第1話 沈没する意気 その1

文字数 4,660文字

 この九月が終われば、もう大学が始まる。またキャンパスの中を忙しく動き回り、実験をし講義も受け、家に帰れば課題をこなす。年度末には試験勉強もしなければならない。

「緑祁の大学はどうなっているの?」

 藤松香恵が、永露緑祁に尋ねた。というのも大学によっては研究室の配属が、四年からではなく三年の秋学期から始まることがあるためだ。時期的に言えば、今がそのタイミング。

「僕の大学は、四年からだよ。だからまだ、研究室生活とかは始まらないんだ」

 彼はそう返事した。

「そうなのね。狙っている研究室とかはあるの? 成績は大丈夫?」

 研究室の配属は成績で決まる。緑祁の学業成績は悪くはないため、希望通りになるだろう。

「害虫学の研究室に希望を出すよ」
「あれ緑祁……。虫、好きだったっけ?」
「違うけど……。でも、その研究室はコアタイムが緩いんだ。だから【神代】の依頼や命令に支障が出ない」

 しかし一方で彼が望んでいる研究室は、大学院への進学を執拗に迫ってくるという噂がある。教授の圧が凄いらしい。

「内部進学については試験や面接は結構楽らしいから、大学を卒業してすぐに就職するよりもそっちに進むのもアリ、かな?」

 今、すぐに決める必要はない。研究室で学んだ結果、それが面白いと感じたのなら大学院に進めばいいし、そうでなかったら就職すればいい。

「緑祁の人生なんだから、自由に決めなよ。誰かに道を作ってもらう必要はないわ。少なくとも私は、そちらの決定には文句はないわよ」

 香恵も、答えを急かさなかった。だから緑祁は、ゆっくり考えて決めることに。

「夏休みの間に、何か【神代】の仕事はないかな? 手頃なものでいいんだ、これから忙しくなるだろうし、そのためにも遠出する感じの仕事は今のうちに済ませておきたいよ」
「そうね、そうなると……」

 タブレット端末を操作して、香恵は【神代】のデータベースにアクセスした。遠くでもいいと緑祁は言ったが、あまり疲れるような旅はしたくないし旅費が大変なことになるので東日本に絞る。

「宮城県仙台市にあるみたいね」

 たどり着いたその依頼の内容は、除霊だ。別に珍しいわけではない種類。

「これにしてみる? 仙台なら新幹線ですぐだわ」
「よし、そうしよう!」

 その依頼をこなすことに決め、早速出発の準備をする。同時に香恵が、目的地である岩苔(いわごけ)大社(たいしゃ)に連絡を入れた。

「仙台か……。東北最大の都市だ。そう言えば霊能力者大会では、行けなかった場所だよね」
「私も、ほとんど通過したことしかないわ」

 ついでに観光もして行こうという話にもなる。というのも緑祁は東北地方に住んでいながら仙台を訪れたことがない。関東地方に住んでいる香恵ならなおさらだ。そして緑祁が言ったように三月の霊能力者大会では、福島までしか進めなかったので踏み込むことすらできなかったのである。
 緑祁はデスクトップパソコンで観光スポットを検索した。

「瑞鳳殿にも行きたいな。伊達(だて)(まさむね)宗の霊廟なんだ」
「ああ、あの天守閣のない城だったっけ? 隻眼の外様大名って印象しかないわ……」
「それとさ、帰りには松島にも寄ろうよ。景色が綺麗みたいだし」
「でも、震災で……」
「それがね、松島は大丈夫だったんだ。津波が来なかったわけじゃないけど、島が多くて波が分散? したらしいよ。だからそこまで大きな被害は出なかったって」

