導入 その1

文字数 5,076文字

篠坂(しのさか)! 言っておくが我輩は、特別扱いされるのが大嫌いだ!」

 群馬の田舎道を進む車の中、後部座席で神代閻治は叫んだ。

「わかってますよ。再三言われれば誰でも理解できます」

 ドライバーである篠坂はそう返事をした。だが、相手は【神代】の現代表の息子。ゆくゆくは【神代】の全てを引き継ぐ後継者。失礼のないよう接するのが常識だ。

「それが気に食わんのだ! どいつもこいつも、跡取り様には失礼のないようにって…。舐めているのか、この我輩を!」

 一般人の篠坂からすれば、閻治は幽霊が見える特別な人間だ。だが閻治のような霊能力者からすれば、彼は【神代】の跡取りではあるが今は修行する身には変わらない。だから扱いを、平凡な霊能力者と同じにして欲しいと、関係各所に何度も言った。が、全て無視された。

「どうせ今から行く狂霊寺(きょうれいじ)でもそうなんだろうな……。普段通りの精進料理を出せばいいのに、どうして高級食材が寺院や神社にあるんだ? 真面目に修行しておるのか?」

 貧相な料理は振る舞えないという配慮なのだろうが、それが不満なのだ。
 しかし目指している狂霊寺には、少し期待している。と言うのもその場所は、来るものを拒む傾向があるからだ。閻治からすれば、是非とも拒んで欲しいのだ。

「着きましたよ」

 ものの数分で寺院の前に到着した。車から降りると閻治は、

「ご苦労だ。まあ、ちょっと待っていろ」

 待機を指示し、一人本殿の方に進む。

「誰かいるか?」

 声をかければ、返事が聞こえる。そして本殿の扉が開くと、閻治と同い年くらいの青年が一人。

「お前は?」

 この寺の跡取り息子、黒宮(くろみや)狂儀(きょうぎ)である。

「話を聞いておらんかったのか? 閻治だ。今着いた」
「は? え? え?」

 ここに来ることは事前に知らせてある。だが狂儀は驚いて閻治のことを何度も見直す。

「おいどうした? 何か変か? この狂霊寺は、来る者を拒む。そして試練を与え、クリアした者のみを通す。違うのか?」

【神代】の配下にある狂霊寺だが、来訪者を頭ごなしに拒絶するのではない。適当な課題を出し、それをこなせた者は入れる。問題は、閻治は跡取りなのだからその課題が免除されてしまうのかどうか。

「いや、だって……。お前、昨日帰ったじゃないか?」
「何だと?」

 どうやら狂儀によれば、閻治は三日前に到着して昨日の午前中に寺を出たらしい。

「ふむ、なるほど。それが試練か」
「違う違う! だから本当に一昨々日ここに来て昨日帰っていっただろう!」

 狂儀はこの寺に住んでいる(さかい)夏穂(なつほ)を呼んだ。

「はい、確かにあれは閻治さんでしたが……。戻って来たんですか?」

 どうやら何かおかしな、それこそ心霊現象的な何かが起きている模様。

「これは課題どころじゃないな……。閻治、本殿に上がってくれ。話し合おう。何が起きているのか確かめたい」

 ただならぬ予感がしたために、狂儀は閻治のことを入れた。


 話し合いには、運転手の篠坂にも参加させる。

「昨日も一緒でしたよ。それでですね、私は今日こうして閻治さんをお連れして…」
「でも! もう用事は済んだ、って言って……」

 狂儀たちの話をまとめると、こうである。

「前倒しで予定が変更されたとか。だから速くここに来て、用事を済ませたから帰るって。お前が言ったんじゃないか?」
「だが、我輩は今来たばかりだ」
「となると、あれは閻治さんではない誰か、ということですか?」

 しかしそんなはずはないと狂儀は断言する。資料で見た顔と同じだったのだから。そう反論すると、

「だが、実際に我輩がここに来るのは初めてだ。誤認したのではなかろうか?」
「でもどこの馬の骨がそんなことできる? 正直言って無理だろ?」
「だな……。変装では誤魔化しが効かん」

 ここで夏穂、

「待ってください! これって、ドッペルゲンガー現象なのではないですか?」

 それは、同時刻に別の場所に、自分の分身が現れることを意味する。さらにその分身を自分が見ると、本物は死ぬと言い伝わっている。

「この狂霊寺には、古代文献が眠っています! 本に関するところに出現するって、前に読んだことがあるんです! 閻治さんの身が危ない!」

 しかしそうと決めつけるのは迂闊。

「でもよ夏穂? 確かドッペルゲンガーは、会話ができないはずだろう? 昨日までいたアイツは普通に喋ってたぞ? それに本なんか読まないで食ったり飲んだり……。しかも閻治は今日初めてここに来る……つまりは無関係な場所じゃないか?」

