第19話 決戦の終楽曲 その1

文字数 5,060文字

 雲一つない夜空に、満月が輝いている。前に病棟で夜空を見た時は新月で、月が輝いていなかった。駅前でも終電が終わった時間帯なので人気も多くなくかなり静かだ。

「緑祁……」

 香恵はそんな暗闇と化した新青森の屋上で、これからの顛末を見届けるつもりだ。修練が今までに戦ったことがない強敵であると予想される以上、まともに戦えない彼女が緑祁と一緒に行動するわけにはいかない。

「今夜、全てが決まる……んだね」

 香恵の後ろに立つ、紫電と雪女にも緊張感が走った。

「誰にも邪魔はさせねえぜ。俺だって、手は出さねえよ。もしも誰かが水を差そうものなら、たとえそれが味方でも全力で止める」

 そして緑祁もそれを望んだので、本来なら頼るべき【神代】の霊能力者、援軍は誰もこの場には来ていない。辻神や病射ですら、だ。
 必ずここに来る。緑祁にはそんな確信があった。別に【神代】のネットワークにそういう情報を上げたわけでも、修練に教えたわけでもない。勘だ。しかしその感性がかなり研ぎ澄まされている。
 ポケットの中から、小さな布袋を取り出した。そしてその中にある小さな石を、手のひらに出した。黒ずんだ赤い石。怪しい気配を漂わせるその石は、触れているだけで鳥肌が立つ。

「間違いない。これが死返の石だ。前に辻神が持っていたのと大きさや形は違うけど、同じ。修練はこれを使って、誰かを蘇らせるつもりなんだ」

 渡された時は信じられなかったが、今、実感した。これには『帰』ができるほどの力がある。
 すぐに布袋に戻し、ポケットにしまう。
 今夜が、勝負だと思っている。既に仲間が緑と峻を、そして緑祁自身が蒼と紅を倒した。もう修練には仲間が残されていない。だから重い腰を上げ、自分が出撃するしかない。

「誰も死なせないぞ。僕だって死ぬつもりはない。修練には、もっと生きてもらわないといけない」

 誰にだって、心を入れ替えることができるはずだ。そしてその機会は、やり直そうと思えるのなら無限に与えられるはず。そう考えると、わかり合える日はそう遠い未来ではないとわかる。
【神代】は、修練を処刑しようとしている。でもそれは、そうしなければ一連の事件が解決できないと判断したためだ。言い換えるなら悪事の根源を断ち切る、苦渋の決断。そこが、緑祁に希望を与えた。

(僕が修練を倒して捕まえれば、【神代】も処刑の命令を解除するはずだ!)

 別に【神代】も、血に飢えているわけではないはずだ。だから無意味に命を奪うことは選ばないはず。希望的観測ではあるが、ちゃんと筋が通っている。
 問題は、修練が緑祁のところに来てくれるかどうか。だがそれも、死返の石で解決した。修練はこの石を欲しがっている。誰かを蘇らせて、何かをするつもりなのだろう。

「予め石は壊しておいた方がいいんじゃねえのか? 万が一にも奪われた時のことを考えると」

 ここに来る前に、紫電にそう言われた。確かに彼の言う通り、そうしておけば安全だろう。だがそれは、緑祁が拒んだ。

「石が破壊されたことを知ったら、修練は他の石を探そうとする。その場合、僕のところには来ないんだ」

 緑祁は修練と相対した時、この石を見せるつもりだ。そうすれば修練は、別の場所に移動しようとしなくなる。

「ここで決める。修練のために僕は戦う」

 決意は相手よりも強いだけ、良い。


 待ち始めて、どのくらいの時間が経ったのだろうか。

「もう、十二時か……。日付が変わってしまった」

 緑祁はスマートフォンの画面を見た。表示された数字が今、〇が三つに変わった。

「前も、こうだった気がする」

 二年前のあの夜のことを思い出す。
 確か、紫電と戦っている最中だった。そこに突然、修練が現れたのだ。幽霊を解き放ち、霊界重合を起こして故霊をこの世に招き、緑祁はそれをあの世に送り返すために奔走した。
 昨日の晩のことのように思い出せる。記憶力が良いのではなく、印象に残っているからだ。

