第6話 この世ならざる場所 その2
文字数 3,764文字
蛭児は廃墟ホテルの一室で瞑想をしていた。禁霊術を犯した直後彼の心は、どす黒い。もちろんそれを覚悟で行ったわけだが、思った以上に反動がある。
(舞い上がる気持ちを抑え込まなければ……!)
今一瞬、表情が崩れた。彼の心は見えない何かと戦っている。自分の善良心ではない。それは当の昔に捨て去った。では何だろう?
「死後の世界へこい……」
幻聴か? いいや違う。ハッキリと聞こえた。あの世への誘いの言葉だ。
禁霊術『帰』をした後、よく耳にするようになった。三途の川の流れる音すらも聞こえそうだ。禁霊術の危険性は、やってみた者にしかわからない。そしてどのようなことが起きるのかが、伝わっていない。だから今蛭児は、未知なる体験をしている。
「くどい!」
目をカッと開き、叫んだ。
「私は死なないぞ? 最期の瞬間まで、立派に生き抜く! 社会と【神代】を破壊し、砕くその時まで!」
するとさっきまでの囁き声が聞こえなくなる。
(ふ、ふう……ちょっと休むか)
持ち込んだ簡易ベッドの上で横になる。
「そうだ……」
ポケットに入れていた石を取り出した。そして握りしめる。それだけで、今このホテルに蔓延っている、彼が蘇らせた廃墟ホテルの死者に指示が出せる。
「呪いの谷……。それを探してくるのだ。そこにはもっと強力な幽霊がいるはず。それすらも私の力にする。生き返ったお前たちは普通の人では、区別のしようがない! 行くのだ!」
『橋島霊軍』の慰霊碑の場所にいた死者よりも完成度が高いので、普通に喋ることができる。ただし遺体のない状態で『帰』を行ったので、体温はなく呼吸もしない。それでも隠れながら探せば、怪しまれずに動き回れるし、人数を増やせば見つけられるだろう。
吉報はその日の夜中に届いた。
「見つけたのか!」
どうやら、思ったよりも近い場所にあるらしい。すぐに準備し、移動を開始した。
そこに到着したのは、朝方だ。
「ここが、本当に……?」
噂では、日本で一番この世ならざる場所であるらしい。また、日本中の呪いや良くない念、雰囲気が流れ着くところでもあるそうだ。
しかし目の前に広がる谷からはそんな呪われた気配を全く感じない。寧ろ、清々しいまでに清らかだ。
蛭児はその谷で、ある霊を探した。この世に脅威をもたらす霊……脅霊 である。それがこの谷を支配しているとも聞くのだ。
だが、いない。
「どういうことだ? 場所は本当にここなのか?」
蘇らせた死者に聞くと、頷いた。間違った場所に案内されたわけではないようだ。
「では答えろ。どうしてここは、祓われたような感じになっている? 呪いはまるで感じない。死者の魂が漂っていないのは何故だ?」
一度死んだ者なら、あの世の事情を話せる。それを聞く。
どうやら、ある時ここを訪れた霊能力者がその脅霊を倒してしまったのだという。それから、全然忌まわしい場所ではなくなったとのこと。
「くそ……。誰がそんな余計なことを!」
死者の記憶も曖昧であり、その者の名前までは聞き出せなかった。
「まあいい! 既に十分な量の霊魂を貯め込んでいる! ここで一気に『帰』を行えばいいだけの話だ!」
呪いに染まっていないのなら、また血で染め上げるだけの話。蛭児は提灯を取り出し組み立て火を灯した。
「さあ、始めよう。『ヤミカガミ』、『この世の踊り人』そして『橋島霊軍』! 【神代】に滅ぼされたこと、悔しくはないか? 一矢報いたい、復讐したいとは思わないか! その無念、私が叶えてあげよう……力を貸せ! 今この場に蘇り、この大地を呪いで満たすのだ!」
手のひらに置いた死返の石が、鈍い光を放つ。提灯から解き放たれた霊魂が、次々に新しい体を獲得して実体化し、蘇る。大量の死者が一気に、三途の川の向こう岸からこっちに戻って来るのだ。
「………」
ただ、量は多くても質が悪い。【神代】と戦って負けたことを考えれば、それも当然か。
(しかし、だ……。【神代】が発足したのは明治になってから。この三つの組織は江戸時代にルーツがある。もっと時代を遡れ! そうすれば強い霊能力者がいるはずだ)
それを探し出すには、かなりの規模の『帰』を行って根こそぎ蘇らせる必要がありそうだ。問題はその精神汚染に蛭児が耐えられるか。だが、
(大丈夫だ。私の心は既に黒く、死んでいる。今更穢れだの汚れだの、気にしていられるか!)
