第2話 過去からの解放 その2

文字数 4,190文字

 突如、プレハブ小屋の屋根が凹んだ。

「な、なんだ……?」
「耐えられない! 邪魔だ! 死ね!」

 怨霊が、怒ったのである。その怒りが肥大し、真っ黒な存在に変貌したのだ。その姿が徐々に大きくなっていく。

「マズい! これは……」

 周囲の霊気を吸い始めているのだ。この怨霊は緑祁たちを排除するために、力を蓄えている。それが解放されたら大きな被害が出てしまう。

「もう除霊や成仏なんて言ってられないよ! ここは僕がこの世から排除する!」

 すぐに臨戦態勢に突入。緑祁は手を構えてその怨霊に迫った。

「来るか? 殺す!」

 巨大な手が、彼の目の前に振り下ろされた。一撃でアスファルト舗装に穴を開ける威力だ。

(だけどね……遅い!)

 その手が持ち上げられる前に旋風を繰り出し、切り裂いた。

「ぐぎゃあああああ? 貴様なんぞにいいい!」

 もう一方の腕も襲い掛かってくるが、捉えられないスピードではない。緑祁は上に飛んで避ける。そして鬼火を叩き込む。一発、二発……三発目で怨霊の腕は焼け落ちて使い物にならなくなった。

「ぐぶうううわああああああ!」

 着地すると同時に、怨霊の胴体に鉄砲水を撃ちこんだ。

(うん……?)

 ここで緑祁は疑問に思った。

(怨霊にしては弱すぎる。もしかして違う霊なんじゃないかな?)

 住職が見誤ったのだろうか。しかしその違和感はすぐに消え失せた。

「あああああああ!」

 なんと怨霊の体が頭から左右に分かれ、全く別の存在がそこから現れたのだ。

「何だあれは! い、いや前に見たことがある……迷霊じゃないかこれ!」

 これが疑念の正体だ。この迷霊は怨霊の中に潜んでおり、普段は怨霊として活動していたのだ。
 でもまた新たな謎が生じる。

(でも迷霊は、生み出した人に従順な幽霊だ。じゃあ誰かがこれをここに、召喚したってこと? 工事を邪魔させる目的を持った人がいる?)

 しかし今はそれについて悩んでいる暇ではない。まずは目の前の迷霊を倒すことが先決。

「香恵は下がって! この迷霊は僕が何とかしてみせる!」
「ギシャアアアアアア!」

 迷霊の咆哮は凄まじい。寝静まった町に響き渡るほどだ。きっと、誰かの悪意がたんまり込められているのだろう。

「負けるもんか! さあ来い!」

 その悪の瘴気に怖気づく緑祁ではない。逆に勇気を振り絞って一歩前に出る。自信はある。以前天王寺修練が解き放った迷霊を、彼は祓った。あの時よりも彼は一層成長している。だから負けるわけがない、と。
 同時に油断はしない。確実に倒せる相手であるからこそ、全力を出して被害が出ないうちに葬り去るのだ。

「鬼火と旋風……火災旋風!」

 赤い渦巻く風が、迷霊に迫る。迷霊は爪を立てて手を振りそれをかき消したが、火が燃え移った。

「ギャニュアア?」

 次に緑祁が繰り出したのは、旋風と鉄砲水の合わせ技…台風だ。打ち付ける水滴がそのまま弾丸のようになって、迷霊の体を襲った。

「ようし! 効いているぞ!」

 このままトドメを刺す。その時だ。

「頑張れ、緑祁!」

 香恵でも住職でもない誰かの声が聞こえた。反射的にそっちを向くと、青年が五人いる。

(知らない人? 騒ぎのせいで、野次馬が来てしまっ……。いいや違うぞ…?)

 その顔を詳しく知っているわけではない。だが、その面影は知っている。
 彼らは緑祁の、中学時代の同級生だ。

(な、何で彼らがここにいるんだ……?)

 意識がそっちに逸れてしまったせいで、トドメの鬼火は外れてしまう。

 実は彼ら、騒ぎを嗅ぎつけて現れたのではない。
 峯花寺の住職は緑祁のことをちゃんと覚えていた。そして彼がこの町から去った理由も理解していた。

「霊能力を持っているが故に、溝を掘ってしまったのか。それを埋めるには、和解が必要だ」

 そう感じた住職は除霊の準備と称して、当時の緑祁の同級生に連絡を入れた。あまりにも急だったので、五人しか集められなかったのである。

(だが緑祁君! 君の雄姿をみんなが見ている。その迷霊ごと、忌まわしい過去を祓ってしまうんだ!)

 意識を戦いに戻した緑祁は、再度迷霊に隙を作らせるために霊障を叩き込む。

(腕さえどうにかしてしまえば、コイツは怖くない!)

 鬼火を勢い良く繰り出して、壁を作った。

「ギ?」

 でもそれは目晦ましでしかなく、その炎の壁を貫いて旋風が飛んだ。

「ガアアア!」

 爪を根元から切り落とすことに成功。

「終わりだ……!」

 直後に緑祁自身が鬼火の壁を突き抜けて、迷霊の懐に鉄砲水を放水した。

「ビジ、ギア……」

 鋭い水流に貫かれた迷霊の体は崩れ、暗い空気に溶けていく。

「ふ、ふう。除霊はこれで完了だよ」


 しかし話はこれで終わらない。当時の同級生はみんな、緑祁の方を向いている。それを気まずく感じた彼は、当初は足早に去ろうとした。

(待って!)

