第10話 処刑の瞑想曲 その1

文字数 4,950文字

 皐が人生において最初に殺したのは、両親だった。しかしそれは、彼女が霊能力者であることを父も母も認めようとしなかったから、ではない。その点においては心配はなかった。
 最初に反抗的な感情が芽生えたのは、小学生の頃だ。

「皐、私立の中学を受験しなさい」

 両親は彼女にそう言い、市内の偏差値の高い学校のパンフレットを渡した。でも皐にはその気は全くない。

「行きたくない、けど……」

 勉強したくないから受験したくないのではない。机に向かって問題を解くのは嫌いじゃない。では何が不満だったのかというと、友人たちと同じ学校に通えなくなることだ。皐は学校で、誰が中学受験をするのかクラスメイトに聞いて回った。すると、仲の良い友達は首を横に振ったのだ。受験を控えている児童もいたが、彼ら彼女らに限って皐とは特別仲が良いわけではない。
 幼馴染の吉池文代にも訪ねたが、

「受験はしないよ? 皐もそうでしょ?」

 と言われ、

「うん、当たり前だよ。みんなと一緒に公立の中学校に行くし」

 と返事した。
 これに両親が怒ったのである。結果、皐は無理矢理受験勉強をさせられた。過去問や問題集を何度も何冊も解かされた。そのせいで、わかったことが一つ。

「アタシはこの学校、受からない」

 明らかに、自分の学力で狙えるレベルの偏差値ではないのだ。事実受験日当日も、解けた問題よりも空欄だった問題の方が多かった。結果は不合格。
 皐はここで両親にあることを期待していた。それは、自分のことを見捨てる、ということである。大した学力のない自分に、高望みはもうしないだろう。だから高校受験の際にはあれこれうるさいことは言わないだろう。
 しかし、違った。

「中学受験は失敗してしまったが、高校受験は成功させるぞ!」

 逆に両親に、やる気を与えてしまったのである。
 中学生になったら皐は、何かしら部活や委員会に入りたかった。でもそれらは勉強のために、すべて却下。塾にも通わされ、毎日シャーペンを握って問題集とにらめっこ。

「中学受験の時は急すぎた。でも高校受験はじっくり三年間かければ大丈夫なはずだ」

 育ててもらっている身である皐には、拒否権がなかった。
 溜まっていくのは内申点ではなくストレスだけ。クラスメイトたちはみんな部活に励んだり、委員会で学校のために活動したりしている。休日に遊びに出かける子もいた。子供にとってそれらは当たり前のことだ。そのごく自然なことを取り上げられた皐。増々両親に対し、怒りが込み上げてくる。
 でもこの頃はそれらを中にしまっていた。


 心のダムが決壊したのは、高校生になった時だ。

「大学受験では取り返さないとな。幸い、浪人だってできるんだ」

 高校受験は失敗してはいない。偏差値に合わせた学校を選んだためだ。でもそれは両親にとって、心地よくない結果だった。安全圏の高校を受験した……言い換えるなら、偏差値の高い高校に挑戦しなかったのである。
 また、三年間の学校生活を奪われる。そう思うともう我慢ができなかった。

(アタシの人生で一番邪魔なのは、父さんと母さんじゃん。いらないじゃん、そんなの)

 だがこの時の皐は、霊障は何も使えない。だから切ることに特化した札を使って、両親の首を切ってやろうと思った。そんなことをすれば即座に【神代】に捕まるだろう。
 でもその思惑は、予期せぬ方向に崩れることとなる。
 文代から札をもらった皐。その際、その札が勝手にボロボロになって崩れたのだ。

「え、不良品?」
「違うよ皐。多分これ、毒厄じゃないの?」
「毒厄? あの、毒と病の霊障?」

 突然皐は、霊障……それも毒厄に覚醒したのだ。おそらく、心の中にため込んできた負の感情がその形になって表に出たのだろう。
 近くの虫を捕まえて試してみると、その虫は即座に真っ黒になって死んだ。

