第5話 侵入者 その3
文字数 2,180文字
屍亡者の体が破壊され、奪われた体のパーツが地面に転がった。これらは朝日の光を浴びれば浄化されてこの世から消えるだろう。
「ここから、マジで行かせてもらおうか!」
薄々わかっていたことだが、紅の口調から慇懃無礼さが消えて荒々しさのみが残る。
「さあ、緑祁! 生き死をかけて私と戦え!」
「死なせるつもりはないよ。そっちのことは【神代】に確保してもらう」
そのセリフも紅の気に障るらしく、
「じゃあ、お前に本気を出させてやるよ!」
と叫んだ。そして何をするかと思えば、鬼火を繰り出した。
「……鉄砲水!」
水でそれをかき消す。
(こんなやわな霊障で僕と勝負するつもりなのか……。今の鬼火には、威力が全然ない。適当に放っただけだ。まるで注意をそぎたいから………)
ここで、ハッとなる。紅の今の一撃、緑祁を倒す目的なんぞないのだ。
「まさか!」
不安が過り、慌てて紅の姿を探した。何故か近くにはいない。
「いや、いた!」
このわずかな隙に彼女は、香恵の方に走っていたのだ。そして香恵の首を手で掴み、
「う、うう……くっ…!」
「どうだい緑祁? この女が死ねば、お前も本気を出せるだろう?」
さらに強く締め付ける。
「やめろ! 香恵は関係ないんだ! これは僕とそっちとの勝負じゃないか!」
「はあ、聞こえねえな? それにどっちとも修練様の邪魔なんだから、死んでもらわないと困るだろうが!」
ここまで卑怯なことをされると、普段温厚な緑祁でも黙ってはいられない。
「………本当に、やめるんだ」
静かな言葉だ。
「いいや! ここで殺しておく!」
この時紅は一瞬だけだが、緑祁から目を離して香恵の方を見た。自身の首を絞める腕を振りほどこうと必死に抵抗しているが、紅にとっては痛くも痒くもないこと。
(このまま締め上げて……)
殺す。頭の中でそう考えようとした。
だが、できなかった。考える間もなく旋風が鋭い勢いで飛んできて、紅の腕を襲ったのだ。
「う、いぎゃああああ!」
生じた痛みは、手に力を無くさせた。指が勝手に香恵の首を離した。
「ごほっ、ごほっ!」
呼吸を整えようとしている香恵のことを気にかけることもできない。何故ならこれまた鉄砲水が紅の手を撃ち抜いた。
「な、何ぃいいい? どうしてこんな?」
紅には、わからなかったのだ。緑祁が怒ることで、力を増していることが。
怒りという感情は人間にリミッターを外させる。動物としての野生の本能が、理性の鎖を引き千切って目覚めるのだ。
「だ、だが! 私の腕を切り落とさなかったのはお前の決定的なミス! 怒っていても優しさが失われていない証拠! 甘い、甘すぎる!」
すぐに両手に札を構える。緑祁が起こす霊障はこの札で全て打ち消すことができるので、これらは信頼できる武器になるはずだった。
「今度は何だ?」
突如、緑祁の隣に生えていた樹木が瞬時に炎上し、炭に変わった。しかし起きたことはそれだけではない。なんと紅の持つ札に、さらに札が貼られているのだ。
「僕も祓う札は持っているからね。今日は多めに持って来てよかったよ。そっちの札を無力化して、焼き払う程度のことはわけがない」
緑祁は怒っているはずなのに、冷静さも感じさせる口調だ。言うならば静かに怒る人物で、逆にそれが恐怖を煽る。しかし紅もこの程度で怖気づくほど弱くはない。
「うおおおっおおおお!」
香恵のことはもう無視し、先に緑祁を手にかける。持っている札は全て捨て、鬼火を手のひらに生み出しながら突撃した。普通は怒りに任せると、こういう単純な行為をしてしまう。
反面、緑祁の一手は冷静だった。旋風と鉄砲水を組み合わせ、自分を中心にして渦巻を作る。それが壁となって紅の攻撃を弾いた。
「ば、馬鹿な…? 効いてなぅい!」
その直後、緑祁の手が渦巻を切り裂いて伸びてくる。それは紅の喉を掴むと乱暴に彼女の体ごと地面に叩きつけた。
「あっ……」
打ち所が悪く、紅は気絶。しかし緑祁の怒りはその程度では収まらない。
「終わらせる……」
手のひらに鬼火を生み、それをどんどん大きく成長させる。デカい、デカすぎる。人一人を完全に焼き払うには十分すぎるほどの火力だ。家が一軒、全焼する次元の炎。これを彼は、気を失って抵抗することも逃亡することもできない紅に向けて、撃ち出そうとしているのだ。
「駄目よ!」
だが、香恵の声が心に突き刺さり、彼女の手が腕に伸びて緑祁にそうさせなかった。
「……え? ああ…!」
我に返った緑祁は、火球を散らして消した。
(危なく、命を燃やしてしまうところだった……。香恵の声がなかったら、僕は今……)
地面に倒れている紅のことを見て、思う。彼女の存在をこの世から消し去っていただろう、と。
香恵の手は、ちょうど緑祁がはめた数珠に重なっていた。奇しくも命繋ぎの数珠は緑祁に冷静さを取り戻させ、紅の命をこの世に繋ぎとめていた。
香恵が【神代】に通報すると、十数分後には絵美と刹那が駆け付けた。
「先越されるとは、思ってなかったわ。でもさあ、もっと早く教えてくれてもいいわよね?」
「ごめんなさい。そんな暇がなかったの」
紅のことは絵美たちが拘束し、さらにやって来た【神代】の関係者に身柄を渡す。
「今日はもう、お開きにしましょう」
