第18話 浅葱の輪舞曲 その1

文字数 5,190文字

「ねえ、返事が聞こえないんだけど? 聞いてるの、緑祁? それともあんたの研究室……いいえ大学が、どうなってもいいワケ?」

 蒼は念を押した。

「くっ……!」
「早くしなさい! 三時間以内よ? 一秒でも遅れたら………」

 正直、かなり厳しい。紅との戦闘は激しかったし、疲れた。だが蒼は彼に休む暇を与えたくないのだ。

「もう一度、言った方がいいのかしら!」
「今から、行くよ。それまで何もしないで待っていてくれ!」
「それでいいわよ。さあ、今すぐ来なさい! もちろん、負けに、ね!」

 大間町から緑祁が通っている大学……新青森まで、かなりの距離がある。蒼はそれをわかってて彼を急かしているのである。
 蒼は緑祁に、紅のスマートフォンの電源は入れたままにしろと命じた。きっとGPSで動きを把握したいのだろう。不自然に休憩を取れば、すぐに看破される。

「どうやって行く、緑祁? 飛行機やヘリコプターは無理だ、近くにはねえ。俺の車で行ってもいいが、三時間くらいはやっぱりかかるぜ」

 電車はまだ始発まで時間があって無理だ。

「長距離移動を強いてくるわね……。[ライトニング]と[ダークネス]は、丸一日くらいは休ませたいわ」

 グズグズしている暇はない。だが、中々決まらない。

「ねえ紫電、あれはどう?」

 そこで雪女が指を差した。その先には、海を進む船が一隻ある。

「平舘海峡を突っ切るってことか!」

 彼女が何を言いたいのか、すぐに理解する紫電。下北半島と津軽半島の真ん中を移動するプランだ。

「それなら確かに、距離的に陸路よりは短いわね。それだけ疲労感も回避できるわ」
「問題は、船の操縦は誰がするか、船をどうやって調達するか、だけど……」

 しかし雪女が指摘する心配は、問題ない。紫電の資金力でどうにか解決する。

「よし、わかった! 香恵と緑祁! 船で新青森に向かえ! 雪女と俺は、車で新青森に向かう! 途中で紅の身柄を【神代】に渡すが、それほど時間はかからないはずだ、すぐに合流できる!」

 車で向かえば、百五十キロ前後だ。しかし海路を使えば八十五キロ程度まで短くできる。その分移動にエネルギーを割かずに済む。
 紫電は運賃としてコンビニで何回かに分けて大金を下ろし、封筒に入れて香恵に手渡した。

「先に行くよ、紫電!」
「ああ!」

 どうにか漁船の船長とは話をつけることができ、緑祁と香恵は船で新青森に向かう。紫電と雪女は再び車で移動だ。
 夜明け前の海は穏やかだった。だからこそ、漁船はスピードを上げる。蒼からの苦情が入って来ないので、向こうも二人の移動は把握しているはずだ。

「うう………」

 香恵の顔色が悪そうだ。どうやら彼女は揺れる乗り物に弱いらしく、バッグからビニール袋を取り出し握りしめている。

「香恵、大丈夫かい?」
「気分の悪さは、薬束では治せなさそうだわ……。吐き気が止まらない…」
「なら、漁師さんに頼もう。時間には余裕があるんだし、速度を落としてと」
「それは、遠慮するわ…。緑祁、今は蒼と戦うことだけを考えて……。最優先事項は、新青森に素早く到着することよ………」

 しかし香恵は緑祁の提案を拒んだ。迎え撃つ準備を過剰にさせたくないので、蒼にあまり時間を与えたくないのだ。そのことを緑祁も察したので、

「わかったよ。なら上陸したら香恵は、気分が良くなるまで休んで。僕だけでも、大学に向かうから」

 彼女の背中を撫でる。

(蒼はもしかして、こうなることを予測していたんだろうか……?)

 疑念が生まれた。

 緑祁は日付が変わる前まで、八戸にいた。それは紅も知らないだろうから蒼にも伝わってはいないはずだ。だから彼女たちは二手に分かれて、大間町と新青森に向かったのだ。
 最初に動きを見せたのは、紅の方だった。大間町まで緑祁を呼び、戦った。その時に、紫電の家で待機していること……緑祁が八戸にいたことを二人は知ったはずだ。
 車で移動となれば、まず八戸から大間町までで三時間。大間町から新青森までも同じくらいかかる。眠気を我慢し戦闘の覚悟をしながら合計六時間も暗い道路を走るのは、緊張するし疲労もする。事実今の紫電に戦いは任せられそうにない。
 結果として、緑祁は式神を大間町までの移動手段に使った。式神はその移動だけで疲弊してしまった。これも紅を通して蒼は知っている。

