第9話 断ち切る その3

文字数 4,615文字

 大きく開いた穴を迂回して、緑祁は豊雲のところに駆け寄った。

(大丈夫だ、死んではない。所々から出血しているし、多分骨折も何か所かしている。でも、香恵の慰療なら全部治せる!)

 だから、豊雲に手を差し伸べようとした。その時、

「来るな」

 彼が目覚め、その手を払い除ける。

「豊雲! これ以上はもう無意味だ! 勝負はあったんだ!」
「くくく、違うな……」

 傷だらけの体で無理矢理立ち上がる豊雲。

「そんな無理をしたら、体が……!」
「正夫にあって、私にないものがあったな……」
「……は?」

 豊雲のことを心配している緑祁を余所に、豊雲は全然違うことを喋り始めたのだ。

「何か、わかるか?」
「何のこと?」
「それはな……。憎しみだよ。怨みの、感情だ……!」

 正夫には、緑祁を攻撃する理由があった。それは、私怨である。今の居心地の悪い雰囲気を生み出しているのは緑祁の責任だと、彼は思っていた。
 だが豊雲は、正夫が作った状況を引き継いだまではいい。しかし、怒りの矛先が、違った。豊雲の怒りは、【神代】に向けられていたのだ。

「通りで、勝てないわけだな……。お前に個人的な怨みが、正夫以上には私の中にはないのだから…!」
「何が言いたいんだ、豊雲? 恨み怨めば僕を殺せるとでも?」
「その通りさ」

 無理だと、緑祁は考える。今の豊雲はもうボロボロだ。これでどうやって、戦うと?

「今、お前と戦って、私にも芽生えた! 緑祁、お前への、憎しみの心が! 怒りが! 負の感情が!」

 最後に彼に残されているものが、一つだけある。豊雲はその方を向いた。

「まさか……。業葬賊? でも、あれはまだ……」
「そうだ。まだ、未完成。しかしな、緑祁? 戦闘面の経験がお前にあるのなら、私には知識方面の経験値がある!」

 この場で、未完成の業葬賊を一気に覚醒させる方法が一つだけ存在するのだ。

「お前が私に出させたのだ、これを!」

 指先から、ポタンと一滴の血が垂れた。その指から流れる血を使って、地面に魔法陣を描く。

「禁霊術を、ここで使う!」
「そ、それは駄目だ! 罪が重くなってしまう!」

 止めに入ろうとする緑祁だが、震霊で生み出された岩石に阻まれる。

「豊雲! それだけはやめてくれ! 僕は、そっちのことを憎んでも恨んでもないんだ!」
「遅い! 私はもう、戻れんさ。既に虎村神社を潰し、剣増を葬っているのだからな。【神代】への背信行為としては、十分過ぎる。それはお前にもわかるだろう?」
「でも、やり直せる! 罪は償えるものなんだ……!」
「黙れ! もうお前の吐き出すセリフは、一つも聞きたくない。全てが不愉快だ!」

 豊雲が使う禁霊術は、『重』である。結が使っていた『別』とは逆に、二人以上の人を一人にしてしまう禁霊術だ。だが豊雲は、緑祁と合体するつもりはない。
 では、何と融合するのか。

「業葬賊よ、私と一つになれ!」

 血で描かれた魔法陣に、右手を重ねる。すると眩い光がその魔法陣から生じた。

「う、うわっ!」

 思わず瞼が閉じ、さらに顔を背けたくなるくらいの光だ。

「フフフフフ、フハハハハハハハハハハ! 今ここに、究極の幽霊が誕生する! 死者たる業葬賊と、生者の私の融合! 新たなる存在が、完成するのだ!」

 豊雲は、業葬賊に自分を混ぜることで、完全に幽霊をコントロールし、しかも自分の意思で何もかも動かせることを可能にしたのだ。
 業葬賊が封じられている鍾乳石も、赤い光を瞬かせている。

(僕のミスだ……! 先に業葬賊の石を壊していれば、こんなことにはならなかったかもしれない……!)

