第19話 決戦の終楽曲 その2
文字数 5,172文字
しばらくして、その静寂を緑祁が切り裂いた。
「その人……智華子って人は、どうなるんだい? 謝るために蘇らせて、修練が謝って、終わりかい? その先は? 十数年前に亡くなった人がいきなり蘇るなんて、世間には受け入れられないはずだ。だからこそ、【神代】は『帰』を禁止しているんだ。その体制を変えるなんて、何をどうしてもできないはずだ」
普通に考えれば、生き返った後はどうなる? 謝るために蘇らせて、それで終わりか? 謝った後はどうなる?
「君はあくまでも【神代】の肩を持つのだな」
修練は冷たくそう言った。自分と同じ境遇だからこそわかり合えることがあるはずだ。しかし緑祁は修練の考えが理解できない。
「残念だ、緑祁……」
「僕もだ。修練、そっちの目的を許すわけにはいかない」
犯したことに苦しむ……罪の意識に苛まれる辛さは、痛いほどわかる。きっと誰もが解放されたいと思うことだろう。
だからこそ、緑祁は首を横に振る。きっと他の方法があるはずだ。
「一緒に探そうよ、修練! 『帰』を使わずに謝る方法を! 僕だって、それには最大限協力したい! どこかに別の道が、あるはずなんだ!」
「緑祁、それは無理なのだよ。面と向き合い、頭を下げる。それしか謝る方法はない。そして智華子の魂は既に黄泉の国だ、降霊術ですら不可能。となれば『帰』を使って、現世に呼び戻すしかない」
何か緑祁が提案しても、修練はそれを蹴る。それは無情にもあることを示唆していた。
(修練とは、わかり合うことはできないのか……!)
とても悔しい現実だ。幽霊である故霊とすら和解できたというのに、同じ生身の人間である修練とは理解し合えない。緑祁は奥歯を噛み締め、難しい顔をした。
「そう残念がるな、緑祁。仕方がないことなのだこれは。君は【神代】の指示に従い、私は規則から外れることをしようとしている。これは平行線で交わりようがないんだ」
対する修練は、既に諦めている様子だ。
ここで緑祁が、
「修練……。そっちには殺害命令が下されているんだ。僕の知人が、処刑することになっている」
「なるほど。だから君が私を捕まえるのか。まあそれも……」
「そうじゃない!」
違うことを緑祁は伝えたい。だから大きな声で叫んで、修練の言葉を遮った。
「僕は、修練に死んでほしくない! 今ならまだ、戻れるはずだ。罪を償って、やり直せば……」
「何度も同じことを言わせるな、緑祁」
しかし、修練は言う。
「私の罪は、智華子に謝ることでしか償えない。それは今の【神代】の体制ではできないこと。だからこそ、私は君から死返の石を取り返して『帰』を行う」
「自分の命が惜しくないのか! これ以上続ければ、もう誰も擁護できない! 間違いなく、死刑だ……」
「死など、今更怖くもない。それに死でしか償えない罪があるからこそ、死刑という処罰があるのではないのか?」
決死の覚悟を修練は見せた。
(そうか、わかった……)
理解する緑祁。
修練は最初から、死ぬ気なのだ。自分の行っていることの重大性、罪深さを理解している。それに対しては、死刑以外のどんな処罰でも軽過ぎる。そもそも自分の行動が原因で恋人を死なせてしまった以上、長生きしたいとも思っていないはずだ。今まで生きていたのは、『帰』を行うため……必要条件を満たすために時間がかかっただけに過ぎない。
もしかしたら『帰』も一時的なもので、終わったら智華子の魂と共にあの世へ旅立つ気なのかもしれない。
「させない!」
そんな結末が、修練の望みなのか。彼を心から慕う峻や緑、紅や蒼も納得しているのか。
違うはずだ。
違う道が、あるはずだ。そしてそれは、明るい明日へ向かえる道のはずなのだ。
「修練! 絶対に僕は、そんな暗い未来は選ばせない! 明日を一緒に掴む、そのために修練を止める!」
「いいぞ、緑祁……! もうここで費やす時間がもったいない。早く決めさせてもらう」
ついに方程式が動き出した。緑祁が持っている死返の石を奪われれば、それは敗北だ。修練からすれば、緑祁の気をほんの少し失わせるだけでも勝利条件を満たすことができる。対して緑祁は、言葉で説得できなかったのでここで打ち負かすしかない。しかも石を守りながら、気絶もせずに、だ。
それに緑祁にとって、修練の強さは未知数。きっと、今まで彼が対峙してきたどの霊能力者よりも強いだろう。恐ろしく分が悪い戦いだ。それでも緑祁は怯まない。一歩も後ろに引かない。
二人が同時に動き出したことで、最後の戦いの火蓋が切って落とされた。
(……どんな手を打ってくる?)
