第6話 突風と激流 その3

文字数 4,404文字

 結局、絵美がオッケーサインを出したのはそれから四十分後のこと。

「では二人とも、位置について!」

 今回も骸が審判を務める。

「そういえば僕は、絵美とは手合わせしたことがなかったよ。激流を操ることは知ってるけど、どれくらい強力なんだい?」
「……長崎にいたのはあなたの寄霊の方だったものね。でも私、あなたのその偽者に負けてるのよ? それが心地よいことに聞こえる?」
「いいや……」
「私も刹那と同じ、あなたに負けた人! 今度は絶対に負けないわ!」

 刹那とはまた違った戦う理由が、絵美にはある。

「おや、月明かりが? 曇ってきたな……。まあ、いいか。それでは始め!」

 ゴーサインを骸出すと、勝負が始まる。

(そもそも鉄砲水と激流の違いって何だ……?)

 後ろに下がりつつ、緑祁は疑問に思った。

 刹那は旋風ではなく、突風。
 雛臥は鬼火ではなく、業火。
 骸のは木綿ではなく、木霊。
 そして今相手をする絵美。彼女は鉄砲水ではなく、激流。似て非なる物だから呼び名が違うのだろうか? それともそれ以上の意味があるから分けられているのか?

(とにかく今は、勝負に集中しないと!)

 それは勝負の後に聞けばいいので、今は戦いに専念する。

「行くわよ?」

 絵美が指をパチンと鳴らしただけで、一瞬で巨大な水の玉が出来上がる。それを緑祁に向けて撃ち込んだ。でも、逃げられないわけではない。緑祁は旋風を繰り出しそれに乗って横に飛び、避けた。

(それでいいわ。どうせこれは当たらないと思ってたのよ! それに今の目的は緑祁にダメージを与えることじゃないから!)

 目標を失った水の玉は、地面に当たる。その時に水が跳ね、辺りがびしょ濡れになった。水溜りは渇いたグラウンドに、薄くだが広がる。

「これか!」

 一瞬で緑祁は理解する。出遅れたことに。
 突如、彼の目の前に大きな水の柱が出現した。

「偽者がやってたことよ? 私にだってできるわ!」

 絵美が地面を濡らしたのには、理由がある。彼女は周囲の水を自在に操れるので、こうして水を柱のように上に飛び出させることが可能。そしてそれは周りが濡れていればそれだけ範囲が広がる。

「これは……!」

 緑祁は自分の鉄砲水で上塗りしようとしたが、それを拒むかのように地面を濡らす水が飛び出して彼の鉄砲水を飲み込んでしまうのだ。

「さあ緑祁! 水は形が決まってないわ! それが何を意味するか、わかる? 自由自在なのよ!」

 彼女の両手のひらから激流が飛び出した。それはまるで消防車の放水のようで、勢いよく緑祁の方に向かって真っ直ぐ飛んだ。

「僕も……」

 対する緑祁も鉄砲水を繰り出す。さっきの刹那との対戦では、突風使いの彼女に対し最初に出したのは旋風だった。だから今度も同じ霊障…彼の場合は廉価版だが、鉄砲水がいいと思った。しかしそれは陳腐な発想で、完全に彼の鉄砲水の方が押し負けている。

「ヤバい!」

 撃ち合いは早々に諦め、横に逃げた。今、一秒でも足が遅かったら、緑祁は流されて塀か木の幹に叩きつけられていただろう。

(水では駄目だ! 絵美を倒すには、鉄砲水では役不足なんだ……)

 作戦の練り直しに迫られる緑祁。ここはあえて鬼火で攻めてみる。

「それっ!」

 火球を放った。当然絵美の操る水に消火されてしまうが、この時白い煙が生じた。

(…!)

 その煙は夜風に揺られながら空気に溶ける。これを見ていた緑祁は、あることを閃く。

(蒸気までは操れない! 絵美の激流の範囲外なんだ!)

