第3話 情熱の譚詩曲 その3

文字数 4,074文字

 後ろの蚊柱を倒そうにも、背中を向ければ洋次が攻めてくる。かといって、無視するわけにもいかない。洋次にだけ集中しても、蚊柱が妨害してくるだろう。

(洋次の僕に対する憎悪は凄い……! 絶対に僕のことを負かせたい、その欲望がわかる……! でも負けるわけにはいかないよ!)

 洋次は右手で握っているカブトムシの角から、電霊放を撃ち出そうとした。おそらくそれを避けて蚊柱にぶつけても、蚊柱の破壊は無理だろう。虫は翅を使って器用に素早く飛んでいるし、だいたい避けられるかどうかが微妙だ。

「そこだ!」

 鉄砲水を使う緑祁。逆流させてしまえばこの状況を打開できる。しかし、

「その戦術が二度も通用するか、わたしに!」

 対策済みだった。腕に水がかかると、電霊放を撃った際に自分の体に流されてしまう。それは一年前に体験した。ならば、

「こうすればいいだけだ」

 ワザと濡れる。その時に手に握っていたカブトムシとクワガタは手放す。この状態でも蚊取閃光は操れるので、逆流の心配はない。

「むむ……」

 洋次の頭の横を飛ぶカブトムシとクワガタ。角や顎を電気で光らせて、電霊放を撃った。

「びいいい! 痺れた……!」

 それを膝に受けてしまう緑祁。勝手に関節が曲がってしゃがんでしまった。

「無策だな、緑祁!」
「うぐ……」

 地面に手を置かざるを得ない。このまま立ち上がらなければ、追撃を受ける。だが、有効策を見い出せていない状態で立ち直っても、また的にされるだけだ。

(どうする……? 洋次は慰療が使えるから、チクチク攻めることもできない。一気に意識を飛ばす勢いで攻撃しないといけない!)

 いかにして勝つか。その勝利の方程式を脳内の黒板に書く。答えはわかっているから、必要なのはそこに至る途中式だ。

(少し乱暴だけど、やるしかない! でもそれをするには……!)

 かなり危険だが、打開策を考えた。ゆっくりと立ち上がる。

「きさまには一生、地面にへばりついていてもらうぞ!」

 だが洋次は後ろの蚊柱を動かした。飛んでいる虫たちが一斉に電霊放を撃つ。

「おおおおお!」

 その後ろに向かって、自分を鬼火で包んで突っ込む緑祁。

「馬鹿なことを? どういう目論見だ……?」

 鬼火では、絶対に電霊放には勝てない。干渉され中和され、そして無効化される。

「掴んだあああ!」

 だが一匹、コーカサスオオカブトを捕まえることができた。角にさえ気をつければ、電気を流されることはない。ちょうど虫たちは鬼火への対処で手一杯らしく、緑祁の手から逃げる動作が遅かった。

「もう一匹!」

 左手を伸ばし、チリクワガタを捕まえた。こちらも顎に触れないように気をつける。そして洋次の方に振り向き、この二匹の虫を掲げて突っ込む。

「愚策だな! それがわたしに通用するとでも?」

 彼の言う通りだ。蚊取閃光は洋次の霊障合体なので、彼の任意のタイミングで解き、消せる。だから振り下ろされる前に、消滅した。

「いいや! それでいい!」
「ん…?」

 持っている物が何もなくなった両手で、洋次の肩をガッシリと掴んだ。

「きさま…!」

 直後に手を肩に密着させた状態で、鉄砲水を使った。当然洋次の体はびしょ濡れになる。

「どうだい! これで洋次も電霊放を受けるわけにはいかなくなった!」
「だからどうした?」

 洋次としては、蚊取閃光を遠隔操作できる。だから何も恐れることではない。

(いや違うぞ。やはりコイツ、緑祁! 水蒸気爆発によるカウンターで勝つつもりだな?)

 しかし彼の瞳に灯る炎を見て悟る洋次。その情熱は本物で、彼は勝負を捨てていない。

(今、緑祁を近づけるべきではなかったか。この距離で電撃砲弾を使うのには、リスクがある……)

 少し動かれれば電霊放が解くのに間に合わず、自分に直撃してしまうかもしれない。

「鬼火をくらえええ!」
「コイツ……!」

 躊躇している洋次に対し緑祁は追撃を試みる。鬼火をこの近距離で、手のひらに出したのだ。でもまだ飛ばすつもりはない。これは完全に囮で、洋次が電霊放を用いて無効化するのを待っている。その時に体をちょっとズラす。それで洋次の体に触れれば、

(洋次に電霊放を逆流させることができる! もう全身が濡れているんだ、一発でも致命的になるはず!)

 方程式を書けた、と思った緑祁。
 だったが、

「ならば、こうするまで!」

 洋次はオブトサソリを生み出し手に取った。

「やったな? 終わりだ! これでそっちも感電……」

 洋次の腕を掴んだ緑祁。その腕にサソリの針を振り下ろす洋次。確かに今、緑祁の腕に突き刺さった。服を貫通して血が飛び出るくらいだ。

「え? は? え?」
「馬鹿だな、きさま。これはただの応声虫、帯電していない普通のサソリだ!」

 刺さった状態でグイっとサソリを動かすと、粗く緑祁の腕の肉と血管が裂かれた。

「うぎゃあああああ!」

 先入観に支配されていたのは、緑祁の方だった。洋次の攻撃は全て、電霊放。それが当たり前だと思っていた。しかし彼は、自分に電気が流れる可能性がある状況で、ワザと蚊取閃光を使わず普通の応声虫で攻撃したのである。

(や、やられた! 洋次の方が僕より、勝負への……勝利への思いは強いのか!)

