第5話 侵入者 その1
文字数 2,693文字
霊能力者ではあるが、その前に緑祁は一人の大学生でもある。だから欠かさず講義に出席し、実験にも顔を出してはレポートを書く。
「よう永露! 今日も一緒かよ、お熱いねえ」
同級生の冷やかしも最初の方は汗だくだったが、もうあまり気にならなくなった。
この日は午前中にしか講義はない。だから昼を学食で済ませたら、自由時間。いつもは図書館で勉学に励む。今は香恵と一緒にうどんをすすっている。
「……絵美と刹那が青森に来てから一週間経ったけど、二人からは特に連絡がないわ。【神代】からもないから、修練はまだ来ていないようね」
「それは、安心していいのかな…?」
まだ来てないということは、今は安全であるということ。だがこれは、これから先は覚悟しなければならない、とも言い換えられる。心が落ち着けるようで焦りも感じるのだ。
「なあ、聞いたかよ? 二号館の話」
「ああ、幽霊が出たんだって?」
大声なので後ろのテーブルの学生の会話が聞こえてくる。
「サークルの先輩が、見たって言うんだよ。嘘だろうと思うんだけどよ、しつこくってさ。ま、酔っ払って幻覚でも見たんだろうなあ」
「アルコールは怖いねえ~。飲まれたくはないもんだ」
彼らがしているのはタダの怪談話、と緑祁も香恵も聞き流そうとしただろう。次の一言がなければ。
「医学部の献体、何故か体の一部が欠如してるって言うじゃねえか? 足でも生えて逃げたんじゃね?」
一瞬で二人の動作が全て止まった。
「教えてくれない?」
その隣のテーブルの学生に、香恵は突撃した。
「うわ、ビックリさせんなよ! コーヒーがリバースするかと思ったぜ! てか、誰?」
「俺もこんなべっぴんさん知らない。どこの学部?」
「その話じゃないわ」
香恵はブレない。自己紹介もしなければ、相手の話題にも乗らない。
「遺体のパーツが無くなり始めたのは、いつ頃からなの?」
ただ、知りたい情報を聞き出したいのだ。この様子が、学生たちの下心を大いに引かせた。
「……確か、先週? 違うな、三日前だから……火曜日か。医学部の先輩が、管理がなってないって理不尽に怒鳴られたとか何とか……」
それを聞いて、香恵はすぐに立ち上がって緑祁の腕を掴み、走り出す。
「遅かったわ……! もう既に修練の手先は、ここに来ているのよ」
「……みたいだね」
例に漏れず、屍亡者を使っているのだろう。医学部で起きた事件がそれを物語っている。
「香恵、焦っちゃ駄目だよ? 一旦僕の家に戻ろう」
腕を掴まれている緑祁が逆に香恵の行き先を提案した。彼女もそうするべきだと頷いて、否定はしなかった。
前回の結果から、緑祁だけでも屍亡者には勝てる。
「問題は、操っている方だよね。蒼とは比べ物にならないんだと思うよ…」
「そこは、頑張って欲しいものだわ。でも確かに蒼以上の実力の持ち主っていう緑祁の予想も間違ってはいないと思うの」
おそらく修練サイドは、蒼が退けられたことに焦って新たな人物を派遣したのだろう。その新手の霊能力者が、蒼よりも弱いはずがない。
「でも大丈夫。僕が何とか打ち負かしてみせるよ」
何故緑祁にこんなに自信があるかと言うと、蒼の時とは違って、今回は準備ができるからだ。家のクローゼットの中から、小さな木箱を取り出した。その中には、数珠が入っている。
「命繋ぎの数珠、よねそれ」
その名の通り、命の危険を一度だけ肩代わりしてくれるのだ。緑祁が持っているくらいなので、別に珍しい一品ではない。
「傷は全部私が治してあげれるわよ…?」
「そうじゃないんだ。僕もこれの恩恵を受けようとは思ってないよ。ただ、持っているか否かでは心構えが違うんだ」
持っていない場合、肝心なところで怖気づいて緊張することがあるかもしれない。だが持っていれば、心に余裕が生まれ強く出られる。言い換えるなら、お守りとして所持しておきたいのだ。だからそれを腕に通した。
「あと……。塩とか札も多めに持って行こう。香恵、ここで待っててよ。一旦大学に行ってくるから」
まだ日中なので、屍亡者が動くとは思えない。基本的に太陽が天にある間は、霊は活発には動かない。
「どうするの?」
「ちょっと、罠を仕掛けてくるんだ」
そう言い、緑祁は一人で大学に戻った。二時間後、再び家に戻って来た。
日が落ちた。夜の暗黒が空を覆い、地上すらも影が飲み込む。町を照らすのは人工的な明かりだけだ。
