第6話 過去の苦難 その1
文字数 2,219文字
家に戻って最初に香恵が緑祁にかけた言葉、それは感謝の意である。
「ありがとう。また、緑祁に救われたわ。そちらがいなければ今頃私は、あの子に絞め殺されていた…」
「………」
対する緑祁は、香恵に顔を向けない。首も動かさない。
次に香恵は、彼のやり過ぎた行いを咎めるべきかどうか悩んだ。
(もし私が声をかけて手も伸ばさなかったら、緑祁はあの子を本気で殺していた?)
違うと言いたいが、そう否定することができない。
「……ごめん、香恵。僕はあんまり怒らないけど、キレると自分を見失っちゃうんだ……」
「それは人として当たり前よ。怒るってそういうことだわ。別に緑祁だけが特別ってわけじゃ……」
ここで香恵の慰めは途切れる。何故なら彼女は、緑祁の元を訪れるにあたって、過去に何があったのかを調べ、知っているからだ。ただ単に幽霊が見えることを煙たがれ敬遠されただけではないのである。
緑祁の実家は、大間町にある。そこで中学生まで育った。高校からは親元を離れ、青森市に出たのだ。両親は経済的にはやや裕福だったが、霊能力はなかった。
「お母さん。あのベンチに座っている人は誰?」
幼いある日公園を指差して緑祁は言ったが、そこには誰もいない。
「いやねえ緑祁、よく見てごらんなさい。誰もいませんよ?」
「ううん、包帯を巻いた人が、悪そうな顔で座ってるよ?」
この時、母は霊能力の疑いを持った。近くのお寺に緑祁を連れて行き、その有無を確かめた。
「本物ですよ、奥さん」
結果、緑祁の力が発覚するのだった。
自分には霊能力がある。そのことを自覚しても緑祁の生活は特に変わらなかった。自分にしか見えない幽霊がいるのは確かだが、生気の有無で人間か幽霊かを判断できたので、独り言の多い変なヤツとも思われることはなかった。
それに緑祁自身、普通の生活を望んでいた。だから毎日学校で友人と顔を合わせて、一緒に勉強したり運動したりする。時には公園や家で遊ぶ。霊能力を発展させることは、二の次でいい。それに日常に霊能力はいらない。普通の一般人として日々を過ごすためにも、誰にも言わなかった。
そういう生活を中学までは続けることができた。
だが中学三年の夏休みのことだ。
「肝試しに行かないか?」
その日、緑祁と同級生は学校の自習室で勉強していた。
「いいね。行こう」
受験生だから勉強付けの生活をし、ちょっと刺激が足りない、気分転換をしたいと思っていた時にこの話が緑祁にも回って来た。
(僕は全部見えるけどね。でも黙っていよう)
面白がって軽々しく緑祁は、
「僕も行くよ」
と返事をする。いや、してしまう。その結果が人生の歯車を狂わせるとも知らずに…。
目的地は、山奥の山荘だ。緑祁を含む六人は暗くなった林道を懐中電灯を頼りに歩いていた。
「ここ、数十年前に殺人事件が起きたらしいぜ? 何でも、斧を持った犯人が、生きたまま人の首をはねたんだとよ!」
「ひいい、怖ぇ…!」
曰く付きらしいが、緑祁にはそんなに危ないところでないことがわかっていた。理由は簡単で、被害者の霊も、そこで自殺したという犯人の霊も見えないからだ。
「誰から行く?」
「えぇ?」
「肝試しなんだぜ? みんなで行って……ってのじゃつまんねえだろ?」
「そうだな。ようしジャンケンだ」
「ポン!」
運が悪いことに一番に緑祁が負けた。でも逆に彼からすれば、先に安全かどうかを確かめられる。予め何かが起きないようにできる一番になったために、運が良かったとも言える。
「ようし! 緑祁、レッツゴー!」
「オッケー!」