「…………」

 コツン、コツンと誰かが歩く音がする。無意識にその方を向くと、男が一人こちらに向かって来ている。見たことがある顔だ。

「久しぶりだな、緑祁……」
「天王寺、修練………」

 間違いない。だから緑祁はその名を呟いた。


 暗黒の逢魔が時、一人の青年が強大なる幽霊のような意思を持つ男と出会った。
 その瞳は醜くも美しい光を宿していた。


 非常に、自然な動きだった。緊張しておらず、怯えてもいない。強張っているわけではないが、堂々としているのでもない。

「ああ、久しぶりだ。二年ぶり、だね……」

 緑祁も、まるで親しい知人に話しかけるかのように返答した。

「良い目をするようになったな、緑祁。瞳に強さが、鋭さとして光っている。成長したな?」
「ああ、したよ。この二年間、色々なことがあったから」


 広島に行って、隣接世界からやってきた鹿子花織と並星久実子と戦い、どうにか彼女たちを式神に生まれ変わらせた。

 寄霊に取り憑かれ濡れ衣を着せられ、自分ソックリな偽者と対峙し、倒して除霊した。

 復讐のために動くヤイバと二度も戦った。一度目は物理的に、二度目は精神的に敗北することになってしまった。

 紫電と競戦を行った。結局雌雄を決することはできなかったが、ライバルと戦うことに面白さを感じた。

 辻神と山姫と彭侯の復讐も止めた。三人とも強く、苦しい戦いだったが、何とか勝利を掴み取ることができた。そして彼らを緑祁は擁護し、それが受け入れられた。

 霊能力者大会にも参加した。結局途中で脱落してしまったが、福島に根付いた悪意ある陰謀に気づくことができた。

 洋次や正夫とも、ぶつかり合った。あの時はそれで解決だと思ったが、そうではなかった。

 豊雲との戦いは、本当に死を覚悟した。辛うじて勝利こそしたものの、彼を救うことはできず、苦い思いをしてしまった。

 病射と朔那の復讐も、阻止した。辻神が味方してくれたことが、嬉しかった。

 雉美と峰子に唆されてしまい、暴走してしまった。紫電や辻神、病射たちのおかげで何とか立ち止まり立ち直ることができた。しかし自分がやってしまった悪事の償いのため、半年間は【神代】の仕事を率先して行った。

 邪産神との戦いも、絶望的だった。詳細がよくわかっていない幽霊の除霊は難易度が格段に跳ね上がる。自分一人では確実に勝てなかっただろう。みんなで掴んだ勝利だ。そして邪産神のために、神蛾島で成仏を願った。


 全部、修練に話したい衝動に駆られた。でも緑祁は踏みとどまった。今はまだ、彼は敵だ。

「経験は、積めば積むほど自分を強くする。緑祁、君も相当の実力を身につけたのだろうな。素晴らしいことだ」
「その力をもって、修練! そっちを止めるよ」
「そうか」

 無理矢理、緑祁は会話を打ち切ろうとした。修練と話していると、心が安らぐ気がする。その感覚が一番、危険だ。
 でも一つだけ、聞いておきたいことがあった。緑祁はポケットから布袋を取り出し彼に見せつけて、

「修練、死返の石を使って何をするつもりなんだ? 今までみたいな【神代】への攻撃か? それとも、蛭児や皐のように復讐をするつもりなのか? もしや、何か別の目的が……」
「緑祁! 君は人を殺したことがあるか?」

 喋っている途中でいきなり、修練がそんなことを言い出したので緑祁の口が塞がる。

「どうなんだ? 流石の君でもそんな経験は、ないか……」

 頷こうと、緑祁は思った。だが咄嗟に考えたことは違った。

「一度だけ、僕のせいで人が死んだことがある。淡島豊雲という人物が、僕が助け出さなかったせいで落盤して死んだ。見殺しにしてしまったんだ。仲間に説明すれば、回避できたことだった」

 周りのみんなは、仕方がなかったことだと言った。範造と赤実は、姿が変わった豊雲のことを識別できなかったのだ。それにあの状況で助け出そうとすれば、緑祁自身の命も危ない。不可抗力だ。
 しかしあの時わかり合えず助け出せなかった記憶は、未だに心に根付いて緑祁を苦しめている。

