導入

文字数 5,286文字

 雨の止んだ道路に一台の車が停車した。

「ここで待っていろ、寺井!」

 そう叫んで車から降りた男が一人。彼の名は神代(かみしろ)閻治(えんじ)。厳しそうな外見とは裏腹に、運転手である寺井のことを事件に巻き込みたくないので、目的地である病院より離れた場所に待機させる。

「一人で大丈夫でしょうか…?」

 初老の寺井(てらい)としては、二十歳の閻治が一人で処理に当たることが不安だ。だが、

「心配なんぞ、いらん! だいいちこの程度、我輩が出るまでもないことだ。貴様は黙って、戻って来るまで運転席に座っていろ」

 そして一人で病院に向かって進む。彼が目指している棟は、別に曰く付きの院ではないし、廃墟というわけでもない。夜だから静まり返ってはいるが。

「全く面倒な……。どういう罰を与えるべきか! 誰かは知らんが、タダでは済まさんぞ!」

 病院の入り口は閉まっている。もちろん裏口も施錠されている。だが閻治が近づき、少しドアノブを叩くと、ひとりでに開いた。彼は黙って中に入る。
 昼間は賑やか…と言うのも変だが、人気のある病院でも、夜は違う。まるで建物が変わったかのように、不気味な雰囲気に包まれているのだ。

「どこかにいるはずだ」

 彼は何かを探している。でもその〝何か〟は生き物ではない。かと言って物体でもない。しかし変な表現だが、存在はしているのだ。
 真夜中の病院に忍び込んだ閻治が真っ先に向かったところ。それは霊安室だ。求めている〝何か〟はそこにいる可能性が高いのだ。

「空振りか! となると……」

 だが、そこには何の気配もない。扉を開けるまでもなく、前に立っただけで全てを察した。
 ここで閻治は院内の地図を広げる。暗くて文字どころか、裏表もわからない。が、彼が手を広げたらそこに火の玉が出現した。その赤い炎が紙を照らしてくれている。

「階段を登って三階。そこから南に進む、と……」

 地図の示した道なりに進む。途中、見回りの警備員や夜勤の看護師と出くわしそうになったが、閻治はこれを闇に紛れることでかわした。
 たどり着いたのは、患者が入院している病棟だ。それも幼い子供ばかりで、中学生以下の患者はこの辺の病室にいる。でも彼らに用があるのではない。

「おや、来たか…!」

 閻治が求める〝何か〟は、上の階から降りて来た。
 それは、非常に気味が悪い姿をしている。顔はある。だが一つじゃない。四つの首が胴体から生えている。その胴体も、異様に膨らんでいる。腕はなく、代わりに足が七本、出鱈目な大きさで不自然に折れ曲がって無秩序に床を蹴って、ゆっくりと動いている。そして進むにつれて、むき出しの内臓が体からこぼれ落ちる。

屍亡者(しかばねもうじゃ)が…! 殲滅してくれる!」

 その〝何か〟……屍亡者に閻治は用があった。その要件は、相手を除霊することだ。屍亡者はこの世の存在ではない。悪霊よりも質の悪い存在で、この病院にいること自体が許されないのだ。

「ド…ケ…。ジ…ャ…マ…ダ…」

 相手も閻治のことを認識したようだ。前方を向いている六つの目が、閻治のことを睨んでいる。

「消えるがよい」

 ここで閻治は飛んだ。合掌し鬼火(おにび)を解き放ったのだ。

「……」

 だが、威力を抑えたが故にあまりダメージを与えられていない。

「今のはほんのジャブだぞ? ここから消えぬというのなら、容赦はせん!」

 意思疎通ができるとは思えないが、閻治は声をかけた。そして返事はない。

「終わりにしてやろう! 貴様が奪った命と体……その持ち主たちのためにも、ここで血塗られた魂を消す!」
「シ…ヌ…ノ…ハ…オ…マ…エ…ダ…」

 屍亡者は敵意には反応した。が、遅い。閻治が起こした旋風(つむじかぜ)がその体をえぐったのだ。足が千切れてミミズのように床を這う。その一本一本に閻治が札を貼ると、それは塵になって消えていく。

「ク…ソ…ガ…」
「勝負は既に見えておった! 屍亡者はその性質上、相手が生きている場合は子供にしか手が出せん。我輩に敵うはずはないのだ」

 胴体の中心部に札を押し付けると、屍亡者の体は静かに爆ぜた。除霊は完了だ。


 だが、これで終わりではない。閻治はまだ院内にいた。
 そもそも、ここからが本当の仕事だ。屍亡者は一体だけではない。どこからか発生する霊の一種で、その一体がこの病院に来ていただけのこと。普通ならそれで話は終わるのだが、

「問題は、ここに誰が入れたかだ。鳥小屋に狼を解き放った犯人がおる! ソイツを捕まえる!」

 閻治は、いいや【神代(かみしろ)】はこれが人為的な犯行と睨んでいた。それもそのはずで、この病院は【神代】の系列が運営しており、屍亡者やその他血や尽きてしまいそうな命を嗅ぎつけて悪い霊がやって来るのを、結界を張って防いでいる。
 その結界の中で、突如霊安室から遺体が消えたのだ。本来ならばこれは、あり得ないことである。

(可能性として、犯人はもう既にこの病院にいないかもしれん。他の場所に移動してしまったか? だが!)

