第9話 月輪の精神 その3

文字数 4,242文字

「辻神、僕の勝ちだ! 約束通り引き下がっ………」

 だがまだ体力が残っていたのか、何とか彼は立ち上がる。

「…! も、もうやめろ! 勝負はあった! これ以上ここで争っても意味はないんだ!」
「意味がない? 勝負? ふざけるな! 私にはまだ、奥の手が残されている……!」

 緑祁はその言葉を信じようとはしなかった。しかし辻神が懐から取り出したある物を見た時、確信した。

「まだ何かある!」

 それは、黒ずんだ赤い石だった。

「そ、それは!」

 傍観していた香恵が反応する。

「どうしたの、香恵…?」
「駄目だわ、それは! それだけはしてはいけない……!」
「……知っているようだな、これが何なのか!」
「死返の石!」
「マカルガエシ……? って、何だい…?」

 緑祁はその意味を知らない。

「死者を蘇らせることよ。でもそれは、【神代】によって禁じられた術……」

 禁霊術『帰』。それを辻神はここで行おうとしているのだ。

「緑祁! 辻神を止めて! それだけは犯させてはいけないわ!」
「わ、わかったよ!」

 走りだした緑祁だったが、すぐに躓いて転んでしまう。

「わわっ!」

 岩だ。急に足の前に飛び出したそれが、歩行の邪魔をした。

「もしかして……!」

 悪い予感が的中。香恵の方を見ると、

「スー、スー。はっ! ば、バレたヨ彭侯……」
「いい、続けろ!」

 既に山姫と彭侯が目を覚ましていたのだ。今飛び出したのは彼女の礫岩である。

「やってしまえ、辻神!」
「駄目だ、やめろっ!」

 この局面で死者をどうして蘇らせるのか。緑祁にはすぐにわかった。もうボロボロでまともに戦えない辻神の代わりに、戦わせるのだ。

「もう遅い、緑祁! さあ見せてやろう、禁霊術を!」

 躊躇はしない。迷うことなく辻神はその石に秘められた力を解き放った。

「この世を生き、そして死した魂よ! 今この地に舞い戻れ! そして我が敵に滅びをもたらすのだ! 『月見の会』の無念をここに解き放て! さあ甦れ、歴史の闇に葬られし哀しき者たち!」

 手のひらに乗せてあった石がひとりでに浮き上がると、月の光を吸収して橙色に光り輝いた。

「この光は、一体……?」
「おお……!」

 これが、禁霊術『帰』。一度死んだ者が、この世に帰ってくる現象だ。

「………………? 何だ? どうなっている?」

 しかし、その死者蘇生はどう見ても生じていない。

「場所が悪いのか? だが、確か禁霊術は、魂の鼓動さえ感じられれば場所を選ばないはず!」

 ただ石は光を放ちながら、宙に浮いている。

「どうなっているの、辻神? 成功なの、失敗なの?」

 山姫が聞く。

「わからないわ……。私だって、見たことがないもの……」

 何故か、隣にいた香恵が答えた。

「これからだろう? ここから一気に逆転だ! 見ていろ、緑祁、香恵!」

 彭侯は叫んだ。これが失敗ではないはずだ、と。でも辻神は周囲を見回し、やはり不自然なことに気づく。

(周りは……。何も起きていない? 何故、どうしてだ? まさか私の霊力が足りなかったのか?)

 何も生じないのなら、これは失敗であろう。
 しかし実は、部分的には成功していたのである。

「君たちが、私の仲間の子孫かい……?」

 声が聞こえた。

「だ、誰だ?」

 その姿が石に投影される。浮かび上がったのは、江戸時代のような着物を着た男性だった。

「何だコイツは……?」
「私は、太陰。月見太陰です……。今、魂だけの状態となって、この世に戻っています……」

 辻神、山姫そして彭侯は驚いた。まさか禁霊術で最初に帰って来たのが、あの『月見の会』の創設者だとは微塵も予想してなかったからである。

「あ、あなたが? 失礼ながら証拠は?」
「私の仲間の子孫でしょう、君たちは? 君は木霊の、そっちのお嬢さんは雨傘、隣の青年は火車。そして……」

 太陰の精神は、その後もズバズバと当人たちしか知り得ないことを言い当てる。

(これは、間違いない! 太陰だ!)

 そう判断した三人の行動は早い。すぐに頭を下げて、

「疑うなど、失礼しました……。太陰様、早速ですがお願いがあります! 『月見の会』のメンバーをここに蘇らせ……」

 しかし、

「そんなことはできませんよ」

 と、断られてしまう。

「どうしてですか! 私たちは『月見の会』が受けた屈辱をここで、晴らそうとしているのですよ? 私たちの先祖は【神代】によって裏切ることになってしまった、その後悔も! 手を貸してください!」
「できないのは、望んではいないからです……」

 太陰の言葉は続く。

「私が作った『月見の会』が滅んだのは、とても残念なことです。しかし時代の流れには抗えません。滅亡はきっと、自然の帰結なのでしょうね」

 その言葉はどこか、優しい雰囲気を持っていた。同時に、悲しさもあった。

「霊怪戦争は、『月見の会』の方から仕掛けた立派な攻撃でした。同時にそれに負けて滅んだというのであれば、それは潔く受け入れるべきです。私の元に沢山の仲間たちとその子孫が集まってきましたが、みんなこの結果を受け入れています」
「で、ですが!」

