第10話 花は実を残す その1
文字数 3,724文字
勝負が終わろうとしている時、また月が雲の後ろに隠れ始めた。
「大丈夫かい?」
花織と久実子はまだ生きている。自分では起き上がれないので、緑祁が二人の体を背負って近くの木の下に座らせた。二人の体はボロボロだ。
「香恵、今ならそっちの霊能力で治せるよね?」
できれば命は奪いたくないもの。だから緑祁は負けた二人の身を案じ、香恵に頼んだのである。
「ええ、もちろんよ」
彼女も快諾する。
だが、
「しなくて、いいです……」
花織が断ったのだ。
「何を言っているんだよ? このまま放っておいたら確実に……死ぬんだよ?」
「いいんだ、それで…」
久実子が返事をした。彼女らによれば、
「元の世界には居場所はありません。わたくしたちの居場所を求めての戦いだったのですが、それに負けたということは、こちらの世界にもわたくしたちの席はなかった、ということです。死が敗者に与えられることなら、わたくしたちは受け入れますよ………」
潔い覚悟だ。きっと元いた世界の常識がそうなのだろう。だがそれはこちらの世界にいる緑祁たちには受け入れがたいこと。
「こんなに綺麗な人たちなのに、ここで死ぬなんて……。僕は嫌だよ!」
「花は散る時が一番美しいって聞くわ。でも今の二人は、そのようには見えない。苦しみを感じながら命を失うことが、どんなに辛く醜いか…」
どうにかできないか、考える。
無理矢理香恵が治してしまうという手もあるが、それは二人の気高き意志を踏みにじることになる。だからそれはできない。その力を察したのか香恵が二人に近づくと、久実子が、
「来るな…」
と弱々しく叫ぶ。
この様子を見ている緑祁の心は苦しかった。
(二人を死なせたくない。こちらの世界で死ねば、魂が残らないんだ…! 幽霊にもなれないんじゃ、あまりにも可哀そうすぎる! でも、どうするのが正解なんだろう? 香恵には何か、わかるのかな…?)
香恵の方を見ると、彼女もまた難しい顔をしているのだ。考えていることは二人とも同じで、どうにかしたいがどうすることもできない状況。
「できれば、墓石とかは築いてもらえるでしょうか……? 久実子と同じ墓穴に入りたいです…」
「あたしも同じだ………」
さらに悪いことに、二人にはもう生きながらえようという意思すらない。そのことも緑祁と香恵の心をえぐるのだ。
ふと、香恵がこの沈黙を破った。
「こういうのはどうかしら?」
「な、何だい?」
曰く、
「二人を式神にしてしまうのは?」
和紙と筆ペンを取り出し彼女は言った。
「それは無理だよ、香恵…。式神を作るには、死者の魂が必要であって生きてる人じゃ駄目だ。でも二人は死後、霊魂は消えて残らない。それにだいいち、霊能力者は人間の魂から式神を作れないんだよ?」
当たり前のことを緑祁は返答した。けれども、
「それは、こちらの世界の常識でしょう? 二人はそれが通じない隣接世界からやって来たのよ? もしかしたら、できるかもしれないわ」
やってみる価値はある、と言うのだ。
「考えてみて? 増幸さんは、魂を完全にこちらの世界に持って来れないんだろう、って言ってたわ。でも私は違うと思うの。こちらの世界と隣接世界では、魂の性質が異なる。だから死ぬと幽霊になれないのかもしれないわ」
「じゃあ、こう言いたいのかい?」
緑祁はその発言の内容を咀嚼し、
「隣接世界の人からなら、式神を作れるかもしれない、って」
頷いて答える香恵。常識では考えられない発想だ。
「確かに、試す価値はあるかもしれない。でも…」
花織と久実子の方を向いて緑祁が、
「二人は、誰の支配下にも入りたくないはずだよ」
そういう意見があったから、わかり合えずに戦うことになったのである。もし仮に式神にできたとしたら、その場合は主となる人物に、存在が破壊されるまで仕えることになる。それも彼女らの意に反するのだ。
「でも、もうそれ以外に道がないわ……」