「じゃ、行くわよ」
緑祁と香恵は、出発した。大学は一応、夜の十時までは出入りができる。今の時刻は九時四十九分。正門前の守衛さんに、
「今から大学に行く学生が存在する……?」
と不審がられた顔を向けられたが、無視して構内に入った。大学には、ちょっとした森林があるのでそこに隠れてさらに待つ。
「もう、今日があと五分で終わるわ。そろそろいいんじゃないかしら?」
「うん。行こうか」
まずは屍亡者が現れたという、二号館。緑祁が昼間の内に盛り塩をして結界を作っておいたので、内部には入れるはずがない。
「もちろん、侵入している人物が崩さなければの話だけど……大丈夫、侵入はしてないよ」
となると、この人物は建物の内部にはいない。と緑祁が言ったら、
「もしかしたら、ずっと屋内に潜んでいるかもしれないわ」
と言うので一応確認する。ドアノブを五回ほど指で突けば、霊気が移ってカギが回る。
「結界の中にいるとは思えないけど……? でも、岐阜では持ち込まれたんだっけか?」
「そうよ。固定概念は危険だわ」
警備員と鉢合わせないよう、旋風を起こして内部の様子を探り、見回りされていない廊下から回ってみる。まだ光っている研究室もあり、二人の足は慎重だ。
「あっ。待って」
緑祁が足を止めた。それはゴミ箱の前である。
「どうかしたの?」
「僕はこの中に罠を作ってたんだけど、それが壊されているんだ…。それも霊的な力で。外から見えないようにしていたのに、破られている!」
「なら相手は相当腕も勘もいいのね」
追跡再開。行く先々で建物内に仕掛けた罠は、全て壊されていた。
「ここまで徹底的にやっているってことは、相手は屍亡者を完全に制御できてないね」
「どうしてそう思うの?」
「もしも完全にコントロールできてるなら、全部壊す必要がないよ。邪魔になるところにある罠だけ排除すればいいからね。でもそうじゃないってことは、屍亡者がどこへ向かうかわからないから、前もって罠を全て潰す必要があるんだ」
「なるほどね。じゃあ、こういうことだわ」
理解した香恵は、言った。
「制御しきれていない屍亡者が、この大学をうろついているってことよ」
その言葉に反応し、緑祁はゴクリと唾を飲み込む。
「よう永露! 今日も一緒かよ、お熱いねえ」
同級生の冷やかしも最初の方は汗だくだったが、もうあまり気にならなくなった。
この日は午前中にしか講義はない。だから昼を学食で済ませたら、自由時間。いつもは図書館で勉学に励む。今は香恵と一緒にうどんをすすっている。
「……絵美と刹那が青森に来てから一週間経ったけど、二人からは特に連絡がないわ。【神代】からもないから、修練はまだ来ていないようね」
「それは、安心していいのかな…?」
まだ来てないということは、今は安全であるということ。だがこれは、これから先は覚悟しなければならない、とも言い換えられる。心が落ち着けるようで焦りも感じるのだ。
「なあ、聞いたかよ? 二号館の話」
「ああ、幽霊が出たんだって?」
大声なので後ろのテーブルの学生の会話が聞こえてくる。
「サークルの先輩が、見たって言うんだよ。嘘だろうと思うんだけどよ、しつこくってさ。ま、酔っ払って幻覚でも見たんだろうなあ」
「アルコールは怖いねえ~。飲まれたくはないもんだ」
彼らがしているのはタダの怪談話、と緑祁も香恵も聞き流そうとしただろう。次の一言がなければ。
「医学部の献体、何故か体の一部が欠如してるって言うじゃねえか? 足でも生えて逃げたんじゃね?」
一瞬で二人の動作が全て止まった。
「教えてくれない?」
その隣のテーブルの学生に、香恵は突撃した。
「うわ、ビックリさせんなよ! コーヒーがリバースするかと思ったぜ! てか、誰?」
「俺もこんなべっぴんさん知らない。どこの学部?」
「その話じゃないわ」
香恵はブレない。自己紹介もしなければ、相手の話題にも乗らない。
「遺体のパーツが無くなり始めたのは、いつ頃からなの?」
ただ、知りたい情報を聞き出したいのだ。この様子が、学生たちの下心を大いに引かせた。
「……確か、先週? 違うな、三日前だから……火曜日か。医学部の先輩が、管理がなってないって理不尽に怒鳴られたとか何とか……」
それを聞いて、香恵はすぐに立ち上がって緑祁の腕を掴み、走り出す。