 ここでその、悲しみの正体が露わとなる。

「しかし、この今の時代を生きる君たちが、まだそれに囚われていたとは……。それがとても残念です」
「先祖と『月見の会』のことを忘れろ、とでも言うのですか?」

 山姫も居ても立っても居られず叫んだ。その訴えも太陰は拾い、

「忘れろとは言いません。でも、こんな形でケジメをつけようとされても困ります」

 と返した。

「それでもオレたちは! ご先祖様の無念のために……」
「ですから、私をはじめとした『月見の会』の仲間たちは、敵討ちなど望んでいないのです」

 彭侯が言えば、そう言われた。

「では、太陰様はどうしてここに帰ってきたのですか? 私たちの味方をしてくれるのではないのですか…?」
「そうですね、理由ですか……」

 少しためると太陰は、

「君たちを解放させてあげたかったから、です」

 と言った。

「君たちは死んだ私たちとは違い、この今……現在を生きる人間です。その人たちは未来に目を向けるべきなのです。過去を振り返るなとは言いませんが、それにこだわって前に進めなくなるようなことは、私は望んでいません」
「……!」

 その言葉を聞いて辻神たちは、知った。

「それに、仮に屈辱や無念を晴らすための行為を完遂したとして、私たちが浮かばれると思いますか? それは君たちの自己満足でしかないのです」

 復讐や屈辱を晴らすということは、独りよがりな発想だったのだ。

「『月見の会』は【神代】に負けました。では生き残った者は、【神代】に従うべきです。今のために、今ある人たちとこの世のために人生を歩むべきです。私たちは君たちに、世のため人のために力を尽くして欲しいのです。それが、私が君たちに求める唯一のことです。復讐や屈辱はもう、忘れなさい。血を流しても私たちと『月見の会』は戻りませんし、それは新しい悲しみを作るだけです。そういう負の連鎖も、君たちに断ち切って欲しいのです」

 太陰は、子孫が苦しむ姿を見たくなかったのだ。だから解放するために、自分の精神を彼らに語り掛けた。

「今を生きる立派な君たちなら、きっと明るい未来をつかみ取れるはずです。その未来に『月見の会』はなくていいのです。過去の因縁を現在に持ち込み、未来を閉ざしてはいけません。私も他の仲間も、同じ思いです。君たちは君たちの世界を今、生きてください。それが、一番の『月見の会』への供養なのです……」

 そしてその精神は、辻神たちの戦意を葬った。

「では、私たちは何をすればいいのですか?」
「簡単ですよ。【神代】に尽くしなさい。『月見の会』に代わって【神代】は、霊能力者の中心となったのです。それはもう世紀が二個変わる前の話です。この時代を生きる霊能力者はみんな、【神代】の言うことを聞けば、悲しむことも醜い争いを生むこともないのです」
「ですがそれは……!」

 辻神たちは反論しようとした。それは屈辱と恥の上塗りだ。だが、

「私は霊怪戦争も本当は望んではいませんでした。だから君たちまで『月見の会』と同じ道をたどって欲しくはありません」

 太陰はわかっていたのだ。【神代】に歯向かうことの無謀さと愚かさを。
 急に、死返の石の輝きが弱くなる。もうおそらく時間が残されていないのだ。

「辻神、山姫、彭侯……。『月見の会』の人たちはみんな、死した後私のところに来ました。最初こそ文句を呟きましたが、時間が経てば誰も気にしなくなりました。死んだ人は蘇ってはいけないのと同じで、死者が現世に異議を唱えることなどあってはいけないのです。『月見の会』の血を受け継ぐ者よ、どうか本来の目的を忘れないでください」
「本来の、目的………?」

 それは江戸時代に『月見の会』が作られた当初のことだ。

「心霊現象や幽霊、妖に関する研究です。【神代】に攻撃を受ける前までは、『月見の会』はそれを目的としていました。しかしいつしかそれを忘却してしまい、対【神代】への愚策に走ってしまったのです」

 当初『月見の会』は太陰が言うように、ちゃんとした目的があった。だがそれが憎悪に囚われて変わってしまった。それも『月見の会』の滅亡の原因の一つだと彼は言う。

「もう、時間がありません……。お願いです、辻神に山姫、彭侯………。復讐などやめて、この世のため【神代】のために生きてください…………。それが、私が『月見の会』の子孫たちにお願いしたい唯一のことなのです…!」

 言い終えると、石から放たれた光は消えた。同時に死返の石にヒビが入って砕け散った。

「…………」

 辻神たちは、泣いていた。

「何でなんだ……。何のための人生だったんだ、私たちのは…! 望まれない無念を掲げ、復讐すると誓ってしまった私たちの覚悟は、何だったのだ……?」

 もう答えてくれる太陰はいない。きっと、自分で考えてくれというメッセージだろう。

「ううっ……」

 緑祁も涙を流していた。こんな形で彼らの復讐が終わるとは思ってもみなかったのだ。

「これが、『月見の会』が望んだ本来の姿だったのね……」

 香恵も涙声でそう呟いた。
 山姫は子供のようにわんわん泣き、彭侯は悔しくて何度も地面に拳を打ち付ける。辻神は、

「もう生きる意味がなくなった。緑祁、私たちを殺せ……」

 と懇願した。

「で、できないよ! 僕も辻神たちに、今を生きて欲しいから…!」

 手は下せなかった。

 この晩、辻神たちは泣き続けた。緑祁と香恵は彼らが泣き止むまで、側にいた。
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