 自分を責める緑祁。しかしそれに専念すると、豊雲に攻撃され放題になって一気に殺されてしまう。豊雲への攻撃と業葬賊の破壊は、トレードオフの関係だった。

「みなぎる! 力がみなぎる! 霊気が、膨れ上がる!」

 光のせいで、何が起きているのかはよくわからない。だが豊雲のセリフから察するに、もう融合は始まってしまっているようだ。

「させない! 霊障合体・火災旋風!」

 途中で攻撃すれば、それをキャンセルできるかもしれないと考えた緑祁だったが、光の壁が火災旋風を妨げた。

(攻撃が、届かない! 禁霊術中……変身・融合中は、無敵なのか……!)

 そして、強い光が晴れると、

「これが……私の、究極の姿だ!」

 豊雲と業葬賊の融合体が、いた。大きな岩が壁のようになっていて、そこからモササウルス型の上半身とテリジノサウルスのような爪の生えた腕が飛び出ている。もう、人の形をしていない。

「合体した……? 豊雲と業葬賊が? だから、こんなおぞましい姿に……?」
「さあ、緑祁…! 来るがいい! 死にに、行くがいい!」

 そして本当の決戦が、今から始まる。


 この豊雲は岩と一体化しているので動けない。だが、元から震霊を持っていたので、攻撃手段には困らない。

「くらえ!」

 大きな口を開けば、その中から手のひらサイズの岩を吐き出し飛ばせる。岩石の弾幕が緑祁を襲った。

「うわっ!」

 反応に遅れ、数個被弾する。激痛が肩に走り、そこから血が流れ出る。反射的に緑祁は、近くの鍾乳石の裏に隠れた。

(骨は折れてない? 脱臼もしてない。でも、凄い威力だ……!)

 だが逆に、緑祁は考える。この、吐き出される岩石は利用できる、と。

(水蒸気爆発だ! それで、カウンターを決めればいいんだ!)

 豊雲と業葬賊の融合をどうすれば解除できるかは不明だが、とにかく攻撃するのだ。

「どこに隠れた?」

 背中の鍾乳石が、まるでベルトコンベヤーの上に置かれた荷物のように横にスライドする。露わになった緑祁の背中。

「しまった!」

 隙だらけの彼のその後ろ姿に、豊雲は岩石を吐き出した。

「死ぬがいい!」

 迫りくる岩石。だが緑祁は、

「逆にチャンスだ! 霊障合体・水蒸気爆発!」

 鬼火と鉄砲水を大量に生み出して混ぜ合わせ、水を水蒸気に変換。爆発的に増加した体積が爆風となって、飛んで来る岩石を飲み込み向きを百八十度変える。

「き、決まった!」

 緑祁は少し、驚いた。あまりにも自分の目論見通りに進んだのだ。かなり、簡単過ぎる。怪しさすら覚えるほどだ。
 しかし、

「効かんな」
「馬鹿な? 今、僕の水蒸気爆発が炸裂したはず?」

 確かに岩石は、豊雲の頭部に命中した。しかし、傷が一つも開いていないのだ。

「どういうことなんだ、これは……! 僕の霊障が、効いていない? そんなはず……」

 いや、思い当たることが一つだけある。それはこの鍾乳洞に入る前に緋寒から聞いた、

「霊障が効かない幽霊がいる」

 という情報だ。それが本当なら、水蒸気爆発……いや豊雲自身の震霊すら、効果がないということにもなる。豊雲と融合する前の業葬賊は未完成だったので、ひょっとしたらその時点で霊障に耐性がある=事前に破壊すること自体ができなかったのかもしれない。

(業葬賊と合体したからだ! だから、そういう耐性がついたんだ……!)

