第10話 故霊を止めろ その2

文字数 3,219文字

 香恵が向かった先は、先ほどの駅前である。

「修練が持っていたあの赤い札……。私の記憶が正しければ、あれは散霊(さんれい)を封じ込めていた札のはずよ! その災霊を見つけ出せれば……!」

 霊界重合は止められる。散霊はその名の通り、霊気をそこら中にまき散らす習性がある。だから強い霊気を追えば、たどり着ける。

「でも先に……」

 香恵にはそれよりも優先すべきことがあった。修練が持っていたあの札だ。香恵の力では散霊に勝てないかもしれないので、札に頼ろうと考えているのだ。破られたとはいえ、封じる力は十分にある。それを別の札に移せば、機能するはず。
 が、

「……ない? ないって、どういうこと?」

 修練がやって来た場所に戻って来れたのだが、驚くべきことが。
 なんと、彼の死体がないのだ。
 周囲を確認するに、誰かが通報して警察や消防に回収されたわけではない模様。しかしあるはずの亡骸が、忽然と消えている。

「ま、まさか…! これを見越した上での作戦だったの?」

 この時、香恵の頭を過ぎった単語がある。それは、屍亡者。死体の体を奪う屍亡者なら、修練の遺体を分解して持って行くことは可能だ。

「そうすれば、散霊の封印や除霊が困難になることを知ってて…?」

 それだけではない。散霊を止めることができる可能性を一番に持つのは、主であった修練だ。が、彼はこの霊界重合が始まる時に自らの命を絶った。だから彼の手でこの状況を打破することは不可能。

「頭が痛くなるわね。随分と面倒なことをしてくれたわ!」

 いつもは冷静な香恵だが、この時ばかりは興奮していて怒りを抑えられない。地団太を踏んだ。

「でも、緑祁の希望に応えなくちゃ!」

 少し落ち着きを取り戻すと、事態の収束のための手法を考える。自分ならば思いつけるはずだ、と励ましながら。

「修練の死体はもう、ない。でもそれはそこまで重要じゃないわ! 彼が生きていたとしても、彼の力で霊界重合が治まるわけではないから…。この町のどこかに逃げた散霊を探して叩く。それだけよ…!」


 一方の緑祁は苦しかった。

「はあ、はあ……!」

 今彼は故霊に背を向け走っている。自分の霊障が全然効いてないので、逃げるしかないのだ。

「ポオオゥウウワアアアッ!」

 そんな彼に故霊は容赦なく襲い掛かる。足には大きなかぎ爪があり、それで地面ごと緑祁を切り刻もうとした。

「て、鉄砲水!」

 横に放水し、その反動で爪の襲撃を避ける。同時に故霊に向けて旋風を吹き起こしたが、やはり翼の羽ばたきで無効化される。

「駄目か…! やっぱり霊界重合をどうにかしないといけない!」

 全ての希望は香恵にかかっているのだ。
 それでも緑祁は悪あがきをやめない。除霊用の札を取り出して、効力があるかどうかを確かめる。あまり期待はしていないが、投げてみる。

「ピイィイギュワアアッ!」

 意外にも効果があった。札は故霊に触れた瞬間に燃え尽きてしまったが、少なからずダメージが生じたようで故霊は後ろに下がったのだ。

「もう一度!」

 しかし学ばない故霊ではない。四枚の翼を器用に動かし、立体的な挙動で札をかわした。そして嘴から光線を出し、札を焼き払った。

「同じ手は通じないってことか…」

 再び逃げに転じる。

(でも違う! 僕の行く先には、勝利が必ずある! この道を進めば、必ず!)

 まだ諦めてはいない。彼の目は死んではいないのだ。

(修練の遺体を故霊にぶつければ、何かが起きるかもしれない!)

 緑祁のこの推測は、半分間違っている。修練が霊界重合を引き起こしたことは間違いないが、彼の力が直接現世に影響を及ぼしているのではないから。
 だが、もう半分は正しい。

(いいや死体じゃない! 霊界重合が起きているってことは、修練の魂だって今は現世を漂っているはず! それを探し出せば! 香恵に伝えなくちゃ!)

