第8話 冥界の遁走曲 その3

文字数 5,207文字

(蛭児はどこよ?)

 絵美たちは必死に蛭児を探していた。彼には蜃気楼があるので、刹那が突風で常に空気の動きに気を配る。しかしそれでもまだ、発見できていない。
 死者の群の中に隠れているのではないだろうか。そう思ったので四人は、近づく者の相手をしながら奥に進む。

「もしや、この場にはいないのでは?」

 そんな疑念が脳裏に過る。しかし同時に、

「『帰』をするのは別の場所でもいいかもしれないけど、ここに来なければ『月見の会』の人たちの霊魂を回収できない。絶対にいるはずだ!」

 確信も持てる。
 必ず、自分たちの手で見つけ出し捕まえたい。『帰』を見るのはこれが二度目だ。それがいかに苦しく悲しいことなのか、瞼に焼きつけ心に刻んだ。

(久世大刃と一条寺群主! 二人の想いを無駄にはさせないわ! これ以上の暴挙は絶対に! 防ぐ!)

 突然、死者の群が後ずさり絵美たちから離れた。

「――?」

 まるで、戦いの舞台を作っているかのようだ。ここで四人は察する。今、彼ら彼女らと対面したいと思っている人物は一人しかない。

「お久しぶりだね、四人とも!」

 蛭児だ。向こうから姿を現した。

「出たわね、蛭児………!」

 刹那が風を読んだ。目の前の彼の姿は蜃気楼ではない、本物。

「随分と余裕じゃないか、俺たちはあんたを逮捕しようとしてんのに!」
「私は君たちを殺そうとしているがね?」
「言ってくれる――」

 蛭児の中の恨みの炎は、盛んに燃えている。計画を絵美たちに邪魔され、彼女たちに捕まえられてしまい、精神病棟に幽閉されることになった。それは自業自得なのだが、正常な思考ができていない蛭児は責任転嫁し、憎むことにしてしまったのだ。
 骸は雛臥に、目で合図を送る。

(蛭児の霊障は蜃気楼だ。偽りのビジョンを周囲に投影できる。でもそれは今、刹那の突風で暴くことができる! 蜃気楼に殺傷能力はないから、業火の威力で押し切ってしまえ!)

 まだ死者の群は結構の数が残っている。ここで蛭児を捕まえても、彼らの内の一人にでも逃げられることは避けたい。この世に留まるべきではない蘇った死者が長時間現世にいれば、いずれ絶大な苦しみに襲われるだろう。そうなった際に何をしでかすかわからない。

「まあ、いいわ。言い訳は裁判でいくらでも喋りなさいよ!」

 絵美が激流の準備をした。これは囮だ。彼女も今の本命が雛臥の業火であることをわかっているので、蛭児の視線をできるだけ逸らしたい。

「ふふふっ…」

 対する蛭児は、笑った。

「何がおかしい、蛭児!」
「黙っているのも面白くはないな。では……見せてあげよう!」

 そう言うと蛭児は手に大量の釘を出現させた。

(機傀? いや……)

 そうじゃない。この状況はそんな小物で解決できるわけがない。

「こう、だ!」

 その釘を四人に向けて投げつける蛭児。軌跡は綺麗で真っ直ぐ飛ぶ。

「っく!」

 咄嗟に骸と雛臥が絵美と蛭児の前に出てその釘を受けた。腕に刺さると血が流れ出る。

「本物の、釘? ってことは、まさか本当に機傀を身につけたのか?」

 あり得ない話ではない。新たな霊障が発現する例はごまんとある。蛭児も例外ではないだろう。しかし機傀を習得しただけで、どうしてそこまで自信に満ち溢れた表情と態度になれるのか。不思議なのはそこだ。

「機傀だけなら恐れるに足らず! いくぞ!」

 さっきのダメージは気になる痛みですらないので、業火を撃ち込む雛臥。
 しかし、

「ふははははは!」

 突如、地面から岩石が飛び出し赤い炎を遮ったのだ。

(礫岩まで、身につけているのか!)

 それだけではない。役目を終えた岩石は地面の下に戻ると、今度は蛭児の手から、スズメバチが飛び立つ。

「お、応声虫――!」

 もう片方の手には、雪の氷柱が握られている。

「ど、どうなってるのよ? 何でこんなに、新しい霊障が? 蛭児は脱走するまでずっと、精神病棟にいたはずでしょ? そこでは霊障自体が使えない結界があるはずで……」

 違和を抱く絵美。いくら蛭児が心霊研究家として優秀だったとしても、そもそも霊障が使えず調べものも満足にできない状況で新たな力を得られるのだろうか? しかも数多くの霊障を操れるレベルにまで上達できるのか?