 でもそうはしなかった。逆に進む向きを変えて、彼らと面と向き合ったのだ。

「ひ、久しぶりだね……」

 なんて声をかけたらいいのかわからず、少しトーンは怯えていた。

「緑祁、凄いじゃないか!」

 返って来たのは、絶賛の声だった。

「俺、中学の時から緑祁には不思議な力があるって思ってたけど、あんなことができるなんて思ってなかったよ! もっと見せてくれよ!」
「本当に霊能力者なんだね緑祁は! どうしてもっと早く教えてくれなかったのさ?」
「そ、それは……」

 緑祁は話た。自分が怒ってしまったが故に起きた、あの事件を。

「確かにそんなことあったな……」

 同級生たちは過去を振り返る。もう思い出でしか残っていない鳥小屋でのことを思い出す。あの日以降、緑祁は登校しなくなったのだ。

「俺はずっと心配してたよ? 緑祁が不登校になっちゃったから」

 一人がそう言うと、

「そうだよ。確かに最初は不気味だなって思ったけどさ、よくよく考えてみれば同級生に霊能力者がいるって、凄い珍しいことじゃん! だからみんな、もっと緑祁のこと知りたがってたんだよ?」

 次の人がそう言う。

「それ、本当に?」

 緑祁はその言葉を疑った。

「僕は……。ずっと不気味なヤツだって思われていると思ってた。みんなと仲良くしたかったのに、霊能力のせいでそれができなくなって……。みんなの目が怖くて何もできなかったんだよ」
「そんなことない! 緑祁は俺たちができないことを今してみせたじゃないか! だから自分に自信を持てよ! お前はすごいヤツだ!」

 しかし緑祁の思いに反し、同級生たちはうんうんと頷く。

「実はあの後な……」

 ここで、あの鳥小屋の一件を作ってしまった同級生から事情を聞いた。

「最初は緑祁のことを怪しむ人もいたけど、でも鳥小屋が焼けたことは俺を始め多くの人が見てたから覆しようがないことだし。それにお前のことを貶すようなことを言うヤツは、誰もいなかったぞ?」
「え……?」
「そうだよ。みんな本当の緑祁のことを知りたがったんだ。でもお前、急に学校に来なくなっちゃって………」

 邪険に扱われているとか、変な噂を流されているというのは全部、緑祁の思い込みだったのだ。

「友達がやっと本当の自分を見せてくれたっていうのに、受け入れないヤツがどこにいるんだよ! 俺たちは一度も緑祁のことを拒んだりしてないぜ!」

 緑祁の目から、涙が零れた。

「み、みんな………」

 この時彼は初めて、知ったのだ。嫌われているというのは全て自分の思い込みで、同級生たちは自分のことを拒んではおらず、寧ろ前よりも仲良くしたいと思っていたことを。その彼らの思いを踏みにじった自分が許せなくてまた、涙を流す。

「いつでも帰って来いよ、緑祁! 今度はどこかで飲んで話そうぜ!」
「う、うん……!」

 過去のしがらみは人の心を蝕む。だがそこから解放された時、人は精神的に前に進める。緑祁はこの晩、自分を縛るトラウマの鎖を断ち切ることができたのだ。もう過去を思い出して自己嫌悪に陥ったり、拒まれていると思ったりしなくて済むのである。それがいかに彼の心への救いとなるだろうか。


「じゃあな! また今度会おうぜ!」

 同級生たちは一足先に帰った。緑祁と香恵、そして住職は除霊の後片付けを行う。

「緑祁、あれは……?」

 香恵が指さした先には、光の球体のようなものが宙を漂っている。

「はて、何だろう?」

 何らかの幽霊だろうか? 明確な答えを導けない二人に対し住職は、

「あれは多分、幽霊からの贈り物だろうね」
「幽霊が、ですか?」
「そうだ。あの怨霊は苦しんでいたんだ。きっと誰かに、中に迷霊を入れられたから。でも緑祁君はそれ……迷霊を祓った。苦しみから解放されたから、何かお礼がしたいんじゃないかな?」

 少なくともそのオーブのようなものから、悪い雰囲気は感じない。

「もしかして、新しい霊障が発現するかもしれないぞ? そういうこともあるかもだ」
「そうなんですか! じゃあ緑祁があれに触れれば……!」

 香恵は思った。第四の霊障を手に入れることができれば、緑祁の力はさらに上がる。
 だが、

「僕は遠慮するよ」

 緑祁は辞退したのだ。

「どうして? 霊障を増やすチャンスかもしれないのよ?」
「怨霊を祓うこと自体は、できなかった。迷霊に除霊は邪魔されたからね。だから僕が怨霊を救ったというのは間違っているよ」

 さらに続ける。

「それに、さ。僕はもう満足だよ。霊障は三つだけだけど、それで十分! それ以上に、この故郷は僕のことを拒んでないんだ。それがわかったから!」

 だから、香恵にそのチャンスを譲った。

「本当にいいの?」
「うん。香恵だってできることが増えたら嬉しいでしょう? 慰療以外にも何か霊障が使えたら、僕も嬉しいよ」

 香恵は緑祁の意思を尊重し、そのオーブに触れる。人の心のように温かい光だ。それが彼女が触れた瞬間にピカッと光り輝いて、そして消える。

「どう?」

 試しに手を振ってみた。でも鬼火も旋風も鉄砲水も起きない。

「………まああくまでも予想だから。こういうことも人生ならあるよ」
「そうね。確証がなかったから仕方ないわ……。でもちょっとガックリ……」

 ため息を吐いてしまう香恵。すかさず緑祁が、

「落ち込まないでよ! そんな顔、香恵には似合わないから! それに香恵の慰療は、他の霊障よりも強力で便利だよ! だから新しいのは、必要ないかもしれない」

 とフォローを入れる。

「そう思うことにするわ」

 それを受けて香恵も気持ちを入れ替えることにした。
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