緑祁は身構えた。修練が使える霊障は既に知っている。鬼火、鉄砲水、旋風。ここまでなら自分と全く同じだが、彼には電霊放がある。事前情報でわかっている時点で、その四つ。それでどうやって、自分を攻撃してくるか。
(………?)
しかし予想に反し、修練は仕掛けてこない。五秒、十秒と過ぎ去った。それでも一歩も動かない。
だが、その目だけは真っ直ぐに緑祁のことを見ている。
(ならば……)
修練が動かないのなら、自分から行く。右手を少し閉じ、開くと同時に、
「火災旋風だ、行けぇっ!」
赤い風を繰り出す。
「甘いな」
それに対し修練が使ったのは、霊障合体・水蒸気爆発だ。爆風が緑祁の火災旋風を押し飛ばす。
「うわっ!」
器用なことに、火災旋風自体は崩れてはいない。火炎が爆風でかき消されないように、しかし緑祁の繰り出す風よりは強く。咄嗟に顔を腕で守った緑祁だったが、そうしなかったら伸ばした右腕は自分の火災旋風で焼かれていただろう。間一髪の攻防だ。
(飛び道具は駄目か! 全部、跳ね返される! しかも、霊障ごと、だ……!)
水蒸気爆発を使いこなしてきたからこそ、わかる。緑祁が持つ霊障は全て、修練対し通りが悪い。鬼火と鉄砲水は今のように跳ね返されるだろうし、旋風でのぶつかり合いにも期待できそうにない。
相手が悪過ぎる。自分で勝てる……いいや戦えるレベルを遥かに超越している。
だが、
(諦めて、たまるものか! 今までだって、そうだったじゃないか!)
彼の心を支えるものがある。それは自信だ。
自分一人では勝てそうにない相手は、目の前の修練だけではなかったではないか。これまで幾度となくぶつかり合ってきた霊能力者たちだって、相当の実力者だった。しかもそこから複雑な戦い方を編み出し繰り出してくる。そんな彼らに対し自分は、いつだって逆境を跳ね除けた。蜘蛛の糸のようにか細い希望を掴み勝機に昇華し、打ち負かしてきた。
経験は人に自信を持たせる。
今だって、それができるはず。そう思うと緑祁の心は恐怖を排除した。靄がかかった景色に一筋の光が差し込んだ。今回だけが例外なんてことは、ありえない。離れて戦うのが難しいのなら、近づくだけだ。火災旋風も台風も、超至近距離で繰り出せば水蒸気爆発でも跳ね返すことは不可能。自分が良くわかっていることだ。
「うおおおお!」
咆哮と共に前進する緑祁。その勇ましい姿を見ても修練は動かない。取り繕ったものだとすぐに理解できたからだ。そして思惑まで見破った上で、あえて退かない選択をする。
「おおおおおおおおおお!」
彼の思惑に気づかない緑祁は、突撃を止めない。もうあと一歩のところまで近づいた。それでも修練は動かない。
(行ける!)
右腕に、風を渦巻かせるのだ。それには鬼火を乗せる。これで拳を当てると同時に、火災旋風を送り込む。それなら水蒸気爆発では跳ね返されない。
「それは通らないな、緑祁……!」
握りしめた拳が当たるよりも先に、修練が腕を振り上げた。たったそれだけで、緑祁の火炎がかき消された。
「…! な、何!」
肌で感じられるほど、服の袖がびしょ濡れになっている。今、修練は鉄砲水を使った。消火させられてしまったのだ。
(で、でも!)
ここで緑祁は左腕も使う。こっちに保険がかけてあり、台風が既に作ってあるのだ。
(これは、どうだ!)
修練の腕の動きを見る。大丈夫だ、そこまで速くない。
「ならばこうする」
修練も台風を使うことを選んだ。しかも緑祁のとは逆回転。お互いの拳がぶつかった時、台風同士が激しく干渉する。
「ぬおおおおおわわっ!」
このまま押し切る。その勢いで緑祁は力を込めた。
(これは……絶対に! 届かせる!)