この一件はこれで終わり。尋問は【神代】に任せて後日すればいいと判断し、強引に香恵は幕を閉じた。
「ここから、マジで行かせてもらおうか!」
薄々わかっていたことだが、紅の口調から慇懃無礼さが消えて荒々しさのみが残る。
「さあ、緑祁! 生き死をかけて私と戦え!」
「死なせるつもりはないよ。そっちのことは【神代】に確保してもらう」
そのセリフも紅の気に障るらしく、
「じゃあ、お前に本気を出させてやるよ!」
と叫んだ。そして何をするかと思えば、鬼火を繰り出した。
「……鉄砲水!」
水でそれをかき消す。
(こんなやわな霊障で僕と勝負するつもりなのか……。今の鬼火には、威力が全然ない。適当に放っただけだ。まるで注意をそぎたいから………)
ここで、ハッとなる。紅の今の一撃、緑祁を倒す目的なんぞないのだ。
「まさか!」
不安が過り、慌てて紅の姿を探した。何故か近くにはいない。
「いや、いた!」
このわずかな隙に彼女は、香恵の方に走っていたのだ。そして香恵の首を手で掴み、
「う、うう……くっ…!」
「どうだい緑祁? この女が死ねば、お前も本気を出せるだろう?」
さらに強く締め付ける。
「やめろ! 香恵は関係ないんだ! これは僕とそっちとの勝負じゃないか!」
「はあ、聞こえねえな? それにどっちとも修練様の邪魔なんだから、死んでもらわないと困るだろうが!」
ここまで卑怯なことをされると、普段温厚な緑祁でも黙ってはいられない。
「………本当に、やめるんだ」
静かな言葉だ。
「いいや! ここで殺しておく!」
この時紅は一瞬だけだが、緑祁から目を離して香恵の方を見た。自身の首を絞める腕を振りほどこうと必死に抵抗しているが、紅にとっては痛くも痒くもないこと。
(このまま締め上げて……)
殺す。頭の中でそう考えようとした。
だが、できなかった。考える間もなく旋風が鋭い勢いで飛んできて、紅の腕を襲ったのだ。
「う、いぎゃああああ!」
生じた痛みは、手に力を無くさせた。指が勝手に香恵の首を離した。
「ごほっ、ごほっ!」
呼吸を整えようとしている香恵のことを気にかけることもできない。何故ならこれまた鉄砲水が紅の手を撃ち抜いた。
「な、何ぃいいい? どうしてこんな?」
紅には、わからなかったのだ。緑祁が怒ることで、力を増していることが。
怒りという感情は人間にリミッターを外させる。動物としての野生の本能が、理性の鎖を引き千切って目覚めるのだ。
「だ、だが! 私の腕を切り落とさなかったのはお前の決定的なミス! 怒っていても優しさが失われていない証拠! 甘い、甘すぎる!」
すぐに両手に札を構える。緑祁が起こす霊障はこの札で全て打ち消すことができるので、これらは信頼できる武器になるはずだった。
「今度は何だ?」
突如、緑祁の隣に生えていた樹木が瞬時に炎上し、炭に変わった。しかし起きたことはそれだけではない。なんと紅の持つ札に、さらに札が貼られているのだ。
「僕も祓う札は持っているからね。今日は多めに持って来てよかったよ。そっちの札を無力化して、焼き払う程度のことはわけがない」
緑祁は怒っているはずなのに、冷静さも感じさせる口調だ。言うならば静かに怒る人物で、逆にそれが恐怖を煽る。しかし紅もこの程度で怖気づくほど弱くはない。
「うおおおっおおおお!」
香恵のことはもう無視し、先に緑祁を手にかける。持っている札は全て捨て、鬼火を手のひらに生み出しながら突撃した。普通は怒りに任せると、こういう単純な行為をしてしまう。
反面、緑祁の一手は冷静だった。旋風と鉄砲水を組み合わせ、自分を中心にして渦巻を作る。それが壁となって紅の攻撃を弾いた。
「ば、馬鹿な…? 効いてなぅい!」
その直後、緑祁の手が渦巻を切り裂いて伸びてくる。それは紅の喉を掴むと乱暴に彼女の体ごと地面に叩きつけた。
「あっ……」
打ち所が悪く、紅は気絶。しかし緑祁の怒りはその程度では収まらない。
「終わらせる……」
手のひらに鬼火を生み、それをどんどん大きく成長させる。デカい、デカすぎる。人一人を完全に焼き払うには十分すぎるほどの火力だ。家が一軒、全焼する次元の炎。これを彼は、気を失って抵抗することも逃亡することもできない紅に向けて、撃ち出そうとしているのだ。
「駄目よ!」
だが、香恵の声が心に突き刺さり、彼女の手が腕に伸びて緑祁にそうさせなかった。
「……え? ああ…!」
我に返った緑祁は、火球を散らして消した。
(危なく、命を燃やしてしまうところだった……。香恵の声がなかったら、僕は今……)
地面に倒れている紅のことを見て、思う。彼女の存在をこの世から消し去っていただろう、と。
香恵の手は、ちょうど緑祁がはめた数珠に重なっていた。奇しくも命繋ぎの数珠は緑祁に冷静さを取り戻させ、紅の命をこの世に繋ぎとめていた。
香恵が【神代】に通報すると、十数分後には絵美と刹那が駆け付けた。
「先越されるとは、思ってなかったわ。でもさあ、もっと早く教えてくれてもいいわよね?」
「ごめんなさい。そんな暇がなかったの」
紅のことは絵美たちが拘束し、さらにやって来た【神代】の関係者に身柄を渡す。
「今日はもう、お開きにしましょう」
この一件はこれで終わり。尋問は【神代】に任せて後日すればいいと判断し、強引に香恵は幕を閉じた。