 だが、閻治はここが怪しいと感じる。五感ではなく、持っている第六感で。霊的な本能が、そう告げているのだ。

「フン!」

 手を振って風を起こす。先ほどの旋風とはまた違う空気の動きが、病院全体に広がっていく。

「なるほど。それでは気がつけぬわけだ……」

 悟った閻治はすぐに移動を開始する。


 足を止めた。目の前には病室がある。個室で、鎌村(かまむら)(しゅん)という閻治と年齢的にそんなに離れていない男が入院中だ。
 ノックもしないで閻治は病室に入った。

「う、うわ!」

 峻はベッドの上にいたが、布団の中に入っているわけではない。魔法陣の縫われた布を広げ、その上に水晶玉を置いて何かしらの呪いをしている最中だった。

「屍亡者が我輩に敵意を向けたのは、こういうわけか! 貴様が操っておったのだな、峻!」
「お、おい! 待て、待てってば! 僕は入院中の現役患者だぞ?」
「構うものか!」

 胸ぐらを掴んで持ち上げ、峻の顔を床に突き落とす。

「どういうつもりだ貴様? 我輩が来るのがあと少しでも遅れていたら、幼子の命が亡かったのだぞ? そもそもこの病院で屍亡者を使って何を企んでおる?」
「誰が言うかよ! 僕は口を割らないことに定評があるんだ! お前が誰だろうが知らないけどね、僕は何も言わない!」
「それが、【神代】の跡継ぎに対する貴様の態度、ということか」
「え?」

 峻の表情が歪んだ。
 苗字からわかる通り、閻治は神代の家と血を継ぐ者だ。まだ現代表ではないが、ゆくゆくはその席に座る予定だ。

「ええ、ええええ? まさかまさかの、本人? 【神代】の、たった一人の息子? あの閻治だって……?」

 名前だけは聞いていたので知っているが、会ったことはない。どこで何をしているのか、噂話を運ぶ風すら吹かないので無理もない。だから、

「はは、はははは! 身分を騙って僕を騙そうってか? そんなオレオレ詐欺より間抜けな作戦に、引っかかると思うかよ?」

 表情を戻し、余裕を見せる。

「ほうれ見ろ! 証拠がないんだろう? お前が神代閻治っていう、証拠がさぁ! やっぱり嘘吐いてるんじゃないか。危ない危ない、あとちょっとで信じちゃうところだったよ!」
「そうか……」

 閻治のこの返事は、呆れたから出たものではない。

「ならば、貴様が信じるまで、だ」
「は、はあ?」

 次の瞬間、閻治はベッドの上の水晶玉を掴んだ。それに念を込める。透明なガラスの玉が、血のように赤くなる。

「見るがいい。【神代】の血塗られた歴史……。我輩の血に刻まれた、歴史の闇を!」

 そして赤くなったそれを、床にうずくまる峻の額に押し付ける。

「これは……っ!」

 彼は今、見せられている。隠しておきたい黒い偉業の数々を。そしてその中で何度も叫ばれる苦痛な悲鳴を、無理矢理聞かせられている。

「う、うわああああああああ!」

 歴史の裏に葬られた闇を味わった峻は、叫んだ。しかしその叫び声すら、水晶玉が吸い取ってしまって閻治には届かない。

「やめろおおお! 誰か、助けてくれ! ひいいいいいいいひひひいいいひいいひいひいひひ!」

 勝手に目から涙が流れ、瞼が痙攣する。これを見た閻治は水晶玉を峻から離した。

「どうだ? まだ認めんと言うのなら、いくらでも教えてやろうぞ?」
「もう、いい! 信じる信じるって! おま……あなたが、【神代】のあの閻治なんでしょう?」
「その言い方、気に食わん。どうやらまだ教育が足りんようだな」
「もう十分ですっ!」

 これ以上は死ぬか発狂すると思った峻は、すぐに白旗を揚げた。なので閻治は峻の体をベッドの上に戻してやった。

「うむ、素直でよろしい。己の心に正直なヤツは嫌いではないからな」

 ちょっと褒めると、

「では、本題だ。貴様一人で屍亡者を解き放つ……一見すると筋が通っておるように見える。が、違う! 貴様がこの病院に運び込まれた段階では、持ち込む術がなかったはずだ。協力者……というよりもこの行動を指示した者がおるな? ソイツの名を教えてもらおうか」