 まだ依頼を解決していないのに、観光の話だけが先に進んでいく。その際、香恵のスマートフォンにメールが送られてきた。

「何かしら?」

 確認してみると、岩苔大社からの返信だった。

「現地の霊能力者と共同で依頼をこなしてください、だって」
「ということは、他にも依頼を受けた人がいるんだね」

 それも、仙台の霊能力者……未だ見ぬ人たちなのだ。

「明日、新幹線で行くとして……。今日はもう、休みましょう」
「うん」

 荷造りは済んだので、さっさと寝ることにした。緑祁はロフトベッドで、香恵は床に敷布団を敷いて眠る。


 正午の新幹線に乗り、二人は仙台市内にある岩苔大社に向かった。林の中にある神社だ。

「さて、誰か探さないと……」

 どこから建物に入っていいのか、それを知りたい。しばらく境内をウロチョロしていると、何と幽霊がいた。

「うわっ!」
「除霊した方がいいの、これ?」

 慌てる二人、そこに、

「おや、お前たちか?」

 同い年くらいの男性が、本殿から現れた。

「緑祁と香恵、だったかな? そうだろ?」
「うん。そっちは?」
「俺も同じ仕事をこなしているんだ。名前は小野寺翔気! こっちは相棒・守護霊のマリコだ!」
「よろしくです」

 翔気は若い女性の幽霊を連れており、その自己紹介もする。

「私は藤松香恵よ、よろしくね」
「僕は永露緑祁! 翔気、どこから本殿に入ればいいの?」
「裏に回ってくれ。そこに玄関がある」

 彼に案内してもらい、本殿に上がる。

「数が多過ぎて、全く終わる未来が見えねえぜ! 夏休みが終わる方が先かもな……」
「そんなに……?」

 翔気が今担当している仕事は、お守りや護符、札に念を込めること。この大社だけではなく近い地域にある寺や神社にも配るらしく、かなり大量にノルマがあるようだ。

「それを僕たちが手伝えばいいんだよね?」
「そうだな。俺は霊障が使えない……。でもお前らは違うんだろう? なら、念じる時間も短くて済むぜ!」

 まずは客間に荷物を下ろす。案内された部屋は小さめだが、テレビがある。

「青森からはるばるようこそ仙台へ! って、俺が言えたことじゃないんだが……」
「どうして?」
「広島出身なんだ、俺。大学は杜島(もりしま)大学(だいがく)の心理学部、超心理学科に通っているが…それを学べる大学が中々見つからなくてここまで来たんだ」
「そうなのか!」

 緑祁は驚いた。翔気は高校時代に霊能力者になり、それが原因で霊能力について科学的に解明したい欲に駆られ、勉強しここまで来たのだ。対する緑祁はのほほんと農学部の大学を選んだだけ。

(霊能力の勉学か! 心霊研究家の話はよく聞くけど、彼みたいなアプローチもあるのか!)

 彼のバックボーンはその程度にしておき、緑祁と香恵は早速仕事を手伝う。

「でも一つだけ、問題ってか……厄介な点があってな」
「何、それは?」

 作業部屋に移動しながら香恵がそれについて尋ねた瞬間である。

「きゃっ!」

 突然、誰かが彼女に後ろから抱き着いてきたのだ。

「だ、誰……?」

 力加減から察するに、男性ではない。

「綺麗なお嬢さんだね、嬉しいよ。さあ、一緒に作業しようね!」
「あの、どちらさん?」

 これには緑祁もビックリだ。

「うるさい小僧だな! お前には聞いていない! 私に話しかけるな!」

 翔気が言った厄介ごととは、これである。この女性は、極端に男が嫌いで女性と仲良くしたいと思っているのだ。

 何とか由李を振りほどいた香恵は、

「……いきなり抱き着かないでよ、女性でも驚くわ……」
「おやおや、失敬! 私は八百万(やおよろず)由李(ゆり)だ。お嬢さんは、香恵であってるよね?」
「そうだけど……」
「では一緒に!」
「ま、待ってってば!」

 今度は腕を掴んで、香恵のことを廊下に引っ張ろうとした。しかしその時、

「お止めになりなさい、由李」

 また違う女性の声がする。

「育未……」

 素直に由李は、手を離した。

「そちらの殿方と姫君にも、謝るのですわ」

 彼女の名は、神輿(みこし)育未(いくみ)。良家のお嬢様であり、二つ年上の由李でも逆らえないパワーバランスがある。ニーハイソックスを履いた細い脚とミニスカートが生み出す絶対領域が自慢のようだ。