香恵は二人に駆け寄り、
「ねえ、お願いだから頷いて。私も緑祁も、命を奪いたくないの。こっちの世界では罪なことだし、それ以上に私たちの心に重圧な罪悪感が残るわ。勝者には相応しくない心境よそれは。だから、お願い。式神にできれば、花織も久実子も魂を失わずに済むのよ」
説得を試みる。正直言うと、絶望的だろう。
だが、二人はある単語に反応した。
「勝者、か……」
言われてみれば、緑祁はこの戦いに勝った者。
「強い人が正義、はどこの世界でも変わらないのですね………」
残酷な現実は、花織たちにもわかる。
「確かに勝負の結果で、あんたらが損するのはあたしたちも望んではいない……」
「いいですよ…。この魂、使えると言うならば持って行ってください…」
ついに二人は折れた。それは根負けしたのではない。
「従うことは少しシャクだが、強い者の言うことを聞かないわけにはいかないな……。それが、あたしたちを負かせた人ならなおさらだ。いいだろう、やれよ…」
二人は緑祁の強さに負けたのである。
「待って」
香恵から和紙と筆ペンを渡された緑祁がここで、待ったをかけた。
「どうしたのよ? まさか、できそうにないとか言わないわよね?」
「違うんだ。式神を作る場合、生前の記憶は全て消えてしまう…んだよね?」
「そうよ、それがどうし……ああ、そういうことね」
香恵も理解した。
二人はお互いのことを想い合っている。友情すら超えた絆が、花織と久実子の間にはある。しかし式神になればそれらは、消えてしまうだろう。
それを二人に教えると、
「そう、なのですか……。それは残念です…」
という返事が。表情も曇っている。心は失いたくないのだろう。
「なら、最後にワガママを言ってもいいか?」
「何だい?」
その内容は、体を少し動かしてくれ、というものだった。
「ちょうど、わたくしと久実子が抱き合えるような感じに…」
言われた通り優しく体を動かして、二人を抱き合わせる。
「久実子…。あなたと出会えてわたくしは幸せでしたよ…。他の誰かに何を言われようがわたくしは、あなただけに心を許すと決めていました…」
「それは、あたしも同じだよ……。花織、あんたがいなければあたしの人生は詰まらなかったに違いない…。あたしからも礼を言わせてくれ…」
最後の別れの挨拶を済ませると二人は、唇を合わせた。温もりの共有も、これが最後。それを終えると緑祁の方に向き直り、
「いいぞ……。死なないうちにやってくれ…」
「お願いします、どうぞ…」
意思表示をした。
「……わかったよ」
式神を作るのは、実は簡単だ。霊魂を見つけたら、それに札となる紙…和紙が好ましく、それを当てる。そして名前を紙に書きこむだけだ。たったそれだけで、作ることが可能。
「名前は、どうしよう?」
普通なら悩みどころだが、ここで時間を浪費するわけにもいかない。ので、
「シンプルに決めよう。花織は[ライトニング]で、どう?」
精霊光を使うから、光に関する名前がいい。それを聞くと、
「構いませんよ……」
了解を得たので、いよいよ実行に移る。ここから先はやってみないとわからないし、できるかどうかも不明だ。
だが香恵の目論見通りとなった。花織の体は光の粒になって消え、それが札に吸収されたのだ。やはり隣接世界出身であると、勝手が違うらしい。
「じゃあ久実子の方は、[ダークネス]で…」
対となる堕天闇を操る久実子にはその名前が相応しいだろう。
「いい名前じゃないか…」
同じく札を彼女に当て、それから名前を書き入れる。今度は体が黒い粒子に変わり、そして札がそれを吸い寄せる。
「できた……」
やってみせた緑祁も、提案した香恵も驚きを隠せない。ここまで上手くいけるとは予想外だったからだ。
「でも待って! ちゃんと召喚できる? してみて」
今度はしっかりと式神となれているかを確認する。緑祁は札に念を込め、式神をその場に召喚した。
(これで、姿が崩れた化け物が出てきたらどうしよう…?)
