第4話 偽善者へ天罰 その2
文字数 4,234文字
やはり山の中にまでは入れないので、近くのパーキングエリアに車を停めて後は徒歩。山道を登って行くと、
「あった。ここだ」
消火活動の後だからか、規制線が張られており近くには行けない。焼け跡にもブルーシートがかぶせられている。
「証拠は焼かれて消されたが、霊紋は残ったので採れたと聞く。ただ、やはり誰の霊紋とも一致しなかった」
前に緑祁に、霊能力者なら心当たりがありそうな場所と聞いた。それはつまり、霊的な儀式を行える場所であるということだ。実際に辻神は魔法陣を見たし、何かが起きたことは確実。
「問題はその、何かが何なのか、だな」
禁霊術だとは思うが、どうしてそれを行ったのかを知りたい。
「う~ん。どうだろう?」
ただ周りを見ていても何も感じない。規制線の内部に入ることは流石にできないので、外側から様子を伺うだけだ。
「辻神はここで遭遇したっていう霊能力者の顔は見たの?」
「ちょっとだけ。あの時は火事が起きていて、しっかり見る余裕はなかった。写真は撮ったが、それ以上のことはできず……」
あの時、無理をしてでも追いかけていれば良かったかもしれない。そうすれば今のこの、不審な状況にはならずに済んだのだから。
「辻神……!」
突然、山姫が彼に耳打ちした。
「どうした?」
「近くに誰かがいるヨ……!」
地面を伝わる振動で、彼女はそれを察知したのだ。これは野生動物ではなく、人だ。
「何人だ?」
「一人。結構若いネ。走ってはなく、ゆっくりとした足取りだよ」
「こんなところに一人で来るってことは、だ……」
ここに関係している人物ではないか? 辻神のこの推測は、当たっている。
「今ここに近づいているヤツ! 私たちはおまえの存在に、もう気づいた! 無関係だというのなら、今すぐここから離れろ! そうすればこちらから危害は加えない! だが、そのまま近づくというのなら……容赦なく攻撃させてもらう! 五秒待つ!」
懐からドライバーを二本取り出した。取っ手の中には電池が仕込まれている、辻神専用の工具だ。
「どうだ、山姫…?」
「まだ近づいて来る……。そこの茂みだヨ」
「警告はした。にもかかわらず向かって来るということは、やはり霊的な関係者!」
ドライバーの先端を茂みに向け、電霊放を撃ち込んだ。金色の稲妻が飛んだが、突如生えた木にぶつかった。
「私が構えていたのを見ていたか……。軌道がわかれば防ぐことは難しくはない」
おそらく、木綿で生み出された木だ。
「そしてやはり、霊能力者か」
その木の陰から、少年が一人現れた。
「嗅ぎまわっているヤツがいるって聞いて見に来たら、本当にいたよ。驚きだねぇ。さっさと排除しないとな!」
あの孤児院の行方不明者の一人で、
「おまえ……桧原秀一郎じゃないのか?」
辻神が目を通していた資料の顔写真とそっくり……というか本人なのだ。
「だったら、何だよ?」
「確保する。おまえは行方不明者であり、かつ未確認霊能力者でもある!」
逃がすわけにはいかない。辻神は山姫と二人で、秀一郎を捕まえるつもりだ。
(動けない程度には、痛めつけてもいいよネ?)
