第20話 葬送の鎮魂曲 その1

文字数 5,849文字

 長きにわたる戦いも、ついに終焉を迎えた。
 二人の間には、大きな因縁などはない。初めて会ったのは二年前だし、再会したのはついさっきのことだ。だが、緑祁はその間ずっと修練のことが頭から離れなかったし、修練もまた自分を止める存在は緑祁しかいないと考えていた。
 果たして、二人の予想は現実のものとなった。

「見事だ、緑祁……」

 地面に寝転がった状態で、修練はそう呟いた。不思議と彼の瞳は、負けたというのに輝いていた。

「君は、私に勝った。それはつまり、私よりも正しかったということだ。私の智華子への想いでは、君に勝つことはできなかったというわけだ……」
「そんなことはないよ!」

 緑祁は修練の言葉を否定する。

「修練……。智華子さんに対する想いは、すごくよくわかった! 同じ立場だったら僕だって、そうしたかもしれない」

 共感できた。修練の想いを理解できたからこそ、わかり合うことができると考える。

「だから、修練! 『帰』以外の道を考えよう、一緒に! できるはずだ、僕たちなら!」

 不可能じゃないはずだ。
 が、

「そういうわけにはいかないのだよ、緑祁……。私は罪を犯し過ぎた。【神代】は私に責任を追及するだろう。どんな罰が下るか、わからないくらいに、だ。しかも処刑命令が出されていることを君が教えてくれた。言ってしまえばそれは、極刑ということ。そんな罪人を、誰が擁護するのだ?」
「僕だ」

 庇ってみせる。
 さっきまで……修練が野放しになっている状態では、駄目だっただろう。だが今は違う。修練には逃げる気がないようだし、悪足搔きをするつもりもない。ならば、

「処刑命令を止めさせることができるはずだ! 少なくとも僕の知人の処刑人は、その望みを託して僕に行動させてくれた!」

 絶対に上手くいくはずだ。そう緑祁は確信している。
 新青森駅の屋上で待っていた香恵、紫電、雪女もやって来た。

「天王寺修練、悪いんだが、確保させてもらうぞ……」

 申し訳なさそうに紫電はそう言い、カバンから手錠を取り出した。おもちゃとは思えないほどの質感がある一品だ。その行為に対し、緑祁は何も言わない。【神代】だって、一連の事件の首謀者である修練を、何の拘束もしないわけにはいかない。

(それに、ここで捕まることに意味があるんだ……)

 大人しく手錠をかけられる修練。その後から、香恵の慰療で傷を治す。もちろん緑祁も回復した。

「車、準備してある。俺の家……いや病院に送るぞ。香恵、それでいいよな?」
「ええ。八戸大空病院だったっけ? そこなら【神代】の息もかかっててやりやすいわ」

 文句はない。駅前に停めておいたワゴン車に移動する。
【神代】としては、修練のことを必ず裁判にかけて罰する。その場所はどこか。一番よく使っていた予備校の本店は、修練とその仲間たちの襲撃で陥落しているから、無理だ。紫電の親族が経営している病院で行うこともできそうだが、【神代】の幹部は今青森に来ている凱輝以外は関東地方在住か、日本中に点在している。彼らが本州最北端に移動してくるよりも、修練を首都圏内に送った方が速い。

「紫電、頼みがあるんだ」
「お、何だ?」
「僕の分も部屋を空けてくれないかい?」

 修練と離れたくない。だからそう頼んだ。しかし紫電は、

「俺の権限じゃそこまではできそうにはねえぜ。お前は、家の客室に泊まっておけ。病院とはそんなに離れてねえから」
「わかった。ありがとう」

 ワゴン車の運転席には雪女が、助手席には紫電が乗る。

「病院は近いけどもう夜道は暗いし、私はあまり慣れてないから、ナビ入れる」

 画面を操作して、目的地をセットした。十分もかからない距離だ。一部道路が工事で通行止めになっているらしく、ナビに頼って正解だった。

「よし、出発だ。親父には俺が連絡したから、病院には入れる。雪女、駐車場に適当に停めてくれ」
「了解。任せて、ゆっくり行くから」

 後部座席に緑祁は、修練と並んで座った。

「緑祁……。私は君に止めてもらえて、良かったと思っている。私のせいで大勢の人に迷惑がかかった。きっとその重大さに、前までは気づけなかったし顔を向けることすらしなかっただろう。だが君がいてくれたおかげで……君が諦めなかったからこそ、自分の罪と向き合える」
「修練、そういうことは言わないでくれ。これからの未来のことを考えてくれ!」

 既に消極的なことを言う修練に、緑祁は希望を抱いて欲しかった。だから、

「僕は全力を尽くす! 修練のために! 僕は絶対に裏切らないから、信じてくれ!」

 励ました。この言葉に噓偽りは一切ない。それに緑祁は、確信しているのだ。

(元々、修練には復讐する意思はなかった! だから、誰とでもわかり合える! 悪いことをしたのなら、被害を受けた人に謝ることができる人なんだ!)

