第6話 過去の苦難 その3

文字数 2,828文字

 それに気づいたのは、夏休みが明けてから。

「おはよう」
「あ、ああ…」

 返事が暗い。他のクラスメイトに話しかけようとしても、彼らは不自然に緑祁のことを避ける。

(何でだろう? 僕は間違ったことはしてないはず……)

 違う。霊能力者としてみれば緑祁の行動は何も間違っていない。
 だが、普通の人から見ては?

「あの夜の緑祁はかなり変だった」

 その話が勝手に修飾され、根も葉もない噂が流れたのである。だからみんな、彼に近づきたがらなかった。ただ、クラスメイトも彼を完全に仲間外れにしていじめようと思っているわけではない。もしも緑祁が自分の霊能力を隠さずにみんなに打ち明けていれば、そういう状況にはならなかっただろう。

「昔はそんなヤツじゃないって思ってたんだけどな…」

 小学校が同じだった人が、そう言った。それは言葉通りの意味の他に、あることを含んでいた。

「俺たち、緑祁とは友達だと思ってたのにさ、アイツは俺らになんも話してくれなかったんだな。信じられてないんだ、かなりガッカリだよ」

 これが一番、緑祁の心に深い傷を掘った。実際には逆で、みんなと一緒にいたいからこそ霊能力のことを黙っていたのだ。
 結果からすると、それがいけなかった。緑祁はクラスメイトはおろか、学校の人たちから信頼を失ってしまったのである。

 このことに一番頭を悩めたのが緑祁本人であることは言うまでもない。

「どうして、みんなわかってくれないんだ! 僕は、みんなと一緒に過ごしたいだけなのに…!」

 だが、歩み寄ろうとすれば溝を掘られる。その溝のせいで、向こう岸の輪の中に入れない。


 夏が終わって涼しくなっても、緑祁の心にはわだかまりが残っていた。そんなある日のことだ。

「なあ緑祁? ちょっといいか……」

 人の噂も七十五日と言う。そんな長い期間はまだ過ぎていないし緑祁が不気味なヤツというレッテルも消えたわけではない。でも一応話しかけられることはあった。

「隣町の学校にさ、幽霊? が出たって。鳥小屋の鶏を食い荒らすヤツらしいんだ。緑祁、そういうの詳しいだろう? 対処できない?」

 この問いかけに対し緑祁は、

「いいよ」

 快諾した。

(これで信頼を取り戻せるかもしれない)

 そういう希望があったためだ。
 だが、運命はまだ緑祁のことを呪う。

 日曜日の夜、緑祁とその友人、噂を聞きつけた何人かの野次馬は学校に忍び込んだ。緑祁と話を持ち込んだ友人は鳥小屋を見張れる木の上に登り、他の人たちは茂みの陰に身を潜め様子を伺っていた。

「き、来た……!」

 暗闇の校庭を、赤い影が鳥小屋を目指して真っ直ぐ進んでいる。

「行け、緑祁!」
「わかったよ!」

 緑祁は相手に悟られないよう木から降りた。
 その赤い影は乱暴に鳥小屋の戸を開き、中に入り込んだ。緑祁はその後ろに立ち、退路を塞いだ。
 そこで彼の目を引いたもの。それは霊の影ではない。鶏だ。十羽いる鶏の内、一羽だけが仲間と離れ隅っこで眠っている。

(まるで、僕みたいだ……)

 群れに馴染めず仲間と打ち解けれていない証拠だ。その一羽の姿が、自分と重なったのだ。
 この感情移入の瞬間、わずかな隙が生まれた。赤い影は、その仲間外れになっている鶏を捕まえて、生きたまま食いだしたのである。

「………」

 緑祁の中で、何かが切れた。彼は赤い影の行動から、自分の存在を否定されたと感じたのである。

「許せない……」

 我を忘れて、緑祁は大きな鬼火を繰り出した。鳥小屋ごと、赤い影を葬り去ったのである。

「おい緑祁…?」

 驚きながらも友人は木から飛び降りて、緑祁の肩を叩いた。

「え、ああ……」

 ここで我を取り戻した緑祁は、自分がやってしまったことを自覚した。瞬間、全身の血の気が引いた。そして何事も言わず、その場を足早に立ち去った。


 それから緑祁は学校に行かなくなった。鳥小屋を焼いてしまったことは、結構な人が目撃しているし、焦げ跡も残っているので言い訳ができない。何より、信頼を取り戻すチャンスだったのにそれを自ら不意にしてしまった。

「逃げよう。それが正しいかどうかは知らないけど、あの学校にはもう僕の居場所はないんだ」

 あれから一度も登校してないので、どんな悪評が跋扈しているかはわからない。仕方なかったことだって言ってくれる友人もいるかもしれないが、それよりも周りの疑惑と冷ややかな目が鋭いナイフのように心に突き刺さるのが嫌で仕方がなかった。
 中学は義務教育なので、不登校でも卒業できる。そして緑祁は家で勉強し、青森市内の高校に進学すると同時に一人暮らしを始めることになったのだ。

「もう二度と、あんなことは繰り返さない。してはいけないんだ」

 そういう発想に支配され、高校では親しい友人は全然作れなかった。それから大学にも進んだが、彼を取り巻く周りは同じだ。

「でも、彼らは僕について全然知らない。知ろうともしてこない。だからそれが、ちょうどいい」

 奇跡的にもそれが絶好の距離感を築いた。だから緑祁は現状に満足しているのだ。


 今緑祁が香恵に話したことと一字一句違わない内容を、既に彼女は知っている。

「僕に霊能力がなかったら、今頃は友達との楽しい思い出で頭がいっぱいなんだろうね」

 あの時、怒らなければ……。何度もそう思う。もし怒りに任せずに赤い影に対処ができていれば、幽霊の見える友人で通ったかもしれない。

「でも、僕は駄目なヤツだよ。あれから五年は経っているのに、未だに怒りに囚われると周りが見えなくなってしまうんだ」

 緑祁は卑下した。

「……緑祁の過去のことは、気の毒に思うわ。でも、過去は過去って割り切ることも重要よ?」
「わかってるよ。香恵の言う通りだ。でも僕は、また逃げたくないんだ……」
「大丈夫よ、心配しないで。私もそちらと同じ霊能力者なんだから、昔と同じことは起きないわ。私は緑祁のことを軽蔑したり悪く言ったりは、絶対にない。だって二度も救われてるのよ? 恩人の愚痴を私が呟くように見える?」

 首を横に振って答える緑祁。同じ霊能力者なら、信じることができるかもしれない。

「いいや、僕は香恵のことを信じたい」

 彼は自分の腕に巻いてあった数珠を取り、それを香恵に渡した。

「そっちが持っていてよ。僕が身に着けてると、リミッターが外れてしまう。心に余裕ができて強く出ることよりも、怖気づいて一歩止まって考えることの方が重要だと思うんだ」

 言わば自分を制するために、あえて命綱を外すのである。加えて、香恵のことを守り切れなかった万が一の時を考えると、やはり彼女が持っていた方がいい。

「緑祁の意志を尊重して、受け取るわ」

 香恵はそれを自分の手首にはめた。

「緑祁!」

 改まって大きな声を出し、緑祁のことを見つめて香恵が、

「そちらのトラウマ、乗り切りましょう。それができれば緑祁は霊能力者としても、一人の人間としても成長できるわ!」

 その言葉に勇気を与えられた緑祁は、

「うん、頑張ってみせるよ。だから見ててね、香恵!」
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