彼女は霊障を使う。鬼火だ。
「それ!」
火炎放射をしたが、
「それか……」
秀一郎は鉄砲水を繰り出し、消火する。
「あっ」
「どうだい?」
一気に山姫に近づく秀一郎。手を前に出し指を広げている。
「何かして来る…! 逃げろ、山姫!」
この忠告は間に合わなかった。秀一郎は山姫の肩に触れると、彼女は突然胸を押さえて苦しみだした。
「ううっ! ぐっ……」
「毒厄か……!」
触れただけで相手を発病させることができる霊障。その存在がわからなければかなりの脅威だが、わかってしまえば対処はできる。
「旋風…!」
倒れた山姫を助けるために辻神は風を起こして秀一郎の注意を引く。毒厄は使い手だけが術中に落とせるので、山姫に触れても辻神にうつったりはしない。
「大丈夫か?」
「油断しちゃったヨ…」
幸いにも、喋れる程度にすぐに回復している。きっと毒厄自体が弱いのだろう。
「作戦がある。ちょっと耳を貸せ」
「なぁに?」
秀一郎に聞こえないように小さな声で、山姫に指示を出した。それを受けた彼女は礫岩を使って地面の中に消える。
「そうか。俺とあんた、一対一で戦うつもりなんだな?」
「……」
「あんたの名前、前に聞いたよ。辻神って言うんだろう? 二月に【神代】への背信行為をしでかしたが、どういうわけか大した処罰を受けず【神代】のために働き続けている……」
きっと正夫から聞いたのだろう。その処罰を免れたのには、緑祁が関わっているからだ。そういう相手も気に食わないので、攻撃してもいいと彼に言われている。
「自分に偽って善行をしているのは楽しいか?」
「何が言いたい?」
「だってあんた、本当は【神代】のことを恨んでいるんだろう? それこそ禁霊術を行おうとした程度には!」
だから、自分の罪滅ぼしのために【神代】で働いているのだろう、と秀一郎は言う。全ては【神代】への貢献に見せかけ、自分のためでしかないのだとも指摘。
「うわべだけ取り繕っても意味はないぜ? そういうのをな、偽善者って言うんだ。そしてそんなあんたに、俺は天罰を下す!」
個人手に、秀一郎はこの辻神がしていることが気に入らない。
「俺は他のヤツらとは違う! 人の裏側に隠れた善悪を見抜けるんだ。あんたからは、どす黒いイメージが見えるぜ? 隠し通すことなんてできない、悪者だ」
彼は思い出していた。自分が持っている記憶の中で一番古い場面を。
秀一郎はある女の人と一緒に暮らしていた。それはもちろん母親なのだが、父親がその家にはいなかった。
「はい、ご飯」
母は忙しそうで、全然彼に構ってくれない。まるで煩わしい存在と言わんばかりの適当さだ。そんな感じだったので、秀一郎も母に対しあまり良い感情を抱いていなかった。
五歳頃の出来事だ。秀一郎とその母はとある場所に連れてこられた。
「本当に呆れた……。まさか不倫しておいて、子供まで産ませていたなんて!」
「知らなかったんだ! 嘘じゃない!」
「ここまで来ておいて、知らぬ存ぜぬは通らないわよ!」
「あなた…。いつになったら、奥さんと別れてくれるの?」
会話の内容は、その当時は理解できなかった。ただ言葉を一字一句、覚えていた。
「離婚だ! 慰謝料は欲しいだけくれてやる」
男……血縁上の父が怒鳴った。どうやら奥さんとは別れるらしい。しかし、
「お前とは結婚はしない。俺はそんな子供、認知しないからな!」
「そ、そんな! それじゃあこの子を育てられないじゃないの!」
「だからあの時、おろせって言ったんだ!」
「信じられないわ、あんた。あんたの子供なのに、面倒見れないの?」
「俺はこんな子供、知らん! 俺は父親じゃない!」
「嘘言わないで! 責任持ってよ!」
「責任? お前が言うな。責任感じてるんなら、俺に頼らず育てればいいだろう?」
「できないわよ、そんなの」
「じゃあどうするの?」
「あなたと結婚できないなら、私、この子いらないわ」
それが、秀一郎が母から聞いた最後の言葉だった。この会議の後彼は、孤児院に預けられたのだ。
「秀一郎君、今日からよろしくね」
「はい……」
この時の彼には、まだ温かい感情があった。大人たちの会話の内容を理解できていなかったからだろう。
歯車が今の彼を形成させるように動いたのは、小学校に入ってから。確か、中学年の時だ。
「あの時の母さんと他の二人は、何を言っていたんだろう…?」
記憶を掘り返し、あの時の会話の内容をノートに書き起こしてみる。それを担任に見せると、
「………」
無言だった。驚いている様子もあった。そして、
「秀一郎君、あのノートのことはもう忘れよう。今の君には関係ないのだから」
と、誤魔化された。だが彼はそのノートを捨てずに持っていた。
(僕に教えられないってことは、酷い内容なのかな?)