(ふふふ、驚いているな……。それも私の計算通りなのだよ)

 答えは簡単だ。蛭児は新しい霊障を身につけてはいない。これらは全て、彼が得意とする蜃気楼で生み出した幻だ。だが今回の蜃気楼は一味も二味も違う。何せ触れるのだ。

 この矛盾を解決するのが、霊障発展・悪夢(あくむ)である。生み出した幻は感覚神経を刺激し、実際の痛みを感じさせる。先ほど釘が刺さった骸と雛臥の腕だが、本当は無傷のままだ。悪夢のせいで釘が刺さったように見え感じ、そして傷口から血が流れ出ているようにも感じ思える。相手の霊障にも干渉しているように思え、相殺させたと考えこませ無力化する。

 一見すると、痛覚だけ騙せても勝利にまではたどり着けないように思える。しかし実はそうではない。既に蛭児の中の勝利の方程式は、最後の行に近づいている。


 こんな実験がある。死刑囚に対し、生き残れたら無罪とする、として参加してもらった実験だ。
 まず、死刑囚=被験者をベッドに寝かせる。手足を縛り、目隠しもする。
 次に、その被験者の足先を少し傷つける。
 そして、彼の耳元で囁く。

「あなたの足から血が出ています。止まらないで流れ出ています。人は血液を三分の一失うと死亡します。それを確かめます」

 最後に、垂れ落ちる血を容器で受け止め、ポタッポタッという音が出るようにして準備完了。後はどのくらい血が出てしまったかを定期的に報告するだけだ。
 結果、三分の一に達すると被験者は死亡したのだ。
 しかしこの実験で確かめたかったことは、失血死に至る量を再確認することではないのだ。
 実は被験者の足先だが、出血はすぐに止まっている。ポタポタと垂れていたのはホースの先から落ちる水だった。
 止血後の被験者は傷一つ受けていない。血も一滴だって余計に抜かれていない。にもかかわらず、死んだ。

「思い込みで、人は死ぬ」

 被験者は自分が死ぬ量の血を失ったと思い込んだだけで、死んだのである。


(負のプラシーボ効果! 私の悪夢はそれを引き起こせるんだ。君たちの体は、ちっとも傷ついてない。でも! 肌が感じ脳が思ったのなら、体はそれをダメージとして受け取る! その思い込んだ偽のダメージが蓄積して行けば、体は限界を迎えたと判断するだろう。その時が、心臓が止まる時! 君たちの最期だ! 自分の思い込みで、自分が自分を殺すのだよ!)

 だから蛭児の狙いは、悪夢を用いて徹底的に四人を攻撃し、致命的なダメージを負ったと勘違いさせることなのだ。
 この悪夢の恐ろしいところは、途中でそのカラクリに気づけたとしても……自分が実は負傷していないと頭で理解できていても、体は違う判断をしてしまうことだ。
 さらに質の悪いことに、相手の第六感にも干渉できる。だから先ほどのように幻覚が霊障を止めることができる。やられた方には霊的な感覚で手応えが残る。

「ちっ! 厄介な相手になってやがったぜ! だが俺たちがあんたを絶対に止める!」

 腕に刺さった釘を抜き、骸は傷口を押さえて叫んだ。幸いにもそこまで深くはないので、今の戦闘においては支障はない。

(この、『月見の会』があった場所……。幻霊砲が撃ち込まれたヤバい場所だとは聞いていたが、年月の流れか草木は豊富だ! 俺の木霊ですぐに捕まえてやる!)

 彼が少し地面を見下ろしただけで、雑草が茎を蛭児へ伸ばした。

「ふっ。芸がないな、君たちは」
「言ってろ! あんたこそやってることが前と同じだろうが!」

 急成長する植物に対し、蛭児は手を動かして炎を繰り出し焼き払う。もちろんこれは悪夢が作り出した偽りの火炎だ。どうやら悪夢は植物にも有効らしく、実際には燃やされていないのに草木が炭や灰に変わる。

「驚くほどに多様だ――」

 接近戦を挑む刹那。蛭児の手には雪の氷柱が握られているが、恐れていては勝利は掴めない。突風で彼のことを吹き飛ばすのを試みる。

「おお、威勢は良いようだな?」

 しかしやはり岩石が飛び出し壁になり、蛭児には届かない。
 蛭児が生み出したスズメバチは予想外に素早く多く、雛臥は、

「うぐ、しまった!」

 腕を刺されてしまった。

「大丈夫、雛臥? しっかりしなさいよ!」
「痛い! けど、問題はないはずだ」

 応声虫で生み出された虫は毒を持たない。例えそれがスズメバチやサソリ、クモなど元々毒を持つ虫であってもだ。だから雛臥は激痛こそ感じはしたが、深刻な心配まではしていない。