 それは鉄砲水を操作できる緑祁も同じことだが、彼には旋風がある。だから空気の流れをコントロールすることで、間接的に蒸気は操ることが可能。
 緑祁は鬼火を育てた。

「そんなもので何する気よ?」

 途中、絵美から妨害を受ける。しかし火球を手放さず、激流を横にジャンプしてかわす。
 バスケットボールくらいの大きさになったので、これを絵美に向け、

「いっけええ!」

 撃った。

「馬鹿ね。そんなチンケな炎が私に届くとでも?」

 やはり激流は水の勢いが凄まじい。一瞬で鬼火は消失した。だがその時、熱は激流の一部を水蒸気に変えた。

「今だ! こっちが本当の攻撃さ!」

 すぐに旋風を起こし、その蒸気を風で運んで絵美へ届ける。霊障の合わせ技だ。

「な、何……!」

 突如熱波が襲ってきたので、彼女は困惑している。

「あ、熱ぅっ!」

 当然だ。蒸気は百度近くあるのだから。

「ど、どうだい…! これで……」

 しかし、

「効かないわよ」

 絵美は無傷だ。

「水蒸気を使うって発想はいいわ! でも、思考力が足りなかったようね。あなた、目に見えている白い煙が水蒸気だとでも思ってる? これは冷やされた湯気…水の粒よ? いい? もう既に液体に戻ったの。なら私の管轄内」

 認識違いだった。緑祁が水蒸気だと思っていたのは湯気で、しかも絵美はそれを操ることができていた。湯気はまた空気に溶ける。

「今度は私から行かせてもらうわ!」

 水の柱が建った。それは緑祁の足元目掛けて連続で、まるで壁を築くかのように出現する。

「ええい、鬼火! 旋風!」

 二つの霊障を迫りくる水に向けて使ったが、どれも水の壁を砕くには至らない。

「ならば、火災旋風だ!」

 旋風に鬼火を乗せて赤い竜巻を生み出し、二つの霊障を組み合わせる。

「それぐらいなら、飲み込めるわよ!」

 自信満々な絵美。炎では水には勝てないという常識が、彼女の心を支えているのだ。

「終わりだわ!」

 一気に激流を、緑祁へ流し込む。

「どうよ、緑祁! えっ……。緑祁?」

 勝ったと思った直後に絵美は困惑。それもそのはずで、その場所に緑祁がいないからだ。激流が押し流したにしては、距離が長すぎる。

「どうなって………」

 キョロキョロして探したが、周囲にはいない。
 その時、彼女はバシャンと水を頭にかぶった。

「ええ?」

 緑祁は、上にいた。

「うおおお、うああああ!」

 火災旋風が生んだ上昇気流に乗って、上に逃げていたのだ。そしてその上から鉄砲水を繰り出して絵美へ攻撃したのである。
 地面に上手く着地する緑祁。火災旋風に乗ることはリスクもあり、服の端が少し焦げてしまっている。

「熱かったよ。でもさっきの激流の壁、くらったら間違いなく負ける! それなら危険を冒しても、上に逃げるしかないんだ!」

 顔を濡らす水を手で拭って絵美は、緑祁の方を見た。

「中々の覚悟じゃないのよ! 見直したわ」

 だがこれで勝負を譲るほど、彼女も甘くない。

「緑祁……。鉄砲水と激流の違いを知りたいでしょう?」

 話しかけているというのに、絵美の顔は緑祁の方を向いていない。曇っている夜空の方を見ているのだ。

「威力が違うんじゃ?」
「それはそうね。でももっと重要な、決定的な相違があるのよ」

 それは、何か?
 雨が降り出した。

(通り雨かな? すぐ止むと思うけど……)

 緑祁の頭の思考回路が、そこで止まる。今考えるべきことはそれではないと、本能が告げているのだ。

(雨…? そうか、そういうことか!)