山荘はかなり荒れ果てている。事件に関する霊はいなくても、普通の幽霊がいることに変わりはない。
「ごめんね。むにゃむにゃ……」
読経して回ることで、幽霊に立ち去ってもらう。安全を確保すると、みんなのところに戻る。
「遅かったな! ビビッてちびったか?」
「まさか! そっちこそ、僕がもっと遅ければいいって思ってたんじゃない?」
「言うじゃねえか」
肝試しは順調だった。緑祁の手で危険を排除してあるので、雰囲気だけで何も起きない。
そしてここで終われば、幸せだった。
「おい、あっちにも行ってみようぜ」
突然友達が、予定にないことを言ったのだ。
「あっち、って?」
もちろん緑祁は疑問を抱く。
「トンネルがあるんだよ。閉鎖されてんだけどさ、行こうぜ?」
「行こう行こう! どうせ何にも出やしないぜ!」
霊的な現象に遭遇していないが故に、勇気が生まれてしまった。
「………」
実を言うと、緑祁はそこに行きたくなかった。
(あそこはヤバいよ。この山荘とは比べ物にならないんだ……)
既に霊的な知識のあった彼は、【神代】を通して地元の霊的危険地帯を耳にしていた。
正確には、トンネルではない。炭鉱の入り口だ。石炭が求められる時代が終わり、ちょうど度重なる落盤事故もあって閉鎖されたのだ。
(見たことはないけど、犠牲者を祀っている祠があるらしい……。でも気安く近づいちゃ駄目だ)
それは死者の魂の冒涜に近い行為で、絶対に霊から反感を買うのだ。なので、
「予定にないよ。今日はもう帰ろう」
引き上げるよう言ったが、
「何だ緑祁? 怖いのか? さてはチキンだな? 男ならここで、帰る、なんて言わないはずだぞ?」
このタイミングでそれを言っても誰も頷いてくれなかった。寧ろ帰りたいなら一人で帰れとまで言われたぐらいだ。
(僕も行かなきゃ…)
何かがあっては困る。だから緑祁も同行した。
「ありがとう。また、緑祁に救われたわ。そちらがいなければ今頃私は、あの子に絞め殺されていた…」
「………」
対する緑祁は、香恵に顔を向けない。首も動かさない。
次に香恵は、彼のやり過ぎた行いを咎めるべきかどうか悩んだ。
(もし私が声をかけて手も伸ばさなかったら、緑祁はあの子を本気で殺していた?)
違うと言いたいが、そう否定することができない。
「……ごめん、香恵。僕はあんまり怒らないけど、キレると自分を見失っちゃうんだ……」
「それは人として当たり前よ。怒るってそういうことだわ。別に緑祁だけが特別ってわけじゃ……」
ここで香恵の慰めは途切れる。何故なら彼女は、緑祁の元を訪れるにあたって、過去に何があったのかを調べ、知っているからだ。ただ単に幽霊が見えることを煙たがれ敬遠されただけではないのである。
緑祁の実家は、大間町にある。そこで中学生まで育った。高校からは親元を離れ、青森市に出たのだ。両親は経済的にはやや裕福だったが、霊能力はなかった。
「お母さん。あのベンチに座っている人は誰?」
幼いある日公園を指差して緑祁は言ったが、そこには誰もいない。
「いやねえ緑祁、よく見てごらんなさい。誰もいませんよ?」
「ううん、包帯を巻いた人が、悪そうな顔で座ってるよ?」
この時、母は霊能力の疑いを持った。近くのお寺に緑祁を連れて行き、その有無を確かめた。
「本物ですよ、奥さん」
結果、緑祁の力が発覚するのだった。
自分には霊能力がある。そのことを自覚しても緑祁の生活は特に変わらなかった。自分にしか見えない幽霊がいるのは確かだが、生気の有無で人間か幽霊かを判断できたので、独り言の多い変なヤツとも思われることはなかった。