(多分、蒼は結構わかっている……。僕が車で新青森に行こうとしないことは……)

 何か別の手段で移動するだろう。その時、紅の身柄はどうなる? 大間町付近に霊能力者は配備されていなかったのだから、後から合流した紫電が拘束し車で運搬することになった。仮に緑祁が車での移動を選んだとしても、彼女を見張る役が必要だ。必然的に、紫電と雪女に頼むことになっただろう。運転中に暴れられたら、その分到着が遅れてしまう。
 そして、香恵の船酔いだ。これは完全に偶然で、相手側には知る術がない。
 だが結果はどうだ? 八戸にいた時には四人いた戦力が、新青森では緑祁ただ一人に減らされている。
 運転手に紫電、見張り役に雪女、そして船酔いで調子が出せない香恵。蒼は電話一本言葉一つで、この状況を作り出した。とても偶然で片付けられることじゃない。

(確保した紅と一緒に移動するのは避けたかったし、そうなれば車以外を選ばないといけない。雪女が海路を提案してくれたけど、それすらも計算済みだったのか?)

 あり得ない、と首を横に振る緑祁。しかし心のどこかでは、この相手の方程式を認めている。

「着いたぞ」

 漁船は青森港に到着し、二人は船を降りた。緑祁が香恵に肩を貸し、近くの公園まで歩きそこのベンチに香恵を座らせる。

「ふ、ふう……」

 船から降りたのでだいぶ回復しているが、まだ本調子じゃない。

「香恵、[ライトニング]と[ダークネス]の札はここに置いていくよ。万が一、香恵の身に何かあれば、彼女たちが助けてくれるから」

 心配のし過ぎかもしれない。そもそも香恵には霊魂の札と呪縛のための藁人形があるので、不審者くらいは一人で撃退できる。だが相手が人質を取るという作戦を選んだ以上、香恵を誘拐してくるかもしれない。

「ありがとうね、緑祁……」

 彼女と別れ、一人で大学を目指す。タクシーを拾った。二、三十分走れば着く距離だ。料金を支払って下車する。

「………」

 校門の前に立った。学内に変わった様子はないようだ。朝を待つ普通の大学で、まだ教員や学生も通勤通学を始める前。静かである。

(でも、蒼はいる! 大学の敷地内のどこかに! 探し出して、倒すんだ!)

 決意を固め、校門を通った。

(前に友人から聞いた話が事実なら、徹夜で実験をしている研究室もあるらしいけど…)

 窓から照明の光が漏れている部屋をちらほら見かける。できるなら学内で大事を起こしたくない。そんな思いもあるからこそ、早く終わらせなければいけない。
 蒼の姿は、首を振って探す程度では見えない。物陰に潜んでいるかもしれないのだ。しかも紅は式神を持ち、使用していた。その前例を考慮すれば、蒼も何か持っている可能性が高い。ここは緑祁のホームグランドだが、警戒を怠ってはいけない様子。

「こっちは?」

 慎重に歩み進め、校舎を右に曲がった。

「ゲっ!」

 驚きのあまり、声が出た。反射的に来た道を戻り、壁の後ろに隠れてしまった。緑祁が見たものは、現実ではあり得ない存在だ。

(あれは確か、サソリモドキだ! でも、軽自動車くらいの大きさがあったぞ……)

 フォルムはサソリに似ていた。しかし鋏がある腕は短い。そして尻尾が鞭のようになっている。だから一発でわかった。

(間違いない、あれは式神だ! 蒼は既に式神をキャンパス内に解き放っていた! しかも紅の[カルビン]とは違うタイプ! [ライトニング]や[ダークネス]みたいに、戦闘能力があるぞ……!)

 さっきチラリと目に入ったのは一瞬で、その式神の横姿だった。まだ、気づかれていないと予想する。仕掛けるなら今だ。まずは息を整える。右手に鬼火を出し、これをぶつける。

(行くぞ!)