「このおおお!」

 一気に業火で焼き払う。その揺らめく炎をかいくぐり一匹のスズメバチが彼の首筋に迫り、すれ違いざまに刺した。

「っが!」

 急激に呼吸が途切れ途切れになる。首筋が触らなくてもわかるくらいに腫れ上がり熱を帯びている。立っていられず地面に崩れた。

「ちょっと! 大丈夫じゃないじゃない……!」

 倒れた彼に手を貸す絵美。二か所ある患部を弱めの激流で冷やす。気休め程度の処置だが、何もしないよりマシだ。胸にも手を当てると、心臓の鼓動が明らかにおかしいリズムを刻んでいる。

(まさか! 心臓にもダメージがあるって言うの? それほど強力な毒が体に回って……)

 そう考えると絵美の顔が一気に青ざめる。
 だが、違和に気づくのもすぐだった。

(毒? 蛭児が毒厄を持っているってこと? それを応声虫のスズメバチで中継した? でも最初に刺された時には何も……)

 相手の立場になって考えると、最初の一撃で毒を流さない理由がない。でも雛臥が倒れたのは二度目に刺された時だ。一回目と二回目の間に何があった?

(何もない、わよね……)

 でも結果として雛臥は病で倒れている。まるで、本物のスズメバチに刺されアナフィラキシーショックを起こしたように。
 次に気づいたことがある。絵美は蛭児の方を見た。今、刹那と骸が霊障発展で攻撃しているが、彼は雪や礫岩、機傀でそれらを防いでいる。

(使ってないわ、まだ)

 おかしい。蛭児が得意としている蜃気楼を、まだ見ていない。新しい霊障を獲得したから使う必要がない、という理屈も通るが、霊障合体の存在がある以上、組み合わせた方が効果的なはずだ。それをしない、行わない理由が説明できない。

(そういうことね)

 わかった。一つだけ、その違和感を解説できることがある。

「刹那! 骸! 聞いて!」

 絵美は声を出した。

「何だ、急に? 雛臥は大丈夫なのか?」

 一瞬、二人の注意が絵美の方に向く。蛭児の意識も自然に彼女へ流れた。

「これは偽りだわ!」
「どういうことだ?」

 ここで説明したら、全部蛭児に聞こえてしまう。だが二人は近づいてくれない。だから絵美は声を上げ、

「蜃気楼よ! 今、雛臥への攻撃でわかったわ! コイツは……蛭児は他の霊障を新しく習得なんて、してないわ! 全部蜃気楼で捏造したこと!」

 スマートフォンで調べる余裕がないので憶測だが、

「きっと、相手の触覚を騙せる蜃気楼をアイツが使っているんだわ!」

 断言した。すると、

「いい線をいっているよ。半分以上、正解だ」

 予想外に蛭児の方から反応があった。

「無知な君たちにはわからないことだろう。これは霊障発展・悪夢だ。相手の感覚神経を惑わし、傷みを感じさせることができる霊障なのだよ」

 種明かしをしても、悪夢の特性上問題はないと判断した。それにあそこまで理解されたら、もう口では誤魔化せないだろう。

「で、でも! 俺の腕にはちゃんと血が流れているし、服も赤く染まってる! 肌で出血を感じたんだぞ?」
「血が流れている感覚を植え付けられている、としたら?」
「ま、まさか…! そんなことまで、可能なのか!」
「だが雛臥の病はどう考える――?」

 事実として発病している雛臥。その答えがまだ見えない絵美だったが、

「それは彼の思い込みだよ。スズメバチに二度刺されたら激しいアレルギー反応が起きる。体で知っているから、勝手に発病しているんだ」

 何と蛭児が自らそのカラクリを明かした。

「思い込みで、病気を発症させるだと……?」

 目の前にいる蛭児が、悪霊よりもおぞましい者に思えた。骸と刹那はすぐに、蛭児の言葉の先のことを容易に想像できたのだ。

(それが本当に可能なら……! 傷ついたと思い込ませてショック死させることだってできる。出血多量もあり得る! 自分からは一切傷つけずに、か! 目に見えるビジョン、体の反応。それら全てが、虚偽……!)

 自分が死ぬと思い込ませて、その勘違いを成就させて殺す。しかも雛臥のことを考えるに、頭では違うとわかっていても駄目だ。

(………だからアイツは、ネタ晴らししたってことか!)

 パンパン、と手を叩く蛭児。

「さあ、解説の時間は終わりだ。続けようか。君たちの死の、錯覚を!」
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