 その特徴に当てはまらないのだ。

「じゃあ、何者なんですか?」

 そこが一番怖い。

「まさか、寄霊(きれい)……?」

 書庫から狂儀は一冊の本を取ってきた。明治初期に書かれた文献だ。

「この、『霊気(れいき)現象(げんしょう)探索録(たんさくろく)・後編』にその記載がある。ページはええっと、第七章だから百二十七頁……」

 本を開いて、そして閻治に見せる。

「一々調べんでも知っておる。【神代】のデータベースにも存在している情報だ」
「ここにあるコンピュータで一番性能がいいのは、レジスターしかないんでね…」

 そのページに、件の幽霊が掲載されているのだ。

「寄霊とは、魂に寄生する幽霊のことである。悪霊の一種であり、この世に強い未練がある。それ故に留まっている。そして魂に寄生するというのは、ただ取り憑くことを意味するのではない。憑依している間に、宿主となる人物や動物の魂の情報を全て網羅し、完了すると宿主をこん睡状態にする。その後寄霊は、寄生中に得た魂の情報を基に体などを再現し、本物と取って代わる……」
「その存在は魂の再現後、幽霊とは言えないレベルに到達する、だろう? だから知っておる」

 辞典を読み上げる狂儀に対し閻治がそれを遮って言った。

「でも、閻治さんはピンピンしてますよね…?」
「もちろんだ。何かに取り憑かれるような甘さなど、持たずに生まれて来たのだからな!」
「じゃあ違う? でもそうなると、他に候補がないぞ…?」
「簡単なことだろうが!」

 と一言。それは何か? 聞かれると、

「ソイツは我輩の名を騙る、ただの偽者だ!」
「ははは、まさか」

 笑った狂儀。

「だって! 【神代】の後継者に化けるなんて、キツネやタヌキでもできないだろ! 俺たちはそれに化かされたってのか? 馬鹿馬鹿しい話だぜ!」
「馬鹿はお前だ……」

 ドッペルゲンガーでも寄霊でもないとなると、普通の人間が騙しているとしか思えないのだ。

「それを証明する手段はあるのかよ?」
「当たり前だ!」

 力強く返事をした。

「その人物は確実に我輩のスケジュールを把握しておる! となれば次にどこに行くかもわかっておるはずだ。先回りして捕える! そして我輩…【神代】に泥を塗った罰、地獄送りだ!」
「おお、怖い恐い」


 この日はもう遅い。だから狂霊寺で一泊することに。離れ屋に入れられ、しかも料理は簡素。

「その者の目的は何でしょうね?」

 篠坂が閻治に聞いた。

「閻治さんの名を騙る必要って、何でしょうか? まさか【神代】を裏切るつもりとか? でもそれはリスクが大きいですし、さっき本店に確認したら、怪しい動きも確認できていないとのことです」
「となると、一つしかないな」

 その一つの理由。それは、閻治の立場を利用して甘い汁をすすることだ。

「聞けばその偽者、三日間豪華な料理を食ったし美味い酒も飲んだらしいじゃないか? それだ」

 つまりは、優遇されることを味わうこと。ただ楽しむことだ。

「我輩の立場を悪用すれば、それはそれはいい思いができるであろう? その気になれば機密にアクセスすることも可能……」

 最悪の場合は、重要な情報を抜き取られる可能性がある。だから閻治は【神代】に連絡を入れ、情報に鍵をかけた。先手は打ったが、まだ安心できない。

「篠坂、明日は速いぞ? 先回りせんといかぬからな!」
「わかってます」

 二人は早く就寝することに。


 その夜のことだ。また閻治は離れ屋を抜け出して墓参りをする。

「この狂霊寺は、かつて霊怪戦争で『月見の会』から攻撃を受けた場所……」

 その時に命を落とした者ももちろん供養されている。彼らの死を弔ってやるのだ。

「あの時……」

 閻治は三年前のことを思い出した。
 当時彼は高校二年生。霊能力者として十分に活動できる年齢だったので、親に、

「是非とも我輩を使ってくれ。最前線に送り込んでくれ」

 何度も頼んだ。しかし、

「万が一のことを考えろ。お前に今死なれては困る」

 断られた。閻治はそれが悔しくて仕方がなかった。既に自分と同い年の霊能力者ですら動員され、命のやり取りをしているというのに、参加することは許されなかったのだ。断っておくと、彼は誰かを殺めたかったのではない。戦争に従軍することで、自分の実力を磨きたかったのである。

