第6話 突風と激流 その2

文字数 3,794文字

「では、いざ行かん――」
「うん、いいよ!」

 月明かりが照らすだけのグラウンドに、二人は向き合って立つ。

(刹那の霊障は、突風だ。旋風よりも強力だから、僕はその他の鬼火と鉄砲水をメインにしよう)

 時計を見ている骸が時刻になったら合図を出す。十二時まであと数秒。

「時間だぜ!」

 彼が叫んだ。瞬間、大きな風が生じた。

「これが……刹那の本気の、突風!」

 鋭い空気の流れだ。肌がヒリヒリするほどに。

「まだまだ生ぬるい。我の力はこんなものではないのだ――」

 この風の中では、鬼火や鉄砲水を出しても意味がなさそうである。

(ならば……!)

 普通の発想では勝てないことを悟った緑祁は、手法を変える。

「僕も風だ。旋風を出すよ」
「何と。それは勇気ある一歩か、それとも愚かなる選択か――」

 生み出した風に乗って、緑祁は後ろに下がった。これに驚いた刹那は、追うかどうか迷う。

(罠か。それとも……――)

 しかし逃げ続けられると勝負が終わらない。勇気を出して追いかけることを選ぶ。

「緑祁、汝は逃がさん。この風から逃げることは不可能なのだ――」

 前に出ると同時に、緑祁の後ろの空間の空気を動かす。これで逃げに転じた緑祁を無理矢理前に押し出すのだ。

「これを、待ってたよ…!」

 その突風が運んだのは、緑祁だけではなかった。彼が生み出した鉄砲水が風に乗って、勢いを得ているのだ。このままではぶつかる。そう感じた刹那は突風を解いたが、水までは消せない。

「むむ、まさか――」

 一瞬だが、目に入った。別に汚い水ではないので失明したり結膜炎になったりはしないが、数秒視野が奪われる。

「そこだ!」

 その、刹那が見ていない隙を突いて緑祁は鬼火を繰り出した。邪魔をする風がなかったので、小さな火球は刹那の肩に当たった。

「先手を取られた。油断が生んだ怠慢が、我の足をすくった――」

 香恵の霊能力で治せるとはいえ緑祁も加減した。だがそれはあまり良い結果を育まない。

「我はまだ健在である。故に汝を叩き潰せる。空気の動きが止むときは、汝の敗北の時だ――」

 彼女を本気にさせてしまったからである。

(勝つ必要はないけど……)

 紫電とは違い、緑祁が提案したこの勝負は自己鍛錬が目的だ。だから必ず勝利する必要はない。結果は誰にも求められていない。

(でも! 負けたままで紫電に挑むのは格好悪いことだ! 刹那が本気なら、僕だって! 絶対に負けないよ!)

 いや、緑祁だけが勝利を求めている。だから彼は己のスイッチをオンにした。
 手を広げ、大きな鬼火を生み出す。火力の高さがそのまま威力に繋がるから、大きいに越したことはない。
 のだが、巻き起こる風が炎をかき消してしまう。

「く、くそっ! やっぱり突風が強い! 鬼火を大きくすると風の影響を受けてしまう! そうなると刹那の前では巨大な火球は作れない!」

 鉄砲水も試してみたが、やはり駄目。水で球を作っても風が水滴を勝手に運んで散り散りにしてしまう。

「こうなったら!」

 刹那本人への攻撃だ。女性に手を挙げるようで躊躇しがちだが、今は真剣勝負の真っ最中。ここで遠慮する方が失礼だ。
 それに感づいたのは、刹那もである。近づかれたら負けることはわかっているので、寄らせない。

「う、うわ!」

 突風が渦巻き、竜巻を成した。その目の中に刹那がいて、周りの物を吹き飛ばしている。

(これじゃあ近寄れない!)

 そもそも風圧で立っているのがやっとだ。いつ吹き飛ばされてもおかしくない。

「吹き荒れる風は、命をもあの世へ運ぶ――」

 その一言と共に刹那は手を突き出し、それを中心に自身の周りに吹く竜巻とは別の風を繰り出した。霊障同士が邪魔しないようになっているのか、風と風はお互いに干渉し合わない。そして手から放たれた渦巻きが、緑祁の体を捉える。

「ぶっ!」

 足を持ち上げ転ばせてやった。

「――?」

 だがすぐに、刹那は異変に気付く。

「何故に立ち上がらない? 汝の体にはまだ、闘志が残っている。それが手足を動かし態勢を整えることができるはずであろう。しないのには何か、理由がある――」
「そうだよ。僕は立てないんじゃないんだ。立つ必要がないから、こうして地面に伏してるんだ」

 刹那を中心に渦巻く風は何でも吹き飛ばすように見えて実は、違う。

「しゃがんでいれば、突風に煽られない! このまま這いずって近づいて見せるよ!」

 背を低くしていれば、彼女の風に吹雪かれないのだ。だから緑祁は匍匐前進で彼女に近づく。

「考え方だけは褒めるに値する――」

 けれどもそれは機動力を捨てた行為。刹那は手をピンと伸ばし、手首を振った。それだけで手刀が鋭い風の刃を生み出した。

(鈍い動きでは、これは避けられまい――)