「申し訳ございませんわ。ワタクシは育未ですわ。こちらの由李と、あちらにいる……」

 育未はテーブルでお守りを黙々と作っている氏子(うじこ)絢萌(あやも)を指差し、

「絢萌とよく、一緒に行動しておりますの」
「はーい! 私が絢萌です!」

 三人の女子チームが、一緒に作業を行うということである。

「これが厄介なの……?」

 翔気の耳元で囁く緑祁。

「ガードがとにかく硬いんだ……。育未が女王みたいなチームでさ、挨拶するのにも一苦労だぜ……。おまけに、由李はまともに話もしてくれねえわ、絢萌は無駄に絡んでくるわ……」

 要するに性格に難があるということ。ただ彼曰く、根は悪い人たちではないらしい。
 改めて自己紹介する際、由李はずっと香恵のことを見ていた。

「髪は長め、体は細め、胸は控えめ……!」
「由李、あの姫君には手は出してはいけませんわよ? それくらい、わかっていまして?」
「…………わかっているよ」

 かなり不本意な返事。トーンでわかる。

「それから、絢萌も! あちらの殿方のことをからかわないんですのよ?」
「はーい!」

 こちらは理解しているのかどうか判断に困る返事だ。

「おや、誰か来るとは聞いていたけど……。その二人なのですか?」

 ここで、逆巻(さかまき)峰子(みねこ)が現れた。彼女はここの神主の親戚で、この仕事を仕切っているのだ。

「はい、私は香恵です。こちらが、緑祁です」
「そうなのですね。短い間でしょうが、よろしくお願いいたします」

 礼儀正しく、そして綺麗な人である。

「翔気、あの人はどうなの?」
「唯一の善良心だよ。あの三人とは天地の差!」

 こんな空気の悪い空間でも、それを打破してくれるというのだから頼りになりそうだ。

「緑祁……ですね。聞いたことがある気がしますが……」
「そうですか?」

 意外にも、峰子は緑祁のことを知っていた。しかしどうして知っているのかは、わからない。彼もそれについて追及しなかった。

「では、今日はもう夕方ですから、夕食にしましょう。それが終わったら、夜の作業をしましょう」

 食堂に案内される。緑祁は翔気の向かいに座った。彼の後ろには、幽霊のマリコが常にいる。

「背後霊みたいだね……」
「ん、マリコのことか? ま、そんな感じだな。でも悪さだけはしないぜ!」
「式神にはしないの?」

 香恵が懐から和紙を取り出して、言った。霊能力者は人間の幽霊から式神は作れない。しかし【神代】の情報網を使えば、式神専門の人材……式神召喚士とコンタクトが取れるだろう。そうすれば、マリコの魂から式神を作ってもらえる。そうした方が、先ほどの緑祁と香恵みたいに赤の他人の霊能力者に突然除霊をされそうになることは無くなるはずだ。

「それも前は考えた。でも、式神になるということは、記憶……生前や死後に見たこと聞いたことを全て失うということだ。それは、マリコの人生を否定することになる。だから、それだけはしないって決めてるんだぜ」

 あまり関係がないことだったために、緑祁も香恵もそのことをすっかり忘れてしまっていた。

「そうだったのね。ごめんなさい、変な提案をしてしまって……」
「気にすんなよ! 飯が不味くなるぜ」

 夕食が終わると、九時まで作業だ。

「お守りの制作は、俺と誰がする?」
「私が、やるわ」

 香恵が名乗り出た。除霊の方は緑祁に任せる。

「なら私も!」

 由李も手を挙げた。

「はあ、由李……。アナタ、やっぱり理解していませんわね……。絢萌、見張っておきなさい」
「了解だよ!」

 除霊は緑祁と育未が行うことに。倉庫にしまってある曰く付きの品物を、除霊し邪気を祓うのだ。

「おい、小僧! 育未に何かあったら許さんぞ! 覚悟したまえ!」
「何もしないよ……! そっちこそ、香恵に何かしたら!」

 二人は今日会ったばかりなのにもう犬猿の仲。香恵も由李には苦手意識が既に芽生えている。

「倉庫は廊下を真っ直ぐ進んで、それから右に」
「わかりました。峰子さんは何を?」
「お風呂を沸かしてきます」

 そう言って、反対側の廊下の方を進んでいった。
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