 絵美と同様、見上げる。
 雨はにわか雨であり、結構な勢いで降り注いでいる。時間にして数分程度しか降らないだろう。だが自然現象のはずの雨に不自然な要素がある。
 それは、緑祁に向かって降っているということだ。彼の周りの地面は雨によっては全然濡れていない。立っている足元だけに、雨による水溜りができている。

「わかったよ、鉄砲水と激流の違いが」

 鉄砲水は、自分が霊力で生み出した水しか操れない。
 だが激流は、自分の周りの水を自在に操れる。それが自分が生み出したかどうかは問わないのだ。だから雨が、緑祁を狙って降っている。

 この違いは鬼火と業火、旋風と突風、木綿と木霊にも当てはまる。業火なら炎、突風なら風、木霊なら草木……最初から存在している場合でも支配下に置けるのが、その霊障の特徴だ。

(だから絵美は、すぐに勝負を始めなかったんだ。天気予報かそれとも湿度を感じ取ったのか、雨が降り出しそうなことを知っていた。勝負の最中に降り出すよう、時間を微調整したんだ……。おかげでずぶ濡れになっちゃった……)

 してやられた。これだけでも結構な敗北感がある。

「でも! まだ負けたわけじゃないよ! ここからが最後の戦いだ!」
「ええ、そうよ! かかって来なさい!」

 緑祁は駆け出す。雨の邪魔こそあるが、一歩踏み出す。しかし服が異様に重く感じる。

(まさか、服が吸ってしまった水分すらも操作できるのかい? この重さ、濡れたからじゃないよ……下に引っ張られる感触だ!)

 おそらくその読みは正しい。足取りが急に鈍くなったのだ。

「遅いわ!」

 絵美は直径一メートルほどの水の玉を作り出し、それを緑祁目掛けて撃ち出した。正真正銘最後の攻撃。

(これが当たれば……いや、今の緑祁はカタツムリより遅いから、当たる! そうなれば私の勝ちだわ!)

 水の玉のスピードはそれほど速くはないが、足を動かすのに難儀している緑祁では避けられないだろう。

「そうかな? 僕はもうこの状況を攻略した!」
「できるもんですか!」

 そう叫んだ絵美だったが、直後に信じられないことが起きる。
 何と緑祁の体が凄まじい速度で動いたのだ。

「え、えええええ! 嘘でしょ……! ど、どうして!」

 彼は水の玉を避けると一気に絵美の前まで迫り、拳を握りしめて彼女の眼前に殴り掛かった。

「いやっ!」

 しかし、寸前のところで緑祁の手は止まった。

「殴れないよ……」

 整った顔に手を加える感じがして、罪悪感しか生まれないので寸前でピタリと止めたのだ。それでも絵美は、

「あ、ああ……」

 恐怖で震え足元がおぼつかなくなり、倒れ尻餅を着いた。


「そ、そこまで! それでやめ、だ!」

 骸のジャッジが下る。この勝負、緑祁の勝ちと彼は判断した。

「大丈夫かい、絵美?」

 手を差し伸べて彼女のことを立たせる。

「どうしてあんなに速く動けたの? 私が操った水が邪魔だったはずよ?」
「ああ、それね…」

 緑祁は自分の背中を彼女に見せた。服が焦げている。

「火災旋風を使ったんだ。僕の体を軽々と持ち上げられるんだ、前に押し出すことだってできるさ。絵美が雨すら操ったのは驚いたけど、僕にだけ向けて降っていたから、火災旋風を後ろに作り出すことができたんだ」

 事実、普通に雨が降っていたらその手はできなかったであろう。雨は鬼火をかき消してしまえるからだ。でも絵美が、緑祁にだけ向けて集中豪雨を降らせたからできた。

「それじゃあ、完敗だわ……」

 自分の作戦を逆手に取られた絵美は、負けを認めた。

「でも」

 緑祁は言う。

「でもさ、この辺には水がないじゃん。雨は降ったけど、本当にそれだけ。もしも水辺が近かったら、僕に勝ち目はなかったよ」

 これは誇張ではない。その言葉を受けて絵美は、

「もし場所がそこなら、絶対に負けてないわよ!」

 ここぞとばかりに強がった。それを聞いて緑祁は笑い、つられて絵美も笑った。
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