教師の反応から、彼はそう察する。
それを確信に変えたのは、小学校を卒業する間近のこと。秀一郎は正確な知識を獲得したのだ。
「……となると、あの時は何が起きていたのか……」
整理するまでもない。
自分は不倫でできた子供なのだ。そして母は自分を武器に、父に結婚を迫った。しかし父はその通りには動かず、結果として役に立たなくなった自分は捨てられたのだ。
この事実を受けた秀一郎は、意外にも特別驚きはしなかった。疑惑が確信に変わったのがこの時期だっただけで、前から薄々気づいていたのである。
ただ、この時期より彼は、人を信頼しなくなった。当たり前だ。母という存在から愛情を受けられず、父からは存在すら認められず、自分のせいで一つの家庭を破壊したのだから。
「僕は、生まれる意味がなかったってことか」
そう思っても、涙は出なかった。
逆に彼は、あることを身に着けた。それは人を信用しないことだ。自分は求められた命ではない。そんな自分は誰からも必要とされないだろう。だったら自分も誰のことも信じない。自分の心は、誰にも開かない。
そういう態度で生きていると、不思議なことに人が持つ善悪を判断することが容易になった。
「私には類まれな正義感があって……」
学校の弁論大会でそんなことを言う生徒がいた。だが秀一郎は一言聞いただけで、それが嘘であるとわかった。事実その生徒は高校に進学後、補導歴がある不良に成り下がってしまう。
ただこの才能は、決して幸せを生み出さない。何故なら常に誰かを疑ってしまうことだから。自分の心を開かないということは、言い換えれば自分の内側に誰も入らせないという意味。
でも、苦しくはなかった。一人で生きていくことを決めたから。誰も信じられないのなら、自分だけは信頼できる。
「君、ちょっとここに来てくれない?」
孤児院を訪れた豊次郎が悪人であることは、一目でわかった。そんな彼に、
「霊能力者になってみないか?」
と、誘われた。普通なら笑い飛ばすだろう。だが秀一郎は、
「面白いかもね」
誰のことも頼りたがらない秀一郎にとって、自分の力が触れることは嬉しいことだ。だから、
「乗った!」
言われた通りのことをした。正夫からも、負のオーラを感じた。言うことに従えば、自分は悪者になってしまうかもしれない。
(別に今頃、そんなことを気にしてもな。どうせ俺は生まれてきたのが間違いだったんだしよ、もうどうでもいいぜ)
自分を望まなかった社会の方が悪なのだ。そう言い聞かせることにした。
「あった。ここだ」
消火活動の後だからか、規制線が張られており近くには行けない。焼け跡にもブルーシートがかぶせられている。
「証拠は焼かれて消されたが、霊紋は残ったので採れたと聞く。ただ、やはり誰の霊紋とも一致しなかった」
前に緑祁に、霊能力者なら心当たりがありそうな場所と聞いた。それはつまり、霊的な儀式を行える場所であるということだ。実際に辻神は魔法陣を見たし、何かが起きたことは確実。
「問題はその、何かが何なのか、だな」
禁霊術だとは思うが、どうしてそれを行ったのかを知りたい。
「う~ん。どうだろう?」
ただ周りを見ていても何も感じない。規制線の内部に入ることは流石にできないので、外側から様子を伺うだけだ。
「辻神はここで遭遇したっていう霊能力者の顔は見たの?」
「ちょっとだけ。あの時は火事が起きていて、しっかり見る余裕はなかった。写真は撮ったが、それ以上のことはできず……」
あの時、無理をしてでも追いかけていれば良かったかもしれない。そうすれば今のこの、不審な状況にはならずに済んだのだから。
「辻神……!」
突然、山姫が彼に耳打ちした。
「どうした?」
「近くに誰かがいるヨ……!」
地面を伝わる振動で、彼女はそれを察知したのだ。これは野生動物ではなく、人だ。
「何人だ?」
「一人。結構若いネ。走ってはなく、ゆっくりとした足取りだよ」
「こんなところに一人で来るってことは、だ……」
ここに関係している人物ではないか? 辻神のこの推測は、当たっている。
「今ここに近づいているヤツ! 私たちはおまえの存在に、もう気づいた! 無関係だというのなら、今すぐここから離れろ! そうすればこちらから危害は加えない! だが、そのまま近づくというのなら……容赦なく攻撃させてもらう! 五秒待つ!」
懐からドライバーを二本取り出した。取っ手の中には電池が仕込まれている、辻神専用の工具だ。
「どうだ、山姫…?」
「まだ近づいて来る……。そこの茂みだヨ」
「警告はした。にもかかわらず向かって来るということは、やはり霊的な関係者!」
ドライバーの先端を茂みに向け、電霊放を撃ち込んだ。金色の稲妻が飛んだが、突如生えた木にぶつかった。
「私が構えていたのを見ていたか……。軌道がわかれば防ぐことは難しくはない」
おそらく、木綿で生み出された木だ。
「そしてやはり、霊能力者か」
その木の陰から、少年が一人現れた。
「嗅ぎまわっているヤツがいるって聞いて見に来たら、本当にいたよ。驚きだねぇ。さっさと排除しないとな!」
あの孤児院の行方不明者の一人で、
「おまえ……桧原秀一郎じゃないのか?」
辻神が目を通していた資料の顔写真とそっくり……というか本人なのだ。
「だったら、何だよ?」
「確保する。おまえは行方不明者であり、かつ未確認霊能力者でもある!」
逃がすわけにはいかない。辻神は山姫と二人で、秀一郎を捕まえるつもりだ。
(動けない程度には、痛めつけてもいいよネ?)
