第6話 精神の減退 その2

文字数 3,499文字

「緑祁に声、かけとけばよかったかな?」

 事情を話せば来てくれたかもしれない。必ず、自分たちの助けになってくれるはずだ。しかし【神代】に緑祁は呼ばれていなかった。

「人には人の事情がある。我らの我儘が常に通せることの方が異常事態なのだ――」

 いつも彼に頼ってはいられない。緑祁には緑祁の役割がある。招集されなかったことにはちゃんと理由があるのだろう。

「とにかく今夜は僕たちだけで何とかしよう。除霊ができればかなり良いけど、それができなくても幽霊の特性、特徴を暴くことができれば! 情報を整えれば、【神代】の方で対策を考えて実行してくれるはずだ」

 勝つことまでは求めていない。【神代】という組織における末端の霊能力者でしかない自分たちには自分たちの、やるべきことがあるだけなのだから。

「ん?」

 スマートフォンが鳴ったことに雛臥が気づいた。メッセージアプリの音がしたのである。

「聖閃からの連絡か?」

 早速、邪産神を発見したのか。もしそうなら、その場所に急行しなければならない。
 だが画面を確認すると、相手はどうやら聖閃ではないらしい。骸だ。

「今すぐ戻ってくれ!」

 この文面を見た刹那と雛臥は、あることを察する。

「もしや! この砂浜に邪産神が現れたのか! 絵美と骸がそれに対面しているのか!」

 だとしたら、切羽詰まっている状態であるはずだ。

「我が皆に報せる――」

 刹那がメッセージアプリで聖閃に連絡を入れ、そして二人は来た道をすぐに引き返した。

(結構……三十分くらい歩いてたからな………。急がないといけない!)

 間に合わせなければいけない。それが二人にも焦りを生んだ。


 刹那と雛臥の予想通りのことが、絵美と骸に起きていた。

(ヤバいぞ、あれは……!)

 突然、バケツの近くに姿を現した幽霊が一体。十メートルくらいの背丈の、大男だ。あまりにも急な出来事だったので、反射的に絵美が霊障発展である激流を使って目晦ましをし、レンタカーの後ろに隠れた。

「ねえ、骸。見てたよね? あなたも私も、キョロキョロしてたわよね……?」
「ああ。いくら夜空が暗くても、あんな幽霊は見逃さない。だがアイツは、本当に突如としか言いようがない! 出て来やがった!」

 この砂浜に来た時には、そういう大きな幽霊の怪しい雰囲気は何も感じなかった。だから、

「あれが邪産神なのなら、ソイツは血の匂いに誘われてここに来た! 最初からここにいたわけじゃない! ってことだ。そして……」

 スマートフォンを手に取る。ここで彼らは聖閃たちと決めたように、情報共有をしようとした。しかし電波は圏外。

「さっきまでは動画見れるくらいだったのに。これだ。近くにいるだけで、電波障害を起こせるほどに強力! たった一行の文章、雛臥に送信したのが精一杯だったぜ……」

 その黒い幽霊は、バケツに手を入れた。そして赤く濡れた指先を舌で舐め回している。味がよかったのか、今度はバケツを持ち上げてまるでコップでジュースを飲むみたいにゴクゴクと音を立てている。

「勝てそう?」
「いや、勝つわよ!」

 咄嗟に隠れてしまったが、正直なところ怖くはない。今まで何度も何度も、質の悪い悪霊と遭遇してきた。今更、人の命を奪うだけの幽霊に怖気づくわけがないのだ。

「俺は右から攻める。絵美、お前は左だ。アイツの気を俺が引くから、背中を攻めろ!」
「わかったわ!」

 即席の作戦を立て、実行する。上手くいけば全てが瞬時に終わる。骸はポケットから植物の種を取り出し、霊障発展・木霊を使って成長させた。

「人の血が、そんなに美味いか! こいつめ!」

 その種を幽霊……怨完に投げつけた。

「ショクブツ、クエナイ……」

 怨完の体に巻き付く根と茎。動きを一瞬だが封じた。

(今だ、絵美!)

 この絶好のタイミング、骸が思った通りに絵美が車の背後から飛び出し、指先を怨完に向けた。

(くらいなさい! この、激流を!)

 鉄砲水よりも勢いのある水が、彼女の指先から放たれた。幽霊であろうとウォーターカッターのように切断できる放水だ。しかも今、絵美は怨完の背中を完全に捉えているし、怨完は後ろすら見ていない……絵美のことを視認できていないのだ。だから、

(必ず当たる!)

 彼女じゃなくても誰だってそう考える。そしてその通りになる。はずだった。
 突然、砂浜から岩石が飛び出して彼女の激流を遮ったのだ。

「………はぁ?」

 呆れ驚く絵美。

(足音で気づかれたの……? でも、もう一度!)