 だから、

「罪を償って、やり直すことだけを考えてくれ!」

 これから修練は、緑祁の仲間になるだろう。もちろん更正した後の話だが、そう遠くない未来のことだ。

(それに僕は、修練のことは全然知らないんだ。逆に僕のことだって修練は知らないはず。いっぱい話がしたい。知ってもらいたい話があるんだ)

 希望を抱いているからこそ、緑祁の瞳は輝いていた。
 病院に着くと、紫電と雪女に先導され修練はとある一室に案内された。

「狭い部屋だが、ここで勘弁してくれ。急だったもんで、豪華な準備ができなかった」
「気に病むことはない。私にはこんな部屋でも十分過ぎる」

 その部屋は外からしか鍵がかけられず、窓も開かないので逃げられる心配はない。唯一の懸念は、修練が霊障を使って脱走を企てることだが、

(万一にも、その心配はねえな)

 紫電は見抜いていた。修練にはもう、反抗的な心がないことに。
 緑祁と香恵は小岩井家の豪邸に案内され、客室に通された。その部屋には紫電と雪女も来て、

「【神代】に連絡を入れた。明日、迎えが来るらしい。東京に修練を移すことになった」
「なら、僕たちも行こう。どこに向かえばいいんだい?」
「私立の、神保総合病院だ」

 今、そこが仮の牢獄として機能しているようだ。峻や碧、蒼に紅もそこに捕らえられている。

「そこで裁判を行うんだって。俺と雪女は飛行機で行くが……」
「え、やっぱり乗るの?」

 雪女は飛行機に乗ることに少し反応した。

「緑祁と香恵はどうする? 一緒にチケットを買っておくか?」
「僕らは新幹線で行くよ。あんまり空の便は使いたくないんだ、お金かかるから……」

 経済的な理由で、緑祁は紫電の誘いを断った。
 それに、急ぐ必要はない。【神代】のデータベースを見ると、裁判は明日には開かれないようだ。

「今日は休むわ……。もう夜も遅いし、緑祁も限界のはず……」

 緑祁の身を案じる香恵。彼は修練と激しい戦いを繰り広げたばかりだ。身も心もピークを迎えていておかしくない。今まで起きているのが奇跡なくらいだろう。

「じゃあ、お休みなさい」
「ええ。お休み」

 挨拶をすると、二人は部屋を出た。香恵は緑祁の方を見ると、何とソファーに座ったままもう目を閉じて眠ってしまっている。

「緑祁……。頑張ったわね……。凄いことだわ、それは」

 普通では、できない。相手を許すために戦う、わかり合うために拳を交わすことは。
 相手が悪人なら、一層怒りが原動力になってもいいはずだ。それに処刑命令が出されている人物なら、誤って殺害してもお咎めなしだろう。
 しかし緑祁はその、暗い結末を全て拒んだ。そして光ある道を勝ち取った。
 彼を抱えて布団に移し、毛布をかける香恵。

「今はゆっくり休んでいいわ。きっと上手くいくから、緑祁なら……!」


 だが、希望を抱くだけでは未来を変えることはできない。それはただの妄想に過ぎないからだ。重くのしかかる現実が、緑祁に……彼らに牙を剥き始めることになる。


 次の日、彼らが動き出したのは午後だった。

「皇じゃ」

 皇の四つ子が小岩井家の豪邸に来た。東京から八戸までの移動は新幹線だが、修練の身柄の移動は車で行うらしい。レンタカーをここで借り、首都圏内で乗り捨てる予定だ。
 彼女ら四人だけではなく、車で先導する分の人材も来ている。

「逃げるつもりは完全にねえ様子だ。移動も楽だと思う。念のために警戒はしておいてはくれ」
「了解じゃ」

 緋寒がそう言うと紫電は彼女たちを修練の部屋に案内した。

「修練、来てもらうぞ。そなたの罪を裁くためじゃ」
「わかった」

 声の調子からしても、何かを企てている様子がない。皇の四つ子は彼のことを車の後部座席に座らせ、両端を赤実と朱雀で挟む。運転は緋寒と紅華が交代でする。
 修練を乗せた車が出発したのを見届けると、

「俺たちも行くか」
「そうだね。搭乗まで時間かかるし、急ごう」

 紫電と雪女は空港に向かう。

「僕たちも、出発だ」

 緑祁と香恵は八戸駅から新幹線に乗り込む。飛行機でも新幹線でも、車より先に東京には着ける。


 新幹線の中、緑祁はぼんやりと窓の外を見ていた。流れていく景色の変化が、彼の心に寂しさを感じさせた。

「ねえ香恵、裁判に出る人たちは誰かわかるかい?」

 前にも同じような弾劾裁判を二度も味わった。だいたい、事件の当事者が出廷する。しかし今回は事件の規模が、彼が体験したことのある裁判とはまるで違う。だから専門の職員が出てくるかもしれない。

「【神代】のデータベースによれば、結構な人数に招集がかかっているわ」
「僕は出れる?」
「当然よ。だって、修練を止めた唯一の人じゃないの! 証言を求められるはずだわ」
「富嶽さんや長治郎さんはどう?」
「その人たちも決まりね。いるはずだわ」

