第8話 冥界の遁走曲 その1

文字数 4,557文字

「ここね……!」

 新幹線から降りてレンタカーを走らせ、絵美たち一行はようやく目的地の三色神社にたどり着いた。そこは田舎と言うレベルを越しており、スマートフォンは圏外だ。

「聞くところによれば、インフラは今工事中らしいっスよ?」

 この一行には、病射たちのチームも一緒だった。この地域出身の聖閃が、多額の寄付をしたのだと言う。そのおかげで、道中の車は全く揺れずに済んだ。

「ここの奥に本当にあるんだろうな? っていうか、来るんだろうな、蛭児が!」
「勿論――」

 咲の問いかけに刹那が答える。一言だったが、適当な返事ではない。ちゃんと確証があるのだ。

「蛭児が使える霊障は蜃気楼の一つだけだ。これじゃあまともな戦力にはならない。だから前もアイツは、死者を使った。自分の代わりに戦わせるんだ」

 既に『この世の踊り人』、『橋島霊軍』、『ヤミカガミ』の慰霊碑は破壊され、解き放たれた霊魂を基に蛭児は『帰』を行った。だがその時に蘇った死者たちは絵美らがあの世へ送り返した。洋次たちの話で、房総半島にあった『月見の会』の慰霊碑を既に破壊したことが判明。
 となれば蛭児が最後に頼る場所は一つしかない。五年前に完全に滅んだ『月見の会』の死者が祀られている慰霊碑だ。
 だから、先回りして蛭児を叩き捕まえる。絵美としては出来れば結構な数を動員したかった。だが今は無理だ。既に【神代】が期待を寄せている霊能力者たちは先日の【神代】本店強襲の際に傷つき、まだ回復できていない。それにあまり大きく動くと、今度は蛭児がこちらの思惑に勘付いてしまうかもしれない。

「長旅、ご苦労だった」

 神社から出てきた男が挨拶した。原崎叢雲という、左腕が義手の霊能力者だ。横には彼の妻である原崎橋姫もいる。

「話は聞きました。【神代】の本店を襲った犯人の仲間がここに……奥にある慰霊碑の方に来るかもしれない、んだよね?」

 それを防ぐための、人員。絵美、刹那、骸、雛臥、病射、朔那、弥和、咲、梅雨。合計九人が、絵美ができる限りの範囲でかき集めることができた全て。あまりにも少なく不安にさせる要素しかないが、

「やってみせるわ! 元々はアイツは、私たちがちゃんと見張ってなければいけなかった相手! その責任を全うする!」

 士気は高い。

「叢雲、これを」
「ああ」

 骸は出発前に【神代】から持たされたジュラルミンケースを彼に渡す。

「中身は何かな?」
「義手だよ。俺が前もって【神代】に頼んでおいた」
「義手…? でもそれ、今付けているのでは?」

 正確に言うと、戦うための腕。叢雲は絵美たちを信頼していないわけではないが、

「……使う機会が来なければ一番いいんだが。いざという時には、俺と橋姫がどんな手を使ってでも止めてみせる」

 慰霊碑の破壊を黙って見ているわけにはいかない。
 叢雲は渡されたケースを持って、三色神社の奥の道の方へ歩いた。件の慰霊碑がある方向だ。今この瞬間から、守りに出る。橋姫は、

「今は休んで。移動で疲れたでしょうから」

 神社の客間に絵美たち一行を案内する。しかし病射と朔那と弥勒の三人だけは、この屋外に残る。

「もう見張りを始めないとだね」
「ああ、その通りだ弥和。そしてその内の一人は、私でないといけない」

 本店への襲撃は痛ましかったが、同時に非常に幸運なことが起きていた。それは洋次たち孤児院組が、裏切られてしまったこと。このトカゲの尻尾切りのおかげで、【神代】は修練側の謎を解き明かすことができた。

「どうしてあんなに、得体の知れない霊能力者をごく短期間で獲得できたのか! それは蛭児が行った『帰』だ。だがあんな大人数、どうやって隠し通す? そのカラクリが、これ」

