第6話 侵犯の青い汚染 その2
文字数 3,428文字
数日連続で誰も来なかったので、緑祁は焦燥感を抱いていた。
「まさか今日も来ないんじゃ……?」
【神代】が全力を挙げれば、辻神たち三人は簡単に探し出せるだろう。そしてしかるべき報いを受けさせることになるだろう。
「でも、それじゃあ駄目だ」
しかしそれだけは避けたい。それでは彼らを過去から救えないのだ。
「私もそれがいいと思うわ」
これについては、香恵も同意見。力任せに檻に放り込むのは、好ましくない。
緑祁はタブレット端末を起動し、【神代】のデータベースを開いた。自分が挑戦状を出してから、辻神は何の返信もしていない。だが、山姫が実際に彼の元に来たので、見ていないわけでもない。
「待っていれば来るはずだ……!」
そう希望を持ち、この夜もここで待つ。葛西臨海公園はその名の通り、海に面している。その海が不自然な波を立てていた。
「ん?」
偶然海の方を見ていた香恵がそれに気づいた。
「緑祁、ちょっと……」
彼の袖を引っ張って、同じ方を向かせる。
「何だい香恵?」
暗いが、よくわかる。海面に生じた渦巻が、少しずつ陸に近づいている。でもそれは周囲の波に干渉せず、渦の波紋が伝わって行かない。これは不自然だ。
「まさか!」
ここで思い出すのは、山姫のこと。彼女のセリフが確かなら、ここには電車で来ていた。でも帰りは緑祁の追跡をかわすために、霊障を用いて地面の下を逃げた。
それと似たようなことが、今目の前で起きているに違いない。
「きっと鉄砲水を海の中で起こして、移動しているんだ。そんなことができるのは三人の中では一人……田柄彭侯!」
上野での戦いで緑祁に、撤退を選ばせた人物である。
不意に、その渦巻が動くのをやめた。おそらく緑祁たちの接近に気が付いたのだろう。すると次の瞬間、大きな波柱が上がった。
「うわっ!」
バシャーンと大きな音が響く。
「山姫を傷つけたこと、ここで償わせてやるよ。緑祁!」
彭侯の声だ。彼は別荘近くを流れる川に入るとそのまま海にまで流れ、それから臨海公園を目指してここまで来たのである。そして今の水しぶきに紛れて、陸に上がった。
「やっぱり彭侯……!」
その魚の鰭や鰓が生えたかのような髪型の、緑祁とはさほど変わらない年齢の青年。彼こそが彭侯だ。
「そっちが来たってことは、今日も辻神は来ないってこと?」
「さあな」
緑祁の問いかけをぼかす彭侯。
「ねえ一つ聞かせて欲しい! どうしても彭侯たちは、【神代】への攻撃をやめない? それをしてもきっと、明日は何も変わらないよ…?」
「うるさいヤツだ、オレたちの屈辱を知らないからそんなことが言える」
これに関しては彭侯はすぐに返事をした。
先祖が受けた屈辱を、一日たりとも彭侯たちは忘れたことがない。彼は指を緑祁に向けて、
「いいか緑祁! 過去を忘れるという発想は、オレたちにはない! 先祖への弔いをしてから、初めてオレたちは人生を歩めるんだ! そのためにもオレは、負けない!」
(くっ……)
言葉ではわかり合うことができそうにない。それを悟った緑祁は構えた。それを見て彭侯も、戦闘態勢に移る。
(厄介なのは汚染濁流だ…)
緑祁にはそういう認識がある。彭侯の放つ鉄砲水には毒厄の効果が付与されており、触れるだけで発病する。
(それ以外はどうだろう? 蜃気楼の持ち主は、彭侯なのかな? 山姫ではなかったけど……。いいや、彼も違うはずだ)
その根拠は、さっき目の前で見た。彭侯は海から現れた。しかしもしも自分の姿を偽れる蜃気楼が使えるのなら、そんなことをする必要はない。不意打ちができるはずだ。それをしないということは、
(蜃気楼は、辻神の霊障だ! 彭侯のは、鉄砲水と毒厄!)
という結論にたどり着けるのである。
一方の彭侯は、疑問を抱いている。
(式神は使ってこないのか、コイツ……)
戦力の増強を、緑祁はしようと思えばできるのだ。しかしその様子がない。
(舐めやがって! ムカつくぜ! その油断、絶対に後悔させてやる!)
