第15話 雷氷の田園曲 その2

文字数 4,435文字

(いや、そういう考えは必要ない。私が勝つべきなのは、あの[ルビスコ]とかいうデカいサソリじゃないんだ、緑本人だ)

 戦う相手を見失っていた。最初の攻撃の手応えから、[ルビスコ]の耐久力は凄まじく高いことがわかった。雪女の氷柱なんて、目や口の中とかじゃなければ痛くも痒くもないだろう。だが、生身の人間は違う。こちらに殺意はないから加減はするが、氷柱が一本でも体に刺されば、ただでは済まないのだ。

(よし、いける)

 勝算はある。そう思って雪の氷柱を生み出し握る。

「さあ[ルビスコ]! 次の攻撃を放ちなさい!」

 また、[ルビスコ]の尻尾が動く。筆が高速で文字を宙に描いた。

「疲弊……?」

 確かにその二文字だ。それは雪女に向けて書かれている。相手を疲れさせるだけなら、破壊力は必要なく、重傷を負わせる心配も無視できる。だから緑はその単語を選んだのだ。
 そしてその意味を雪女も瞬時に理解する。だから氷柱を捨てて雪の結晶を繰り出し、防いだ。氷が疲弊することはなく、結晶で遮れば特に何も起こらない。

「あ、危ないところだった……。[ルビスコ]の書き込む文字は、何もくらってはいけないわ、これは……」

 他にも、気絶、失神、睡眠……と、人を動けなくさせるだけならいくらでも候補がある。しかも厄介なことに、[ルビスコ]の動きは基本的に恐ろしく鈍いのだが、筆を動かすスピードだけはかなり速い。複雑な漢字でも瞼が瞬く間に完成させることができる。

(少し、卑怯だけど……)

 バリケードの裏に隠れ、そこから不意打ちを仕掛ける。そう思ったが足元で何か音がしたので見てみると、

「コオロギ?」

 秋に鳴く虫が大量にいる。全部がオスで、翅と翅をこすり合わせて音を出している。

「そこね、あんたは!」

 これは緑の応声虫で作られた虫だ。位置を彼女に教えているのである。雪女はとっさに二、三匹踏みつぶしてみたが、次から次へと地面の下から這い出てくる。意味がない。
 急に近くで、鈍い音がした。何だと思った瞬間には、雪女の体が吹っ飛んでいた。

「なっ…」

[ルビスコ]が鋏を振ったのだ。バリケードごと雪女の体が吹っ飛ばされた。幸いにも加減してあったので、地面に落ちても肌を擦りむいた程度だ。

「……随分と無茶苦茶なことしてくれるよ、私の故郷で」

 痛みと同時に、怒りを感じた。その感情は大抵の場合、勝負を邪魔する。しかし彼女には、その気持ちの昂ぶりを良い方向に昇華する術がある。よく、紫電や緑祁がやっていることだ。

「絶対に勝ってみせる」

 恨みなど一ミリもない。ただ目の前の敵よりも自分の方が強いことを、戦って証明したいだけだ。そこにたどり着くために、冷静に状況を理解し分析する。
 今、わかっていることが二つある。一つは、[ルビスコ]の目的は雪女を殺すことではないこと。だから致命的な文字は飛ばしてこない。そして二つ目は、人間の動きを止めるような文字は雪には効果がないということ。
 その二つを加算すれば、自ずとこの戦いでの答えが見えてくる。

「な、何だって…!」

 緑は驚いて大きな声を出した。何と物陰に隠れていた雪女が、堂々と出て来てジャンプしバリケードの上に立ったのだ。

(不自然過ぎる…! これも何かの作戦なの?)

 その前提で動いた方がいい。雪女が冷静になっている時、緑もまた乱暴な発想は抱かない。二人とも、勝負にかける熱量は本物だ。

(また[ルビスコ]に攻撃させる? それとも私が霊障で攻め込むべき……?)

