第13話 調和の小夜曲 その2

文字数 4,474文字

 故霊の嘴は確かに、降ろされた。だが、緑祁の体を貫通してはいない。寧ろ逆に、彼に頭を差し出している。緑祁もそんな故霊の額を、動かせる右手で撫でる。

「苦しかったんだね、故霊……」

 故霊は自分の意思で、この世にしがみついていたのではない。自分の性質が無理矢理、この世に結び付けていたのである。
 あの世に行ったとしても、成仏できないことはとても苦しいことだ。だから故霊は誰の言うことも聞かず暴れ、そして涙を溢したのである。

「わかるよ、その辛さ……。誰にも受け入れてもらえず、一人で……。でも故霊、そっちが望んでくれるのなら、僕は一緒にいることができるんだ。もちろん、苦しまずに済む。どうか、頷いて欲しい……」

 前に、式神にするとそれ以前の記憶は全て無くなると聞いた。故霊だって幽霊である以上、生前は何かしらの生き物だったのだ。その生涯を一度、否定することになってしまう。

「大丈夫だよ。僕がずっとそばにいる……! もう、一人でいる必要なんて、ないんだ…! 恐れられることも、誰かを傷つける心配もない。そんな世界に、一緒に行こうよ……」

 語り掛けていると、故霊が流す涙の量も増えた。
 誰かに痛みを、わかって欲しかったのだろう。でも誰も耳を傾けてくれず、祓おうとした。拒絶されたと感じた故霊は、霊能力者を攻撃したのだ。
 しかし緑祁は今、故霊に危害を一切加えなかった。だから故霊も、緑祁の言葉にかけてみたいと思えた。
 もちろん故霊には、緑祁の願いを拒否する権利はあった。でもその道は選ばない。

「故霊は、成仏も除霊もできない……。でも、式神になれば、苦しみから解放されるはずだ! なって、くれるかい……?」

 そう語り掛けると、ゆっくりと頷く故霊。

「陽一、お願いだ。やってくれ」
「あ、ああ……」

 白紙の和紙を取り出し、恐る恐る近づく陽一。

「じゃ、いくぞ……!」

 目と鼻の先にまで来た。ここまで来ると恐怖や緊張は感じず、ただ自分に任された仕事に従事する。
 そっと、故霊の額に和紙を触れさせる。たったそれだけ。その単純な動作だけで、故霊の体は優しく弱く光って、和紙……札の中に消えていく。

「完了だ、これで。名前はお前が決めなよ」

 完成した。故霊を基に生み出した式神が。札と筆ペンを彼から渡された。

「緑祁、今、治すわ」

 それが終了したらすぐに、香恵は緑祁の傷を慰療で癒すために駆け寄った。
 だが、

「あれ? 血が……?」

 不思議なことに、まだ彼女に触れられていないのに、傷口が塞がっているのだ。千切れそうだった耳は完全にくっつき、左腕も痛みなく動かせる。内出血も治まっている。

「式神のチカラ、だろうな」

 そう言ったのは、今ここでその筋に一番詳しい陽一だ。

「優れた式神なら、召喚しなくても会話できたりチカラを使えたりする。今生まれた式神が緑祁の傷を治したと考えれば何も違和感ないぜ?」
「すごいじゃん、それ! 緑祁、召喚してみせてよ!」

