第9話 雌雄決する緑紫 その1

文字数 4,034文字

 九月十八日。この日の夜の便で緑祁と香恵は北九州空港に移動。彼らは福岡県北九州市のホテルに宿泊し、そこから巌流島を目指すのだ。一方紫電と雪女は同日の朝の便で山口宇部氏空港へ飛び、本州から移動することになる。両者が巌流島以外で鉢合わせないよう調整されているのだ。

「緊張するわね……」

 香恵が飛行機の中で言った。彼女は関係ないのだが、軽く動揺している。

「うん。こうして戦うとなると、どうしても心が強張るよ」

 でも肝心の緑祁の方は、もっと深刻だった。

(負けても命は取られない。でも、負けたら一生言われる気がするんだ……。紫電に負けた人物、って)

 それが嫌だという感情もある。でももっと大きいのは、

(紫電に負けたくない。ライバルに優劣つけられたくない!)

 勝負の後のことではない。勝敗についてだ。他人と交流が多くない緑祁だが、この時は負けず嫌いになった。

「大丈夫よ。緑祁なら勝てるわ」

 心配した香恵が彼のことを励ました。

「ありがとう、香恵。勝って青森に凱旋すればいいだけだ!」

 その言葉を受け取って、緑祁も弱気を見せるのをやめた。
 ホテルに着くと、ロビーに知っている顔が四人いる。

「遅かったね」

 雛臥が言った。骸、絵美、刹那も一緒である。彼らはこの勝負を見物することを選んだのだ。

「緑祁の強さは、今更語る必要なし。文句なく戦いに赴けば、勝利をもぎ取る――」
「いいや、紫電も結構強いぜ? 一人で式神三体の相手をできるんだからよ! お前はそれ見てないから、そういうこと言えるんだ!」

 どちらが勝つかどうか、話しているようだ。緑祁と一戦交えた四人は彼の強さを目の当たりにしたが、紫電の実力も実は未知数。だから勝負はどちらに転ぶか、本当に見えない。

「緑祁、今日はもう休みなさいよ! もし明日体を動かしたいなら、私たちが相手になってあげれるわ!」
「絵美、ありがとう! でも僕は休むことを優先するよ。心も体もソワソワしてしまっててね、落ち着かないんだ」

 そう言って、香恵と共に部屋に向かった。


 同時刻、既に宇部市市内のホテルにいた紫電と雪女。

「面白い番組がねえなあ。何か暇つぶしでも持ってくれば良かったぜ」

 テレビでザッピングをしながらそんなことを紫電は言うのだ。

「ドキドキはしないの?」

 緊張感に欠けているように見えたので、雪女はそう言った。すると、

「一々心拍数に悪いこと、できるかよ? 俺はこれでも医者を目指してるんだぜ? メスを握る時、震えたら手術失敗だ。動悸を抑え込む術は把握してるし、こういう勝負事にはもう慣れっこだ」

 だから、問題なく平常運転できるのである。

「そうだ雪女、霊鬼について教えてくれよ」
「と言うと?」

 もう基本的なことは彼に叩き込んだはず。だから今更伝えることは何もないと彼女は答えた。しかし、

「前に言ってたじゃねえか? この世で一番霊鬼を使いこなせた人物! その伝記を知りたい」
「そういうことね。いいよ。彼……叢雲が今どうしているかは知らない。三年前にもう死んでるかもしれないから」

 そう断ったうえで、雪女は話を始めた。

「私の同期の友人にね、大刃と群主って子がいたんだ。彼らは若い世代の中で一番強かった。でも叢雲が霊鬼を手にした途端に、そのパワーバランスは崩壊した…」

 雪女自身は霊怪戦争にほとんど参戦してないため、彼が戦場ではどのように動いたかは知らない。でもある時、左腕を無くした状態で戻って来たことがあった。

「札使いに切られたんだって。そしたら私の兄が彼の義手を作ることになったんだけど、それを彼はぶん投げて壊したんだ。これじゃあ戦地に戻れない、って言って。だから生活性を完全に廃した戦闘用の義手を兄と私が設計して制作して……」

 彼女は、『月見の会』側の生き証人。その件の彼の話を、まるで昨日のことのように話した。

「腕を切られても戦ったのか?」
「寧ろ、義手を作ってもらえて良かった、って言ってたよ」

 ここで、雪女にもわからないことが一つあった。

「霊鬼が憑依する対象に何か影響を与えることは紫電も知ってるよね? でも私には未だに理解できないことがあるんだ」
「何だ?」
「霊鬼が憑依している状態で性格が変わるならまだわかる。でもその彼は、平常時の性格が変わったんだ。霊鬼なしなのに、だよ? あり得ないでしょう? それにだよ、大刃と群主だって霊鬼を手にしたのに、叢雲を上回ることはなかったんだ」
「いや」

 と紫電は答える。

「俺にはわかる気がするぜ。戦争、その勝利への想い。きっとどんな感情よりも重く深いんだろうな。霊鬼は戦争のための道具じゃないんだ。雪女の兄貴の発明は、勝負に勝つことのためにある! だからだろうな。同級生に劣ってたことが重要だったんだ」

 劣情が、霊鬼に対する適性を生んだのだろうと紫電は推測する。

「だからソイツ、俺と同類だぜ。俺も緑祁に負けたくないって思ってる。同じ、誰かに対してコンプレックスを抱いている人物。だから霊鬼を操れたんじゃねえのか?」
「それが答えなのかな……?」