一度禁忌を犯せば、もう吹っ切れるのだろう。彼に迷いはなかった。
次々にこの世に戻って来る死者たち。
「いいぞ! もっとだ! もっと必要だ!」
それでもまだ蛭児を満足させる数ではない。だからもっと、大量に蘇らせる。
「おや……?」
急に、雰囲気がガラリと変わった。猛者がいるのだ。
「おお、『ヤミカガミ』から出てきたか! 君、名前を何という?」
その男は暗い口調で、
「象元 國好 、だ……」
と答えた。延宝時代、『ヤミカガミ』が誕生した時の一員である。
「やはり、睨んだ通りだ! かつては【神代】ですら恐れおののくほどの、強き霊能力者がいたのだ!」
次は『この世の踊り人』の方を見る。どうやら最初の方で蘇っていたらしく、既にいた。
「名は?」
「人長 、幽左衛門 。きさまは?」
「私は、蛭児だ。君たちを蘇らせた。力が必要なのだよ、協力して欲しい」
幽左衛門は【神代】と戦って、負けた時に『この世の踊り人』の代表だった人物。未来に紡ぐと誓った自分の組織が潰されたその怨みは計り知れない。すぐに頷いて返答。
「さて残るは、『橋島霊軍』だが……?」
こちらは難航しそうである。もう既に、軍が設けられた時代にまで遡ったが、それらしい人がない。霊軍と言うのだから、戦闘行為前提の組織だったはずだ。一番期待していたのだが、慰霊碑がゴールデンウィークに破壊された時に、魂が解放されもう別の場所に旅立ってしまったのだろうか?
「………あんた、何している?」
いや、そうではなかった。過去の時代が時代であったために、見落としていただけだ。『橋島霊軍』で一番強かった霊能力者は、女性だったのだ。
「これは失礼。私は君をこの世に呼び戻した者。【神代】を滅ぼすために、ね……」
「悪くない理由だ」
この、蟻山 敦子 は【神代】の名を聞いただけで賛同した。
『ヤミカガミ』も『この世の踊り人』も『橋島霊軍』も、やはり滅ぼされたことを恨んでいる。【神代】に対し、底の知れない憎しみを抱いている。
蛭児はこの、國好、幽左衛門、敦子をエリートとして認定した。この三人は、本拠地である廃墟ホテルに連れて帰る。
「残りの者だが……」
こんな大勢を移動させるわけにはいかないので、彼ら彼女らには酷だがこの谷に待機させておく。
「でもそれほど長くはない。【神代】への攻撃は、早いうちに行う。その時まで、この谷で待機していてくれ。この谷の空気を悪くし、もう一度呪いで満たすのだ」
幸いにも付近には人が住んでいる気配がない。だから見つかることもない。
蛭児がホテルに戻ろうとした時だ。
「おや?」
禁霊術中に見かけなかった人物が二人、いた。
「君たちも、蘇ったのか?」
その二人の男子は、高校生ぐらいの年齢だ。三つの組織に所属していなかった幽霊だ。蛭児は『帰』をしている時、付近に意識と力を飛ばした。だからその影響で、生き返ったのかもしれない。
「霊能力者か?」
この質問に、二人は頷く。
「そうか、ならばついて来い。私の本拠地に案内してあげよう」
どこか、國好たちとは違う雰囲気を悟った蛭児はその二人をすぐに招き入れた。
「よぅし、これでいい」
蛭児たちはこの、呪いの谷からホテルに移動した。
廃墟ホテルはもう随分と改造が施されている。それも死者に都合のいいように。
「ここにいる蘇生者たちは、そこまで強くない。だが君たちとは違い、今の時代を知っている。教われ。戦いには知識も必要なのだ……」
まずは蘇った者たちを、この時代に慣れさせる。それが済んでからでも【神代】への攻撃は遅くはない。
「何かわからないことがあれば、何でも私に聞いてくれ。もちろん今の【神代】についても、だ。何でも教えよう」
やはり國好たち三人は、このワードに反応する。それほど【神代】が恨めしいのだ。
「……ん?」
その三人はいい。だが不思議なことに、呪いの谷で偶然蘇ったあの、高校生くらいの二人がいないことに蛭児は気づく。確かにここに戻って来た時には、いた。ワンボックスカーの一番後ろの席に二人で座っていたのだ。車から降りるところもちゃんと見たし、何ならホテルに入るところも。
「嘘を吐いたのか?」
きっと、そうだと蛭児は考える。あの状況、霊能力者でないとわかればあの世に送り返されてしまうだろう。それが嫌だったから、偽った。そして普通の人だったから、雰囲気が違ったのだ。一般人と霊能力者を誤認したと、彼は結論付けた。
しかし、これが彼にとって致命的な計算ミスとなろうとは、この時の蛭児には知る由もない。あの二人の死者が、どうしてこの世ならざる場所……呪いの谷にいたのか、想像ができないのなら、それがそんなに重要だったことに気づけないのも無理はないだろう。
「さあ諸君。君たちの霊障を私に見せてくれ……」
いなくなったのなら用はない。蛭児はこの國好、幽左衛門、敦子を主戦力にすることを決めた。
(舞い上がる気持ちを抑え込まなければ……!)