「遅かったわ……! もう既に修練の手先は、ここに来ているのよ」
「……みたいだね」
例に漏れず、屍亡者を使っているのだろう。医学部で起きた事件がそれを物語っている。
「香恵、焦っちゃ駄目だよ? 一旦僕の家に戻ろう」
腕を掴まれている緑祁が逆に香恵の行き先を提案した。彼女もそうするべきだと頷いて、否定はしなかった。
前回の結果から、緑祁だけでも屍亡者には勝てる。
「問題は、操っている方だよね。蒼とは比べ物にならないんだと思うよ…」
「そこは、頑張って欲しいものだわ。でも確かに蒼以上の実力の持ち主っていう緑祁の予想も間違ってはいないと思うの」
おそらく修練サイドは、蒼が退けられたことに焦って新たな人物を派遣したのだろう。その新手の霊能力者が、蒼よりも弱いはずがない。
「でも大丈夫。僕が何とか打ち負かしてみせるよ」
何故緑祁にこんなに自信があるかと言うと、蒼の時とは違って、今回は準備ができるからだ。家のクローゼットの中から、小さな木箱を取り出した。その中には、数珠が入っている。
「命繋ぎの数珠、よねそれ」
その名の通り、命の危険を一度だけ肩代わりしてくれるのだ。緑祁が持っているくらいなので、別に珍しい一品ではない。
「傷は全部私が治してあげれるわよ…?」
「そうじゃないんだ。僕もこれの恩恵を受けようとは思ってないよ。ただ、持っているか否かでは心構えが違うんだ」
持っていない場合、肝心なところで怖気づいて緊張することがあるかもしれない。だが持っていれば、心に余裕が生まれ強く出られる。言い換えるなら、お守りとして所持しておきたいのだ。だからそれを腕に通した。
「あと……。塩とか札も多めに持って行こう。香恵、ここで待っててよ。一旦大学に行ってくるから」
まだ日中なので、屍亡者が動くとは思えない。基本的に太陽が天にある間は、霊は活発には動かない。
「どうするの?」
「ちょっと、罠を仕掛けてくるんだ」
そう言い、緑祁は一人で大学に戻った。二時間後、再び家に戻って来た。
日が落ちた。夜の暗黒が空を覆い、地上すらも影が飲み込む。町を照らすのは人工的な明かりだけだ。
「じゃ、行くわよ」
緑祁と香恵は、出発した。大学は一応、夜の十時までは出入りができる。今の時刻は九時四十九分。正門前の守衛さんに、
「今から大学に行く学生が存在する……?」
と不審がられた顔を向けられたが、無視して構内に入った。大学には、ちょっとした森林があるのでそこに隠れてさらに待つ。
「もう、今日があと五分で終わるわ。そろそろいいんじゃないかしら?」
「うん。行こうか」
まずは屍亡者が現れたという、二号館。緑祁が昼間の内に盛り塩をして結界を作っておいたので、内部には入れるはずがない。
「もちろん、侵入している人物が崩さなければの話だけど……大丈夫、侵入はしてないよ」
となると、この人物は建物の内部にはいない。と緑祁が言ったら、
「もしかしたら、ずっと屋内に潜んでいるかもしれないわ」
と言うので一応確認する。ドアノブを五回ほど指で突けば、霊気が移ってカギが回る。
「結界の中にいるとは思えないけど……? でも、岐阜では持ち込まれたんだっけか?」
「そうよ。固定概念は危険だわ」
警備員と鉢合わせないよう、旋風を起こして内部の様子を探り、見回りされていない廊下から回ってみる。まだ光っている研究室もあり、二人の足は慎重だ。
「あっ。待って」
緑祁が足を止めた。それはゴミ箱の前である。
「どうかしたの?」
「僕はこの中に罠を作ってたんだけど、それが壊されているんだ…。それも霊的な力で。外から見えないようにしていたのに、破られている!」
「なら相手は相当腕も勘もいいのね」
追跡再開。行く先々で建物内に仕掛けた罠は、全て壊されていた。
「ここまで徹底的にやっているってことは、相手は屍亡者を完全に制御できてないね」
「どうしてそう思うの?」
「もしも完全にコントロールできてるなら、全部壊す必要がないよ。邪魔になるところにある罠だけ排除すればいいからね。でもそうじゃないってことは、屍亡者がどこへ向かうかわからないから、前もって罠を全て潰す必要があるんだ」
「なるほどね。じゃあ、こういうことだわ」
理解した香恵は、言った。
「制御しきれていない屍亡者が、この大学をうろついているってことよ」
その言葉に反応し、緑祁はゴクリと唾を飲み込む。