導入 その1

文字数 5,548文字

「今年はちゃんと進級できそうだな……」

 成績表と睨めっこをしてそう確信する神代閻治。去年は単位不足のせいで留年してしまい、二度目の二年生の生活を送る羽目になった。しかしちゃんと講義に出て試験を受けレポートも出し、単位を獲得。見事に四月から三年生になれるのだ。

「普通は留年なんかしないだろう……。俺は躓かなかったぞ?」

 カフェで同席している白鳳法積がそう言った。彼は閻治よりも二つ上で、既に大学は卒業済みだ。それも結構、良い成績だったらしい。

「そう言えば、慶刻はいないんだな」
「ああ。アイツは卒業旅行で大阪に行っておる。この二月三月は遊び尽くすつもりのようだ。何がイスラ・ヌブラル島だ、素直にUSJって言えばいいのに」

 閻治の幼馴染である平等院慶刻は、彼よりも一つ年上。だからこの一年は最後の大学生活であり、そして卒業後は【神代】の予備校で働く。同期の友人たちも大勢が就職ししばらく会えないかもしれないので、今のうちに遊んでおくのだ。

「神社の跡は継がないのか、慶刻は? アイツは天秤神社の一人息子だろう?」
「知らん。そこは平等院家に何か考えがあるんだろう。例えば最初は修行し、跡を継ぐ資格を手に入れるとか。社会人としての経験を積むとか」
「じゃあ何で、【神代】の息がかかった予備校に就職するんだ?」
「もしや……!」

 まともに就活していなかったので、何とかコネを使って職を得たのかもしれないと二人は即座に考えたが、

「いや! きっと家族で話し合って、【神代】の目があるところ……いざという時に手が伸ばせるところに送り込んだに違いない!」
「まあ、結構熱心な性格だしアイツは。そういうズルはしないだろうよ」

 ここで法積が、

「お前はどうするんだ?」
「ん?」

 閻治に尋ねた。

「留年して卒業が遅れることになったが、いずれは大学を出るわけだ。その後だよ! 富嶽さんはまだ生きているし、お前がすぐに【神代】の代表になれるわけがない。ポジションを受け継ぐまでは、どうするんだ?」

 法積からすれば、不思議な話だ。
 閻治は将来的には、【神代】という組織の代表、トップの座を父親である神代富嶽から継ぐ。だがその時が来るまで彼は何をしているのだろう?
 今はまだ、学生だから猶予の時間である。だがそれが終わる前に、将来について考えなければいけないはずだ。

「我輩には、敷かれたレールなどない! 自分の人生、生きる道は自分で決める!」
「……要するに、未定ってことか?」
「おい、落とすなよ……」

 だが、無計画というわけでもなさそうだ。

「我輩としては、選択肢が沢山あるな」
「ほう?」

 閻治は言う。慶刻のように社会人の経験をするというのもアリだ。それとは別に霊能力者としての実力を上げるために、巡礼者となって各地を回るのも面白そうだ。

「海外に行くのは? 【UON】に参加するとか」
「それだけはない」

 別に意地悪したくて法積がそんなことを言ったのではない。

「【UON】は【UON】で、改革を始めているっぽいぞ。【神代】との関係も改善しつつあるし、これから手を取り合って行くという時代が来るかもしれない」

 その時に海外の文化や幽霊について無知だったら困る。留学するなら、今がチャンスだというのだ。

「【UON】なんぞ、興味もない。勝手にやっていろとしか思わん」
「おいおい、そんなこと言ってたらまた侵略してくるんじゃ……」
「だったら、より防御を固めるまでだ。だいたい、それよりも考えるべきことがある!」
「それは……?」

 閻治が考えていること。それは【神代】についてだ。世界は常に前に進む。今日抱いた価値観が、明日には間違っているとわかるかもしれない。その時代の流れに、どうやって乗るか。

「霊能力者たちは常に窮地に立たされておる。科学が発展すればするほど、非科学的な要素は廃される。そんな生きづらくなる未来に、我輩たちは生きなければならない!」

 その日は、明日来るかもしれない。明後日かもしれない。いいや、もう既に過ぎてしまっているのかもしれない。

「なるほど……」

 法積は感じた。自分たちの未来を案じる閻治なら、【神代】の跡を継げるだろう、と。自分たちの将来を任せてもいいだろうとも。

(悩みはないみたいだし、俺がわざわざサポートする必要もなさそうだな。もっとも閻治じゃ、人生なんかで迷子にはならないか)

 大学卒業後は好きにさせよう。きっと父である富嶽も同じことを考えているのだろうから、閻治に色々と押し付けるようなことをしていないのだ。

「ま、今はやるべきことに従事するべきなのだがな」
「そうだな。慶刻はいないけど、やらないとな」

【神代】の代表の息子でありながら閻治は、一般の霊能力者と同じように【神代】の任務をこなす。今日この後、このカフェ近くの廃工場に向かう予定になっている。タブレット端末を操作して法積がその内容を確認。