「我輩の祖父、神代標水はその戦争で死んだ……」

 抵抗する『月見の会』にトドメを刺すべく、命を削って力を解き放った。勝利のために命を捨てたのだ。いいや、勝つには自分の命が必要と判断した結果らしい。

「我輩さえ参戦しておれば、祖父が死ぬことはなかったはずだ…!」

 それも非常に悔しいことだ。その身を犠牲にして勝利を掴み取ったと言えば聞こえは良いかもしれないが、

「命をかけないと勝てない相手だった」

 という証左でもある。

「こんな夜遅くに独り言かよ?」

 暗闇の向こうから、提灯を持った狂儀が現れた。狂霊寺の決まりで、当番制で墓荒らしやよからぬ霊の類を見張るのだ。今日が彼の番だった。

「盗み聞きとは感心ならんな?」
「隠す気のねえボリュームでよく喋る…」

 二人は、ちょうど犠牲者のために建てられた慰霊碑の前にいた。

「もう三年か。月日の流れはあっという間だな」

 狂儀は例の戦争の時、この寺にいた。つまり『月見の会』が攻撃を行っているまさにその時、この場所にいたのである。

「貴様はどうだった? あの戦争は?」
「死を覚悟したぜ。でも、何とか踏ん張った。その結果、今こうして生きているんだ。争いはないに越したことはない。そうは思わねえか?」
「全くその通りだ、と言いたいが……」

 閻治には心地よく首を縦に振れない理由がある。それは【神代】の、闇の歴史だ。『月見の会』もそうだが【神代】は日本中の霊能力者をまとめ上げる際、反対意見を唱えるものを片っ端から滅ぼしたのだ。個人の場合もあったが、団体の場合もあった。

「『月見の会』だけじゃない。『橋島霊軍』、『この世の踊り人』、『ヤミカガミ』……。四つの勢力があったが、全部歴史の闇の中に消えていった」

【神代】創立当時と比べれば今はもう穏やかな方だ。それも過激だった標水が戦争で死んだから。

「生き残る者は、決して忘れてはならん。敗者の魂、その精神、人生を。我輩たち人間は、記憶を未来に繋ぐことを唯一許された生物だ」
「わかってるぜ。俺もあの時は苦しかったが、忘れちゃいねえよ」

 慰霊碑に水をかけて、手を合わせ拝む。

(安らかに眠れ、志半ばで死した者よ。貴様らの生きた証は、我輩が必ず明日に繋ぐ…)

 墓参りが終わると閻治は狂儀を誘ったのだが、

「この寺院は修行の間、なんてねえぞ?」

 どうやら勝負の場所がないらしい。それでは仕方がなく、閻治は潔く諦めた。

「ところで」

 だが、代わりに一つ聞いた。

「貴様が今まで出会った霊能力者の中で、一番強いと思うのは誰だ?」

 かなり難しい質問だ。だが狂儀は、

「あの、女、かな…?」

 すぐに答えた。

「女、か…」

 そしてそれは、閻治ではないらしい。

「今どうしているかは知らないが、アイツ以上の実力者は中々いないと思うぜ? それこそ【神代】の跡継ぎでも勝っているかはわからん」

 霊能力者である狂儀は、相手を見ただけでどれぐらいの猛者か判断できる。その彼が、目の前にいる閻治と比べても劣らないという意見を下したのである。

「会ってみたいものだ、その者と」
「できるんじゃねえのか? 【神代】の権力を使えばよ?」
「そういう出会い方は好ましくない」

 確かにやろうと思えばできる。だがそれでは、【神代】の跡継ぎである閻治がわざわざ呼び出すような人物がいると公言してしまうようなもの。特別扱いも嫌だが、【神代】のイメージを下げる行為も厳禁なのだ。

「今日も墓泥棒はゼロだな、もう寝てしまおう」

 狂儀の見張りは終わり。閻治も離れ屋に戻り寝直す。


 次の日、まだ朝日が昇らない内に閻治は車に乗り込み篠坂はアクセルを踏む。

「行ってらっしゃい。気をつけてください!」

 普段こういうことはしないのだが、狂儀と夏穂は閻治たちを手を振って送り出した。

「問題が解決するといいが……」

 不安はそれだけだ。
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