 スマートフォンを取り出し、彼女に連絡を取る。

「も、もしもし、香恵? 今、重要なことを思いついたんだ」
「待って緑祁! 今はこっちも手が離せないわ!」
「でもいいかんが……」

 会話の最中でも、故霊の攻撃は止まない。勢いよく地面を足で蹴ることで、その衝撃が緑祁を襲った。

「うわわわ!」

 体が吹っ飛び宙を舞う。そして道路沿いの茂みに突っ込んだ。

「パアアワアアアアアゥッ!」

 禍々しい鳥の姿をした霊が、緑祁の目の前に舞い降りる。

「かなりヤバい状況だ……」

 その目は、緑祁のことを見ている。どうやって殺そうかを考えているに違いない。

「緑祁? 聞こえてる緑祁?」

 吹っ飛んだ衝撃でスマートフォンを落としてしまった。だが電話の向こうの香恵の声は聞こえている。だから、

「うん、心配はいらない、香恵!」

 返事をする。それを拾ってくれた様子で、

「今から言う場所に向かって! ええっと、青い森公園よ! 急いで!」
「わかった!」

 緑祁は茂みから這い出ると同時に、鬼火を出した。これが故霊に通じるとは思っていない。故霊はその火の玉を、風圧でかき消す。その隙を狙ったのだ。

「ピュオワッ?」

 攻撃する意思が読み取れなかったことに困惑する故霊。だから緑祁はスマートフォンを拾って走り出した。

(公園に何があるかは、わからない……。でも香恵が指示したんだ、何かしら、あるはずなんだ!)

 距離は一キロほど。おそらく彼の今までの人生で一番長い千メートルだ。
 普通に走れば十分足らずで着くが、故霊の相手をしながら進むのは時間がかかる。鉄砲水を噴射してその反動を利用しつつ、旋風を起こしてそれに乗っても、故霊が少し羽ばたいただけで距離が縮まる。

「ピュルルアアアアアアッ!」

 突如、故霊が天を見上げて咆哮した。その嘴にはやはりあの紫の光が。しかも先ほどまでとは輝きが違う。暗い。目で拾える限界の光だ。もっと力を貯めたのなら、完全に目視できなくなるだろう。そしてあの光線をくらえば、絶対に助からない。これでは名のある霊能力者が負けて当然だ。

「撃たせるもんか!」

 鬼火を出し、炎の壁を築いた。この赤い障壁を乗り越えてくるのが、故霊の光線だ。それか、故霊自身が羽ばたいて火を消すだろう。その、かき消された隙間から攻撃が飛んで来る。

(大丈夫だ、見極められ………)

 この時、緑祁の頭には自信があったのだが、それが根元から崩壊した。
 故霊は予想に反し、壁を崩そうとしないのである。

(どうして……?)

 答えは簡単だ。故霊には目があるが、それはほとんど飾りに過ぎない。心の目で獲物を確実に捉えている。だから鬼火で作られた壁は視界を遮っていない。
 それだけではない。故霊の吐き出す光線は、鬼火程度に阻害されないのだ。だから羽ばたく必要すらない。

(逃げっ!)

 緑祁はそれに気づき、瞬時に横に飛んだ。そしてそうしていなければ今頃、死んでいただろう。先ほどまで立っていた場所の後ろには木が生えているのだが、それが一撃で影も形もなくなったのだ。
 見えない攻撃。しかも防ぐこともできない。

「安全な場所はない……?」

 心眼で睨まれている以上、どこに行っても避けることは不可能。

「いいや、ある!」

 だが緑祁の意見は違う。
 何と彼は背中で手を合わせ、後ろに向けて鉄砲水を撃った。同時に旋風も起こしてそれに乗り、放水の反動もあってジャンプしたのだ。

「ピョウウワッ?」

 これには面喰い、故霊の動きも一瞬だが止まる。その、瞬きよりも短いほんの一瞬で、緑祁は故霊の首…嘴の下にしがみついた。

「ポギャポギュラアアアアッ!」

 振りほどこうと首を動かす故霊だが、離されないようしっかりと首に腕と足でしがみつく緑祁。故霊は羽ばたいて上空に飛び立つ。

「飛んだ……!」

 ここまでは計算通りで、問題はここからだ。上手く故霊を誘導できるかどうか。故霊の力を逆に利用し、公園に行くことができればいい。

(途中で落とされたら、二重の意味で死ぬ……。でも、やらなくちゃいけない!)

 覚悟はできている。だからこそ、マイナスなことは考えない。
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