第20話 葬送の鎮魂曲 その5

文字数 4,591文字

 翌日の午後三時に、フェリーは神蛾島に到着した。まずはホテルに荷物を運ぶ。

「ついに、いよいよ明日だ……」

 かなり緊張する。修練と智華子の冥婚は、もう目前に迫ってきているのだから。

(絶対に成功させる! 必ず修練の想いを成就させるんだ、僕が!)

 ホテルの部屋で身軽になったら、その足で神蛾神社に向かう。二月に邪産神の成仏の際に使ったばかりで、機材などは全て揃っているし埃も被っていない。本殿の内部や境内も島民が掃除してくれており、整っている。これなら儀式に集中できそうだ。
 ただ一つ気になる点があるとすれば、狭いところだろうか。仮に声をかけた人たちが全員……いやその三分の一でも入りきらない気がする。だが香恵は、

「万が一の場合は前みたいに、外で行うのもありよ。ここなら太陽の暑い日差しの下で、冥婚ができるわ」

 悪霊すら避ける、神聖なる光。それを集め修練を送り出すのも悪くはない。

「参列者がどれくらいいるかによるね。できればみんなに、修練の焼香を上げて欲しい」
「なら、順番で回ってもらいましょう」

 冥婚式のやり方に関しては、緑祁が自由に決めてよいと言われている。だから葬式もかねるつもりだ。

「多くの人に、修練の死を悼んで欲しい。救えなかったことを悲しんで欲しいんだ」

 下見は十分した。あとはホテルに戻って香恵とともに、式の内容を練る。修練のことを賛美する内容は流石に駄目だ。もっと自然な形にしなければいけない。

「こうするのは……」
「そこは………で、でもそれだと……」
「う~ん、難しい…」
「ならば、こうすれば?」

 ここは一つ、変に飾ることなくシンプルにしよう。二人の骨壺を並べ、その前に焼香を置くのだ。緑祁は奥に座ってひたすら読経をし、その間に参列者に冥福を祈ってもらう。決して煌びやかではないが、それがかえって良い味を出してくれる。


 次の日……冥婚式の当日は、雲一つない青空だった。この晴天に修練の魂を還すのだ。緑祁の緊張はピークを通り越している。夜は早めにベッドに潜ったが、全然眠れなかった。だが修練と智華子のため、気合を出す。まずは朝食を食べるために一階のレストランに香恵と一緒に向かう。

「すみません、永露緑祁君だよね?」
「えっと……。そっちは誰です?」
「俺はこういう者でして、怪しくはないです」

 名刺を取り出す男性。名前は天ヶ崎(あまがさき)氷威(ひょうい)と言った。霊能力者ネットワークで検索をかけてもヒットしないということは、彼は霊能力者ではない。だが名刺には、【神代】のシンボルであるニホンザリガニのマークが描かれてあった。それは、氷威は【神代】関係者であることを意味する。現に彼の肩書は、心霊ルポライターだ。

「今日の儀式に関して、取材の許可をもらった……というより命じられてね。色々、記事にさせてもらうよ」
「お願いします」

 緑祁は快諾した。この冥婚式のことが文章として残れば、後世の人たちや今日来れなかった人らの目にも止まる。修練のことを知ってもらえる。氷威とはこの日の夜に、ことの顛末を話す約束をした。
 朝食を終え手洗いを済ませると、真っ直ぐ神蛾神社に向かった。まだ冥婚式には時間があるので、閑散としている。

(これから、多くの人が来るんだ。みんなが修練の死を悲しみ冥福を祈ってくれるんだ)

 自分たちだけでもできる準備をする。香炉やそれを置くための焼香台、座布団や線香も出す。

「あ、これ……」

 大幣と神楽鈴がある。これも儀式に使いたい。しかし、

「緑祁が読経するとして、私だけじゃ腕が足りないわ」

 他の人たちは来客なので、手伝いを任せるわけにはいかない。

「力を貸そうか!」

 困っていると、声が聞こえてきた。振り向くと、何と富嶽と長治郎がいる。

「富嶽さん! 長治郎さんも…! どうしてここに?」
「言ったであろう、吾輩が? 【神代】が執り行う、とな。大幣を振り続けるくらい、大した疲労ではない。長治郎、貴様は神楽鈴を持て」
「了解です」