指を開いた。その手のひらから勢いよく、鉄砲水が解き放たれた。
「くらいやがれ、汚染濁流を!」
ただの鉄砲水ではない。毒厄の力を乗せた、霊障合体。
「そうはさせない!」
緑祁はその放水に反応し、鬼火を出した。そして汚染濁流を蒸発させてやったのだ。
「やっぱり! どうやらそっちの霊障合体、蒸気になってしまうと効力が無くなるみたいだね……。防御はできる!」
「だから何だ、ああ? アンタが不利なのか変わんないんだよ!」
彭侯は手の向きを変えた。下だ。地面に向けて汚染濁流を流し込む。
「オレの毒厄は、植物には効果がない。だから地面の雑草すら枯れない……。が! こうしておくことに意味があるぜ」
「そうだろうね…」
その言葉の意味を緑祁は理解していた。だから一歩後ろに下がった。
(地面を水浸しにしておけば、そこから鉄砲水を撃てる。きっと汚染濁流もできるんだ。彭侯の足元の濡れた地面に踏み込んでは、駄目だ)
水溜りが広がる中、緑祁は霊障で攻撃を試みた。
「鬼火だ! いっけえ!」
これでぬかるんだ地面を乾燥させるつもりだ。しかし撃ちこんだ火球はすぐに彭侯の鉄砲水で消された。
「どうした緑祁? ワンパターンだぞ?」
ドンドン汚染された領域が広がっていく。
「いいやここまでは普通さ! これからだ!」
前に彼らと遭遇した時のことを、領域は思い出していた。
彭侯は火災旋風を消火できる。それは鉄砲水の雨を降らせることで、風の影響を受けないように行う。その時に降り注ぐ水滴には、毒厄が含まれている。
(ならば、火災旋風は駄目だ。ここは台風で!)
鉄砲水と旋風を組み合わせ、台風を作って彭侯に送りつけた。
「うおおおおお! これは!」
聞く分には驚いているような感じの声だ。しかし、
「墓穴だ! 自分で自分の首を絞めやがったな、緑祁!」
「な、何……?」
思考は逆だ。彭侯にとってこれは、嬉しい出来事。
彼は汚染濁流の大きな水球を生み出すと、それを台風にぶつけて相殺させた。
「そうか!」
その、台風と汚染濁流がぶつかる瞬間に緑祁は閃く。だから自分の体を旋風で吹き飛ばして木の上まで持ち上げた。
「読まれたか……。まあ仕方ないな」
緑祁と彭侯の霊障合体が衝突した際、水が弾け飛んだ。どちらの鉄砲水かはわからない。それが恐怖だ。もし彭侯のものであったのなら、緑祁は動いていなかったら間違いなくその水滴をくらっていた。
「木の上に逃げたか、緑祁! しかしアンタはもう、降りることはできないぜ? 汚染濁流!」
周辺の地面に汚染濁流を流し込む。これで彭侯のテリトリーはさらに広がった。
「そして上に逃げたのは、間違いだぜ。ここからアンタを狙い撃つなんて、オレには難しくないからな!」
指をピストルのように曲げると、人差し指の先を緑祁に向ける。
「ま、マズい……!」
緑祁は防御するために鬼火を出現させた。鉄砲水の水量は少なければ狙いは精密だが、多いとブレる。今生み出した鬼火は、少量の鉄砲水なら蒸発させることができる量だ。
それを見た彭侯は、手を上に上げた。
「アンタ……、山姫を負かせたのは偶然だったのか? その程度でオレの汚染濁流をかわせると思ってるのかよ? バカじゃねえのか?」
大きな水の玉を頭上に生み出す。それを真上に撃ち出し、雨を降らせるつもりなのだ。
(しまった! あの時と同じミスを僕はしてしまっている! これでは……)
逃げられない。地面に降りれば間違いなく水溜りを踏んでしまい、そうなると跳ねた水滴が肌に付着する。かといって木の上では動きは制限される。隣の木に飛び移ろうにも、汚染濁流が降り注ぐ方がきっと早い。
「終わったな……! くらえ、おせん……」
しかし彭侯の汚染濁流は、真上には撃ち上がらなかった。突然足を崩して転び、地面に落ちたのだ。
「何だと……。この女ぁ!」
香恵だ。彼女が後ろから彭侯の体を突き飛ばしたのである。全くノーマークだったために彭侯はそれをかわすことができなかったのだ。
「だがよ、アンタも間抜けだぜ! もうこのフィールドは出来上がってんだぞ? 足を一歩でも踏み入れようものなら、文句なく毒厄が襲いかか……」
