第2話 作戦の夢想曲 その3

文字数 3,163文字

 時計の針がもう、十時を指し示そうとしている。その時刻、修練は病棟の独房で読書をしていた。丁寧に扱わなければページが破けてしまいそうなほどにボロボロの本だ。【神代】の歴史についてまとめられている歴史書で、

「これを頭に叩き込んで更正しろ」

 という目的で配られている。
 精神病棟は十一時になると完全に電気が消えるので、まだ時間はある。一時間ごとにチャイムが鳴り、今、十時を知らせる音がした。
 その時のことだ。

「ん、なんだ…?」

 何かが砕ける音がした。それも結構近くでだ。数秒も経たないうちに病棟全体に、火災報知器のベルが鳴り響く。だがそれもすぐに止まる。

(外では変わったことはないが……)

 窓の外では異変はない。

(となると、中なのか?)

 そう思った瞬間、修練の部屋の扉にヒビが入り、一気に崩れた。廊下には大きなムカデのような式神がいる。ソイツがチカラを使って、物体の強度を無視してヒビを入れて扉を破壊したのだ。
 そのムカデ型の式神と目が合う。無機質な瞳が修練のことを睨むが、興味がないようで過ぎ去る。

(扉が開いた……。外に出ることができそうだが)

 今なら逃げ出せる。何が起きているのかを確かめたいと思い修練は、独房を出た。

「ひいいいいいい!」

 誰かの悲鳴だ。どうやらムカデ型の式神は、部屋の扉を破壊して回っているらしい。人の命までは奪う気はない様子。

「やばい、やばいって! 何だあれは!」

 収監されている人たちが逃げ出している。チャンスを活かしているというより、命の危険を感じて逃げている感覚だ。その中には蛭児や皐もいた。
 しかしここまでなら、扉を壊して回るだけの式神が内部に侵入したという判断で終わる。そうならなかったのは、修練が次に見た大きなクモ型の式神のせいだ。

「危ない!」

 天井に向かって突撃し、轟音を出させて崩壊させるクモ型の式神。攻撃は激しく、周囲の物体を腐らせて脆くさせてから一気に破壊している。瓦礫に埋まってもビクともせず、平然と這い出てはまた暴れまわる。

「一旦、外に出よう! ここでは命が危ない! 霊障が使えないし、除霊できる品物もないんだ!」

 誰かがそう叫んだ。脱獄する意思は無関係で、あくまでも自分の命を守るためだ。

「階段はこっちだ!」
「気をつけろ! 瓦礫が散らかっているぞ!」

 外に通じる扉ももう、ひしゃげている。簡単に外に出ることができた。

「うわーお……」

 大きなサソリ型の式神が、その鋏を使って病棟の建物を攻撃している。これでは病棟が崩れ落ちるのも時間の問題だ。おまけに空には大きなスズメバチ型の式神まで飛んでいて、針を掲げて建物に襲い掛かっている。

「こっちです! こっちに避難してください! グラウンドなら、ひとまず安全なはずです!」

 当直の看守が叫ぶ。みんなその指示に従い、逃げる。しかし修練はその指示には従わなかった。

(私の勘が正しければ……)

 これは単なる幽霊や式神の暴走ではない。明らかに外部の誰かが、収監された人を逃がすために攻撃をしているのだ。その誰かの方に行くべき。

「待ってよ、修練」

 彼の後ろに皐がいた。

「どうしたんだ? 避難指示に従った方がいい。さっさと逃げるべきだ」
「濁さないでくれる? これ、チャンスじゃん! こんな狭い場所から逃げ出す、唯一無二で最大の! 誰が逃がすか!」

 避難指示とは全く逆の方向に進む。

「おやおや、君たちも、かい?」

 蛭児もいた。

「この【神代】の監獄から逃げるには、今しかない! 幸いにも外の誰かは協力的なんだ、便乗しようではないか!」

 その方向とは、今にも崩れそうな病棟の方だ。建物の崩壊に紛れて逃げ出すという作戦だ。

「何をしているのですか!」

 しかし三人は、上杉左門に見つかってしまう。彼は、

「急ぎましょう。ここにいては危険です! さあ、早くグラウンドの方へ!」

 修練たちの思惑など知らず、彼らに催促する。だが一向に足を動かそうとしない三人。

「どうしたんですか、一体!」
「私たちはね、ここから逃げるんですよ。この騒ぎに隠れてね」
「蛭児さん? そんなこと、認められませんよ! 絶対にダメです、それは!」