彼女は霊障を使う。鬼火だ。
「それ!」
火炎放射をしたが、
「それか……」
秀一郎は鉄砲水を繰り出し、消火する。
「あっ」
「どうだい?」
一気に山姫に近づく秀一郎。手を前に出し指を広げている。
「何かして来る…! 逃げろ、山姫!」
この忠告は間に合わなかった。秀一郎は山姫の肩に触れると、彼女は突然胸を押さえて苦しみだした。
「ううっ! ぐっ……」
「毒厄か……!」
触れただけで相手を発病させることができる霊障。その存在がわからなければかなりの脅威だが、わかってしまえば対処はできる。
「旋風…!」
倒れた山姫を助けるために辻神は風を起こして秀一郎の注意を引く。毒厄は使い手だけが術中に落とせるので、山姫に触れても辻神にうつったりはしない。
「大丈夫か?」
「油断しちゃったヨ…」
幸いにも、喋れる程度にすぐに回復している。きっと毒厄自体が弱いのだろう。
「作戦がある。ちょっと耳を貸せ」
「なぁに?」
秀一郎に聞こえないように小さな声で、山姫に指示を出した。それを受けた彼女は礫岩を使って地面の中に消える。
「そうか。俺とあんた、一対一で戦うつもりなんだな?」
「……」
「あんたの名前、前に聞いたよ。辻神って言うんだろう? 二月に【神代】への背信行為をしでかしたが、どういうわけか大した処罰を受けず【神代】のために働き続けている……」
きっと正夫から聞いたのだろう。その処罰を免れたのには、緑祁が関わっているからだ。そういう相手も気に食わないので、攻撃してもいいと彼に言われている。
「自分に偽って善行をしているのは楽しいか?」
「何が言いたい?」
「だってあんた、本当は【神代】のことを恨んでいるんだろう? それこそ禁霊術を行おうとした程度には!」
だから、自分の罪滅ぼしのために【神代】で働いているのだろう、と秀一郎は言う。全ては【神代】への貢献に見せかけ、自分のためでしかないのだとも指摘。
「うわべだけ取り繕っても意味はないぜ? そういうのをな、偽善者って言うんだ。そしてそんなあんたに、俺は天罰を下す!」
個人手に、秀一郎はこの辻神がしていることが気に入らない。
「俺は他のヤツらとは違う! 人の裏側に隠れた善悪を見抜けるんだ。あんたからは、どす黒いイメージが見えるぜ? 隠し通すことなんてできない、悪者だ」
彼は思い出していた。自分が持っている記憶の中で一番古い場面を。
秀一郎はある女の人と一緒に暮らしていた。それはもちろん母親なのだが、父親がその家にはいなかった。
「はい、ご飯」
母は忙しそうで、全然彼に構ってくれない。まるで煩わしい存在と言わんばかりの適当さだ。そんな感じだったので、秀一郎も母に対しあまり良い感情を抱いていなかった。
五歳頃の出来事だ。秀一郎とその母はとある場所に連れてこられた。
「本当に呆れた……。まさか不倫しておいて、子供まで産ませていたなんて!」
「知らなかったんだ! 嘘じゃない!」
「ここまで来ておいて、知らぬ存ぜぬは通らないわよ!」
「あなた…。いつになったら、奥さんと別れてくれるの?」
会話の内容は、その当時は理解できなかった。ただ言葉を一字一句、覚えていた。
「離婚だ! 慰謝料は欲しいだけくれてやる」
男……血縁上の父が怒鳴った。どうやら奥さんとは別れるらしい。しかし、
「お前とは結婚はしない。俺はそんな子供、認知しないからな!」
「そ、そんな! それじゃあこの子を育てられないじゃないの!」
「だからあの時、おろせって言ったんだ!」
「信じられないわ、あんた。あんたの子供なのに、面倒見れないの?」
「俺はこんな子供、知らん! 俺は父親じゃない!」
