第17話 桃源の交響曲 その3

文字数 5,683文字

 だいぶ、罠を除去できた。ここまでは順調だ。霊魂の札を作動させずに破壊することが一番好ましいが、それは結構難しい。しかし、さほど問題ではない。自分を狙っているとわかりきっているので、防御や回避は簡単だ。できる限りダメージを受けることは避け、確実に葬り去る。それができれば良いのだ。

「近づけている、のかな?」

 けれど、肝心の紅の姿が見えてこない。罠を壊されていることは、わかっているはずなのだ。だから焦りや怒り、罠が囮だとしても何らかの感情があってもいいはず。そこが無色で掴めない。

「緑祁、家はこの近くよね?」
「うん。この公園を突っ切れば短縮になるよ」

 視線の先には、小さな公園がある。

「ん?」

 今、何かが動いた。風もないのに土煙が見えたのだ。そしてそれは、見間違いではなかった。何もない空間から突然、紅の姿がハッキリと出現したのである。

「紅……! 蜃気楼を使っていたのか!」

 何も驚くべきことではない。蜃気楼で自分の体に周囲の風景を映し出して同化し、疑似的な透明人間になる。それはその霊障を使う人なら行えて当然のことだ。
 では何に緑祁が動揺したのか。

(何で今、姿を見せたんだ? 僕は偶然、香恵に言われて公園の方を向いただけだ。それで、バレたと思ったから? でも、確信が持ててたわけじゃない……。それに、見えていないことを利用して優位に立つ戦術だってあるはず…?)

 紅が蜃気楼を解いたのは、ワザとだ。その行動の意が見えてこないからこそ、そこに恐怖がある。

「緑祁ぇええ! 今ここで、ぶっ飛ばしてやるっうううう!」

 やはり紅は、取り繕っていた丁寧な物腰は最初から捨てて、荒々しい態度を露わにした。

「わかっているよ……。今更話し合って説得できるなんて、思ってない。だから! 僕だって! 全力で行かせてもらう!」

 向き合う二人の気迫には、夜中には似合わないほどの凄みがある。

「はあああああああぁあああああっ!」

 大きな声を出すとともに、紅は鬼火を手のひらに繰り出し、成長させる。かなりの高温なのか、彼女の周囲だけ昼間のように明るくなった。しかしそれも一瞬だ。すぐさま紅は緑祁に向けて、鬼火を撃ち込んだのである。

(見えない動きじゃない……!)

 見切った。だからこそ、緑祁はそれを避けた。地面に着弾した鬼火は弾け、消える。紅の先制攻撃は失敗したので、今度は逆に緑祁が攻め込む。

「行けええええ!」

 鉄砲水を繰り出す。相手の出方や戦術を伺いたいので、ひとまず様子見だ。指先から繰り出された水流が紅に迫る。

(どうでる?)

 避けるか、防ぐか。答えはどちらでもなかった。

「何…!」

 攻撃した側である緑祁が逆に驚かされた。紅は特に体を動かそうとしなかったのだ。だが、何かしらの霊障を使って防御しているようにも見えない。微動だにせず、緑祁の鉄砲水を面と食らった。

(手ごたえはある。でも、何だ?)

 この感触は確かに彼女に霊障が届いた。それほど高くない威力だとしても、今立っている場所から突き飛ばすことくらい、できるはずだ。けれども紅は平然と突っ立っている。衝撃を吸収してしまったのだろうか? そんな霊障は聞いたことがない。
 急に、公園内のゴミ箱が吹っ飛んだ。

(紅かっ! 既に次の一手を打っていた!)

 たまたまそれが外れたのだ。蜃気楼を使える紅なのだ、緑祁の目を欺き不可視な攻撃を放つことくらい、容易い。

「でも! 動きは読めるぞ! そこだっ!」

 旋風で周囲の空気の流れを把握した。目に見えるビジョンと異なるものは何もない。確実に、紅は目の前にいる。今度は数メートルは吹っ飛ばす。緑祁は霊障合体・台風を使った。

(どうだ?)

 さっき鉄砲水での攻撃が成立しなかった謎は残るが、じっくりと考える暇はない。力任せな戦術にはなるが、攻撃をし続ける。台風は紅に直撃し、その感触を緑祁は霊的な感覚で理解した。間髪入れずに彼女の体は後方に押し飛ばされるはずだ。
 バチン、という音が公園の奥から鳴った。どうやらブランコの鎖が千切れたらしく、座版が地面に落ちた。
 一方の紅は、やはり平然としている。

(明らかにおかしい! これは何なんだ!)

