山の方はあまり興味が……」
「じゃあ、下見しておこうよ。明日儀式をするのは神蛾神社でしょう? どんなところなんだろう……?」

 午後に二人は神蛾神社に向かった。賑やかな島の町の近くにある、静まり返った桑畑の奥。そこの階段を登れば、境内に入れる。
 神社は綺麗だ。住職がいるわけではないのだが、島民が綺麗に掃除しておいてくれているのだ。本殿に進むと、準備をしている人たちがいた。

「儀式は明日ですよね?」
「下見です。どんな場所か、見ておきたくて」
「そうでしたか。どうです、この島は?」

 島の雰囲気は悪くはない。

「住んでみたいですね、南の島って。誰でも憧れますよ。それにここなら悪くはなさそうです」
「そう言ってもらえると、ありがたい! あ、できるなら拝んでいってくれませんか?」

 この神社からちょっと歩けば、島の霊園がある。そこの霊を慰めて欲しいと頼まれた。

「わかりました」

 知り合いがいるわけではない墓地だが、それでも頼まれたからには供養をする。一旦町の花屋に行って菊の調達だ。

「【神代】の霊能力者さんか! サービスしておくよ」

 事情を話すと無償でもらえた。大量の花束を二人で抱え、墓地に戻る。そして手桶に溜めた水を柄杓で、墓石一個一個に丁寧に水をかけて洗い、菊の花を添える。そして線香に火を灯し、

「……………………………」

 無言で合掌し頭を下げる。これを最後の墓まで繰り返すのだ。

「確かに悪くはなさそうね」

 香恵が呟いた。

「どういうこと?」
「この島で生活する場合のことよ。【神代】の霊能力者として住み着くなら、こういう仕事をすることになるわ。でも今の緑祁なら、真面目に参拝できる。他の仕事を探してもいいかもね」
「でも年中暑いよ? 香恵みたいに露出度控え目じゃ、大変そうだ」
「それは考え物ね……」

 まだこの時、緑祁は自分の将来については全然考えていない。そもそも大学の卒業どころか、研究室生活すら始まっていないのだから。しかも辻神のように卒業後に院にまで進むとなれば、ますます遠ざかる未来の話。
 墓参りが終わると二人はホテルに戻った。その際ホテルの食堂のステージに、グランドピアノが置かれていた。ホテル側に許可を取ると、演奏してもいいと言われたので座ってみる。

「スー……」

 息を吸った。周囲には全然人がいない。見聞きしているのは香恵だけだろう。緑祁は目を瞑った。頭の中で楽譜を探しているのだ。

(これだっ!)

 脳内の手で取ったのは、『旅立ちの日に』の譜面だ。緑祁はピアノの演奏は結構できる方だったので、卒業式の際は何度も任されて演奏した。時間が経った今でも、卒業シーズンの三月にはレストランで弾いている。

(邪産神は黄泉の国へ旅立つんだ。彼……で、いいのかな? 彼のために今、演奏しよう)

 響き渡るメロディーはホテルの食堂の外から人を集める。五分にも満たない演奏時間なのだが、弾き終わると食堂には人だかりができていて、大量の拍手が送られた。中にはアンコールも彼に送る人もいる。

(それじゃあ……)

 また頭の中の本棚を漁る。手に取ったのは『ハッピーバースデー! を君に』だ。邪産神に対してこれは不謹慎な気もするが、

(もし、邪産神が生まれ変われたら……! もう一度命として宿り、今度こそ人間として産まれて来れるのなら!)