「へえ、使えるじゃんこれ」

 すぐには実行しない。もっと毒厄を調べてからだ。それに【神代】に霊紋を調査されてしまうと、自分が犯人であることが即座に発覚してしまう。だから、ちょっと待った。

 一か月後の日曜日のことである。この日皐は、

「夕食は外食したい」

 と言った。両親はそれには反対せず、高速道路を使って、家から離れたレストランに行くことにした。

 車の中で皐は、両親に触れる。まずはハンドルを操作している父親から。

「うっ!」

 胸を押さえて苦しみだす父。とても車の運転なんかできる状態ではない。

「ど、どうしたのあなた?」

 母が心配する。そこで皐は母にも毒厄を流し込んだ。

「うあ!」

 二人とも、白目をむきだして泡も吐き出している。
 数秒も経たないうちに三人を乗せた車は、コンクリートでできた防音壁に突っ込んだ。凄まじい衝突であり、一撃で車は大破。乗っていた父も母も、ただでは済まされない。救急車で搬送されたが、その時点で既に死亡が確認された。
 だが、皐は無事だった。いいや彼女も病院に運び込まれたが、大怪我で済んだ。これは奇跡ではない。皐は事故が起きても自分だけは助かるよう、命繋ぎの数珠を腕に巻いていた。結果、左腕こそ骨折したが必然的に助かったのである。


 交通事故で両親が死んだ。表社会はそうとらえ、【神代】も不審な点はないという判断を下した。皐は誰にも怪しまれずに、邪魔者を排除すること……殺害することができたのである。
 初めて人を殺したわけだが、皐は特に何の感情も抱かなかった。当初は自分でも流石に動揺するだろうと思っていたが、本当に何も感じない。ただ、邪魔な人が消えてスッキリしたとだけ思った。
 この経験、邪魔だと思った人を簡単に殺せたことと殺害した後でも後悔や罪の意識に特に悩まされなかったことは彼女にとって、悪い方向への成長の糧となった。これからの人生、邪魔な人はたくさん出てくるだろう。その彼ら彼女らを殺しても、なんとも思わない。道端を歩いている虫を無意識のうちに踏み潰した程度にしか感じない。
 唯一の心配は、幼馴染であり同じく霊能力者でもある文代に怪しまれることだった。だが文代は皐に、

「私は皐のこと、全力でサポートするよ」

 と言われる。文代は何かを察していたに違いない。皐と両親の不仲を知っていたからだ。そんな文代は堂々と、皐の味方をすると宣言した。これで本当に怖い者はいなくなった。文代は皐よりも【神代】に明るく、バレずに書類を都合の良い方向に捏造してくれる。そして皐もまた、二人にとって都合の悪い人物を片っ端から、この世から物理的に社会的に排除した。
 二人はそんな生活を二年前の九月……ヤイバが脱獄し復讐を始める時まで続けていた。生きるにあたって邪魔者が存在しないことは、とても気持ちがいい。それだけで幸せになった気分だ。


「いつまで待てばいいのよ……?」

 皐はイライラしていた。修練に待機を命じられていたためだ。蛭児が【神代】に敗北し拘束されたことはもう知っている。

「慎重になり過ぎだわ! アタシにかかればどんなヤツだって、雑魚! 心配する必要すらないのに!」

 修練の意図は何なのかわからない。だが状況から考えて、【神代】に捕まることを恐れているのかもしれない、と皐は考える。だから岩手駅の手前のホテルで待機させられているのだろう。

(だったら!)

 ここでその意見に従わないのが、皐だ。しびれを切らした彼女はホテルを勝手にチェックアウトし、新幹線に乗る。目的地はもちろん、八戸だ。
 仲間であるはずの蛭児のことはどうでもよい。自分の復讐さえ達成できればそれで満足なのだ。
 調べたところによれば、紫電は八戸に住んでいる。しかも彼の家族が運営する大きな病院まであると聞く。
 そこまでわかれば、やるべきことはただ一つだけ。

「紫電の一族を全員、この世から除外してやるわ!」

 皆殺しだ。かつて自分を捕まえた紫電一人だけでは満足できない。彼の中に流れる血……彼の血縁者は一人も生かしておけない。それほど皐は紫電を恨んでいる。
 八戸駅に着いた。皐は新幹線から出て改札を通り、駅前でタクシーを拾う。ドライバーが女性のタクシーが、ちょうど皐の前に停まったのだ。

「どこまででしょう?」
「八戸大空病院!」

 皐は怪我人には見えないので、運転手はお見舞いに行く人と判断したのだろう。特に何も質問せず、料金メーターを起動してアクセルを踏んだ。

(まずは手始めに、病院の患者を始末するわ! アタシの顔に泥を塗った罰! 人生の時間を奪った罪! 代償は、命で支払ってもらう!)