 緑の霊障なら、遠距離攻撃が可能だ。しかしそれは雪女にもできること。今、[ルビスコ]という圧倒的な戦力がある分、優位に立てているのは自分だ。やはりここは式神のチカラを使って攻める。

(きっと、隣のバリケードに飛び移って逃げれば当たらない、とでも思ってるんでしょ? 確かに最初の一撃はそれで避けれるだろうけどね、あんたはジャンプ中に自分の体の軌道を変えられるとでも本気で考えてるのか! そんなことができる霊障なんて、ないでしょうに!)

 動きと着地地点は容易く予想できる。こちらから仕掛ければ雪女は攻撃に反応して動くしかない。

「これでもくらえッ!」

 緑が両腕を上げてから、一気に下した。その腕の軌跡が、けたたましく羽ばたくスズメバチになる。応声虫を使ったのだ。緑は毒厄が使えないのでスズメバチたちに毒を持たせることはできないが、針は本物以上に鋭く尖っている。人間の皮膚を筋肉ごと貫けるはずだ。

(このハチが当たるとは思ってはいなけどね)

 しかしこの攻撃、彼女からしたら本命ではない。やはりここは[ルビスコ]に閉めてもらう。相手に聞こえないように式神に耳打ちする。

「いい、[ルビスコ]? あの女が足場から動いたら……ジャンプしたら、やって!」

 数匹のハチは雪女の雪の氷柱でさばけたが、ハチ自体は緑が腕を振り続けることで無尽蔵に産み出せる。

「……」

 一瞬、キョロキョロと周りを見回した雪女。あの数の虫の相手は骨が折れる。

(そうだ! あんたは逃げることを考えるんだ! で、どこに着地する気? それ、地面の上に行けると思う?)

 ここまで、緑の想定内。雪女がバリケードを蹴って飛んだ。右でも左でも、後ろでもない。何と堂々と、目の前に降りることを選んだのだ。

「そこだ、[ルビスコ]!」

 今この瞬間こそが、最大のチャンス。指示を受けた[ルビスコ]は即座に、気絶の二文字を書き叩き込む。動きは予想できるほどに単純で、必ず当たる。

「そう……。当たると思うなら、一発で動けなくなる文字を選ぶ。それが普通だよ。でもね…」

 雪女は雪の結晶を繰り出し、防御した。

「だからどうした?」
「どうなると思う?」

 気絶の文字は確かに雪の結晶に当たった。けれども何も起こらない。

「なっ! こ、コイツ……!」

 なんと肝が据わっているのだろうと、敵ながら感心してしまった。雪の結晶……氷は気絶なんてしない。だから[ルビスコ]の文字が、意味をなさない。

(凄まじい勝負運! いえ、違うわ! コイツはコイツで、自分の自信に勝負を任せられる大胆さがある!)

 これは賭けだ。式神のチカラが、作用するか無効かの二択。しかも一歩でも間違えれば、負けるギャンブル。

「ええい、[ルビスコ]! まずはあの邪魔な氷を解かしちゃないな!」

 今度は、融解と書いた。これで結晶は跡形もなく消えてなくなる。が、雪女の方が結晶を解いて消滅させてしまった。

「……ふう」

 融解の文字をその身に受けて平然としている雪女。人間は常温で液体に変化したりしない。ここでも賭けに勝った。

(マズい……!)

 焦りを感じ始めたのは、緑だ。雪女はスタっと地面に着地し、こちらを睨んでいる。[ルビスコ]の筆の動きは素早いが、同時に二つ以上の言葉は書き込めない。

(あの女をできれば! 痛めつけてやりたい……けど! それを氷が阻むのが!)

 体に害がありそうな言葉は結晶で防御し、氷を排除するような場合はあえて体で受ける。こうすることで、[ルビスコ]のチカラを攻略した。

「さあ、どうするの、きみは?」
「ぬぅ……!」
「なら、私から行くよ?」

 この動揺した雰囲気を貫く。そう決意して雪の氷柱を数本生み出し指と指の間で挟む。
 だが踏み出そうとしたとき、予想外の出来事が起きた。[ルビスコ]が暴れ始めたのだ。

(な、何……?)