「なるほど。まるで私だな」
「……?」

 言葉の意味が理解できなかった。だが修練は確かに、

「自分の行動が原因で、人が死ぬことになった。それを、自分が人を殺した、と認識している」
「修練にも同じことが?」

 だが、霊能力者ネットワークの修練の項目には、そのような過去の記載はなかった。

「いや! 故霊と戦ったことで、仲間が死んだのか? 自分を庇って?」
「そのことじゃない」

 故霊が原因なら、それは修練に責任があるわけではない。

「緑祁、君に香恵がいるように、私にも恋した人がいた。愛した人がいた」

 思い出す。智華子のことを。それを緑祁に話す。

「私が愛した人は、霊能力者ではなかった。しかしそんなこと、私たちの間では関係ないことだ。霊能力者同士じゃなければいけないというルールは【神代】にはない。誰を大切に思うかは、自由だ」
「その人が、修練が殺した……いいや修練の行動が原因で、死んでしまった人ということか」

 瞬時に話を理解する緑祁。そうすると導き出される答えは一つ。

「死返の石を使って! 禁霊術『帰』を使って蘇らせるということか! それが修練、そっちの本当の望み……!」

 そして永遠に一緒にいたい。そういう願望があるのだろう。
 だが、

「違うな。私は智華子と一緒にいたいのではないのだよ」
「え、どういうことだ?」

 修練の本当の望みは、ごく簡単なことだった。

「私は、謝りたいだけなんだ」

 それだけだ。

「霊能力者である自分なら、死者の声を聞くことは簡単だ。だがどう頑張っても、智華子の魂を見ることだけはできない。あの声をもう一度聞くことも不可能だった。私は他の霊能力者にも頼ったが、それでも駄目だった。イタコですら、降霊させることができなかったのだ」

 四十九日はまだ過ぎていなかったのだが、どこをどう探しても見つけることが叶わなかった。

「あ、謝る……?」

 意外な答えに驚く緑祁。
 一度も、考えたことがなかった。自分が見捨てたせいで豊雲は死んだが、彼の霊に対し謝るということはしなかった。
 修練が自分に復讐をすることは考えてはいないだろうとは思っていた。だが、その本当の目的は予想外過ぎ、呆気にとられた。

「解放されたい、と言い換えることができるかもな。罪の十字架が、私の背中に突っ立っている。その重みに耐えられない。だからこそ、謝りたい」

 智華子の死において、修練は何の罰則も受けなかった。事情を知らない知人たちは誰も、彼のことを責めなかった。

「どうするんだい?」
「何だ?」

 わからないことが一つある。それを尋ねた。

「謝って、どうするんだい? 仲直りして、一緒にいるのかい? それとも、相手に罵倒されるのかい?」

 謝罪の先は、どうなるのだろうか。それが不透明だ。

「だって、謝ったからと言って、必ず許されるわけじゃない。相手が自分のせいで死んだのなら、怨みは激しいだろうし……。許さないという選択肢は、相手にとって当然の権利だ」

 それに対し修練は、

「許されたいから、君は謝るのか?」

 と、質問で返した。

「え……?」

 思わず聞き返す緑祁。

「謝罪すれば、許される。それを求めて頭を下げるのか? 自分が可愛いだけじゃないか、それでは」
「そうじゃなければ、何なんだい、一体?」

 修練は言う。

「自分の誠意を相手に見せる。それが、謝るということだろう。許される許されないという概念なんかは、関係ない。自分がしてしまったことに対して誠心誠意、贖罪する……それが、謝るということなのではないか?」

 だから智華子に、修練は謝りたいのだ。許しを請うわけではない。自分がしてしまったことへの、詫び。純粋にそれだけだ。それだけが目的だ。

「…………」

 様々な思考発想が緑祁の脳内を駆け巡る。修練が正しいとも思えるが、違和がある。

「でもそれは、自己満足なんじゃ?」

 先ほど修練は、罪の十字架と言った。それを取り払いたいがために謝るのなら、自分のための行為でしかないのだ。それが違和感の正体だった。

「そう思われても仕方がないことだろう。他人からすれば、それにしか見えない」

 そしてその考えは、修練も半ば認めている。

「だが、謝罪の言葉を相手に述べることは、罪人の義務だろう? 私はその義務をまだ果たせていない。それは人間世界の摂理に反することだ」

 認めているからこそ、それは自分の業だと思う。
 少しの間、沈黙が二人を包んだ。緑祁は何を言えばいいのかわからなかったし、修練もそれ以上自分から話そうとしなかったためだ。
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