そんな彼の心配をよそに、花織から作られた[ライトニング]は美しいペガサスの姿をしている。
「ならこっちも!」
久実子が元の[ダークネス]も麗しいグリフォン型の式神だ。
「良かった…! ちゃんとできてるよ」
手を、「ライトニング」の顔に伸ばしてみた。すると[ライトニング]は差し伸べられた緑祁の手に素直に応じる。[ダークネス]の方も性格には問題がない。
「チカラを使ってみせてもらえるかしら?」
香恵の頼み事に頷くと、[ライトニング]は精霊光を、[ダークネス]は堕天闇をそれぞれ繰り出した。
「わお、すごいよ……。これがこの、式神のチカラ……! これって、花織と久実子の魂が式神に生まれ変わって生きているってことだよね?」
「そうに違いないわ」
さらに驚いたことに、[ライトニング]は隣にいる[ダークネス]に体をくっつけているのだ。二体の式神はそれを嫌がっておらず、寧ろ喜んでいる。
普通なら生前の記憶は失われるのだが、二人の絆は式神となっても死んでいないのだ。それがまた、緑祁に、
「二人は生きているんだ!」
ということを実感させた。
花織と久実子という二輪の花は、式神となることでこちらの世界に確実に二つの実を残したのである。
「大丈夫かい?」
花織と久実子はまだ生きている。自分では起き上がれないので、緑祁が二人の体を背負って近くの木の下に座らせた。二人の体はボロボロだ。
「香恵、今ならそっちの霊能力で治せるよね?」
できれば命は奪いたくないもの。だから緑祁は負けた二人の身を案じ、香恵に頼んだのである。
「ええ、もちろんよ」
彼女も快諾する。
だが、
「しなくて、いいです……」
花織が断ったのだ。
「何を言っているんだよ? このまま放っておいたら確実に……死ぬんだよ?」
「いいんだ、それで…」
久実子が返事をした。彼女らによれば、
「元の世界には居場所はありません。わたくしたちの居場所を求めての戦いだったのですが、それに負けたということは、こちらの世界にもわたくしたちの席はなかった、ということです。死が敗者に与えられることなら、わたくしたちは受け入れますよ………」
潔い覚悟だ。きっと元いた世界の常識がそうなのだろう。だがそれはこちらの世界にいる緑祁たちには受け入れがたいこと。
「こんなに綺麗な人たちなのに、ここで死ぬなんて……。僕は嫌だよ!」
「花は散る時が一番美しいって聞くわ。でも今の二人は、そのようには見えない。苦しみを感じながら命を失うことが、どんなに辛く醜いか…」
どうにかできないか、考える。
無理矢理香恵が治してしまうという手もあるが、それは二人の気高き意志を踏みにじることになる。だからそれはできない。その力を察したのか香恵が二人に近づくと、久実子が、
「来るな…」
と弱々しく叫ぶ。
この様子を見ている緑祁の心は苦しかった。
(二人を死なせたくない。こちらの世界で死ねば、魂が残らないんだ…! 幽霊にもなれないんじゃ、あまりにも可哀そうすぎる! でも、どうするのが正解なんだろう? 香恵には何か、わかるのかな…?)
香恵の方を見ると、彼女もまた難しい顔をしているのだ。考えていることは二人とも同じで、どうにかしたいがどうすることもできない状況。
「できれば、墓石とかは築いてもらえるでしょうか……? 久実子と同じ墓穴に入りたいです…」
「あたしも同じだ………」
さらに悪いことに、二人にはもう生きながらえようという意思すらない。そのことも緑祁と香恵の心をえぐるのだ。
ふと、香恵がこの沈黙を破った。
「こういうのはどうかしら?」
「な、何だい?」
曰く、
「二人を式神にしてしまうのは?」
和紙と筆ペンを取り出し彼女は言った。
「それは無理だよ、香恵…。式神を作るには、死者の魂が必要であって生きてる人じゃ駄目だ。でも二人は死後、霊魂は消えて残らない。それにだいいち、霊能力者は人間の魂から式神を作れないんだよ?」
当たり前のことを緑祁は返答した。けれども、
「それは、こちらの世界の常識でしょう? 二人はそれが通じない隣接世界からやって来たのよ? もしかしたら、できるかもしれないわ」
やってみる価値はある、と言うのだ。
「考えてみて? 増幸さんは、魂を完全にこちらの世界に持って来れないんだろう、って言ってたわ。でも私は違うと思うの。こちらの世界と隣接世界では、魂の性質が異なる。だから死ぬと幽霊になれないのかもしれないわ」
「じゃあ、こう言いたいのかい?」
緑祁はその発言の内容を咀嚼し、
「隣接世界の人からなら、式神を作れるかもしれない、って」
頷いて答える香恵。常識では考えられない発想だ。
「確かに、試す価値はあるかもしれない。でも…」
花織と久実子の方を向いて緑祁が、
「二人は、誰の支配下にも入りたくないはずだよ」
そういう意見があったから、わかり合えずに戦うことになったのである。もし仮に式神にできたとしたら、その場合は主となる人物に、存在が破壊されるまで仕えることになる。それも彼女らの意に反するのだ。
「でも、もうそれ以外に道がないわ……」
香恵は二人に駆け寄り、