 八戸駅から病院まで、十分くらいだろう。だがタクシーは延々と走っている。

(いつまで走ってるのよ? もう三十分くらいじゃないの?)

 後部座席に座っている角度が悪いせいか、メーターがよく見えない。ただ皐は、

(まあ、いいわ別に。いちゃもんつけて払わないようにすれば。何か文句を言われたら、ねえ?)

 指を不気味に動かした。
 タクシーはまだ走っている。気が付けば町を抜け、森林に入り込んでいる。

「ちょっと待ちなさい、アンタ! 一体どこに向かってんの! 病院は町中でしょうが!  徒歩でも行ける距離! ここがどこだかわかってるの?」
「………」
「答えなさい!」

 大きな声で怒鳴ると、流石に運転手もブレーキを踏んで停車させた。

「今すぐ町に戻りなさいよ! 目的地は病院よ、わかってるの? もう、料金は払わないからね!」
「いいですよ、それで」

 意外過ぎる返事が返ってきた。

「は?」

 金を取らない。普通なら都合の良い言葉だが、いくら皐でも違和を抱いた。

「アンタ一体何考えて……」

 乗り出そうとした皐だったが、運転手が何かを彼女に向かって投げた。

「何、これ……?」

 それは四つ折りにされた一枚の書類のようだった。恐る恐る開いてみる。すると、その紙の一番上に書かれていた文言が目に入る。

「さ、殺害許可証……?」

 間違いない。よく見ると、自分の名前が書かれている。それも、ターゲットの欄に。

「ヨんだでしょう? カクニンしたよね? そこに、アナタのナマエがあることは……」

 下には、富嶽の直筆の署名と捺印、そして【神代】のニホンザリガニのシンボルマークがある。
 つまりこの殺害は、【神代】が許可を出したということである。では、誰にか? それも書類に名前が記載されている。雛菊だ。

「まさか……!」

 ハッとなって皐は運転手の方を見た。彼女は手を合わせて擦っている。その動きが止まった瞬間、運転手=雛菊が手を前に出して振り向いた。

「いけっ!」

 指先が瞬いた。静電気を基に生み出した電霊放だ。

「あああああうう!」

 間一髪、体を動かしてその電撃を避けることができた。電霊放の威力は凄まじく、後部座席のドアに当たるとそれを車体から、砕いて引き千切ったくらいだ。

「………、ゴク…」

 もちろん当たっていれば、即死だっただろう。

(ちょっとコイツ、アタシを殺す気なの? いや、そういうつもりなのか……! 【神代】によって下された処刑命令! そのターゲットが、アタシ! コイツはアタシを、始末しに来た! 暗殺しに来たんだ!)

 即座に車から出る。

「ハズしたか……。でも、ここでカクジツにショリする! それはかわらない」

 殺害を許可され命じられたのは、何年ぶりだろうか。少なくとも【神代】の代表が富嶽に変わった頃から、その仕事はパッタリなくなった。【神代】は他の仕事を斡旋したり手厚い処遇を与えてくれたりはしたが、彼女の本業は言わば廃業同然の状態だった。
 それが今だけ、復活した。それが意味することはすなわち、

(カンゼンジョウタイ! ワタシはアイテをコロす、それにゼンリョクをソソげる! もう、ニがさない! 皐、ここがアナタのハカバになるよ)

 今までの経験を全て動員できる。手加減は必要ない。富嶽は、処刑方法は問わない、と言った。とにかく皐を殺害したその証拠さえあれば良いのだ。出発した時点でどのようにそれを提出するか、もう決めてある。あのタクシーのトランクの中には灯油の入ったポリタンクとライター、さらに大量の新聞紙、そしてトングと骨壺が積み込まれている。遺体はこの場で火葬し、遺骨を持ち帰る。
 それに雛菊は皐の霊障を知っている。相手は毒厄しか使えないのだ、だから近づかなければ危険ですらない。
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