 朔那が地面を掘り、土を持ち上げて言う。

「地中移動か。それができるのは、礫岩か震霊の持ち主だけ」

 それが誰なのかまではわかっていない。早い段階で裏切られた洋次は知らされていなかったのだろう。

「どう? 感じ取れてる、朔那?」

 弥和が聞く。同じ礫岩の使い手なら、地面の不自然な動きに気づける。

「まだ来てない。流石に東京からここまで……富山までは結構な距離があるんだ、礫岩で地面をベルトコンベヤーのように動かせても、新幹線に勝てるはずがない」

 虫一匹、地下水の流れ、雑草の根っこの動きすら手に取るようにわかる。流石に移動は朔那たちの方が早かったようで、待ち伏せはできている。
 万が一地中の敵を見つけた場合の対処は既に考えてある。

(だが……。蛭児ってヤツも急いでいるに違いない! 大衆の正体が【神代】にバレて、しかも自身は指名手配になっているとなれば……。私たちの読みが正しければ、絵美や刹那への報復よりも先に、戦力の増強を図るはずだが……)

 そこから先はどう転ぶか、本当にわからない。相手も生身の人間である以上、予想外に動き出す可能性は否定できないのだ。
 だからこそ、この場で唯一礫岩を使える朔那が率先して地面の下を警戒する。絶対に見逃してはならない。


 この日の夜のことだ。絵美たちは橋姫によって、『月見の会』の集落跡地に案内された。

「近づいている……」

 と言うのも夕方、朔那が察知した。何か大きな岩盤の動きが、こちらに向かって来るのだ。それは間違いなく、蛭児たち。戦うべき時は近い。彼女の計算では、日付が変わる前くらいにはヤツらがここに来る。
 三か所に分かれた集落の内、一番手前の場所に慰霊碑が建っている。ここに蛭児たちを近づけてはいけない。しかし相手は巨大な群衆、こぢんまりとした神社の境内ではとても戦えない。もっと広い場所がなければ、予期せぬ被害が出てしまう。

「だから、ここで私が引きずり上げる!」
「お願い! でも、危ないと感じたら逃げて! 君たちの命と体の方が大事だから……」

 朔那は、集落が三つに分かれていたことを利用した。残りの第二、第三集落を戦地に選んだのだ。この提案に橋姫は首を横に振らなかった。彼女にとって、かつての仲間と一緒に暮らした場所で一戦交えることになるのは、耐え難い苦痛に違いない。だが今はそんなことを言っている暇ではない。自分たちの心境よりも優先しなければいけないことがあるのだ。
 案内を終えた橋姫は道を進み、月見の塔と呼ばれる慰霊碑の前で叢雲と合流。

「叢雲……」

 彼は慰霊碑と向き合っていた。そんな背中に、彼女は静かに声をかけた。

「……………」

 叢雲は目を閉じていた。五年前のことを思い出しているのだ。あの霊怪戦争の時、自分は集落を守れなかった。同じ時を過ごした仲間は大勢が死に、集落は壊滅し、『月見の会』は【神代】によってこの世から消された。雑草が生い茂る廃墟と化した集落だが、叢雲が瞼を通して見ている光景は全然違う。
 子供たちが元気に遊んでいる。大人たちが笑顔で農作業をしている。学校を覗けば、面白い授業をしている。病院に行くと、新しい命が生まれている。

 もう、叢雲と橋姫の記憶の中にしか生きていない世界。

「『月見の会』としての俺は、あの戦争で死んだ」

 長い沈黙を突き破ったのは、目を開いた叢雲だった。

「【神代】を恨むことはもうない。仲間を想う義務もない」

 だから、戦う理由がない。
 だが、今日だけは。いいや今夜だけは、身勝手な使命感で戦うことを誓う。

「死者の安息を邪魔する者を排除する。慰めの石碑には誰にも手を出させない! 俺の仲間は、今日の陰謀のため、それを成立させるためにここに眠っているのではない! 安らかな眠りは、誰にも侵させない! 死への冒涜など、絶対に!」