 霊鬼の発案者……雪女の兄はもう故人なのでわからない。でも紫電の言葉には説得力があり、彼女はそれで納得した。


 九月二十日の朝が来た。

「よし。じゃあ出発しようか」

 ホテルを出ると絵美たちがいたので、合流して門司港に進む。そこで船に乗って巌流島を目指すのだ。

「調子はどうだ、緑祁?」
「九時間寝たからバッチリだよ!」

 好調だ。香恵と話していたら緊張が和らいだので、夜もちゃんと寝られたし食事も喉を通った。
 紫電と雪女は二人で下関港に行く。

「潮風が心地よいね」

 雪女が風を浴びながら言った。

「いい風だ。勝利を運んでくれるぜ、これは」

 緑祁も紫電も、自分が勝つことを信じて疑わない。


 ダイアの都合上、緑祁たちの方が先に島に上陸した。

「あ、長治郎さん。久しぶりです」

 今回の勝負における審判を、鬼越長治郎が務める。

「お前か。長崎では色々あったな。疑ってしまったこと、改めて済まないことをした」
「いいですよ、もう過去のことです。今日はよろしくお願いします」
「ああ。公正なジャッジをするから、それは任せてくれ」

 またこの時、緑祁は長治郎の横にいる四人組に気が付いた。

(誰だろう? 僕のことを睨んでいるけど……?)

 彼には知る由はない。この四人は琥珀たちである。彼らもこの勝負を見届けるために、この日上陸したのだ。

「あとは紫電が来るまで待つだけだ。下関からの船は九時四十五分に出発だからもうそろそろ……」

 長治郎が腕時計で時間を確かめている際、その二人組が遠目に見えた。

「あれは、紫電じゃないか! 隣にいる別嬪は誰だ? 絵美や香恵に負けず劣らずだ」

 最初にそれに気づいたのは骸。そして一人が発見すれば、全員そちらを見る。
 ゆっくりと紫電はこちらに向かって歩いて来る。

「小岩井紫電、だな? 初めまして。俺は今回の審判をさせてもらう、鬼越長治郎だ」
「よろしくだぜ」
「そちらのお嬢さんは誰だ?」
「あまり関係ねえよ。俺の家の新しいメイドを連れて来ただけだ」

 適当に言って茶化した。

(紫電……!)

 もちろん緑祁は彼のことを見る。それに気づいたのか紫電も緑祁に視線を送り返す。

(この勝負……絶対に勝つ!)

 二人は同じことを思った。


 島には多目的広場があり、今日はここを貸し切って競戦を行う。ギャラリーは端っこに移動し、勝負の行く末を見守るのだ。

「ルールを改めて確認する。二人とも、数珠は持ってきたか?」

 既に両者共に、腕に通してある。

「ではその他、細かい規則をチェックする!」

 言われた事項に頷いたり返事したりする二人。細かいことはあまり重要ではない。相手の命を奪わないこと、第三者に手を出さないこと、そして命繋ぎの数珠が切れた方が負けであること。留意すべきはこれぐらいである。また紫電は霊障の関係上、特別に武器…ダウジングロッドの所持が認められる。

「酷い怪我を負わせるのも、禁止だ。この島には病院がないからな」
「それなら、私の霊障で治せるわ」

 香恵が言ったら、

「おお、お前は慰療(いりょう)を使えるのか!」
「え? あの霊障、名前があったの?」

 彼女がわからなかったのも無理はない。香恵がこん睡状態であった一年間の間に【神代】が新たに認知し設定した霊障なのだから。

(長かった……)

 紫電は思った。四月にライバル心が芽生えたが、その時は決着をつけられなかった。その後偽緑祁と戦ったりしたが、それも白黒をつけれてない。だからこうして【神代】に直談判し勝負を取り決めたのだが、空蝉たちを負かす必要があった。
 でも指定された条件は全てクリアした。だからこそ彼は今こうして巌流島に立っている。

 そしてそれは、緑祁も同じ。

(今日、僕と紫電のライバル関係に決着がつくんだ。思えば最初はお互い顔も名前も知らなかったのに、よくここまで来たよね……)

 もしも運命を神が創っているのなら、二人の宿命は四月に巻き合い、そして今や螺旋を成しているに違いない。もう赤の他人同士ではない。複雑に運命の糸が絡まった相手なのである。

「……俺を含めて一、二、三……十一人がこの勝負を見守っている。だから勝敗を誤魔化すことはできないぞ? 制限時間はなし! では、もったいぶる必要もないな、始めよう!」

 まずはお互いに握手をする。

「よろしくね、紫電!」
「緑祁、手加減はいらねえぜ。全力でかかってきな!」
「もちろんそのつもりだ。命懸けで、勝負するよ!」
「俺もだ!」

 手と手が触れ合った時、お互いの感情と霊感が流れ込んできた。

(紫電……。やっぱり勝負への想いは僕よりも強い!)
(そうか、緑祁も自主トレをしていたんだな。鍛錬しているのは俺だけではなかったわけだ)

 熱い握手を交わしたら、数メートル離れて位置に着く。それを確認した長治郎は広場の端に進み、スターターピストルを構える。腕時計と睨めっこし、時間が来たら……。

 パン、と銃声が鳴った。勝負開始の合図だ。
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