今一瞬、表情が崩れた。彼の心は見えない何かと戦っている。自分の善良心ではない。それは当の昔に捨て去った。では何だろう?
「死後の世界へこい……」
幻聴か? いいや違う。ハッキリと聞こえた。あの世への誘いの言葉だ。
禁霊術『帰』をした後、よく耳にするようになった。三途の川の流れる音すらも聞こえそうだ。禁霊術の危険性は、やってみた者にしかわからない。そしてどのようなことが起きるのかが、伝わっていない。だから今蛭児は、未知なる体験をしている。
「くどい!」
目をカッと開き、叫んだ。
「私は死なないぞ? 最期の瞬間まで、立派に生き抜く! 社会と【神代】を破壊し、砕くその時まで!」
するとさっきまでの囁き声が聞こえなくなる。
(ふ、ふう……ちょっと休むか)
持ち込んだ簡易ベッドの上で横になる。
「そうだ……」
ポケットに入れていた石を取り出した。そして握りしめる。それだけで、今このホテルに蔓延っている、彼が蘇らせた廃墟ホテルの死者に指示が出せる。
「呪いの谷……。それを探してくるのだ。そこにはもっと強力な幽霊がいるはず。それすらも私の力にする。生き返ったお前たちは普通の人では、区別のしようがない! 行くのだ!」
『橋島霊軍』の慰霊碑の場所にいた死者よりも完成度が高いので、普通に喋ることができる。ただし遺体のない状態で『帰』を行ったので、体温はなく呼吸もしない。それでも隠れながら探せば、怪しまれずに動き回れるし、人数を増やせば見つけられるだろう。
吉報はその日の夜中に届いた。
「見つけたのか!」
どうやら、思ったよりも近い場所にあるらしい。すぐに準備し、移動を開始した。
そこに到着したのは、朝方だ。
「ここが、本当に……?」
噂では、日本で一番この世ならざる場所であるらしい。また、日本中の呪いや良くない念、雰囲気が流れ着くところでもあるそうだ。
しかし目の前に広がる谷からはそんな呪われた気配を全く感じない。寧ろ、清々しいまでに清らかだ。
蛭児はその谷で、ある霊を探した。この世に脅威をもたらす霊……
だが、いない。
「どういうことだ? 場所は本当にここなのか?」
蘇らせた死者に聞くと、頷いた。間違った場所に案内されたわけではないようだ。
「では答えろ。どうしてここは、祓われたような感じになっている? 呪いはまるで感じない。死者の魂が漂っていないのは何故だ?」
一度死んだ者なら、あの世の事情を話せる。それを聞く。
どうやら、ある時ここを訪れた霊能力者がその脅霊を倒してしまったのだという。それから、全然忌まわしい場所ではなくなったとのこと。
「くそ……。誰がそんな余計なことを!」
死者の記憶も曖昧であり、その者の名前までは聞き出せなかった。
「まあいい! 既に十分な量の霊魂を貯め込んでいる! ここで一気に『帰』を行えばいいだけの話だ!」
呪いに染まっていないのなら、また血で染め上げるだけの話。蛭児は提灯を取り出し組み立て火を灯した。
「さあ、始めよう。『ヤミカガミ』、『この世の踊り人』そして『橋島霊軍』! 【神代】に滅ぼされたこと、悔しくはないか? 一矢報いたい、復讐したいとは思わないか! その無念、私が叶えてあげよう……力を貸せ! 今この場に蘇り、この大地を呪いで満たすのだ!」
手のひらに置いた死返の石が、鈍い光を放つ。提灯から解き放たれた霊魂が、次々に新しい体を獲得して実体化し、蘇る。大量の死者が一気に、三途の川の向こう岸からこっちに戻って来るのだ。
「………」
ただ、量は多くても質が悪い。【神代】と戦って負けたことを考えれば、それも当然か。
(しかし、だ……。【神代】が発足したのは明治になってから。この三つの組織は江戸時代にルーツがある。もっと時代を遡れ! そうすれば強い霊能力者がいるはずだ)
それを探し出すには、かなりの規模の『帰』を行って根こそぎ蘇らせる必要がありそうだ。問題はその精神汚染に蛭児が耐えられるか。だが、
(大丈夫だ。私の心は既に黒く、死んでいる。今更穢れだの汚れだの、気にしていられるか!)