その思いが彼の背中を思いっ切り押し出したからだ。
それが、罠にはめられていると知らずに。
ある嫌な予感が頭を過った。
(……? 何で今、僕の台風は修練のと互角なんだ? 彼はその気になれば、僕以上の力が出せるはずだ。僕と押し合う意味って……?)
その答えを暴く前に、お互いの台風は力を失う。風が止まる。
「こ、これが、拮抗させた意味か……!」
自分の顔が濡れている。そこだけじゃない。服も上下、びしょ濡れだ。ぶつかり合いは凄まじいものだったので、水がかなり飛び散った。
「悪いな、緑祁……。だがこうすれば、君も諦めるだろう?」
水浸しにされた緑祁の目に飛び込んできたのは、修練がポケットからペンライトを取り出す光景。彼が何をしたがっているのか、すぐわかる。
(で、電霊放……!)
話には聞いていた。修練が電霊放を使えることは、事前に。緑祁の体を水で濡らせば、威力も効果も格段に上がる。修練自身も濡れてしまうが、緑祁が電霊放を撃てないから、心配しなくていいのだ。
スイッチを押されていないのに、瞬き始めるペンライトの電球。今にも電霊放が発射されようとしている。ここで取るべき行動はたった一つ。逃げることだ。今の間合いでは遮る物は何もなく、狙わなくても当ててしまえる。ゼロ距離。
しかし、
(違う! 逃げるなんて、選ばない! せっかくここまで詰めたんだ、距離を取ってどうする!)
緑祁の足は後ろには動かなかった。それは彼の心が、修練から逃げることを選びたくなかったから、ではない。
彼は知っている。至近距離で電霊放を撃つ際の弱点を。あえて自分に当てさせる。その時までに、相手の体を掴めばいい。逆流させれば相手にもダメージが入る。経験が、彼の一手を決めた。思えば今まで、紫電、辻神、洋次、病射と、電霊放の名手とは何度も戦ってきた。彼らが放つ雷を何度もその身に受けてきた。修練はかなりの実力者かもしれないが、電霊放自体は今更恐れるべき霊障ではない。
「ほう?」
先に修練の肩を掴んだ。水で濡れているのは緑祁だけではない。修練もそうだ。
(これなら、修練もただでは済まされないはず!)
自分の負傷は覚悟の上。今ここで大事なのは、相手にダメージを与えることであって、自分の身を守ることではない。
「緑祁! それが君の常識なら、打ち破ってみせよう」
「な、何っ……?」
修練はペンライトの先端を緑祁の胸に押し当てた。
(直流し? で、でも! それでも逆流はするはずだ…!)
電霊放が放たれる。黒い電流が緑祁を襲った。
「グガガガガガガガガギっ!」
高い威力だ。勝手に顎が動き、意味をなさない声を出させる。
(う、うううううぐ! だけど、修練にだって流れ込んでいるんだ、今は、耐えれば…!)
意図せず動く瞼を何とか制御し、彼の顔を見た。
(え?)
その顔からは苦痛が感じられない。
(そんな馬鹿な? まさか、アース線でも忍ばせているのか?)
チラッと足元を見たが、そうではないようだ。
(じゃあ、どうして?)
考えてもわからない越えられない壁にぶつかる。その壁を体当たりで砕くことも叶わない。
数秒経つと修練はペンライトを引っ込め、電霊放を止めた。
「う、ぐ……!」
電撃をくらったのはやはり緑祁だけだ。負傷している彼に対し、修練は平然としている。そして答え合わせするかのように口を開く。
「電気を撃ち出して終わるのは、もったいないことだ。だから新しく開発した! 誰かに直撃した後も、電霊放を操る方法を。電霊放 の循環 、だ」
緑祁に流れる電霊放は彼を傷つけるが、自分に逆流する電霊放は体を傷つけることなく少しも邪魔になることなく電霊放の発射部分に回る。そうして戻ってきたら、また相手に直流しをする。ちょうど血液が体内を一回りして元に戻ることを繰り返すかのようだ。本来ならば大弱点である逆流を利用し、回し続ければ続けるほど相手にダメージを与えられると考えると、これほど恐ろしい電霊放はないだろう。
ここにきて、全く新しい発想だった。精神病棟の中で、脳内のイメージだけで出来上がった戦術。しかもこれは、本命の新技術を成立させるための一部でしかない。しかし今の緑祁の様子からして、それを使わずともこの戦いには勝てそうだ。
膝が崩れ、地面に手をつく緑祁。顔を修練に向けるのがやっとだ。
二人が予想していたよりもかなり早い。呆気なく勝負が終わろうとしていた。
「その人……智華子って人は、どうなるんだい? 謝るために蘇らせて、修練が謝って、終わりかい? その先は? 十数年前に亡くなった人がいきなり蘇るなんて、世間には受け入れられないはずだ。だからこそ、【神代】は『帰』を禁止しているんだ。その体制を変えるなんて、何をどうしてもできないはずだ」
普通に考えれば、生き返った後はどうなる? 謝るために蘇らせて、それで終わりか? 謝った後はどうなる?