 苦しんでいる様子ではない。しかし動きに一貫性がなく、読めない。緑は、ただ単純な指示を出した。

「めいっぱい、暴れなさい! 後のことは何も考えるな!」

 あえて暴走させたのだ。力任せな作戦だが、それは雪女が一番避けたかったことでもある。人間のパワーでは腕を比べることすら叶わず、[ルビスコ]自身の体も強固だからだ。
 雪女は自分がすべきことをすぐに判断した。

(式神のチカラにはもう対処できる。だから、あの大きな鋏の動きに気を付けて、緑を叩けば……)

 いくら適当に暴れ出しても、自分や自分の主を間違えて攻撃してしまうようなことはしないだろう。だとすれば[ルビスコ]の額の上が今、一番安全だ。どうせ緑本人との決着に持ち込まなければいけないのだから、やるべきことの内の一つでしかない。

「よし……」

 鋏が地面を叩く。その衝撃で、真っ直ぐ立っていられない。しかしそれもすぐに終わる。腕を持ち上げようとする、その瞬間に一気に近づいて[ルビスコ]の顔に飛び移る。

「いっ……」

 が、突然の激痛が彼女の肩を襲った。

(何が…?)

 反射的に手をやると、自分の肩の上で何かが蠢いている。それは鋭く尖った何かで、服の上から肌を刺したのだ。

「む、虫……? これって……」

 勝手に首が動いてまず後ろを、次に上を向いた。スズメバチの大群が、そこにいた。先ほど、緑が自分のことをバリケードの上から動かすためにけしかけた、応声虫のハチだ。どうやら緑はちゃんとコントロールして、雪女を襲わせているのだ。

「……見かけによらず器用なこと、するじゃん。これには驚かされたよ」

 氷柱を投げ、近づいたハチから排除する。ちょうどハチたちの攻撃が落ち着いてきた。

(………これは駄目だ)

 この感覚、いけないことだとわかる。何故ハチは激しい攻撃をやめたのか? 理由は一つしかない。雪女に動いて欲しくないからだ。では、誰のために? それは、鈍い[ルビスコ]のため。
 瞬間、雪女は横に飛ぶ。しかしここは運が悪かった。避けたと思った方向から、[ルビスコ]の鋏が迫ってきていたのである。

「間違えた………」

 急いで雪の結晶を作るが、それでは防御しきれない。

「う、ううう…」

[ルビスコ]の鋏は切るよりも挟んで潰すことの方が得意なのか、あまりの力に氷も砕け散る。挟み潰すことも可能だろうが、緑がそれを望んでいないため、適当にぶん投げられ、バリケードに背中から叩きつけられた。

「あっふ……」

 致命的な一撃だった。立ち上がれそうだが、戦い続けることがもう、できそうにない。眩暈がするし呼吸も乱れている。でも緑と[ルビスコ]は攻めをやめない。

「もらったわ! あんたはもう、立てないでしょう? 勝負、あっちゃったわね~!」
「ふう、ふう……」

 まさに絶望的。雪女の脳裏を横切ったのは、とある感情だった。

(紫電、ごめんなさい……。申し訳ないことをしてしまった……)

 ここで緑に負けてしまうのも癪だが、彼……紫電の足を引っ張ってしまった結果になったことの方が、何か取り返しのつかないことをしでかしてしまったかのようで、悔しい。

「さて、あんたに興味はなかったけど、利用価値が出た今は用があるわよ! 人質にして、石と交換ってのも、アリじゃない?」

 今、[ルビスコ]があの大きな鋏を腕ごと上げた。緑も霊障を使おうと構えている。雪女は駄目でもいいから防御しようと、腕を顔の前に持ってきた。

「殻もないくせに防ごうとしてるんじゃないよ、ナメクジが!」
「ぐっ………」

 恐怖が雪女に、目を閉じさせた。彼女には、瞳を開く勇気がなかった。
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