 考えるよりも先に本能が働き、紅から離れる緑祁。さっきからどうやら、自分の手が通じていないのだ。しかもゴミ箱やブランコが不自然に動く。このまま戦っては絶対に勝つことはできない。謎を解き明かさなければいけない。

「勘づいたね、緑祁? 三度目に正直を通そうとしないのは、賢いぞ」

 やはり何かカラクリがあるようだ。その正体を紅が自ら暴露する。
 紅の服の下から、何かが出てきた。それは彼女の肩に乗ると、緑祁たちを見て威嚇する。

「何よ、あれ……?」

 見たことがない生き物の姿をしている。

「あれは……ウミサソリ、だ!」
「ウミサソリ? 海にサソリなんているの?」
「いいや、確かもう絶滅しているはずだ。それも恐竜よりも前の時代だったはず……」

 この場に病射がいれば、外見的特徴から正確な名前を割り出せたかもしれない。しかし今、その生態は重要ではないのだ。この世に生きていない生物である以上、攻略の糸口にはなり得ないことだからである。

「詳しいな、さすがは理系で生物専攻なだけある」

 紅はそれに手を伸ばし、背中を撫でた。するとそれは喜んで、腕を振る。

「察しのいいあなたのことだ、今、二度も起きたおかしなことはこの式神、[カルビン]が原因であることも読み取れているんだろうね?」

 これが[カルビン」のチカラだ。主か自分に向けられた敵意や害は、近くの物体に押し付けてしまえる。生き物には転嫁できないので、呪縛とは根本的に異なり、すぐに判別できなかったのだ。

「そんな強力なチカラが、あんな小さな式神に……!」

 怯えを感じ、思わず踵が後ずさりする緑祁。しかし香恵が、

「でもきっと、あの式神は[ライトニング]と[ダークネス]、緑が持っていた[ルビスコ]とは違って、自分には戦闘能力はないわ」

 もし単体でも行動力と破壊力のある式神なら、チカラの性質を加味しても服の中に入れておくなんてことはせず、頭数を増やして緑祁を迎え撃とうとするだろう。だからその推理は当たっている。

「香恵、あなたも鋭いねえ」

 事実、[カルビン」は人間の力で抑え込めるほどに非力だ。紅から取り上げてしまえば、それだけで無力化できる。

「で、どうするつもりなんだ? 近づくか、緑祁ぇええ!」

 やるしかない。緑祁は覚悟を決め、前に一歩踏み出した。

「恐れないということは! 考えがないということではない! 事実、勇気と無謀は紙一重だ。見方が違うだけ! それに勝負を賭けるという決断もまた、覚悟が必要! だがな緑祁! あなたの心境の変化程度でどうにかなる次元の問題じゃあないんだよ、既に!」

 また、紅が懐から何かを取り出す。それは札だが、式神のものではない。霊魂の札だった。町中に罠を仕掛けていたことから、余りを手元に残していても不思議じゃない。それを彼女はこの場で使うつもりだ。

「霊障合体・焼夷弾!」

 火炎をまとった霊魂が発射された。それは弾けて拡散する。

「むむう…!」

 飛び道具の類であれば、水蒸気爆発で跳ね返せる。だから寧ろ使われても緑祁の方が有利になるだけ。そう思っていた。しかしこの焼夷弾は、使用者も予期せぬランダムな方向に飛び移る。跳ね返しが有効なのは、自分と相手の間にそれがある場合だけだ。紅もカウンターを警戒して、あえてめちゃくちゃな方向に札を向けて撃ち込んでいる。
 弾けた炎はあらゆる方向から、緑祁を焼き尽くそうと迫ってくる。

「ここは、台風だ!」

 自分を中心に風を起こし、水を乗せる。目の中に入れば四方八方から伸びる火炎は防げる。紅は以前の経験から、香恵のことを狙うのは得策ではないと知っているし、そもそも彼女に用はないので無視し緑祁に集中した。

「こういうのはどうだ、緑祁ぇええええ!」

 大きな鬼火を両手の間に生み出し、構える紅。

(あれを跳ね返せれば……!)

 大ダメージを受けるのは彼女の方だ。きっとあれだけ大きな鬼火は、この台風では防ぎきれないだろう。ならば、利用する。

「黒焦げになりな、緑祁ぇえ!」

 撃ち出した。高温で、近づくだけで汗が噴き出すほどの鬼火だ。

「今だ!」

 緑祁は台風を一旦解いて、霊障合体の準備をした。狙いは紅の足元だ。[カルビン」が彼女についている以上、体にぶつけても周囲の何かが破壊されるだけだ。ならば、土を吹き飛ばして視野を遮り、その隙に奪い取る。

「行けぇえ! 霊障合体・水蒸気……」

 爆発、と彼の口が続かなかったのには理由がある。厳密には緑祁は、霊障合体を使った。だが、爆風が生じるだけで、何も動かないのだ。目の前にある、大きな鬼火はその風のことを無視して前進してくるのだ。

(そんなバカな…?)