 痛みが走り力が抜け、意図せず垂れ下がる腕。流石に洋次には毒厄はないので、このサソリに刺されても毒が回ることはない。

(け、けど……痛い! すっごく痛い)

 袖が血で真っ赤に染まっている。でも緑祁の心も、情熱で赤く燃えている。

(だけど、止めないといけない! 寛輔に託されたんだ、僕は! あの計画は絶対に、阻止するんだ!)

 手のひらの鬼火を洋次に向けて撃ち込んだ。服に確かに当たったが、彼は熱がっても痛がってもいない。先ほど緑祁が服を濡らしたせいで、炎が効いていないのである。

(落ち着け! 出鱈目滅茶苦茶な攻撃じゃ、洋次は倒せない! 冷静に対処しなければ…)

 一瞬、目を閉じた。心の荒波を鎮めるのには、その程度で十分だ。次に目を開けた時、洋次の電霊放が目の前に迫っていた。

「うおおおお!」
「…! な、なに!」

 その電撃が胸に当たる。でもそれだけだ。痺れ、痛い。それ以外には何も感じない。よくよく考えれば、命を奪わない程度の電霊放など恐れるに値しないのだ。だから一気に洋次に迫る。

(コイツ、何をする気だ……?)

 逆に焦る洋次。緑祁の次の一手が見えない。この、何をするかわからない状況が一番怖い。

(緑祁の目の前に、虫を出すわけにはいかない……。水蒸気爆発を避けるためにも、弾き飛ばせる物は使えない。だが!)

 だが、彼の横には未だに蚊取閃光で生み出したヘラクレスオオカブトとギラファノコギリクワガタが飛んでいる。その虫たちに電霊放を撃たせれば良いだけだ。

「発射だ!」
「そうはさせない!」

 ここで緑祁が、何と水蒸気爆発を使った。

「なっ……!」

 電霊放が撃ち込まれるよりも先に、爆風が虫を吹っ飛ばした。明後日の方向に飛ばされたカブトムシとクワガタが撃った電霊放もまた、的外れな方向に進む。

「さあ、どうする洋次! 蚊取閃光の虫に電霊放を撃たせるのなら、こうして発射前に吹っ飛ばしてやる!」
「コイツ……」

 後ろに回してある蚊柱を動かす。自分と蚊柱で緑祁を挟み撃ちにするのだ。

「まあいい。これで……トドメだ!」

 一気に蚊柱の虫たちを緑祁にけしかける。同時に洋次は両手にそれぞれ、応声虫でヘラクレスオオカブトとギラファノコギリクワガタを新たに生み出し握り、迎え撃つ。

「敗北するのは、きさまだけだ!」
「僕だけ? 違うよ。洋次、僕も一緒に負けてやる!」
「……はっ?」

 洋次に突進した緑祁は虫の角や顎に切り裂かれつつも、彼の首筋を片手で掴んだ。もう片方の手は後ろに向いている。その指先から、鉄砲水が放たれた。もちろん蚊柱に向けてだ。緑祁はこれで押し流せるとは思っていないし、だいいち威力はそこまで高くはない。

「うがあああああああああああああ!」
「ぐ、ぐうううううう!」

 蚊柱は蚊取閃光で生み出された虫だった。それと自分を、鉄砲水で結ぶ。さらに自分の体で洋次を掴む。自分が電気を中継し、逆流させてやるのだ。

「こ、このぉおおおおおおお! おおおおおおあ!」
「うりゃああああああああああああああ!」

 数秒間、緑祁は耐えた。洋次よりも先に倒れることだけは避けたかった。結果として宣言した通り、二人は同時に気を失って地面に倒れた。


「緑祁!」
「う、うん……」

 どのくらいの時間が経ったのだろうか。緑祁は駆け付けた香恵に起こされた。怪我も彼女の慰療で治してもらう。

「洋次はどうしたんだい?」
「え? いない、わよ…?」

 周囲を見たが、緑祁一人だけだった。だから香恵は安全と判断し、彼に駆け寄ったのである。

(洋次の方が目覚めるのが早かったのかな? アイツは慰療を持っているから、意識を取り戻せればすぐに回復できるはず! それか、洋次の仲間が彼を回収………)

 そこまで考えてから、やっと口が動いた。

「病棟の方は、どうなっているの?」
「そ、それが……」

 香恵はその問いかけに、首を横に振った。

「まさかみんな、あの大きなスズメバチ型の式神が囮だとは思ってなくて……。建物の内部にもう三体式神がいて、それが破壊活動を行っていたわ……」

 式神自体は紫電や病射、雛臥たちが破壊したのだが、病棟の崩壊は避けられなかったと言う。そこまで言われて緑祁はやっと理解した。

「洋次は最初から、勝つ気がなかったのか……! 僕の注意を引きつける、囮の役回りだったんだ……。クソ、やられた!」

 相手の真意をわかっていなかった。計画は止められなかったらしい。だとすれば、修練は逃げ出してしまったのだろうか。

「まだ遠くには逃げてないはず………」

 今からでも追いかける。立ち上がった緑祁だったが、足がフラッと来て地面に尻餅をついた。

「今日はもうやめて、緑祁。私たちは洋次たちに逃げられたのよ、それは今から何をしても変えられないわ。次に備えて休みましょう」

 ここは香恵の言う通りだ。悔しさのあまり緑祁は地面を思いっ切り拳で叩いた。
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