 勇気を振り絞り、壁の後ろから身を出した。同時に鬼火を撃ち込もうとするが、

「え……!」

 いない。緑祁が放った火球はアスファルトに当たり消えた。

(そんな馬鹿な? 動きが素早いのか? でも、足音すら聞こえなかったのは、一体……)

 理由を考える彼の頭上から、何かがパラパラと降り注ぐ。それが彼の思考を一瞬遮ったのだ。

「砂? いや、土みたいだけど……?」

 緑祁は口を動かし喋っていた。これはおかしい。今立っている地面はアスファルトなので、砂も土も舞わない。そもそもそんな風は吹いていない。
 だが本能は体を動かし、その場から横に飛んでいた。次の瞬間、さっきまで立っていた場所に植木鉢が落ちてきた。

「上、か!」

 頭上に顔を向ける。さっき見たあの式神が、何と宙に浮いている。まるで空気中を泳いでいるみたいに動いている。

(式神だから、そんなことができる? でも…)

 変だ。[ライトニング]や[ダークネス]は、翼で羽ばたかないと空を飛べない。紅の[カルビン]も基本的には脚で地面の上を歩いていた。もっと記憶を遡ったが、[メガロペント]も翅で羽ばたき、翅が焼け落ちれば脚で地を蹴り動いていた。目の前の式神だけが例外とはとても思えない。

(ということは、それがあの式神のチカラ!)

 少しずつ、方程式を紐解いていく。答えは必ずある。だからこそ、一本一本丁寧にほどく。

(あの式神は浮いている。そしてさっき、植木鉢が落ちた! 物を浮かせることができるんだ、アレには!)

 限定的に重力に逆らえると推測。おそらく直接触れなければ問題はないはずだ。そう確信し、鉄砲水を撃ち出した。

「キュキョッ!」

 直撃した。そこまで力を込めていなかったので、強い一撃ではなかったが、届いた。

「降りて来るんだ! 相手をしてやる!」

 しかし緑祁の言葉は無視された。式神は滑らかに頭上を移動し、近くのゴミ箱を鞭状の尻尾で触った。するとそのゴミ箱が重力を無視して浮かび上がる。

「無駄だ! 霊障合体・火災旋風!」

 渦巻く赤い風がそのゴミ箱を攻撃。金属製なので温度が足りず溶かすことはできないが、押し出すことはできる。自分よりも離れた位置まで移動させた。式神はゆっくりと緑祁の方に近づいてくる。

(どうやら飛道具の類はないらしい。それなら……)

 霊障を使える自分の方が有利だ、と緑祁の思考は続くはずだった。
 しかし、

「何……!」

 尻尾の付け根から、何かが放出された。霧を吹きつけられた感触に近い。無色透明で臭いもなく、当たっても痛みも痒みもない。だが嫌な予感が脳を揺さぶる。

(そう、だった……! サソリモドキは尻尾に毒針こそないけど、毒はあるんだ…! しまった、これはきっと……)

 地面に踏ん張る緑祁。しかし行動とは裏腹に、体が宙に浮き始める。

「やっぱりだ! あの吹き付ける霧にも、チカラの効果があるんだ……!」

 普通に考えれば、人体が浮き上がるワケがない。しかし空気よりも軽くなれば、それは実現する。大体二十リットルのポリタンクと二リットルのペットボトル分の体積で、空気は約二十八グラム。緑祁の体がこれよりも軽くなれば……地球が彼を引っ張る力が弱くなれば、自然と上に押されるのだ。

「旋風を! 上に!」

 もちろん黙って術中に落とされる緑祁ではない。体が浮かび上がるのなら、逆に上に向けて風を送り込み、地面に押し返す。

「キャキャキャキャキャッ!」

 それを邪魔しに来るのが式神だ。グローブのような鋏で、彼のわき腹を殴った。

「ぐわっあああ!」

 簡単に弾き飛ばされ、校舎の壁に激突する緑祁。しかもこのタイミングで式神はチカラを解いた。

「うげっ!」

 地面に落下。

(い、痛い……! でも今の衝撃は、何かおかしい…? もっと上から突き落とされた感じだ……。浮かんだ僕の体は、二メートルも上がってなかったはずだ。それなのに、この衝撃……!)

 違和感を解消するには、ある考えを挿入するしかない。

(あの式神! 軽くするだけじゃない! 重くすることもできるんだ! 僕の体は! 落ちる前に重くされた……重力を強めたから、地面に激突した時に強い力が生じたんだ!)

 重力を自由自在に操る式神。それが蒼の[ベンソン]である。
 ここで緑祁は考えを整理する。単体で行動できるほどの戦闘能力を有し、しかもチカラで重力を操作できる[ベンソン]にとって、緑祁を殺すことなど容易いことだ。しかしそうは仕掛けてこない。じわじわと追い詰めるような戦い方をする。性格上の好みの問題かもしれないが、直前の紅との戦闘経験から、

(やはり蒼も、僕の命が欲しい。でもそれは、奪うって意味じゃない。人質として身柄を確保したいんだ……。死返の石か、仲間と交換する材料……!)

 何故なのかが理解できる。
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