「君はあくまでも【神代】の肩を持つのだな」
修練は冷たくそう言った。自分と同じ境遇だからこそわかり合えることがあるはずだ。しかし緑祁は修練の考えが理解できない。
「残念だ、緑祁……」
「僕もだ。修練、そっちの目的を許すわけにはいかない」
犯したことに苦しむ……罪の意識に苛まれる辛さは、痛いほどわかる。きっと誰もが解放されたいと思うことだろう。
だからこそ、緑祁は首を横に振る。きっと他の方法があるはずだ。
「一緒に探そうよ、修練! 『帰』を使わずに謝る方法を! 僕だって、それには最大限協力したい! どこかに別の道が、あるはずなんだ!」
「緑祁、それは無理なのだよ。面と向き合い、頭を下げる。それしか謝る方法はない。そして智華子の魂は既に黄泉の国だ、降霊術ですら不可能。となれば『帰』を使って、現世に呼び戻すしかない」
何か緑祁が提案しても、修練はそれを蹴る。それは無情にもあることを示唆していた。
(修練とは、わかり合うことはできないのか……!)
とても悔しい現実だ。幽霊である故霊とすら和解できたというのに、同じ生身の人間である修練とは理解し合えない。緑祁は奥歯を噛み締め、難しい顔をした。
「そう残念がるな、緑祁。仕方がないことなのだこれは。君は【神代】の指示に従い、私は規則から外れることをしようとしている。これは平行線で交わりようがないんだ」
対する修練は、既に諦めている様子だ。
ここで緑祁が、
「修練……。そっちには殺害命令が下されているんだ。僕の知人が、処刑することになっている」
「なるほど。だから君が私を捕まえるのか。まあそれも……」
「そうじゃない!」
違うことを緑祁は伝えたい。だから大きな声で叫んで、修練の言葉を遮った。
「僕は、修練に死んでほしくない! 今ならまだ、戻れるはずだ。罪を償って、やり直せば……」
「何度も同じことを言わせるな、緑祁」
しかし、修練は言う。
「私の罪は、智華子に謝ることでしか償えない。それは今の【神代】の体制ではできないこと。だからこそ、私は君から死返の石を取り返して『帰』を行う」
「自分の命が惜しくないのか! これ以上続ければ、もう誰も擁護できない! 間違いなく、死刑だ……」
「死など、今更怖くもない。それに死でしか償えない罪があるからこそ、死刑という処罰があるのではないのか?」
決死の覚悟を修練は見せた。
(そうか、わかった……)
理解する緑祁。
修練は最初から、死ぬ気なのだ。自分の行っていることの重大性、罪深さを理解している。それに対しては、死刑以外のどんな処罰でも軽過ぎる。そもそも自分の行動が原因で恋人を死なせてしまった以上、長生きしたいとも思っていないはずだ。今まで生きていたのは、『帰』を行うため……必要条件を満たすために時間がかかっただけに過ぎない。
もしかしたら『帰』も一時的なもので、終わったら智華子の魂と共にあの世へ旅立つ気なのかもしれない。
「させない!」
そんな結末が、修練の望みなのか。彼を心から慕う峻や緑、紅や蒼も納得しているのか。
違うはずだ。
違う道が、あるはずだ。そしてそれは、明るい明日へ向かえる道のはずなのだ。
「修練! 絶対に僕は、そんな暗い未来は選ばせない! 明日を一緒に掴む、そのために修練を止める!」
「いいぞ、緑祁……! もうここで費やす時間がもったいない。早く決めさせてもらう」
ついに方程式が動き出した。緑祁が持っている死返の石を奪われれば、それは敗北だ。修練からすれば、緑祁の気をほんの少し失わせるだけでも勝利条件を満たすことができる。対して緑祁は、言葉で説得できなかったのでここで打ち負かすしかない。しかも石を守りながら、気絶もせずに、だ。
それに緑祁にとって、修練の強さは未知数。きっと、今まで彼が対峙してきたどの霊能力者よりも強いだろう。恐ろしく分が悪い戦いだ。それでも緑祁は怯まない。一歩も後ろに引かない。
二人が同時に動き出したことで、最後の戦いの火蓋が切って落とされた。
(……どんな手を打ってくる?)