立ち上がると同時に振り向いた彭侯は、言葉を失った。
香恵は平然とそこに立っているのだ。
「あ、あ、あり得ない! こんなことが! オレの毒厄が、アンタには効いていないだと? そんな馬鹿な……!」
「そもそもね…」
語り出す香恵。
「まさか今日も来ないんじゃ……?」
【神代】が全力を挙げれば、辻神たち三人は簡単に探し出せるだろう。そしてしかるべき報いを受けさせることになるだろう。
「でも、それじゃあ駄目だ」
しかしそれだけは避けたい。それでは彼らを過去から救えないのだ。
「私もそれがいいと思うわ」
これについては、香恵も同意見。力任せに檻に放り込むのは、好ましくない。
緑祁はタブレット端末を起動し、【神代】のデータベースを開いた。自分が挑戦状を出してから、辻神は何の返信もしていない。だが、山姫が実際に彼の元に来たので、見ていないわけでもない。
「待っていれば来るはずだ……!」
そう希望を持ち、この夜もここで待つ。葛西臨海公園はその名の通り、海に面している。その海が不自然な波を立てていた。
「ん?」
偶然海の方を見ていた香恵がそれに気づいた。
「緑祁、ちょっと……」
彼の袖を引っ張って、同じ方を向かせる。
「何だい香恵?」
暗いが、よくわかる。海面に生じた渦巻が、少しずつ陸に近づいている。でもそれは周囲の波に干渉せず、渦の波紋が伝わって行かない。これは不自然だ。
「まさか!」
ここで思い出すのは、山姫のこと。彼女のセリフが確かなら、ここには電車で来ていた。でも帰りは緑祁の追跡をかわすために、霊障を用いて地面の下を逃げた。
それと似たようなことが、今目の前で起きているに違いない。
「きっと鉄砲水を海の中で起こして、移動しているんだ。そんなことができるのは三人の中では一人……田柄彭侯!」
上野での戦いで緑祁に、撤退を選ばせた人物である。
不意に、その渦巻が動くのをやめた。おそらく緑祁たちの接近に気が付いたのだろう。すると次の瞬間、大きな波柱が上がった。
「うわっ!」
バシャーンと大きな音が響く。
「山姫を傷つけたこと、ここで償わせてやるよ。緑祁!」
彭侯の声だ。彼は別荘近くを流れる川に入るとそのまま海にまで流れ、それから臨海公園を目指してここまで来たのである。そして今の水しぶきに紛れて、陸に上がった。
「やっぱり彭侯……!」
その魚の鰭や鰓が生えたかのような髪型の、緑祁とはさほど変わらない年齢の青年。彼こそが彭侯だ。
「そっちが来たってことは、今日も辻神は来ないってこと?」
「さあな」
緑祁の問いかけをぼかす彭侯。
「ねえ一つ聞かせて欲しい! どうしても彭侯たちは、【神代】への攻撃をやめない? それをしてもきっと、明日は何も変わらないよ…?」
「うるさいヤツだ、オレたちの屈辱を知らないからそんなことが言える」
これに関しては彭侯はすぐに返事をした。
先祖が受けた屈辱を、一日たりとも彭侯たちは忘れたことがない。彼は指を緑祁に向けて、
「いいか緑祁! 過去を忘れるという発想は、オレたちにはない! 先祖への弔いをしてから、初めてオレたちは人生を歩めるんだ! そのためにもオレは、負けない!」
(くっ……)
言葉ではわかり合うことができそうにない。それを悟った緑祁は構えた。それを見て彭侯も、戦闘態勢に移る。
(厄介なのは汚染濁流だ…)
緑祁にはそういう認識がある。彭侯の放つ鉄砲水には毒厄の効果が付与されており、触れるだけで発病する。
(それ以外はどうだろう? 蜃気楼の持ち主は、彭侯なのかな? 山姫ではなかったけど……。いいや、彼も違うはずだ)
その根拠は、さっき目の前で見た。彭侯は海から現れた。しかしもしも自分の姿を偽れる蜃気楼が使えるのなら、そんなことをする必要はない。不意打ちができるはずだ。それをしないということは、
(蜃気楼は、辻神の霊障だ! 彭侯のは、鉄砲水と毒厄!)
という結論にたどり着けるのである。
一方の彭侯は、疑問を抱いている。
(式神は使ってこないのか、コイツ……)
戦力の増強を、緑祁はしようと思えばできるのだ。しかしその様子がない。
(舐めやがって! ムカつくぜ! その油断、絶対に後悔させてやる!)