 しかし駄目だ。二撃目は舞い上がった砂に吸われた。三撃目は怨完の後頭部から火炎が飛び出し、相殺される。

「そ、そんな……!」
「あり得ない、こんなこと!」

 しかも骸の木霊も効いていない。体を縛っているはずの植物が、枯れてしまったのだ。木霊や木綿は温度条件を無視できるので、寒かったからという判断はできない。

「もしや………毒厄?」

 それができるのは、植物を病気にして殺すことができる霊障だ。だから毒厄。彼はすぐに思いつけた。

「離れろ、絵美! この幽霊は毒厄が使える! 触られてはいけない!」
「わかったわ…!」

 二人の間に、怨完がいる。この距離間を保てば、相手は動けない。

「コロス、レイノウリョクシャ、コロス」

(イントネーションは変だが、喋ることはできるみたいだな……。知能も高そうだ)

 緊張状態が続いている中、絵美は海の方をチラリと見た。激流なら、周囲の水を自在に操れる。

(海の波で、この幽霊を洗い流せば! でもそうしたら、骸が……)

 それは最後の手段だ。
 急に、怨完が絵美に向かって動き出した。

「今度こそ!」

 両手のひらを広げて、そこから激流を撃ち出す。

「レイショウガッタイ、ツカウ」

 彼女の目の前の地面が急に開いた。そこから、炎に包まれた岩石が飛び出したのだ。

「えっ……!」

 火炎噴石。絵美の脳裏に浮かんだ言葉だ。

(何で幽霊が、霊障合体を……? そんなことって、あり得るの…?)

 激流は岩石に向けるしかない。消火はできたが、岩石の勢いまでは殺せなかった。

「きゃああああ!」

 左肩に直撃した。信じられないほどの痛みが、そこから全身に走った。

「大丈夫か、絵美!」
「くっ! う、はあ、はあ……」

 幸いにも、まだ腕は動かせる。致命的ではない傷だ。

「だ、大丈夫よ、骸……!」

 無事を確認すると骸は、

「よくも絵美に! 許さねえぞ、お前!」

 大量の種を取り出し、怨完に向けて投げる。

「がんじがらめにしてやるぜ!」

 その中には、トリカブトの種も含まれている。その毒素を幽霊にぶつけるのだ。

(流石の幽霊でも、植物の種類までは判別なんてできないだろうよ! トリカブトの種はまだある! その口の中に叩き込んでや……)

 怨完の左手に鬼火が、右手に鉄砲水が出現した。そしてそれを合わせたのだ。

「これは!」

 霊障合体・水蒸気爆発を怨完は繰り出した。自分に向けられた種が爆風で百八十度飛ぶ向きを変え、骸に突き刺さる。

「うおおおおお!」

 反応に遅れ、避けられなかった。でも自分の力が及ぶ植物だから、そこまで深刻なダメージはない。

「驚きの連発だぜ……! 霊障合体を使う幽霊! しかも、撃って来る手が的確だ!」

 苦戦は必至。骸は絵美にアイコンタクトを送った。

(津波を、使え! コイツを海の中に引きずり込んで海底に沈めるんだ! 俺のことは気にするな!)

 その意思を絵美は汲み取った。

(でも、骸が……)

 彼を巻き込みたくない。その感情のせいで、絵美は躊躇ってしまう。その隙に怨完は周囲を見て、あるものを発見した。

「デンレイホウ、ウツ」

 骸たちが乗ってきたレンタカーだ。電源を見つけたのである。車の横まで歩き、背中をドアに押し付ける。

「デンレイホウ、レイショウガッタイ」

 両手が電気の光を帯び始めた。

「う、嘘……!」
「今しかない!」

 走りだす骸。怨完へではなく、絵美に駆け寄る。そして木霊で成長させた植物のつたで、自分と彼女の体を縛って固定。

「絵美! こうすれば津波を起こしても大丈夫だろう? お前自身は水の中でも自由に動けるはずだ! やるんだ!」
「わかったわ! この状態なら! しっかり私に掴まってて!」

 海の方にまた目をやる。波が徐々に引いていき、そして大きな壁となってこちらに迫りくる。

「もう、後悔しても遅いのよ!」

 小さいが津波が、この戦場を襲った。

「どうよ! これで太平洋の底に沈めばいいんだわ!」

 波は、絵美と彼女の体に密着している骸のことだけは器用に避けている。車ごと怨完を飲み込み、沖の方まで引き流す。

「か、勝った!」

 手応えがある。確かに絵美の激流が作った津波が、怨完を車ごと捕らえたのだ。
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