 魔綾に促され、念じてみる。すると目の前に、緑色の龍が出現した。

「おお! かっこいいじゃないの! 東洋のドラゴン!」
「でも翼があるわ」
「なら、応龍型だな。チカラは人の傷を治す、か……」

 今まで他人を傷つけることしかできなかった故霊だが、式神になると、傷ついた誰かの力になってくれる存在に、生まれ変わった。

「名前、つけてあげないと……」

 緑色の鱗に、緑祁は共感を抱いた。自分の名前に緑の文字が入っているためだ。だから、

「緑色のドラゴンなら、[リューイーソー]がいい。調和の式神だ」

 パッと思いついたので、その直感を頼りにした。

「緑祁らしい名前ね」

 香恵はそう言うが、陽一と魔綾は、

「もうちょっと捻れば?」
「和風な方が似合っている気がするけどな」

 少し不満足気味だ。でも肝心の式神の方は、その名前に喜びを感じているのか、首を縦に振っている。

「よろしくね、[リューイーソー]!」

 筆ペンで札に名を書き込んだ。そして一旦[リューイーソー]を札の中にしまった。
 後は魔綾が、霊葬樹を提灯の中に戻して終了だ。


 次の日、緑祁は凱輝にまた会いに行った。もちろん昨晩の件の報告のためだ。今度は香恵も一緒。証人として、まだ青森にいた魔綾と陽一もついて来た。

「ご苦労だった。陽一、まずは君に、報酬を渡す」

 彼は本来【神代】の人材ではないので、口座登録がされておらず、手渡しする。一センチくらい、封筒は厚い。手に取った瞬間に陽一は、

「……多過ぎませんか? 聞いていた話では、もっと少ない……はず」

 多い報酬に疑念を抱く。それにはちゃんと理由があった。

「今回の任務は、極秘だ。口止め料も、当然、含まれている」
「……?」

 話が理解できない彼に対し、緑祁が、

「修練が故霊を頼る可能性があるから、ですよね?」

 青森に来るかもしれない。その時に修練を捕えることができる。しかしもう故霊がいないことを知ったら、来ないだろう。

「あくまでも、可能性の話だ。しかし、重要だ。【神代】としても、不用意に情報を、向こう側に与えたくはない」

 だから、この件に関しては他言無用。

「ところで緑祁、故霊についてだが……」

 実は、わかっていないことが多い故霊だ。緑祁は[リューイーソー]の提出を覚悟した。

(でもそれだけは、どうしても断らせてもらいます……! それが、故霊……いや[リューイーソー]との約束!)

 研究材料として非常に申し分ないだろう。【神代】も、喉から手が出るくらいには欲しいはず。

「まずは式神を、召喚してみせてくれ。その雰囲気を、少し肌で感じてみたい」

 言われた通りに[リューイーソー]を召喚して見せる緑祁。

「おお、これが……!」

 流石の凱輝も、興奮を隠せない。あの故霊が、今式神となって彼の目の前にいるのだ、興奮しない方がおかしいだろう。

「私の言葉が、わかるか?」

 頷く[リューイーソー]。どうやら、人語を理解はできるが話すことはできないらしい。

「この式神は、喋ることが、できない。逆説的に言えば、故霊は、人間の魂を含んでいないことが、言える……」

 すぐに落ち着きを取り戻した凱輝が冷静に分析する。式神の性質から、作り出す前の魂の情報が断片的にだがわかる。もちろん全てとは言わないが、時間をかけて調査すれば、もっと情報を掴めるだろう。
 だから、緑祁は緊張した。やはり、[リューイーソー]の提出を求められるのではないだろうか、と。

「緑祁、君はこの式神を、どうするつもりだ?」
「どう、って……。一緒にいるとは、約束しましたが……」
「なるほど」

 最悪の発言を予感させる口ぶりだった。
 だが、

「ならば、君が持っていた方がいいだろう」
「…え?」

 予想外の言葉が飛んできた。

「考えてみたまえ。確かに、この式神[リューイーソー]を調べれば、元になった故霊のことも少しはわかるだろう。だが、幽霊を式神にできても、その逆……式神を幽霊に戻すことは、不可能だ。不可逆的な変化なのだ。だから、故霊に関しては、完全なデータは得られない。報告によれば、チカラも故霊の時とは異なるようだし、記憶もないだろう。間違った情報を生み出す、可能性が、否定できない」