 だがここで緑祁は焦らない。緋寒の言葉には続きがあった。除霊用の札だ。全部で四枚。

「……なら、これで戦うだけだ!」

 緑祁は四枚の内の一枚を取り出し、業葬賊を除霊することに決めた。

「絶望を貫いた先にこそ、未来があるんだ! 諦めたら、明日を迎えられない!」

 言葉に出して自分で自分を激励する。札は貼り付けなければ意味がないので、近づかなければいけない。

「豊雲! 今、解放してやるぞおおおお!」

 幸いにも吐き出される岩石は、水蒸気爆発で弾ける。だから堂々と前進した。

「臆しないその態度だけは褒めてやろう。だがな、お前の死には変わりない! 絶望と虚無の奈落に沈みゆけ!」

 しかし豊雲には、肉食恐竜のような腕があり、その先に爪がある。それを振って、緑祁を払うのだ。

「危ない!」

 ギリギリ避けれた、と思っていたが実は直撃していた。服が切り裂かれている。不幸中の幸いか、肌には到達していない。

「今しかない!」

 普通なら、ここは一旦退くだろう。だが緑祁はさらに前に出ることを選ぶ。

「除霊だああああ!」

 そしてジャンプし豊雲の額に、除霊用の札を貼り付けた。

「グオオオオオオオオオ!」

 瞬時に効果が発揮され、豊雲の全身に衝撃が走った。頭と腕がだらりと下がり、固まる。札は効果を発揮し切ったのか、燃え尽きた。

「や、やった……? の、かな…?」

 わからない。
 直後に豊雲のモササウルス型の頭部が、縦に二つに割れた。その左右の頭部がそれぞれ失われた部分を再生し、何と頭が二つに増えたのだ。

「おお、これが! これが、業葬賊の力だ! 限界を感じない!」
「こんなことが、現実に起きるって言うのか……!」

 除霊したはずが、頭が増えてしまった。流石に緑祁もこれには動揺し、後ろに下がった。

「逃げる気かね? さっきまでの勇気はどこに行ってしまった?」
「……くうっ!」

 逃げては何も解決しないことは、緑祁が一番よくわかっている。だが、状況がさっきとは異なるのだ。今は距離を取って次の作戦を考えるしかない。

(札を一気に貼り付けるっていうのは、どうだろう?)

 一枚では駄目だった。ならば枚数を増やせばどうだろうか。思いついたはいいのだが、緑祁は心の中で首を横に振る。

(駄目だ。それをして、さっきと同じ結果になってしまうと……もう僕に勝ち目がなくなる……! 最後の手段だけは、とっておかないといけない……次も一枚、だ…)

 二枚目の札を取り出した。頭に貼り付けたら、そこが割れてから再生した。

(なら、あの壁には?)

 貼ったところが悪かったのかもしれない。ならば違うところで除霊を試みる。

「霊障合体・火災旋風!」

 緑祁は火災旋風を繰り出した。

「無策だな、緑祁?」

 当然今の豊雲には、霊障も霊障合体も効果がない。炎に曝されても、熱さすら感じないのだ。

「台風だ!」
「愚か者め。失望させ………。っぐ!」

 次の霊障合体である台風が豊雲に直撃した時、彼はかなりの激痛を感じた。

「何故だ? 今の私には、霊障は効かないはず………?」
「だろうね。だから、火災旋風を防御しなかった。台風も防御する必要がないと、判断したんだろう?」

 震霊を使って霊障の妨害をする必要がない。その先入観を、緑祁は利用したのだ。豊雲は片方の頭で自分の胴体を見ると、

「な? ふ。札が! そうかお前、台風に札を乗せたな?」

 除霊用の札が貼られている。しかも豊雲の爪では剥がせない。

「ああああうぐうううウウウウウウ! こんな小僧に、二度も!」
「今度こそ、どうだ?」

 除霊できたか。緑祁はジックリと様子を伺う。
 右の頭部の横、右端から、小さな頭が生えた。それはグングンと伸び、プレシオサウルス型の首と頭部が出現する。

「まだ、駄目なのか…!」

 しかも、反対側にも一本、二つの頭部の間からも、もう一本生えてくる。計三本の頭部が加わったのだ。

「ふふふ、緑祁! 業葬賊を除霊することはな、不可能なのだよ! 見ろ、この私の姿を! この世から消されそうになればなるほど、より強靭な体に進化する! あらゆる弱点を克服する完璧な存在……それがが、私だ!」
「どうしても、この世にしがみつきたいのか! その執念、断ち切ってやる!」
「言ってくれるな? できるか、お前にぃ!」

 札はあと二枚。

(もし……。もしも、除霊されるたびに進化するのだとしたら、それに限界がなかったら……。この二枚を使っても、僕は勝てない?)

 絶望感が、緑祁の心を曇らせ始めていた。
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