第9話 生死の境界線 その2

文字数 2,697文字

 エントランスは死者でごった返している。大勢がうめき声を上げながら進んでくるのだ。

「悲しいことに……」

 その表情はみんな、苦しそうだ。無理もない。本来なら黄泉に召され、永遠の安息が約束されていたはずだから。生きることが終わった後は魂だけになり、苦しむこと悩むことから解放されたはずだから。それを蛭児がひっくり返した。みんな、もう生きていたいとは思っていない。
 死ぬこと自体は苦しいのかもしれない。でも死後はみんな平等で、あの世へ召される。生物が長い年月をかけて築き上げたのか、それとも神が一週間で作ってしまったのか。みんな、それに従い文句はない。

 その自然の摂理を根底から覆してしまうのが、禁霊術『帰』なのだ。

 今目の前にいる死者たちは、蛭児の命令でのみ動いている。大刃や群主なんかは霊能力が強かったからその支配に抗えた、例外中の例外だろう。基本的には逆らうことはできそうにない。呪いの谷でのことを考えればわかる。あそこにどうして大勢が待機していたのか? それは多分、蛭児が何も指示を出さなかったからだ。何も言われてないので、能動的に動けない。だからあの場所から離れることすら叶わない。

 死後の尊厳を踏みにじられ、精神を意思を支配下に置かれる世界。それが禁霊術『帰』のもたらす、負の未来。

「ここで止めるわ!」

 負の連鎖は、断ち切らなければいけない。それは慰霊碑を破壊してしまった絵美たちが一番よくわかっているし、自分たちが落とし前をつけないといけないこと。
 絵美の撃ち出した激流は、群がる死者を押しのける。広がった隙に、

「邪魔だ、退け!」

 骸と雛臥が入り込んだ。骸は木霊を使って、この廃墟に生える植物を伸ばして死者の足を絡んで拘束し、雛臥の業火がその体を魂ごと焼き払う。

「我も手伝おう――」

 刹那が手で仰げば突風が火をホテルの内部にまで運ぶ。一人、また一人と火にやられて倒れ崩れる死者。

「いい感じだ!」

 ホームビデオ越しに四人の活躍を見守る範造と雛菊。皇の四つ子もシャッターを切っている。証拠として【神代】に提出したら、十分に効果がある。

「このブンだと、すぐにカタヅきそう?」
「だといいが……」

 蛭児も馬鹿ではないはず。そう考えると何か、策を練っていても不思議ではない。

(あまり前進し過ぎるのは、マズいのでは……?)

 緋寒はそう思った。

「絵美! 一度止まっ……!」

 しかし叫んだ時には、遅かった。
 いきなり天井が崩れたのだ。

「ううおあ!」

 廃墟だから、耐久力に限界があったのか。誰もがそう感じた。でも実は、そうではない。

「大丈夫か、絵美! 刹那! 骸! 雛臥!」

 砂埃でよく見えない。朱雀が旋風で舞い散る埃を吹き飛ばすと、

「だ、誰じゃ……!」

 大きな男が一人、絵美たち四人と皇の四つ子の間に現れたのだ。ソイツの拳は下に突き出されている。つまりは上の階で、コイツが床を破壊し落としたのだ。

「殺す! 【神代】の一味は、全員殺す!」

 今までの死者とは違い、この大男……幽左衛門からは凄まじい殺気を感じる。しかも彼は、大勢の死者まで引き連れている。

「クソ! この死者たちが邪魔で絵美たちの方に行けない!」

 範造も雛菊も、皇の四つ子も手がいっぱいだ。

「その大男は任せたぞ、四人とも!」
「ええ、大丈夫よ!」

 人数的には、こちらがやや有利だ。でも、

「ふははは! 死ね、きさまら!」

 幽左衛門が地団太を踏んだだけで、建物全体が揺れ動いた。

(コイツ……中々の実力者! もしかして大刃と群主が言っていたのは、この大男のことなの?)

 蛭児が蘇らせ従えた、側近。それが目の前に出現した幽左衛門。あの二人をして、敵わないと直感した相手。
 そう思うと、闘志が湧いた。

「コイツは……! 俺たちの手で、あの世へ送り返すぞ!」
「儂を殺せるだと? 思い上がらないことだな!」

 幽左衛門が拳を上げ、壁を殴った。すると瓦礫がさらに落ちてくる。

「これは……乱舞? いや、もっと力が強い…!」
「霊障発展・舞踊(ぶよう)…――」

 乱舞の上位種の霊障だ。より肉体を霊力で強化し、そのリミッターを外すことができる。だが同時に反動もデカく、ハイリスクハイリターンな霊障発展。幽左衛門がこれを使ったのにはわけがあり、一つは目の前の【神代】の息のかかった者が許せないが故の怒り。もう一つは長年にわたって死者だったから肉体への心配が欠如したため。

 一旦四人は距離を稼ごうと後ろに動いた。しかしさっき落ちた天井の瓦礫が邪魔をする。

(近づかなければ怖くはないけど、離れて戦うことはできそうにないわね……。ならもう、勝負をかけるしかないわ!)

 決意に背中を押され、絵美が前に出た。得意の激流を使って、廊下の奥へ押し流そうという魂胆だ。

「はあぁああ!」

 放たれた水の勢いは強く、幽左衛門の太い足も徐々に動く。
 が、

「甘いぞ、きさま!」

 今度は手を床に突き刺したのである。これで体を固定し、流されることはない。

「普通の激流なら、ね!」

 しかし絵美もその可能性は予想していた。だから、踊り水を使ったのだ。

「何、何だこれは……?」

 ヘビのようにうねり、幽左衛門の首を狙って突っ込んだ水。紙一重で避けられはしたが、彼の視線を奪うことには成功し、

「そこだ! いけ、青い鬼火!」

 雛臥が隙を突いて鬼火を撃ち込んだ。

「ぐぎゃあああ!」

 左肩に命中だ。そこが一瞬で焦げた。絵美の激流で湿度が上がっていなければ、多分今の一撃で仕留めきれたはず。

 幽左衛門は手を引っこ抜くと、ジャンプして天井に張り付いた。

「コイツ! 結構やるな……。ウザったるいタイプか!」

 もちろん追撃をするが、天井のコンクリートを引き千切って激流や業火に向かって投げてくる。流石にそれらを破壊することはできそうにないので、絵美と雛臥は下がる。

「死ね! 【神代】はみんな、死ね!」

 天井に開いた穴から一度二階に上がると、また床を崩して落としてきた。

「危ない!」

 思わず声が漏れてしまう。幽左衛門は、引き連れて来た死者もろとも絵美たちを殺す気であり、仲間を巻き添えにしているのだ。

「何て野蛮なヤツなんだ……」
「おそらくそれは違う。アイツと他の死者は無関係。故にお互いに仲間と思っていない。それが行動に表れた――」

 崩壊する天井を避けると、幽左衛門は悔しそうに、

「死ねよ、きさまら! 早く死ね! 儂の『この世の踊り人』を、返せ!」

 と叫んだ。また一階に降りてきそうだったので、

「そうはさせない!」

 骸が狂い咲きをここで使用。天井にぽっかりと開いた穴を、植物の根や茎で塞ぐ。

「な、なんと!」

 これでは幽左衛門は降りてこれない。
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