 こうすれば、緑祁と香恵の二人で読経ができる。

「ありがとうございます……!」
「気にするな。役割分担なんぞ、人間として最低限度の持っておるべき社会性だ」

 富嶽は人員を呼び、準備を早く進めた。座布団に座って焼香を上げられるように設置する。焼香台は神蛾神社の神棚の前だ。間に緑祁と香恵が座って、修練と智華子の骨壺に読経し続けるのだ。

「神鏡に燭台、榊立て……。おい、御幣はこっちだ」
「緑祁、特別に描かせた掛け軸だ。これを飾れ」

 富嶽は巻物を緑祁に手渡した。

「何ですか、これ?」
「まじないを込めて描いたのだ、誰かの幸せを願う貴様の心の力をより強くしてくれるだろう」

 開いて見ると、緑色のドラゴンがそれには描かれていた。

「ありがとうございます!」

 それを神棚の開いているスペースに掛ける。とても優しい雰囲気を与えてくれる絵だ。

「よし、OK! 左右対称になっているな! これで大丈夫だろう!」

 さらにまだある。富嶽は緑祁に、黒ずんだ赤い石……死返の石を手渡した。それは修練を連行した後に【神代】に返していた石だ。この儀式は死者同士の冥婚なのだが、一部禁霊術の領域にも足を突っ込んでいる。死者を蘇らせることは行わないが、二人の霊をあの世で結ぶためにも、必要不可欠。掛け軸の前に三坊を置き、その上に和紙を敷いて死返の石を添えた。
 準備は整った。


 午前十一時の鐘が鳴る。

「では、始めよ。緑祁、香恵!」
「はい、富嶽さん」

 冥婚式が始まる。緑祁と香恵は儀式が終わるまでひたすらに読経を続ける。二人とも、喉が潰れても良い覚悟だ。そしてその間に富嶽が大幣を、長治郎が神楽鈴を振る。
 来客者たちは本殿に上がる前に一礼して、そして静かに足を進めて座布団に座り、香をつまみ落として焚いた。一番最初は紫電で、次は雪女だった。来客者はみな、悲しみを感じさせない顔だ。これは葬式ではない、結婚式なのだから、喜ぶべきこと。だから明るい表情で参加する。
 雪女の次は、絵美だ。そして刹那、雛臥、骸、辻神、山姫、彭侯、病射、朔那、弥和と続く。緋寒、紅華、赤実、朱雀も参加した。白夜、極夜、珊瑚、翡翠、範造、雛菊、梅雨、咲、聖閃、透子、琴乃、琥珀、空蝉、冥佳、向日葵、賢治、柚好、一、彦次郎、勝雅、進市、苑子、育未、絢萌、由梨、洋次、結、秀一郎、寛輔、魔綾、翔気も、順番に。【神代】の幹部も例外ではなく重之助、凱輝、満、平等院覇戒、神道和樹、神山亜里依、檀十郎、岬、斧生蜜柑、鑢原桔梗、麻倉炙たちも冥福を祈った。
 当初緑祁は、この冥婚式に来てくれる人たちがいるのか、心配だった。しかし終わってみれば、名前も知らない【神代】の息のかかった人たちも大勢来てくれていた。
 永遠にも思える時間があっという間に過ぎていく。蝋燭は燃え続け、溶けて炎が根元に到達してしまった。その間緑祁は香恵と共に、目を瞑って読経をし続けたのだ。それくらい、修練と智華子に対する彼らの想いは強いのである。

 冥婚式が終わった時、緑祁は目を開けて修練の骨壺を見た。

「………」

 手を伸ばしてみても、何も感じない。もう完全に修練の魂はあの世へ渡ってしまった。でも、後悔や悲しい感情はない。気づけば死返の石は役目を終えたかのように、砕け散っていた。

(さようなら、修練……。僕ができることは全部、やったよ……)

 空は青い。熱い太陽の日差しの下を、緑色のドラゴンが飛んで行くのが見えた気がした。その竜は修練と智華子のことを、永遠の幸福に導くだろう。緑祁は、いいやみんながそう信じている。
 人の想いの可能性は無限大だ。そしてわかり合うということは敵や味方という概念を越える。幸せを願う心は誰しもが持っていて、それが仲間という輪を大きく育てるのだ。


「ここはどこだ……?」

 気が付くと修練は、見慣れない河川敷に立っていた。

(おかしい? 私は関東圏内の廃墟で、処刑されたはずだ。死んだはずの私がどうして、川の側にいるんだ?)