 真っ直ぐに飛んだ空気の刃は緑祁に当たらなかった。彼の体は真横に、滑るように動いたのである。

「な、何――」

 右手と右足から、鬼火を出していた。それでいて左手と左足からは鉄砲水を、地面と手足が濡れる程度に。右側で炎によって衝撃が起きると、濡れた左側に反動で動く。そのまま横にスライドしてかわしたのである。

「しかし一発は避けれても、何発もかわせるか――」

 適当にだが、素早く腕を振って手刀で風を起こす。その刃が緑祁に迫るが、何と外れる。と言うよりも空気の刃の方が彼を避けていくのだ。

「既に僕は空気を温めておいたよ。空気は温かい方に流れる! 上昇気流に流されてね!」

 鬼火だ。体の周りを温めることで空気の流れを作り、風をそちらに逸らしたのだ。旋風を使えば風のスペシャリストである刹那に、すぐにバレてしまう。だが鬼火で少しずつ空気を熱して流れを変えれば、変化に気づかれにくい。

「しかし、軌道は修正するまで――」

 だがこの手はバレたら二度と使えない。突風なら、その物理的な空気の流れにすら異を唱えることができるためである。今度来る空気の刃は、緑祁が生み出した上昇気流をものともしないだろう。
 刹那は腕を交差させ、それを振り下ろした。☓字の刃が生じ、それが緑祁に迫る。

「うりゃああああ!」

 何と緑祁、あれだけ地面に伏していたのに今度は一気に立ち上がった。当然竜巻の起こす風に飲まれて体が飛ばされる。しかしそれは狙いだったのだ。

「刹那! そっちの突風はお互いに干渉しないみたいだね? それが隙をくれた!」

 あの一撃をくらえば確実に負けると緑祁は直感したのだ。だから立ち上がり、竜巻に吹雪かれた。
 一方で刹那の放った空気の刃は、竜巻の影響を受けない。そのせいで外れた。軌道を直そうにも竜巻と刃の速さは同じ……緑祁に届かないのである。

(あの☓字の風を僕に当てたいなら、竜巻を消す。僕を逃がしたくないなら、☓字の方を諦める…)

 刹那は選択に迫られた。
 竜巻を消すか、空気の刃を諦めるか。

「上手い選択だ。我がリードしているように見えて実は、主導権を握っているのは汝。しかし、その甘い認識が命取り――」

 結果、刹那は第三の選択肢を掴む。
 竜巻の風力を落とした。逆に☓字の刃の速度を上げた。こんな器用なことは旋風では不可能。突風だからこそ為せることだ。緩やかになった竜巻は緑祁の体を持ち上げていられず地面に落とし、そしてスピードの上がった刃は彼の眼前に迫りくる。

「いいや、甘い選択をしたのは……そっちの方だよ!」

 第三の一手を読んでいたのは、緑祁もだった。
 体の後ろに鉄砲水を放ち反動で緩やかになった竜巻を切り裂いて一気に刹那に駆け寄る。

「い、如何――」

 腕を動かそうとした刹那だったが、両手首を緑祁に掴まれてしまった。そして彼はそのまま、自分と彼女の位置をぐるりと回して入れ替える。刹那は、一瞬何が起きているのかわからなかったので迷った。だがその意味をすぐさま思い知った。

「ば、馬鹿な? こんな、はずが――」

 背中に激痛が走ったのだ。
 緑祁を追尾していた空気の刃が、自分に命中したのである。
 鋭くそして深い、刃だ。肉や血管を切り裂いたわけではないが、感覚神経が悲鳴を上げた。緑祁が刹那の手を離すと、彼女の体は地面に落ちる。同時にあれだけ粗ぶっていた風も止んだ。

「そ、そこまで!」

 骸の合図があり、緑祁は自分の勝利を認識した。

「無念である。我の実力では、緑祁には勝てないことが証明されてしまった。これは恥の上塗りである――」

 テンションが落ちる刹那に対し緑祁は、

「そんなことないよ!」

 と励ました。

「最後の決め手はそっちが使った空気の刃だったんだ、僕の力じゃない。僕一人では刹那には勝てなかったと思う!」

 お世辞を言っているようにしか聞こえないのだが、彼女はそれを受け取った。

「ここは、そういうことにしておこう――」

 刹那の背中に香恵が手を当てる。

「大丈夫そうね、皮膚すら剥がれてないわ。感じたのは痛みだけでしょう?」
「ああ――」

 次に緑祁の方も手当てをする。彼も目立った怪我はしていない。

「よし! じゃあ次だ。絵美、いいな?」
「ええ。でももう少しだけ待ってくれない?」

 準備不足には見えないが、絵美は勝負を急がなかった。

「じゃあ僕が先に行ってもいい?」
「駄目に決まってるでしょう! あなた、順番守る気ある? そんなんだから新幹線を一本乗り間違えるのよ!」

 この時雛臥は、緑祁に休息を与えるために待っているのだと思った。だから、

「わかったよ。次は絵美、それは変わらない」

 潔く引き下がる。
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