緑祁は身構えた。修練が使える霊障は既に知っている。鬼火、鉄砲水、旋風。ここまでなら自分と全く同じだが、彼には電霊放がある。事前情報でわかっている時点で、その四つ。それでどうやって、自分を攻撃してくるか。
(………?)
しかし予想に反し、修練は仕掛けてこない。五秒、十秒と過ぎ去った。それでも一歩も動かない。
だが、その目だけは真っ直ぐに緑祁のことを見ている。
(ならば……)
修練が動かないのなら、自分から行く。右手を少し閉じ、開くと同時に、
「火災旋風だ、行けぇっ!」
赤い風を繰り出す。
「甘いな」
それに対し修練が使ったのは、霊障合体・水蒸気爆発だ。爆風が緑祁の火災旋風を押し飛ばす。
「うわっ!」
器用なことに、火災旋風自体は崩れてはいない。火炎が爆風でかき消されないように、しかし緑祁の繰り出す風よりは強く。咄嗟に顔を腕で守った緑祁だったが、そうしなかったら伸ばした右腕は自分の火災旋風で焼かれていただろう。間一髪の攻防だ。
(飛び道具は駄目か! 全部、跳ね返される! しかも、霊障ごと、だ……!)
水蒸気爆発を使いこなしてきたからこそ、わかる。緑祁が持つ霊障は全て、修練対し通りが悪い。鬼火と鉄砲水は今のように跳ね返されるだろうし、旋風でのぶつかり合いにも期待できそうにない。
相手が悪過ぎる。自分で勝てる……いいや戦えるレベルを遥かに超越している。
だが、
(諦めて、たまるものか! 今までだって、そうだったじゃないか!)
彼の心を支えるものがある。それは自信だ。
自分一人では勝てそうにない相手は、目の前の修練だけではなかったではないか。これまで幾度となくぶつかり合ってきた霊能力者たちだって、相当の実力者だった。しかもそこから複雑な戦い方を編み出し繰り出してくる。そんな彼らに対し自分は、いつだって逆境を跳ね除けた。蜘蛛の糸のようにか細い希望を掴み勝機に昇華し、打ち負かしてきた。
経験は人に自信を持たせる。
今だって、それができるはず。そう思うと緑祁の心は恐怖を排除した。靄がかかった景色に一筋の光が差し込んだ。今回だけが例外なんてことは、ありえない。離れて戦うのが難しいのなら、近づくだけだ。火災旋風も台風も、超至近距離で繰り出せば水蒸気爆発でも跳ね返すことは不可能。自分が良くわかっていることだ。
「うおおおお!」
咆哮と共に前進する緑祁。その勇ましい姿を見ても修練は動かない。取り繕ったものだとすぐに理解できたからだ。そして思惑まで見破った上で、あえて退かない選択をする。
「おおおおおおおおおお!」
彼の思惑に気づかない緑祁は、突撃を止めない。もうあと一歩のところまで近づいた。それでも修練は動かない。
(行ける!)
右腕に、風を渦巻かせるのだ。それには鬼火を乗せる。これで拳を当てると同時に、火災旋風を送り込む。それなら水蒸気爆発では跳ね返されない。
「それは通らないな、緑祁……!」
握りしめた拳が当たるよりも先に、修練が腕を振り上げた。たったそれだけで、緑祁の火炎がかき消された。
「…! な、何!」
肌で感じられるほど、服の袖がびしょ濡れになっている。今、修練は鉄砲水を使った。消火させられてしまったのだ。
(で、でも!)
ここで緑祁は左腕も使う。こっちに保険がかけてあり、台風が既に作ってあるのだ。
(これは、どうだ!)
修練の腕の動きを見る。大丈夫だ、そこまで速くない。
「ならばこうする」
修練も台風を使うことを選んだ。しかも緑祁のとは逆回転。お互いの拳がぶつかった時、台風同士が激しく干渉する。
「ぬおおおおおわわっ!」
このまま押し切る。その勢いで緑祁は力を込めた。
(これは……絶対に! 届かせる!)