 と思い、弾き始める。
 気づけば三時間は演奏していた。その間緑祁は全く疲れなかった。全て、ギャラリーに聴いてもらうだけじゃなく邪産神に捧げるためにも弾いていた。それくらい、彼は邪産神に成仏して欲しいのだ。
 流石にもう頃合いだろうと感じ、席を立つ。観客に一礼し、ステージを降りた。そして香恵と一緒に部屋に戻る。

「あれだけの人が集まるなんて、まさかね……。かなり緊張したよ…」
「そうなの? でも、ミスはしてなかったじゃない?」
「まあね」

 部屋の椅子に腰かけた際に、一気に汗が噴き出した。緊張が後から襲ってきたのである。喉が渇いたのでジュースを飲んだ。

「明日、ちゃんと邪産神を成仏させることができるかな……?」

 ベッドの横に置かれているジュラルミンケースに目をやる。邪産神がこの世に留まり、黄泉の国へ行きたがらなければ、失敗する可能性もある。だからこその心配が芽生える。
 でも香恵は、

「大丈夫よ。緑祁ならきっと……いえ、絶対にできるわ!」

 ここまで来れたのは、みんなのおかげ。その想いを繋いで、最後に結んで止めるのが緑祁だ。だからこそ成功させることができると、彼女は考える。

「今日はもう、ゆっくり休みましょう。夕ご飯は何を食べる?」
「下の食堂はパスするよ。あそこに行ったら、食事じゃなくて演奏をしないといけないからね……。僕だって美味しいご飯は食べたい」
「なら、町に出ましょう。確か評判の良い中華料理店があったはずだわ」

 この夜も、普通に過ぎた。話を聞いた絵美たちがメールで、

「邪産神の成仏、頑張って! 応援しているわ!」

 激励してくれた。現地に来れないが温かいメッセージを送ってくれたことが嬉しかった。


 次の日の午前中、霊能力者たちは神蛾神社に向かった。緑祁はジュラルミンケースを大切に抱えていた。昨日一日準備に費やしたためか、緑祁たちが集まった頃には既に儀式をすぐに始めることができる状態だ。

「もたもたしている意味もない。緑祁、覚悟はいいか?」
「はい」

 長治郎が尋ね、緑祁は頷いた。長治郎の横には可憐がいて、彼女がジュラルミンケースの鍵を取り出し、開けた。中に入れられてあった札は綺麗なまま。これは邪産神が札の中で暴れていないことを意味する。

「ではその札を、あそこに」

 境内の中庭には、お焚き上げ用の木材が積まれてある。そこの中心部に札を置く。ついでに菊の花やお守りなども供える。

「種火はどうする? 鬼火でつけるか?」
「いいや。邪産神に対してこれ以上霊障は使いたくないです……」
「ならこの神社の油を使おう。虫眼鏡もあるから、太陽光で発火させれる」

 その油を升に注ぎ、虫眼鏡で熱を集めて火にする。長治郎はそれを、木組みの中に入れた。
 炎は燃え盛る。木をお守りを花を燃料とし、ひたすら大きくなり黒い煙を吐き出した。

「みんな、合掌と読経だ!」

 指示された通り、みんな手を合わせて拝み、経を唱える。緑祁も香恵も、紫電も雪女も、辻神も山姫も彭侯も、病射も朔那も。この場に居合わせている人は全員が邪産神の成仏のために、口を動かしているのだ。
 霊能力者ではない人も何人か、この儀式に参加していた。彼らには、経はわからない。でもできる限り手伝おうと、炎に向けて合掌し黙祷して頭を下げる。
 札にも燃え移った。札が破損すれば、中に封じられた幽霊は出て来ることができる。しかし邪産神はそれをしなかった。緑祁たち霊能力者が妨げているわけではない。邪産神もまた、成仏を望んだからだ。

(………さらば、邪産神……)

 緑祁は一瞬、煙が伸びていく空を見上げた。
 邪産神の顔はいつも憎悪に満ち溢れていたが、最後くらいは笑顔になってくれただろうか。もう聞くことはできないのでわからない。でも、成仏を納得してくれたことは確かだ。

(もう二度と、繰り返さない。だから、安らかに永らかに眠ってくれ……)

 炎は、日が落ちるまで燃え続けた。その間緑祁たちはすっと、祈り続けた。
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