第10話 終止符の時 その1

文字数 3,922文字

 長崎空港には赤実が待機していた。

「ひょれ、本当にもう戻って来た……」

 既に外は真っ暗。闇を切り裂いて滑走路に降り立ったジャンボジェットから緑祁は再び長崎の地を踏んだ。

「今、姉たちが見張っておる。偽の香恵はどうやら軍艦島から離れようとしておらぬらしい…」
「なら今すぐにでも行こう。車で港まで送ってくれる?」

 すると赤実はとある鍵を取り出し、

「もっと速い移動手段がある」

 空港から外に出て、その乗り物に歩いた。

「ヘリコプター? これなら確かに速そうだけど……。僕はこんなの操縦できないよ? 赤実、そっちはどうなの?」

 首を横に振る彼女。車はできてもこれは流石に不可能らしい。

「じゃあパイロットを待つのか!」
「違う違う!」

 勝手にドアを開けて操縦席に座る赤実。それを見ていて緑祁は、

「もしかして…霊障で飛ばすのかい?」

 前に軍艦島に上陸した時は、刹那と絵美が霊障を駆使し、エンジンのかかっていないボートを動かしてみせた。それと同じことを赤実が行おうとしているなら、運転席に着くのにも納得できるが、

「イタコモード発動! パイロットの霊を口寄せしてわたいに憑依させ、代わりに操縦してもらう」
「そんなことができるのかい……? でもそれって、無免許………」
「いいや? 生前は元自衛隊で実際にヘリコプターの操縦をしていた者の霊を知っておる。幽霊は免許持ちじゃ、問題はない!」

 結構強引なことをする。一応、【神代】には許可を取っているらしいが。

「ちなみにその人はどうして元、なの?」
「ヘリが墜落して殉死したらしい」
「えっえ……。全然安心できないんだけど…」

 だがもう降りるのは遅い。既にメインローターは回転しエンジンが熱くなっている。

「では、行くぞ! 軍艦島まで一っ飛びじゃ!」

 バババという音ともに夜空に飛び上がる一機のヘリコプター。そしてそのまま軍艦島を目指して進む。


 車とボートより確かに移動は速い。あっという間に軍艦島の上空だ。島にはヘリポートなどないので、第三見学広場に強引に着陸する。

「でも、この移動音は全然隠せてないよ。きっとバレてるに違いない」
「ひょれ、そうじゃろうな。では行ってこい!」

 ヘリから降りた緑祁を待っていたのは緋寒。

「こっちじゃ! 紅華と朱雀によれば、偽の香恵にはまだ動きはない。今の内に、学校跡の方へ素早く移動するのじゃ」
「でもヘリコプターの音で僕が来たと察知したんじゃ?」
「かもな。だが、そなたであることはわかっておらぬはず!」

 確かにそうだ。誰が降り立ったかまでは流石にわかりようがない。

「ところで、電話では偽者の香恵を倒すと言っておったが……。どういうことじゃ?」
「本物の香恵が目覚めるには、偽者の香恵の存在が邪魔なんだと思う。だから…」
「つまりそなた、わちきらが出した案を蹴るのじゃな?」
「ごめん、そうなる…」

 弱々しい口調で言うと、

「謝ることはない。わちきらもアレは間違っていると内心で思っておった。いくら緑祁と面識があってそなたとの間に積み上げたものがあったとしても、所詮は偽者じゃ。本物を優先するのが、一番正しいと思う」

 フォローを緋寒が入れてくれた。

 整備されていない道を駆け足で進む二人。この時の緑祁は、走っているから心臓がバクバク鳴っているものの、緊張に起因した鼓動の速さはなかった。

(終わらせる! そして香恵を救うんだ!)

 決意したから、迷いがないのだ。

「しっ!」

 建物に差し掛かったところで緋寒が止まり、緑祁のことも止めた。

「どうしたの?」

 彼女の耳元で囁くと、

「アレを見よ…」

 指で示す。その先には、朱雀がいる。

「今度は、そっち」

 紅華の方も指した。

「偽者の香恵が二人を結ぶ線上に位置するよう、紅華と朱雀は見張っておる」

 その一本線のちょうど真ん中に、見覚えのある人影が見える。
 偽者の香恵だ。

「負けることはないとは思うが、一応気をつけるのじゃ…」

 唯一の心配は、誘惑に屈することだけ。

「ありがとう。でも、大丈夫だよ」

 その心配も今の緑祁にはいらない。彼はワザと足音を立てながら進んだ。


「あ、緑祁……」

 (ニセ)香恵(かえ)の方が先に声を出した。

「香恵……。ここに、いたんだね」

 緑祁も声を漏らす。

 本来ならこの再会、喜ぶべきだろう。しかしそれができない理由が、緑祁にはある。偽者とはいえ香恵の姿をした存在を、この世から葬り去らねばいけないからだ。
 一方の偽香恵にも、嬉しくないわけがあった。