その思いが彼の背中を思いっ切り押し出したからだ。
それが、罠にはめられていると知らずに。
ある嫌な予感が頭を過った。
(……? 何で今、僕の台風は修練のと互角なんだ? 彼はその気になれば、僕以上の力が出せるはずだ。僕と押し合う意味って……?)
その答えを暴く前に、お互いの台風は力を失う。風が止まる。
「こ、これが、拮抗させた意味か……!」
自分の顔が濡れている。そこだけじゃない。服も上下、びしょ濡れだ。ぶつかり合いは凄まじいものだったので、水がかなり飛び散った。
「悪いな、緑祁……。だがこうすれば、君も諦めるだろう?」
水浸しにされた緑祁の目に飛び込んできたのは、修練がポケットからペンライトを取り出す光景。彼が何をしたがっているのか、すぐわかる。
(で、電霊放……!)
話には聞いていた。修練が電霊放を使えることは、事前に。緑祁の体を水で濡らせば、威力も効果も格段に上がる。修練自身も濡れてしまうが、緑祁が電霊放を撃てないから、心配しなくていいのだ。
スイッチを押されていないのに、瞬き始めるペンライトの電球。今にも電霊放が発射されようとしている。ここで取るべき行動はたった一つ。逃げることだ。今の間合いでは遮る物は何もなく、狙わなくても当ててしまえる。ゼロ距離。
しかし、
(違う! 逃げるなんて、選ばない! せっかくここまで詰めたんだ、距離を取ってどうする!)
緑祁の足は後ろには動かなかった。それは彼の心が、修練から逃げることを選びたくなかったから、ではない。
彼は知っている。至近距離で電霊放を撃つ際の弱点を。あえて自分に当てさせる。その時までに、相手の体を掴めばいい。逆流させれば相手にもダメージが入る。経験が、彼の一手を決めた。思えば今まで、紫電、辻神、洋次、病射と、電霊放の名手とは何度も戦ってきた。彼らが放つ雷を何度もその身に受けてきた。修練はかなりの実力者かもしれないが、電霊放自体は今更恐れるべき霊障ではない。
「ほう?」
先に修練の肩を掴んだ。水で濡れているのは緑祁だけではない。修練もそうだ。
(これなら、修練もただでは済まされないはず!)
自分の負傷は覚悟の上。今ここで大事なのは、相手にダメージを与えることであって、自分の身を守ることではない。
「緑祁! それが君の常識なら、打ち破ってみせよう」
「な、何っ……?」
修練はペンライトの先端を緑祁の胸に押し当てた。
(直流し? で、でも! それでも逆流はするはずだ…!)
電霊放が放たれる。黒い電流が緑祁を襲った。
「グガガガガガガガガギっ!」
高い威力だ。勝手に顎が動き、意味をなさない声を出させる。
(う、うううううぐ! だけど、修練にだって流れ込んでいるんだ、今は、耐えれば…!)
意図せず動く瞼を何とか制御し、彼の顔を見た。
(え?)
その顔からは苦痛が感じられない。
(そんな馬鹿な? まさか、アース線でも忍ばせているのか?)
チラッと足元を見たが、そうではないようだ。
(じゃあ、どうして?)
考えてもわからない越えられない壁にぶつかる。その壁を体当たりで砕くことも叶わない。
数秒経つと修練はペンライトを引っ込め、電霊放を止めた。
「う、ぐ……!」
電撃をくらったのはやはり緑祁だけだ。負傷している彼に対し、修練は平然としている。そして答え合わせするかのように口を開く。
「電気を撃ち出して終わるのは、もったいないことだ。だから新しく開発した! 誰かに直撃した後も、電霊放を操る方法を。
緑祁に流れる電霊放は彼を傷つけるが、自分に逆流する電霊放は体を傷つけることなく少しも邪魔になることなく電霊放の発射部分に回る。そうして戻ってきたら、また相手に直流しをする。ちょうど血液が体内を一回りして元に戻ることを繰り返すかのようだ。本来ならば大弱点である逆流を利用し、回し続ければ続けるほど相手にダメージを与えられると考えると、これほど恐ろしい電霊放はないだろう。
ここにきて、全く新しい発想だった。精神病棟の中で、脳内のイメージだけで出来上がった戦術。しかもこれは、本命の新技術を成立させるための一部でしかない。しかし今の緑祁の様子からして、それを使わずともこの戦いには勝てそうだ。
膝が崩れ、地面に手をつく緑祁。顔を修練に向けるのがやっとだ。
二人が予想していたよりもかなり早い。呆気なく勝負が終わろうとしていた。