「ねえ、お願いだから頷いて。私も緑祁も、命を奪いたくないの。こっちの世界では罪なことだし、それ以上に私たちの心に重圧な罪悪感が残るわ。勝者には相応しくない心境よそれは。だから、お願い。式神にできれば、花織も久実子も魂を失わずに済むのよ」
説得を試みる。正直言うと、絶望的だろう。
だが、二人はある単語に反応した。
「勝者、か……」
言われてみれば、緑祁はこの戦いに勝った者。
「強い人が正義、はどこの世界でも変わらないのですね………」
残酷な現実は、花織たちにもわかる。
「確かに勝負の結果で、あんたらが損するのはあたしたちも望んではいない……」
「いいですよ…。この魂、使えると言うならば持って行ってください…」
ついに二人は折れた。それは根負けしたのではない。
「従うことは少しシャクだが、強い者の言うことを聞かないわけにはいかないな……。それが、あたしたちを負かせた人ならなおさらだ。いいだろう、やれよ…」
二人は緑祁の強さに負けたのである。
「待って」
香恵から和紙と筆ペンを渡された緑祁がここで、待ったをかけた。
「どうしたのよ? まさか、できそうにないとか言わないわよね?」
「違うんだ。式神を作る場合、生前の記憶は全て消えてしまう…んだよね?」
「そうよ、それがどうし……ああ、そういうことね」
香恵も理解した。
二人はお互いのことを想い合っている。友情すら超えた絆が、花織と久実子の間にはある。しかし式神になればそれらは、消えてしまうだろう。
それを二人に教えると、
「そう、なのですか……。それは残念です…」
という返事が。表情も曇っている。心は失いたくないのだろう。
「なら、最後にワガママを言ってもいいか?」
「何だい?」
その内容は、体を少し動かしてくれ、というものだった。
「ちょうど、わたくしと久実子が抱き合えるような感じに…」
言われた通り優しく体を動かして、二人を抱き合わせる。
「久実子…。あなたと出会えてわたくしは幸せでしたよ…。他の誰かに何を言われようがわたくしは、あなただけに心を許すと決めていました…」
「それは、あたしも同じだよ……。花織、あんたがいなければあたしの人生は詰まらなかったに違いない…。あたしからも礼を言わせてくれ…」
最後の別れの挨拶を済ませると二人は、唇を合わせた。温もりの共有も、これが最後。それを終えると緑祁の方に向き直り、
「いいぞ……。死なないうちにやってくれ…」
「お願いします、どうぞ…」
意思表示をした。
「……わかったよ」
式神を作るのは、実は簡単だ。霊魂を見つけたら、それに札となる紙…和紙が好ましく、それを当てる。そして名前を紙に書きこむだけだ。たったそれだけで、作ることが可能。
「名前は、どうしよう?」
普通なら悩みどころだが、ここで時間を浪費するわけにもいかない。ので、
「シンプルに決めよう。花織は[ライトニング]で、どう?」
精霊光を使うから、光に関する名前がいい。それを聞くと、
「構いませんよ……」
了解を得たので、いよいよ実行に移る。ここから先はやってみないとわからないし、できるかどうかも不明だ。
だが香恵の目論見通りとなった。花織の体は光の粒になって消え、それが札に吸収されたのだ。やはり隣接世界出身であると、勝手が違うらしい。
「じゃあ久実子の方は、[ダークネス]で…」
対となる堕天闇を操る久実子にはその名前が相応しいだろう。
「いい名前じゃないか…」
同じく札を彼女に当て、それから名前を書き入れる。今度は体が黒い粒子に変わり、そして札がそれを吸い寄せる。
「できた……」
やってみせた緑祁も、提案した香恵も驚きを隠せない。ここまで上手くいけるとは予想外だったからだ。
「でも待って! ちゃんと召喚できる? してみて」
今度はしっかりと式神となれているかを確認する。緑祁は札に念を込め、式神をその場に召喚した。
(これで、姿が崩れた化け物が出てきたらどうしよう…?)
そんな彼の心配をよそに、花織から作られた[ライトニング]は美しいペガサスの姿をしている。
「ならこっちも!」
久実子が元の[ダークネス]も麗しいグリフォン型の式神だ。
「良かった…! ちゃんとできてるよ」
手を、「ライトニング」の顔に伸ばしてみた。すると[ライトニング]は差し伸べられた緑祁の手に素直に応じる。[ダークネス]の方も性格には問題がない。
「チカラを使ってみせてもらえるかしら?」
香恵の頼み事に頷くと、[ライトニング]は精霊光を、[ダークネス]は堕天闇をそれぞれ繰り出した。
「わお、すごいよ……。これがこの、式神のチカラ……! これって、花織と久実子の魂が式神に生まれ変わって生きているってことだよね?」
「そうに違いないわ」
さらに驚いたことに、[ライトニング]は隣にいる[ダークネス]に体をくっつけているのだ。二体の式神はそれを嫌がっておらず、寧ろ喜んでいる。
普通なら生前の記憶は失われるのだが、二人の絆は式神となっても死んでいないのだ。それがまた、緑祁に、
「二人は生きているんだ!」
ということを実感させた。
花織と久実子という二輪の花は、式神となることでこちらの世界に確実に二つの実を残したのである。