一度禁忌を犯せば、もう吹っ切れるのだろう。彼に迷いはなかった。
次々にこの世に戻って来る死者たち。
「いいぞ! もっとだ! もっと必要だ!」
それでもまだ蛭児を満足させる数ではない。だからもっと、大量に蘇らせる。
「おや……?」
急に、雰囲気がガラリと変わった。猛者がいるのだ。
「おお、『ヤミカガミ』から出てきたか! 君、名前を何という?」
その男は暗い口調で、
「
と答えた。延宝時代、『ヤミカガミ』が誕生した時の一員である。
「やはり、睨んだ通りだ! かつては【神代】ですら恐れおののくほどの、強き霊能力者がいたのだ!」
次は『この世の踊り人』の方を見る。どうやら最初の方で蘇っていたらしく、既にいた。
「名は?」
「
「私は、蛭児だ。君たちを蘇らせた。力が必要なのだよ、協力して欲しい」
幽左衛門は【神代】と戦って、負けた時に『この世の踊り人』の代表だった人物。未来に紡ぐと誓った自分の組織が潰されたその怨みは計り知れない。すぐに頷いて返答。
「さて残るは、『橋島霊軍』だが……?」
こちらは難航しそうである。もう既に、軍が設けられた時代にまで遡ったが、それらしい人がない。霊軍と言うのだから、戦闘行為前提の組織だったはずだ。一番期待していたのだが、慰霊碑がゴールデンウィークに破壊された時に、魂が解放されもう別の場所に旅立ってしまったのだろうか?
「………あんた、何している?」
いや、そうではなかった。過去の時代が時代であったために、見落としていただけだ。『橋島霊軍』で一番強かった霊能力者は、女性だったのだ。
「これは失礼。私は君をこの世に呼び戻した者。【神代】を滅ぼすために、ね……」
「悪くない理由だ」
この、
『ヤミカガミ』も『この世の踊り人』も『橋島霊軍』も、やはり滅ぼされたことを恨んでいる。【神代】に対し、底の知れない憎しみを抱いている。
蛭児はこの、國好、幽左衛門、敦子をエリートとして認定した。この三人は、本拠地である廃墟ホテルに連れて帰る。
「残りの者だが……」
こんな大勢を移動させるわけにはいかないので、彼ら彼女らには酷だがこの谷に待機させておく。
「でもそれほど長くはない。【神代】への攻撃は、早いうちに行う。その時まで、この谷で待機していてくれ。この谷の空気を悪くし、もう一度呪いで満たすのだ」
幸いにも付近には人が住んでいる気配がない。だから見つかることもない。
蛭児がホテルに戻ろうとした時だ。
「おや?」
禁霊術中に見かけなかった人物が二人、いた。
「君たちも、蘇ったのか?」
その二人の男子は、高校生ぐらいの年齢だ。三つの組織に所属していなかった幽霊だ。蛭児は『帰』をしている時、付近に意識と力を飛ばした。だからその影響で、生き返ったのかもしれない。
「霊能力者か?」
この質問に、二人は頷く。
「そうか、ならばついて来い。私の本拠地に案内してあげよう」
どこか、國好たちとは違う雰囲気を悟った蛭児はその二人をすぐに招き入れた。
「よぅし、これでいい」
蛭児たちはこの、呪いの谷からホテルに移動した。
廃墟ホテルはもう随分と改造が施されている。それも死者に都合のいいように。
「ここにいる蘇生者たちは、そこまで強くない。だが君たちとは違い、今の時代を知っている。教われ。戦いには知識も必要なのだ……」
まずは蘇った者たちを、この時代に慣れさせる。それが済んでからでも【神代】への攻撃は遅くはない。
「何かわからないことがあれば、何でも私に聞いてくれ。もちろん今の【神代】についても、だ。何でも教えよう」
やはり國好たち三人は、このワードに反応する。それほど【神代】が恨めしいのだ。
「……ん?」
その三人はいい。だが不思議なことに、呪いの谷で偶然蘇ったあの、高校生くらいの二人がいないことに蛭児は気づく。確かにここに戻って来た時には、いた。ワンボックスカーの一番後ろの席に二人で座っていたのだ。車から降りるところもちゃんと見たし、何ならホテルに入るところも。
「嘘を吐いたのか?」
きっと、そうだと蛭児は考える。あの状況、霊能力者でないとわかればあの世に送り返されてしまうだろう。それが嫌だったから、偽った。そして普通の人だったから、雰囲気が違ったのだ。一般人と霊能力者を誤認したと、彼は結論付けた。
しかし、これが彼にとって致命的な計算ミスとなろうとは、この時の蛭児には知る由もない。あの二人の死者が、どうしてこの世ならざる場所……呪いの谷にいたのか、想像ができないのなら、それがそんなに重要だったことに気づけないのも無理はないだろう。
「さあ諸君。君たちの霊障を私に見せてくれ……」
いなくなったのなら用はない。蛭児はこの國好、幽左衛門、敦子を主戦力にすることを決めた。