指を開いた。その手のひらから勢いよく、鉄砲水が解き放たれた。
「くらいやがれ、汚染濁流を!」
ただの鉄砲水ではない。毒厄の力を乗せた、霊障合体。
「そうはさせない!」
緑祁はその放水に反応し、鬼火を出した。そして汚染濁流を蒸発させてやったのだ。
「やっぱり! どうやらそっちの霊障合体、蒸気になってしまうと効力が無くなるみたいだね……。防御はできる!」
「だから何だ、ああ? アンタが不利なのか変わんないんだよ!」
彭侯は手の向きを変えた。下だ。地面に向けて汚染濁流を流し込む。
「オレの毒厄は、植物には効果がない。だから地面の雑草すら枯れない……。が! こうしておくことに意味があるぜ」
「そうだろうね…」
その言葉の意味を緑祁は理解していた。だから一歩後ろに下がった。
(地面を水浸しにしておけば、そこから鉄砲水を撃てる。きっと汚染濁流もできるんだ。彭侯の足元の濡れた地面に踏み込んでは、駄目だ)
水溜りが広がる中、緑祁は霊障で攻撃を試みた。
「鬼火だ! いっけえ!」
これでぬかるんだ地面を乾燥させるつもりだ。しかし撃ちこんだ火球はすぐに彭侯の鉄砲水で消された。
「どうした緑祁? ワンパターンだぞ?」
ドンドン汚染された領域が広がっていく。
「いいやここまでは普通さ! これからだ!」
前に彼らと遭遇した時のことを、領域は思い出していた。
彭侯は火災旋風を消火できる。それは鉄砲水の雨を降らせることで、風の影響を受けないように行う。その時に降り注ぐ水滴には、毒厄が含まれている。
(ならば、火災旋風は駄目だ。ここは台風で!)
鉄砲水と旋風を組み合わせ、台風を作って彭侯に送りつけた。
「うおおおおお! これは!」
聞く分には驚いているような感じの声だ。しかし、
「墓穴だ! 自分で自分の首を絞めやがったな、緑祁!」
「な、何……?」
思考は逆だ。彭侯にとってこれは、嬉しい出来事。
彼は汚染濁流の大きな水球を生み出すと、それを台風にぶつけて相殺させた。
「そうか!」
その、台風と汚染濁流がぶつかる瞬間に緑祁は閃く。だから自分の体を旋風で吹き飛ばして木の上まで持ち上げた。
「読まれたか……。まあ仕方ないな」
緑祁と彭侯の霊障合体が衝突した際、水が弾け飛んだ。どちらの鉄砲水かはわからない。それが恐怖だ。もし彭侯のものであったのなら、緑祁は動いていなかったら間違いなくその水滴をくらっていた。
「木の上に逃げたか、緑祁! しかしアンタはもう、降りることはできないぜ? 汚染濁流!」
周辺の地面に汚染濁流を流し込む。これで彭侯のテリトリーはさらに広がった。
「そして上に逃げたのは、間違いだぜ。ここからアンタを狙い撃つなんて、オレには難しくないからな!」
指をピストルのように曲げると、人差し指の先を緑祁に向ける。
「ま、マズい……!」
緑祁は防御するために鬼火を出現させた。鉄砲水の水量は少なければ狙いは精密だが、多いとブレる。今生み出した鬼火は、少量の鉄砲水なら蒸発させることができる量だ。
それを見た彭侯は、手を上に上げた。
「アンタ……、山姫を負かせたのは偶然だったのか? その程度でオレの汚染濁流をかわせると思ってるのかよ? バカじゃねえのか?」
大きな水の玉を頭上に生み出す。それを真上に撃ち出し、雨を降らせるつもりなのだ。
(しまった! あの時と同じミスを僕はしてしまっている! これでは……)
逃げられない。地面に降りれば間違いなく水溜りを踏んでしまい、そうなると跳ねた水滴が肌に付着する。かといって木の上では動きは制限される。隣の木に飛び移ろうにも、汚染濁流が降り注ぐ方がきっと早い。
「終わったな……! くらえ、おせん……」
しかし彭侯の汚染濁流は、真上には撃ち上がらなかった。突然足を崩して転び、地面に落ちたのだ。
「何だと……。この女ぁ!」
香恵だ。彼女が後ろから彭侯の体を突き飛ばしたのである。全くノーマークだったために彭侯はそれをかわすことができなかったのだ。
「だがよ、アンタも間抜けだぜ! もうこのフィールドは出来上がってんだぞ? 足を一歩でも踏み入れようものなら、文句なく毒厄が襲いかか……」
立ち上がると同時に振り向いた彭侯は、言葉を失った。
香恵は平然とそこに立っているのだ。
「あ、あ、あり得ない! こんなことが! オレの毒厄が、アンタには効いていないだと? そんな馬鹿な……!」
「そもそもね…」
語り出す香恵。