 屍亡者を何かに封じ込めて病院に運び込むことは誰にでもできそうだ。だが、峻にはできないと閻治は考えている。理由は簡単で、二週間前に突然救急車で搬送された峻が、長期入院を見越して屍亡者を持ち込むのは無理がある。入院後、見舞いに来た誰かが渡したと考える方が腑に落ちる。

「で、誰だ? ソイツは?」
「………」
「言えないのなら、紙に書いて教えろ」

 メモ帳とペンを渡されても、峻は書こうとしない。

「肝が据わっておるな」

 ここまで強情な人間とは、恐れ入る。だが閻治も引き下がるわけにはいかないのだ。

「では二択だ」
「は?」

 こういう時、それを突き付けると効果的だ。閻治は懐からある物を取り出した。

「ここで白状して生きながらえるか、それとも沈黙を貫き通して死ぬか。貴様が選ぶとよい」

 どうせ、この病院に屍亡者を解き放った峻にはそれ相応の罰が下される。命に関わる罰かもしれないので、だったら先に死ぬことを選ばせてやるという、腹黒い優しさ。
 閻治が取り出したのは、ペンデュラムだ。振り子のように揺れるそれは、見ている者の心を揺さぶる。

「こっちが、生」

 一度握って揺れを止め、そう言いながら閻治はペンデュラムを手放す。反対側まで来るともう一度手で止める。

「こっちが、死、だ」

 そしてまた、ペンデュラムを放して揺らす。この振り子は、生と死と決められた点を往復する。

「さあ選べ。生きるか、死ぬか!」

 突き付けられた峻は、目でその動きを追った。右端に来れば、生。左端に動けば、死。それを行ったり来たりするペンデュラム。

「うぐ…」

 見ているだけなのに、手が汗ばむ。唾を飲み込んだ。心臓の鼓動が早まる。呼吸も乱れてくる。

(生きる…? 死ぬ…? 生きる…? 死ぬ…? 生きる…? 死ぬ…? 生きる死ぬ生きる死ぬ生きる死ぬ生きる死ぬ生きる死ぬ生きる死ぬ生きる死ぬ生きる死ぬ生きる死ぬ生きる死ぬ……)

 体の震えが止まらない。

「どっちを選ぶ? 貴様の魂の自由だ」

 動揺して、心が揺れる。精神的にかなりきつい状況だ。そこで、生死の二択を迫られる峻の顔色は悪い。

(これ以上続けたら、廃人になるかもな。だがな、【神代】に逆らうことは死を意味する。加減も容赦もない。それが、神代)

 閻治にはやめる気がない。寧ろ峻に決めてもらわねば、気が済まないぐらいだ。
 突然、

「修練! 天王寺(てんのうじ)修練(しゅれん)!」

 峻が叫んだ。ので、閻治はペンデュラムを床に落として止めた。

「シュレン……? 聞いたことはある名だな。ソイツが貴様に指示を出し、屍亡者を封じ込めたアイテムを渡したのだな?」

 はあ、はあ、と粗い呼吸だが峻は頷いた。

「面倒なことになりそうだ。アイツが絡んでいるとなると……」

 今の峻には、これ以上言葉を発する力はないだろう。あったとしても口を割りたがらないに決まっている。

「貴様は、こちらに寝返ったことにしてやろう。今回の騒動については、遺体の損傷はあったが、幸い死者も出ておらぬ。脅された故の行動とし、不問にしてやる。だが次はないと思え」

 そう言って閻治は病室から出た。


「あ、閻治様! ご無事で何よりでございます」

 寺井は彼の姿を見つけた途端に運転席から出て、閻治のことを出迎えた。

「用は済んだ。寺井、近くのホテルまで走れ」
「はい」

 二人が車に乗り込むのと、東から太陽が昇るのは同時だった。朝日を背にして車は車道を走った。

「質問、よろしいでしょうか?」

 ああ、と首を縦に振って返事をすると、それをバックミラーで確認した寺井は、

「これからどうするのですか?」
「とりあえず【神代】の連絡網に、情報を上げる。天王寺修練……。コイツが重要参考人らしいからな。見つけ次第、捕まえるように通達を出せばよい」

 日本の法律では、修練のことを裁くことはできないだろう。だがそれは、表の話。閻治らをはじめとする霊能力者の世界では、大事件なのだ。

「何も起きなければ、それでいいのだが……」

 不安が彼の心に芽生えていた。

 日本中の霊能力者を管理し統べる秘密結社、【神代】。その中で、事件が起きようとしていることを、閻治は霊的な本能で感じ取っていた。
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