「思えばこの軍艦島に去年行った時から、こうなる運命だったのかもしれないわ」
「どういう意味だい?」

 緑祁には、一つだけ、偽香恵に聞きたいことがあった。どうして緑祁の側から消えたのか。それだけは本物ではなく偽者しか知ってない。

「予感がしたのよ。緑祁を最初に見た時、こういう時が来るってことを」

 だから偽香恵は、逃げ出したと言うのだ。

「緑祁が寄霊に取り憑かれるのは、軍艦島に行くって決めた時に察せたわ。そうしたら寄霊の存在を知って、私のことを怪しむのも時間の問題よ」
「なら、止めようとは思わなかったの?」

 それが一番不思議なのだ。軍艦島の依頼を受けると決めたのは緑祁だが、その話を彼に持って来たのは香恵である。正体がバレたくないのなら、依頼のことを秘密裏に断ればいいだけのこと。それをしないのは合理的ではない。

「最初は思ったわ。だって、当然よ。行けば寄霊のことが露見して、私も偽者ってことがわかってしまう。でも……」

 ここで、葛藤があったのだ。

「でも、いつまでも騙し通すのは辛いことだわ。自分にも他人にも嘘を吐き続けないといけないから」

 心を締め付けられるような痛みを味わっていた、偽香恵。偽緑祁とは違う寄霊なので、個性も違うらしい。罪の意識を感じることがどれだけ辛いかは、緑祁にも痛いほどわかる。

「終わりにしなければいけない時が、いつか来る。ならばさっさとその時に針を進めましょう。長い間緑祁を騙せば、それだけ最後に苦しい顔を見なければいけなくなるわ」

 だから長崎に来ることを拒まず、軍艦島の依頼を受けた。

「けれど私も、結局は自分が可愛いのね……。思い知らされたわ。偽者だってバレたくない、消えたくない……そう思ったから、私は軍艦島に上陸しなかったの。それで、緑祁の側から逃げたのよ」

 それ以外にも、寄霊が再現した偽者の香恵に、さらに寄霊が取り憑く可能性もあった。その場合何が起きるかわからないが、彼女にとって悪いことでしかないのは予想がつく。

「偽者の緑祁があんなに破壊的な存在になるとは、私も想像してなかった。だから寄霊が再現した緑祁に会うことはやめたの。でも、本物にも罪悪感があって合わせる顔がないわ…」

 それで、ひっそりと軍艦島に上陸し、ここに息をひそめていたのだ。ここなら見つからない自信があったのだが、皇の四つ子と重之助が来てしまったためにそれも崩壊。

「隠れることはもう、選ばなかったわ。だからあの四つ子に見つかった時、ワザとわかってないフリをしていたの。こんなことは長く続けちゃ駄目、もう終わらせないといけない……」

 だから皇に捕まるなら抵抗する気はなかった。しかしそういう動きがなかったので、これは緑祁本人が直にここに来るのだろう、と考えたのだ。

「緑祁、今まで騙して、本当にごめんなさい……」

 涙ながらに偽香恵は、頭を下げて謝ったのだ。

「………」

 緑祁の心は揺らぐ。当初、偽香恵を有無を言わさず一気に倒してしまおうと思っていたのだ。そうすれば感じる罪悪は最小限で済む。しかし彼女の心の内部を暴露されては、同情しないという選択肢が選べない。

(これは、罠なのか…。それとも、本心?)

 それもわからない。今言ったことは全て嘘で、本当は反撃の機会をうかがっているのかもしれないのだ。

(緋寒は、僕ならまず負けない、って言っていたけど……)

 そして先ほどの心情が嘘なら、本来の実力を隠していることも十二分にあり得る。実は香恵は緑祁以上に強く、返り討ちに遭う可能性がここで浮上した。

(何をしておる! さっさと!)

 様子を見て聞いている緋寒も焦れる。もしも緑祁が殺されそうになったら、いつでも飛び出して偽香恵を倒していい、と紅華と朱雀に伝えてあるので、最悪の事態は避けられると思うが、

(これ以上長引くと、完全にペースを持って行かれるぞ!)

 肝心の緑祁が、動きを見せないのだ。
 それは悩んでいるから。
 もちろん、偽香恵をここで逃がすことはできない。だが、今の話を聞いて少しでも彼女のことがかわいそうと感じてしまったので、非情にもなれない。

「……許してはくれないのね」

 沈黙を、偽香恵はそう受け取った。

「違うよ」

 即座に否定する緑祁。

「僕は、たとえ偽者であっても香恵と出会えてよかったと思ってる。修練とのいざこざや隣接世界の霊能力者との攻防もあってそれらは大変だったけど、その苦難を乗り越えられたのは香恵のおかげだよ」

 逆だ。緑祁は感謝しているのだ。

「香恵がいなかったら、僕は霊能力を持て余したただの大学生だ。紫電や絵美、刹那、雛臥、骸…他の霊能力者とも出会えなかったはずだよ。それが現実になっていないのも、香恵のおかげなんだ…。でも……」

 感謝の後ろに、やらなければいけないことがつっかえている。

「でも、約束したんだ、理恵と。偽者を倒して、本物の香恵の意識を取り戻すって!」

 だから、偽香恵を逃がすわけにはいかない。妥協して、偽香恵との道を歩むわけにもいかない。

「そうね、それがいいわ……」

 偽香恵もそれが正しいと頷いた。すると彼女は緑祁の方に近づき、

「寄霊は、自分で命を絶てないの。だから緑祁、お願い」

 自分を殺してくれと言った。
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