 自分の死は自覚している。だからこそ、

(となるとここが、三途の川か……)

 そう思いつくことができた。
 周りを見てみると、渡し船が何隻かある。小石を積み上げる子供たちも多い。鬼のような角が生え金棒を持っている者もいる。

(もう現世に思い残すことはないんだ、後はこの川の向こうに行くだけ。適当な渡し船に声をかけよう。断られたら、川の下にある地獄行きで構わない)

 歩み出そうとしたその時だ。

「修練」

 誰かが彼の名前を呼んだ。聞き覚えのある声だ。

「ま、まさか……?」

 ゆっくり振り向くとそこには、目が隠れるくらい前髪を伸ばした、不気味な印象を与える女性……智華子の姿があった。

「智華子……?」

 信じられない。彼女はもう十七年前に亡くなったのだ。なのに今三途の川の手前にいる。

「修練、やっと会えたね。ずっとずっと待ってたんだよ、私!」
「智華子……」

 思わぬ再会に涙が出そうになる。しかし修練にはその前にやるべきことがあるのだ。

「智華子、私はずっと謝りたかった! 私のせいで智華子は死んだんだ……。どう謝ればいいのか……。頭を下げても、下げきれない! ごめんなさい……」

 土下座しようと足を曲げる修練。しかし智華子はそれを止めた。

「謝るなんて、そんなことしなくていいよ。もっと前に進むことを考えてよ」

 智華子は、自分の死は修練の責任じゃないとわかっているのだ。あの日、自分のためにプレゼントを用意してくれたことが、とても嬉しかった。寧ろ智華子の方が礼を言いたくくらいなのである。
 ただ智華子は修練に、もっと自分自身のために生きてもらいたかった。智華子のことを忘れるのは難しいことだが、自分の死から立ち直り、幸せを掴んで欲しかった。それを空から見ているだけで良かった。
 そのことは、智華子の表情を見た修練にちゃんと伝わっていた。

「つくづく間違ってばかりだな、私は……」

 思わず下を向く修練。その無念さもまた、智華子は察する。
 だが、ここでこそ二人でできることだってある。

「修練、一緒に川の向こう側に行こう! 私たちなら、それができる」
「だが……」

 自分の罪深さを知っている修練には、その資格がないだろう。今再会できたことだけでも十分幸せだったと考えるべき。
 しかし智華子が指さす先には、

「あの船に乗ろう」

 渡し船ではなく屋形船が、上流から二人の方に進んできた。先頭に緑色のドラゴンの装飾が施されている船だ。一目見ただけで修練は、

「あれは、間違いない。緑祁が現世から送ってくれたのだな」

 何か、してくれたのだろう。すぐに察せた。あの屋形船に乗れば、川に落ちることなく向こう岸に行ける。
 船は接岸するとすぐに戸を開き、二人を招き入れた。他には誰も乗っていない、修練と智華子専用の船だ。

「さあ、行こう修練! あなたと私、いつまでも幸せに……!」
「そうだな」

 まず修練が乗り込む。そして手を差し伸べて智華子を引き入れる。
 あの世での幸福を祝い、二人を乗せた船が動き出した。修練は窓を開け、さっきまでいた岸の方を向き、呟いた。

「ありがとう」

 この言葉が緑祁に届くかどうかはわからない。だが今こそ、感謝しようと思えたのだ。

「ねえ修練、その緑祁って人について詳しく聞かせてよ」
「ああ、いいよ。彼はね……」

 誰にも邪魔されない場所に向け、二人の魂は冥婚によって今度こそ天に召された。
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