 希望が持てそうだ。辻神たちの弾劾裁判の時、富嶽は味方をしてくれた。それに長治郎は緑祁のことをよくわかってくれている。

「……心配なの、緑祁?」

 香恵は、緑祁の顔色のほんのわずかな変化を見逃さなかった。

「少し……。修練は【神代】にとって、極悪人だ。でも更正の余地があるはずだし、チャンスがあれば正しい道に進めるはずなんだ。そのことをみんなにわかってもらいたい」
「できるわ。緑祁なら! だっていつもそうやって、自分の意志を貫いてきたじゃない!」

 香恵は言う。いつだって緑祁の前には山よりも高い壁、海よりも深い穴があった。でもそれを、意志で突破してきた。今回に限ってできないことはないはずだ。
 不安を感じている緑祁の手に、香恵はそっと自分の手を添えた。そして握った。少しでも、彼の力になりたい。


 東京に着いた。

「離陸時間の都合で、私たちの方が先だったみたいね。目的の病院には、まず電車を乗り換えてそれからバスで」

 そして神保総合病院に向かう。混雑しておらず、しかも香恵は乗り換えに詳しかったので難なく着けた。

「おお、緑祁! 活躍は聞いたぞ! よく頑張ってくれた!」

 二人を出迎えたのは、長治郎だ。病院内に案内してくれる。

「この病院自体、昭和初期に【神代】が出資して建てられている。だから【神代】の、第二の本部的な役割を果たせるんだ」

 簡単な解説を受け、適当な部屋に通された。

「裁判は明日だ。それまでここで宿泊できるが、どうする?」
「します。修練もこの病院に来るわけですよね?」
「…? まあ、そうだが? 本人が出廷しない裁判は、よほどのことがない限り【神代】は行わないからな。今日中にも着くだろう。高速道路は混んでいないと皇から連絡もあったらしい」

 長治郎には前もって話しておいた方がいい。そう判断した緑祁は、誰もいない部屋を教えてもらって、正直に打ち明ける。小さな会議室で席に着き、説明する。
 修練を、守ることはできないか、ということを。

「ん? どういう意味だそれは? 範造が処刑を命じられていたことは今日の朝聞いたが、彼を妨害したいのか? もう暗殺の必要はないはずだが……」
「そうではありません」

 長治郎に自分の目的を話した。すると彼の表情が明らかに変わった。

「……それは本気で言っているのか、緑祁?」

 ことの深刻さは、口調でもわかる。緑祁も自分で、かなりの難題を言っていることは自覚している。

「何故お前が、修練を庇う? アイツは悪者ではないと、今更言いたいのか? アイツがどれだけの被害を出したか、知らないわけではないだろう?」

 緑祁の、修練とわかり合いたいという望みはわかった。だが修練を擁護するのは、流石に聞き入れられない。

「もちろん、修練は罰を受けるべきです。でも、彼は愛のために生きたかっただけなんです!」
「それは今聞いた! しかし、正しいことが常に受け入れられるとは限らない。時としてそれは人を傷つけるんだ」

 何が正しくて間違っているか。それは人により蹴りだ。特に今、修練の全てが【神代】にとって、悪と判断されている。

(おそらく、極刑は免れないだろう。どんなに擁護しても弁護しても無駄無意味だ)

 多分、【神代】の上層部もその意見を曲げないだろう。弾劾裁判は既定路線で行われる、形式的なものなのだから。

(そこで俺がアドバイスするとしたら、何を言えばいい?)

 中途半端な言葉では無理な希望を抱かせてしまう。しかし厳しい現実を突きつけるのは、酷なことだ。

「緑祁、悪いがこの話はここで打ち切らせてもらう」
「そ、そんな……!」
「ま、待ってください長治郎さん! 緑祁は……」
「無意味だ、そんなことは!」

 緑祁と香恵の制止を言葉で振り切る。
 だが扉の前で一旦止まり、長治郎は、

「人の救い方は、数多い。一つに囚われるな、緑祁」

 アドバイスを送る。

「絵馬にでも、希望を書いておけ。神様がいるのなら、届くかもしれない」

 それはまるで、いくつか準備していた手札から最適解を切り出すかのように、予め用意してあった言葉のようだった。

「……?」

 困惑している緑祁だが、長治郎は、

(俺からのメッセージ、お前と香恵ならその真意が読み解けるはずだ……)

 期待しているからこそ、この先のことを予見し言ったのだ。
 それを言い終わると、今度こそ部屋を出た。

「駄目なのか……。僕には修練を救えないのか……!」

 絶望し、膝が崩れる緑祁。

(……でもどうして、長治郎さんは絵馬なんて口にしたの? 何か、意味があることなの?)

 対する香恵は少し冷静で、長治郎の言葉を分析した。今は彼女しかそのことについて考えることはできないだろう。

(いいえきっと、意味がある言葉のはずよ! 直感でわかるわ!)

 香恵は自分の役割を察知し、スマートフォンを手に取り【神代】のデータベースにアクセスした。
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