「建設会社はさっさと新しい工事を始めたいらしいんだが、何か超常現象が起きて? 事故が多発して全く進まないらしいんだ。幽霊が何かしらの邪魔をしているのではないかと、建設会社の人が相談してきた。【神代】の調査によれば、地縛霊が自分のテリトリーを守っているとのこと」

 それを除霊して欲しいというわけだ。

「幽霊に罪はないだろうが、生きている人たちの邪魔をするのなら容赦はしない! 送ってやるぞ、黄泉の国に!」

 その土地に住み着いた幽霊は、この世から離れたくないのだろう。だからその廃工場にしがみついているのだ。

「罪がない、かぁ……」

 法積は思った。確かに【神代】は頼まれれば除霊を行う。しかし幽霊側にも事情があるのではないのか? そもそも幽霊の言い分を何も聞き入れずに祓ってしまうことは正義なのだろうか?

「その辺、どう思うワケ、お前は?」

 踏み込んだ質問を閻治にぶつけてみた。

「未練がなければあの世に逝っておるはず。この世に残っておるのは、やましい事情があるからだ。そして世界は生者を乗せて回っておる。その回転を妨げている時点で、罪だろう」
「そりゃ、実害が出ているなら……。でも今回のケースとは違う場合は? お前は、幽霊は片っ端から除霊すべきと思っているのか?」

 閻治の言うように、人や社会に被害を出す幽霊は多い。それらは除霊されて然るべきだろう。だが、そうではない……この世に留まっているだけで悪さをしていない幽霊はどうなのだろうか。

「守護霊とかは、許されるべきだろうな。だが、根こそぎ滅ぼせとは我輩も思ってはない。【神代】が支配しておるのは幽霊ではなく霊能力者の方だ。第三者から依頼されて初めて、除霊に臨むんだ」

 だから、取りこぼした幽霊はそこまで問題ではないと彼は言う。

「一理あるな、それなら」

 そして今回は第三者からの依頼なので、除霊をする。


 二人は十数分歩いてその廃工場にたどり着いた。

「ほう…? これは怪しい佇まいだ」

 敷地面積は広め。だが建物は朽ち果て色褪せている。

「法積、件の霊はどの辺だ? どの辺で事故が起きたって? 最も多発する場所に向かうぞ」
「うーんと、待って……」

 建設会社から借りた地図を広げる。今閻治たちがいるのは入り口の門。事故があった場所には赤ペンで丸が付けられている。

「ここだ、この中心部。第一工場棟! ここ、入っただけでおかしなことが起きるらしいぞ」
「よし、行くか」

 臆することもなく閻治は堂々と工場の敷地に踏み入り進む。その後ろを法積がついて行く。敷地内は部分的に工事が行われてはいるらしく、解体されている建物も少なくはない。だが奥に進めば進むほど、その作業が始まっていない形跡が見える。

「どんな幽霊だろうと、除霊するのみ! 見せてやろう、我輩の力!」

 途中、ドラム缶が何個か並んでいるのを見た。

「いるぞ、法積! あのドラム缶だ!」

 そこに、幽霊が隠れている。数は多いが強くはない。しかし工事を妨げる悪い幽霊だ。
 閻治は手を振った。すると風が起きる。その風は竜巻となってドラム缶を持ち上げ吹き飛ばした。

「旋風だ。もはや隠れることはできんぞ! ……おや?」
「どうかしたか?」

 法積も藁人形と札を持って構えている。その視線の先には、六体の幽霊がいる。姿は子供だ。

「コイツらは悪くはないようだな?」
「どういうことだ? でも、この辺でも不思議な事故が起きているらしいぞ、地図によれば!」
「本意ではないのだろうな……」

 見ただけでわかる。こんな弱々しい幽霊が自分の意思で、悪さをするとはとても思えない。でも法積が言うように、この辺でも実害が出ている。導き出される結論は、

「ボス級の霊のせいで、させられておるのだろうな。ここに紛れ込んでしまったせいで、苦痛を味わう羽目になり、支配から逃れることができない。言うことに従わなければ、吸収されて霊のボスの一部にされてしまう……」

 死後に理不尽を味わうことはない。閻治はその子供の幽霊たちの側に駆け寄り、

「我輩の手を握れ…」

 手を差し伸べた。子供の幽霊がその手を握ると、体が薄くなりそしてフワッと浮いた。空に向かって上昇していき、最後は空気に溶けて消える。その時の表情は安らかそのもの。
 閻治の手を掴めば、苦しむことなく黄泉の国へ渡れるとわかった残りの五体の幽霊も、自ら成仏の道を選ぶ。