 決して凱輝が緑祁の気持ちを推し量ったのではない。研究は常に正確でなければいけないのである。式神となった故霊は、方程式にノイズを入れるには十分な懸念材料だ。だから、提供は求めない。
 それに、故霊に関してはトップシークレットだ。誰にも漏らせないので、故霊が元になった[リューイーソー]は、緑祁が持つのがやはり相応しい。

「理解できたかね?」
「は、はい!」


 最悪の結果を回避できたことを喜ぶ緑祁。この日の会議はこれで解散となり、新幹線に乗るために新青森駅に行く陽一と魔綾を見送りに、改札前まで行く。

「事態が好転するといいな、緑祁! じゃあな!」
「香恵、少しは地元に帰ってきなさいよ? 寂しいよ、ちょっと?」

 改札の中に入る二人。緑祁と香恵は手を振って見送った。
 夜になって、緑祁と香恵は近くの公園に来た。

「誰もいないね?」
「ええ。周囲に野良猫すらいないわ」

 人気がないことを確かめると緑祁は、三枚の札を取り出す。一枚は[ライトニング]の、また一枚は[ダークネス]の、そして最後の一枚は[リューイーソー]のだ。
 緑祁は[リューイーソー]とやっていくことを決意した。だが、[ライトニング]と[ダークネス]はどうだ? 彼女たちは、仲良くする気があるのだろうか。受け入れてくれるのだろうか?
 それを確かめたいのだ。

「出て、みんな!」

 式神を一気に三体、召喚する。[ライトニング]と[ダークネス]は呼び出されていきなり戸惑った。目の前に知らない式神がいるからだ。

「[ライトニング]、[ダークネス]……。新しい仲間を紹介するよ。[リューイーソー]だ。彼……なのかな? 幽霊から生まれ変わった、式神だよ」

[ダークネス]は急に、[リューイーソー]を攻撃しようとした。しかし[ライトニング]が嘶くと、やめる。彼女たちはジッと[リューイーソー]のことを見ている。人語ではないが、何か会話をしているようにも聞こえる鳴き声を出し合っている。

(受け入れてくれ、頼む……!)

 緑祁の願いの念もあってか、[ライトニング]と[ダークネス]は、右足を[リューイーソー]に向けて、タッチした。それを受けて[リューイーソー]は、彼女たちに頭を下げる。

「……どうやら、受け入れられたようね」

 香恵がそう呟いた。

「うん」

 式神たちの表情はにこやかだ。きっと新しい仲間の登場を喜んでいるに違いない。
 それを確かめたら、緑祁は式神たちを札に戻し、香恵と一緒に下宿先に戻った。


 寝る前、ベッドの上で考え事をする緑祁。

(故霊とだって、僕はわかり合えた……! あの言葉が通じない、故霊とだ! だから誰とでも、絶対にわかり合えるんだ! それが修練であっても!)

 自分の考え、目的に根拠を与えてくれる出来事だった。
 初めて故霊と遭遇した時のことを思い出す。修練が霊界重合を起こし、この世に呼び寄せたあの晩のことだ。あの時、故霊は恐怖の象徴でしかなかった。除霊できないということはすなわち、霊能力者では何も手出しができないということ。最悪の場合、一方的に攻撃されて死ぬだろう。
 あの当時の緑祁には、わかり合うことなど頭の片隅にすら思っていなかった。そしてあの時のまま現在に至っていたら、きっと今は全然違っただろう。辻神や病射のことは平然と【神代】に突き出しただろうし、紫電とも霊能力者大会で協力しなかったに違いない。洋次たちのことも心配せず、邪産神だって無常に血も涙も流さず除霊していただろう。

(いろんなことが、僕の周りで起きたんだ……)

 その一つ一つが濃厚な経験値となって、緑祁を支え構成している。そして自分を確かに、成長させている。それはある一つの結末にたどり着くための過程なのだ。

(修練と僕は、わかり合えるんだ)

 彼が求めること。それは、修練との和解だ。そのゴールに向かって着実に、緑祁は足を進めているのだ。 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み