「嘘言わないで! 責任持ってよ!」
「責任? お前が言うな。責任感じてるんなら、俺に頼らず育てればいいだろう?」
「できないわよ、そんなの」
「じゃあどうするの?」
「あなたと結婚できないなら、私、この子いらないわ」
それが、秀一郎が母から聞いた最後の言葉だった。この会議の後彼は、孤児院に預けられたのだ。
「秀一郎君、今日からよろしくね」
「はい……」
この時の彼には、まだ温かい感情があった。大人たちの会話の内容を理解できていなかったからだろう。
歯車が今の彼を形成させるように動いたのは、小学校に入ってから。確か、中学年の時だ。
「あの時の母さんと他の二人は、何を言っていたんだろう…?」
記憶を掘り返し、あの時の会話の内容をノートに書き起こしてみる。それを担任に見せると、
「………」
無言だった。驚いている様子もあった。そして、
「秀一郎君、あのノートのことはもう忘れよう。今の君には関係ないのだから」
と、誤魔化された。だが彼はそのノートを捨てずに持っていた。
(僕に教えられないってことは、酷い内容なのかな?)
教師の反応から、彼はそう察する。
それを確信に変えたのは、小学校を卒業する間近のこと。秀一郎は正確な知識を獲得したのだ。
「……となると、あの時は何が起きていたのか……」
整理するまでもない。
自分は不倫でできた子供なのだ。そして母は自分を武器に、父に結婚を迫った。しかし父はその通りには動かず、結果として役に立たなくなった自分は捨てられたのだ。
この事実を受けた秀一郎は、意外にも特別驚きはしなかった。疑惑が確信に変わったのがこの時期だっただけで、前から薄々気づいていたのである。
ただ、この時期より彼は、人を信頼しなくなった。当たり前だ。母という存在から愛情を受けられず、父からは存在すら認められず、自分のせいで一つの家庭を破壊したのだから。
「僕は、生まれる意味がなかったってことか」
そう思っても、涙は出なかった。
逆に彼は、あることを身に着けた。それは人を信用しないことだ。自分は求められた命ではない。そんな自分は誰からも必要とされないだろう。だったら自分も誰のことも信じない。自分の心は、誰にも開かない。
そういう態度で生きていると、不思議なことに人が持つ善悪を判断することが容易になった。
「私には類まれな正義感があって……」
学校の弁論大会でそんなことを言う生徒がいた。だが秀一郎は一言聞いただけで、それが嘘であるとわかった。事実その生徒は高校に進学後、補導歴がある不良に成り下がってしまう。
ただこの才能は、決して幸せを生み出さない。何故なら常に誰かを疑ってしまうことだから。自分の心を開かないということは、言い換えれば自分の内側に誰も入らせないという意味。
でも、苦しくはなかった。一人で生きていくことを決めたから。誰も信じられないのなら、自分だけは信頼できる。
「君、ちょっとここに来てくれない?」
孤児院を訪れた豊次郎が悪人であることは、一目でわかった。そんな彼に、
「霊能力者になってみないか?」
と、誘われた。普通なら笑い飛ばすだろう。だが秀一郎は、
「面白いかもね」
誰のことも頼りたがらない秀一郎にとって、自分の力が触れることは嬉しいことだ。だから、
「乗った!」
言われた通りのことをした。正夫からも、負のオーラを感じた。言うことに従えば、自分は悪者になってしまうかもしれない。
(別に今頃、そんなことを気にしてもな。どうせ俺は生まれてきたのが間違いだったんだしよ、もうどうでもいいぜ)
自分を望まなかった社会の方が悪なのだ。そう言い聞かせることにした。