それに緑祁自身、普通の生活を望んでいた。だから毎日学校で友人と顔を合わせて、一緒に勉強したり運動したりする。時には公園や家で遊ぶ。霊能力を発展させることは、二の次でいい。それに日常に霊能力はいらない。普通の一般人として日々を過ごすためにも、誰にも言わなかった。
そういう生活を中学までは続けることができた。
だが中学三年の夏休みのことだ。
「肝試しに行かないか?」
その日、緑祁と同級生は学校の自習室で勉強していた。
「いいね。行こう」
受験生だから勉強付けの生活をし、ちょっと刺激が足りない、気分転換をしたいと思っていた時にこの話が緑祁にも回って来た。
(僕は全部見えるけどね。でも黙っていよう)
面白がって軽々しく緑祁は、
「僕も行くよ」
と返事をする。いや、してしまう。その結果が人生の歯車を狂わせるとも知らずに…。
目的地は、山奥の山荘だ。緑祁を含む六人は暗くなった林道を懐中電灯を頼りに歩いていた。
「ここ、数十年前に殺人事件が起きたらしいぜ? 何でも、斧を持った犯人が、生きたまま人の首をはねたんだとよ!」
「ひいい、怖ぇ…!」
曰く付きらしいが、緑祁にはそんなに危ないところでないことがわかっていた。理由は簡単で、被害者の霊も、そこで自殺したという犯人の霊も見えないからだ。
「誰から行く?」
「えぇ?」
「肝試しなんだぜ? みんなで行って……ってのじゃつまんねえだろ?」
「そうだな。ようしジャンケンだ」
「ポン!」
運が悪いことに一番に緑祁が負けた。でも逆に彼からすれば、先に安全かどうかを確かめられる。予め何かが起きないようにできる一番になったために、運が良かったとも言える。
「ようし! 緑祁、レッツゴー!」
「オッケー!」
山荘はかなり荒れ果てている。事件に関する霊はいなくても、普通の幽霊がいることに変わりはない。
「ごめんね。むにゃむにゃ……」
読経して回ることで、幽霊に立ち去ってもらう。安全を確保すると、みんなのところに戻る。
「遅かったな! ビビッてちびったか?」
「まさか! そっちこそ、僕がもっと遅ければいいって思ってたんじゃない?」
「言うじゃねえか」
肝試しは順調だった。緑祁の手で危険を排除してあるので、雰囲気だけで何も起きない。
そしてここで終われば、幸せだった。
「おい、あっちにも行ってみようぜ」
突然友達が、予定にないことを言ったのだ。
「あっち、って?」
もちろん緑祁は疑問を抱く。
「トンネルがあるんだよ。閉鎖されてんだけどさ、行こうぜ?」
「行こう行こう! どうせ何にも出やしないぜ!」
霊的な現象に遭遇していないが故に、勇気が生まれてしまった。
「………」
実を言うと、緑祁はそこに行きたくなかった。
(あそこはヤバいよ。この山荘とは比べ物にならないんだ……)
既に霊的な知識のあった彼は、【神代】を通して地元の霊的危険地帯を耳にしていた。
正確には、トンネルではない。炭鉱の入り口だ。石炭が求められる時代が終わり、ちょうど度重なる落盤事故もあって閉鎖されたのだ。
(見たことはないけど、犠牲者を祀っている祠があるらしい……。でも気安く近づいちゃ駄目だ)
それは死者の魂の冒涜に近い行為で、絶対に霊から反感を買うのだ。なので、
「予定にないよ。今日はもう帰ろう」
引き上げるよう言ったが、
「何だ緑祁? 怖いのか? さてはチキンだな? 男ならここで、帰る、なんて言わないはずだぞ?」
このタイミングでそれを言っても誰も頷いてくれなかった。寧ろ帰りたいなら一人で帰れとまで言われたぐらいだ。
(僕も行かなきゃ…)
何かがあっては困る。だから緑祁も同行した。