 叢雲には、覚悟があった。それは人を殺める、負の準備だ。この慰霊碑を攻撃しようものなら、殺害もやむなしと考えている。当然それをすれば表社会からも【神代】からも裁かれるだろう。

「わかってるよ、叢雲……。君がどんな思いなのか、いつも」

 橋姫の心境は同じだった。彼女には迫りくる蛭児が、自分と叢雲の幸せを脅かす存在に思えた。
『月見の会』を捨て生き延びた過去。叢雲と一緒に過ごしている現在。希望に満ちた短い未来。二人の間に、誰も立ち入って欲しくないのだ。それこそ過去のしがらみは一番不愉快で、それを禁霊術を使って掘り起こそうとしている蛭児こそ、一番許せない。

「私はいつも、君の側にいるから……」

 橋姫が歩み寄ると、叢雲は振り向いた。そして抱き合う二人。叢雲は優しく橋姫の背中を撫でた。


「来るぞ!」

 地面に手を当てている朔那が叫んだ。既に地中に細工してあり、この集落を囲うように岩盤を硬くしてある。それに加えて木綿を併用し、木の根っこで編み込んである。これ以上前に進むためには、地表に出るしかない。
 ゴゴゴと地表が割れる。そして開いた穴から大勢の人間が現れる。

「小賢しい真似をしたな?」

 先頭にいたのは、網切だった。彼の霊障発展・震霊を使えば朔那が強化した岩盤は突破できたかもしれないが、木綿が絡んでいたのでできず、仕方なく出てきたのである。

(確かに、百人くらいいるように見えるぜ……)

 役割分担は既に決めていた。蛭児を叩くのは絵美、刹那、骸、雛臥だ。残りの五人は、他の霊能力者の相手をする。

(相手は蘇らせられた死者だ、その魂をあの世へ送り返すことには何も問題はない! 懸念すべきは自分たちの体力、気力、霊力! 皇の四つ子ができたんだ、梅雨と自分にできないわけがない!)

 幸いにも梅雨には慰療が、咲には薬束がある。体へのダメージはあまり考慮しなくていい要素だ。
 天に手を向け、鉄砲水を雲に撃ち込む梅雨。この周囲に雨を降らせ、自分たちに有利にする。病射にだけは当たらないように配慮。

「さあ、行くわよ! この死者の群を突破し、『帰』を使う蛭児を捕まえるわ!」

 絵美の叫びが戦いの火蓋を切って落とした。

「弥和! 咲と私の霊障が炸裂したら、銀蜻蜓を!」
「わかってるわ、朔那!」

 ここを戦いの舞台に選んだ朔那たちが、準備をしていないわけがない。既に大量の種をばら撒いてある。それらが二人の木綿で一気に成長し、大樹となる。

「なにぃ!」
「うお!」

 バランスを崩させることが重要だ。その隙に弥和が霊障合体・銀蜻蜓を使って風よりも素早い虫を生み出す。カブトムシとクワガタだ。すれ違いざまに角や顎で、頸動脈を切りつける。

「…………」

 決まった。今ので五人程度倒せた。

「虫に気をつけろ! 鬼火で焼き払え!」

 しかしバレてしまえば警戒される。そこで病射が、

「くらいな! 霊障合体・嫌害霹靂!」

 毒厄を乗せた拡散電霊放を撃ち込んだ。相手は密集している都合上、かなりの命中度を叩き出せた。

「ぐは、やられた!」
「痛い、苦しい……!」

 いける。そう確信した三人の目の前の地面が突然隆起し、岩石の壁が立ちふさがって嫌害霹靂を遮断してしまう。

「敵の霊障か!」
「面白い戦い方をするヤツがいるんだな、この時代には」

 網切が震霊で電撃を遮断する岩を繰り出したのだ。

「おい、集まれ。このガキどもの相手は僕たちがしようじゃないか。僕たちの邪魔をする者など、全員殺してしまおう」

 彼の声が三人の霊能力者を集める。空狐、魑魅、蛟だ。見るからに他の死者とは雰囲気や迫力が違う……猛者だとわかる相手。

「……いいぜ、やってやろう! 二度目の三途の川、渡り切れるといいな……!」
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