「さあ、迷うことはない。苦しむこともない。安らかに眠れ……」

 子供の幽霊の除霊はすぐに済んだ。

「こんな小さな霊を支配するとは、許せんヤツだな! 大ボスはどんな幽霊なんだ?」
「見てみよう。第一工場棟はこの先だな?」

 かなり影響力があるのだろう。閻治は逆にワクワクしてきた。

「しまった。ドアが錆びてる! ビクともしないぞ!」

 しかしドアが開かない。外の方には幽霊がいなさそうなので、中にいるのはわかる。だが扉が固くて入れない。

「どいてろ、法積!」

 代わった閻治はドアノブを掴むのではなく、拳を握りしめて一気にドアを殴り飛ばした。バキっと何かが壊れる音がして、同時にドアがひしゃげた。

「乱舞か。恐ろしいな、この破壊力!」

 これは彼の肉体が持つ力ではない。霊障を使ったのだ。身体能力を向上させることで、無理矢理ドアを突破したのだ。

「入るぞ」
「あ、ああ」

 第一工場棟は、広い。小学校の体育館の四倍くらいはある。そして窓が少ないのか、昼間なのに薄暗い。
 そんな場所に、それはいた。床から人間の上半身が生えているようなおぞましい姿だ。

「コイツか! 大元の原因は!」
「これって……」

 犠霊という単語が法積の頭の中を過ぎった。間違いない。現にドアが開いているのに、この場所から離れられない。結界か張られてしまっているのだ。

「どうするんだ、閻治!」
「我輩に任せろ。貴様はただ見ているだけでいい! この犠霊は前に見たヤツよりも小さいから、我輩だけでも十分に除霊できる!」

 すっかり戦意喪失してしまった法積を待機させ、閻治は前に出た。指を犠霊に向けて立て、

「貴様を除霊する者! 我輩の名は、神代閻治! 観念しろ! これ以上の悪行は許さんぞ!」
「グギャアアアアアアアア……!」

 振り下ろされる巨大な犠霊の拳。それをひらりとかわす閻治。がら空きになった顔面に、鉄砲水を叩き込む。

「グオ、オオオオオオ!」

 手応えはある。だがこの程度では除霊には至らない。
 今度は犠霊の方から攻撃してきた。口を開いて、黒い煙を吐き出したのだ。

「効かぬな」

 だが、その煙は閻治に向けて吐き出されているというのに、彼の体を避けるように二手に分かれる。旋風で作った気流が、閻治を守っているのだ。

「これをこうして……」

 指を動かすと、その残像が釘に変わる。金属を生み出せる霊障、機傀だ。

「よし! これだ!」

 その釘がいきなり燃え出した。閻治が鬼火を点火したのだ。鬼火と機傀を混ぜ合わせることによって成立する霊障合体、融解鉄。高温度で液体と化した金属を相手にぶつけるのだ。

「くらうがいい!」

 融解鉄を撃ち込む。狙いは、目。視野を潰して勝負を有利に運ぶのだ。だが眼球が狙われていることは、ターゲットである犠霊にもまるわかりであり、手で遮られる。

「グギィイイイイイイイ!」

 犠霊の手から白い煙が上がる。相当なダメージのようで、指が二本崩れ落ちた。

「ガアアアアアアアアアア!」

 これに怒った犠霊は、手のひらを広げて閻治を押し潰そうとする。

(防ぐだろうと思っておった! 怒って反撃することも我輩は読んでいたぞ!)

 その振り下ろされた手の甲にジャンプして乗る閻治。

「グギャ?」

 さらに犠霊の顔目掛けてジャンプする。直接攻撃するつもりなのだ。でもその軌跡は犠霊も読んでいる。もう片方の手で閻治を掴もうと指を開いた。

(そう来るであろうな!)

 しかしそれも恐ろしいことに、閻治の戦いの方程式の範囲内だ。

「はああああああ!」

 その指の内の一本を閻治が殴る。反動で地面に落ちる閻治。

(だが、触れたぞ…)

 直後に犠霊の手が、手首の先から腐って落ちた。

「ギギギョオオオ?」

 閻治は犠霊に触れた瞬間に、毒厄を流し込んだのだ。それだけでは反発力を生み出す威力が足りないだろうから、乱舞に毒厄を乗せた。霊障合体・毒手(どくしゅ)

「ギギギギギギ………!」

 犠霊は怒っている。指どころか手を破壊されたので当然だ。だが同時に、困惑もしている。たった一人の人間に、ここまで苦戦するとは思ってもみなかったのだろう。

(幸運だな。この犠霊の成長度は低めだ)

 ただ、閻治が強いわけではない。犠霊のレベルが低いから、彼は善戦できている。

「ギギ、ガガガガ……」

 毒手が注ぎ込んだ毒厄が、犠霊の全身に回りつつある。動きが目でわかるくらい鈍くなった。声にももう迫力がない。

(もう頃合いか……。だが…)
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