 模範的な囚人である左門からすると、脱獄など見過ごせるわけがない。

「よく考えてください! 私たちがどうして収監されているのか! いつか【神代】のために働くことができるようになるために……」
「【神代】のため? 意味がわかりませんね。私たちの自由を縛る【神代】が正しいとでも?」
「で、ですが!」

 左門は説得に必死だった。しかし、

「……うぐっ!」

 急に胸を押さえて苦しみだした。彼の後ろには皐がいて、

「邪魔なんだけど」

 首筋に手を伸ばしていた。毒厄を流し込んだのである。

「皐、霊障が使えるのか?」
「どうやらそうみたい。結界の依り代が壊れたのかね? それとも建物自体に結界を張る役目があったのなら……」

 足元に転げ落ちた左門の体を踏みつけ皐は病棟を見た。もう、一階部分も残っていないほどに破壊され尽くされている。彼女の予想通り、結界は破れてしまった。

「ダメ、です……」

 頭痛がし、発熱もしている。吐き気に襲われ呼吸も困難な状態になりつつも左門は、修練たちを止めようとした。だが、

「うるさい」

 皐に腹を蹴られた。同時に再び毒厄を入れられる。

「くあ……」

 一瞬で息の根が絶えた。

「ったく、邪魔なんだから……」

 人を殺しても、何の動揺もない皐。寧ろ自分の毒厄が健在であることに喜びを感じる。

「さて……」

 三人は進む。目の前のブロック塀さえ突破すれば、完全に逃げられる。でもそれには有刺鉄線のフェンスが上側にあり、飛び越えるのは難しい。

「そうでもないな?」

 塀の方から崩れた。反対側から誰かが霊障を使ったのだろう。

「お、お前たちはまさか!」

 そこで修練は驚く。そこにはなんと峻や紅、蒼に緑がいたのだ。

「修練様! お迎えに参りました……」
「峻!」

 彼に駆け寄り、思い切り抱きしめる。本当は、

「なんて馬鹿なことを! 【神代】を完全に敵に回して、生きられると思うのか!」

 と叱ってやりたい。でもその発言はここでは相応しくない。峻たちは修練の思いを知っているからこそ、彼のためにこの作戦を練り決行したのだから実際に言ったのは、

「よくやった! お前たちが私を頼りにしてくれていることが、一番、生きていることを実感できる。ありがとう」

 誉め言葉だった。

「さ、修練様。移動手段を用意してあります。ここから早く離れましょう。安全な場所を確保していますので!」

 道路にはマイクロバスが停車している。ドライバーは蒼だ。

「そうなのか。では、頼む」
「すみません、あちらの二名は?」

 紅が言っているのは、蛭児と皐のことだ。何故か修練と一緒にいる。

「あの二人も連れて行ってくれ。監獄の中で出会った、数奇な運命を辿る仲間だ」
「わかりました。案内します」

 そのバスから、結と秀一郎が出てきた。

「誰だ?」
「この作戦のために、仲間に加えた者たちです。彼らなしでは絶対にできませんでした。今からここに残って、【神代】の追っ手を煩わせる役目です」

【神代】は以外にも対応が早い。バスに乗り込んで走るだけではすぐに捕まってしまうだろう。それを心配した峻たちは、完全に逃げ切るためにもこの囮役を結たちに頼んだ。

「了解した。蒼、バスを出せ!」
「はい!」

 動き出すマイクロバス。ここまでは順調だ。
 峻たちは修練を精神病棟から脱出させ、そして新たな本拠地を目指して道路を進む。
【神代】の部隊がそこに駆け付けた時には既に修練たちの姿はなかった。目撃者もおらず、彼らは完全に逃げおおせたのである。

「到着まで時間があるな。紅、峻、緑! これからすべきことをまとめておこう」

 作戦会議を始める。それには皐や蛭児も耳を傾けていた。
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