 理由は単純だった。紅が放ったのは鬼火ではない。蜃気楼と混ぜた霊障合体・不知火だ。温度を偽れる幻覚に、まんまと騙された。
 一瞬、動揺した。そしてその隙を見逃す紅ではなかった。

「甘いぞ、そこだ!」

 二枚、霊魂を撃つ。それは水蒸気爆発の爆風を器用に避け、緑祁の胸と肩に着弾。

「うぐわっ!」

 それほどの痛みではないが、反動で膝が崩れる。しかもまだ焼夷弾が噴き出す炎が消えていないせいで、地面に近づくと熱い。こっちは本物の温度だ。すぐに立ち上がる。だがそれを読んで紅は、さらなる追撃の霊魂を既に撃っていた。地面を押そうとした手が弾かれる。

(僕の攻撃はあの式神、[カルビン]のチカラのせいで紅に届かない! でも紅は自由に飛び道具を使って僕に攻撃ができる……)

 何と不利な状況なのだろう。しかし緑祁には、そんな逆境を貫いて勝利を掴み取る覚悟があった。紅に苦戦して負けてしまうようでは、修練には届かないのだ。
 足腰の力だけで立ち上がる。。幸いにもその際、紅には邪魔されなかった。

(もう答えは見えているんだ! そこにたどり着く…それだけなんだ!)

 そして、また焼夷弾を放たれるが、台風を身にまとって突き進んだ。

「おおう? 逃げずに向かってくるか、緑祁ぇ!」

 途中で二度、水蒸気爆発を使ってみた。霊魂が混ざっているから、爆風で焼夷弾自体は跳ね返せる。しかしやはり、[カルビン]がいるせいで紅の体に当てても意味がない。砂場の砂が大きくえぐれるだけ。それか、ベンチが焼け焦げた。

「もう少しだ! あとちょっと!」

 間合いにして、約五メートル。そこまで近づけたのだ。[カルビン]はまだ紅の肩にいる。逃げるような素振りは見せない。威嚇を続けるだけだ。

「ぬおおおおおおおぉおお!」

 自分を鼓舞する雄叫びを上げると、不思議と力がみなぎってくる。

「させるか、緑祁ぇえええええええええええええええええええええ!」

 接近戦でも脅威になり得るのが霊魂だ。標的との距離が短ければ単純に当てやすい。相手が、自ら近づいてくるというのならなおさらだ。そこに鬼火が加わって焼夷弾となれば、破壊力は増加する。

(それが、紅の狙いだ!)

 緑祁は既に読んでいた。彼女は水蒸気爆発ができそうにない距離……接触した状態で、焼夷弾を撃ち込むつもりなのだ。だから緑祁が距離を詰めても、逃げない。

(作戦はかなり綺麗に出来上がっているみたいだ……。だけど! 怒りが計算の邪魔をしているのに、気づけていない!)

 面と向き合った時から、彼女の体から感じる、燃え上がるような感情。紅は怒っている。自分たち……ひいては修練の邪魔をする緑祁に。それが方程式に異物となって混入し、答えを歪ませている。緑祁が見切った歪さは、紅が片方の手、右手だけで霊魂の札を握っていることだ。これがもし両手だったら、二方向から焼夷弾が飛んできていたことになり、より対処しづらくなっていただろう。彼女が冷静に戦うことができていれば、その可能性に気づき、潰しているはずだ。できていないということは、そういうこと。

(大丈夫だ、やれる! 僕ならできる! セロ距離での水蒸気爆発! 焼夷弾は霊魂と鬼火の合わせ技だから、札からしか飛ばない! 札の動きに注意して、タイミングを合わせるんだ!)

 その動きは単純だ。軌道が見える。どうやら緑祁の左わき腹を狙っているらしい。

(ならば!)

 緑祁は両手を、紅の右手の動きに合わせた。

「な、なぁあああに?」

 彼女は驚愕している。

(行ける!)

 紅の右手の札が緑祁のわき腹に当てられるのと、緑祁が手と手を重ねて水蒸気爆発を繰り出したのは、同時だった。

「こ、こんなことが……! あり得ないぃいいいい!」
「いいや! これが事実だ!」

 焼夷弾は緑祁に着弾しなかった。彼の水蒸気爆発は見事に決まり、跳ね返した。ただ紅には[カルビン]がいるので、彼女の体に当たっても公園内の別の何かが悲鳴を上げるだけだ。滑り台がベコンと凹んだ。その大きな鈍い音を聞いて確認してから緑祁は、

「おりゃああああああああああ!」

 体を前のめりにし、紅の肩に顔を突き出した。どんなに素早く動けても、腕では間に合わない。しかし、口なら……。

「らいいいい!」

[カルビン]の片方の腕を、噛んだ。そのまま勢いに任せて動き、紅から離れる。彼女も必死の抵抗を見せたが、左手の指先がわずかに耳たぶに触れただけだ。
 地面に倒れこむ緑祁の口元には、あの厄介な式神の姿が。

「やれた、ぞ!」

 破壊するつもりはない。この勝負が終わるまで、手を出さないで欲しいだけだ。優しくつまんで手のひらに持ってくると、危害を加えられないことを悟ってくれたのか、威嚇を解く[カルビン]。

「か、香恵!」
「わかってるわ!」

 確かにかなり非力な式神らしく、香恵が握っても脱出はできない。そもそも彼女には、壊す意思がないので優しく……愛ネコを持ち上げるかのように、愛情を込めて持っている。
 紅は後退りした。

「これで勝負は振り出しだ! まだ、十分に勝つ可能性はある!」

 流れに乗る。今、緑祁の方が勝負の風上にいる。このまま向きが変わらないうちに、一気に決めてしまおう。そう思った時だ。
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